広域指定爆笑団・全日本茨咲連合会

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だんしがしんだ [落語 追悼]

2011年11月25日 | 落語・演芸部

落語立川流家元・立川談志 死去。
亨年75歳。



家元の噺を初めて聞いたのは・・・
小学校の頃、当時から家元ファンだったオフクロに「これ聞いてみな」と渡された『山号寺号』だった、と思う。


その後当時お笑い芸人として絶頂期だったビートたけしが立川流に入門するニュースなどを聞き
『あのたけし達が尊敬する『談志』って、どんな人なんだろう』と興味を持ち、
自宅にあった談志落語のテープや著書『現代落語論』などを読むうち、このヒトはすごいと子供心に改めて認識。


上京後は『談志ひとり会』を観に行くなどして生・談志の迫力にも触れ、そして当然のようにハマる。
トータルでは20回以上はライブで聞いてるんじゃないだろうか。


色々な思い出の高座があるが、晩年の『落語の神が降りてきた』と言われる
2007年末・よみうりホールでの「芝浜」を生で聞けたことは、本当に幸せだった。


「家元が最も脂が乗っていた」と多くの方が語る60代の頃の高座はまさしく『客を圧倒する迫力』があり、
「客席で聞いてるだけなのに、異常な緊張感を強いられる」なんてのは家元の高座でしか味わったことがない。
ホント「息してるだけで叱られるんじゃないか」と勝手に感じたコトもあった。
しかしそれだけ集中して見るべき落語を存分に演じてくれるからこそ、その雰囲気にハマれたのだ。

もちろん、正直「当たり外れ」はあった。
だがそんな時はその分マクラのトークで大いにサービスしてくれるなど、
客を飽きさせない「談志流」のサービスも最高だったのはいうまでもない。
(時にはホントに「会場に来ない」なんてことで笑わせてくれることもあったが(笑))

そういった態度や芸風が受け入れられないアンチな方も多かった家元だが、
圧倒的な存在感は落語界の枠を超越していた。
家元がいなかったら、昭和後期以降の落語界はまったく違ったものになっていたかもしれない。


同時代の同じく代表的な噺家・古今亭志ん朝師とは様々な意味で対照的な存在だったなあ。


そんな天才噺家が、またひとり、旅立った。


もちろん悲しいし寂しいし惜しくもあるが、希望もある。
志の輔、談春、志らく・・・他大勢の『談志の遺伝子』を継ぐ弟子たちが
しっかりとそれを受け継ぎ、既に大きく花開かせているからだ。


そして、オイラは
『生の談志の落語を聞いたことがあるんだぜ』と自慢できるようにもなった。

なってしまったというべきか。


思い出は永遠である。



心から家元・立川談志のご冥福をお祈りします。
沢山のすばらしい落語を、そしてすばらしい弟子たちを残してくれて本当にありがとうございました。

合掌。





○今回の報道で談志に興味をもった方へ
TVのワイドショーでしか家元をご存じない方も多いはず。
あの破天荒な生き様や毒舌ももちろん魅力的ですが、生の高座はさらにすばらしかったです。

残されたDVD・CDなどで家元の残された落語に触れるのももちろんおススメですが
出来れば弟子たちのライブに足を運びそれぞれが語るであろう「師匠との思い出」話を味わってください。

「思い出」の中にこそ、家元は永遠に輝いて生き続けるでしょう。

そしてそんな思いもまた『業の肯定』に他ならないと思ってます。