アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

この夏は、朝比奈を聴こう!

2011-07-22 20:02:24 | 音楽/芸術

指揮者朝比奈隆が他界して、すでに10年が過ぎた。それまでは、朝比奈三昧であった当時からすると、最近はかなり音楽に関しては落ち着いた生活を送っている。「追っかけ」というほど、大げさではなかったと自負しているが、90年代後半の頃は、その演奏会に接する機会も減ってきたため、東京にやってくるのを待つのではなくて、こちらから聴きに行っていたことは認める。もちろん、生涯最期となってしまった00年暮れの第九も聴きにいっていたし、本拠地が大阪であったため、来阪の機会は以外と多かった。

忘れられない演奏会は多々あるが、今思い出してみると、まず、朝比奈に最初に接した78年3月まで遡る。新日本フィルで、ブルックナーの第5番。あとで知ったことだが、彼は、この曲を十八番としており、晩年シカゴ響に招かれたときにも、まずは、このブル5を振っている。いやぁそれにしても、この78年の演奏は、凄まじかった。振り返れば、生涯この曲の演奏スタイルは変わっていないが、初めて体験した衝撃はやはり圧倒的だった。自分が当時、聴いていたLPからは、ほど遠く、(マタチッチの改訂版)リズムは、重く、どっしりしており、巨大な構築物を俯瞰しているかのような感覚で、音楽にのめり込んでいたことを思い出す。私の中で朝比奈隆を決定づけた、この日の演奏であるからして、そのイメージは今もずっと生きている。終楽章のコーダで、金管楽器が倍管になることなど、当時知る芳も無く、ただただ圧倒され、終演後は、拍手もできないほどの放心状態になってしまった。当然、その夜は、眠ることも出来ず、ブルックナーの音楽が頭の中に鳴り響いていた。第5でこの演奏だから、第8や第9はどうなの?っと誰でも考えてしまうのは当たり前。朝比奈隆に吸い込まれるのは、簡単であった。この頃、世の中もブルックナーが認知され始めた時代で、日本ブルックナー協会なんていう趣味の団体と創設され、(会長はもちろん朝比奈氏)徐々に演奏に触れる機会も増えてきた。そして、その頂点といえるのが、80年に行われた、東京カテドラル大聖堂で行われた、ブルックナーチクルスである。後に、LP盤で発売になったが、第4(日本フィル)、第5(都響)、第7(東京響) 第8(大フィル)、 第9(新日本フィル)の抜粋で、5日間に分けた演奏会であった。音が篭もるとか、残響が長すぎるとか、色々な意見は出ていたが、この現代において、このような演奏会はもうありえないだろう。エアコンもまともにない聖堂の中で、大きな十字架の前で、ブルックナーの音楽に身を置く。おそらく、この場を体験された方々は、みな同じ気持ちになっていたはずだ。このチクルス最終日、第8番の演奏終了後、鳴り止まない拍手に朝比奈が登場、もう私服の姿であった朝比奈氏は、僕等の姿を観て涙を流されていた。全ての聴衆が、感涙にふけっているのを観て、やはり朝比奈氏もそれに感動したのだろうか。それでも拍手は、鳴り止まなかった。もう30年以上前の出来事だが、まだ脳裏に鮮明に焼きついている。もうおそらく、生涯こんな演奏会の体験は出来ないと思う。まあ、語れば語りつくせないことばかりだが、この場でも、追々書き留めて行きたいと思っている。

なお、掲載した写真は、本文とは関係ありません。



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