●(その3)/何故『カムイ伝』は「カムイ」なのか?●
『カムイ伝』がなぜ「カムイ」なのかという疑問には、まず証言がある。月刊漫画誌『ガロ』の編集長にして社主だった故長井勝一氏の証言である(『「ガロ」編集長/私の戦後マンガ出版史』ちくま文庫)。
「いま、できあがっている「カムイ伝」(といっても、あれで第1部だが)では、初めのほうに白い狼のことが少しでてくるが、構想の段階では、あれがもっと大きな比重を占めることになっていた……白い狼は、その差別をはねのけようとして必死に闘い、たくましく成長していくのだが、それと、の子として生まれ、社会的な差別を受けながらひたすら強くあろうとしたカムイとが重ねられるのだ。結局、カムイと狼は自由を求めて北海道にわたり、そこで自分たちと同じように差別されているアイヌの人々と出会い、やがてシャクシャインの大叛乱に加わっていく……」
と、「忍者武芸帳」の次回作の構想として白土三平が長井氏に語ったというのだ。
この構想通りに物語が進行していったならば、これ自体でも大変な先見の明のある物語となったはずである。アイヌの人々が明治時代に制定された「旧土人保護法」にしばられ、就職差別やさまざまな差別に苦しめられ、自らの出自をかくさざるを得なかった1960年代初めの構想だからだ。
ところが、物語は、そのような展開ではすすまず、連載途中の学生運動(全共闘運動)のたかまりに合わせるかのように、主人公は交替し、下人正助がリーダーシップを握った百姓一揆の話の展開がメインになっていった。
もっとも、初期の『ガロ』には佐々木守・文のアイヌ民族を主題にした物語が掲載されていた。アイヌの伝承物語、神話を下敷きにした話だったと記憶するが、その物語にたおやかなイラストをつけていたのは、白土三平の実妹である岡本颯子さんであった。この神話的な物語の存在が、もしかしたら白土の当初の「カムイ伝」構想を変えて行ったのかも知れない。
それに、物語が第2章に到達した時に作者自身が、その過ちに気付いたことによって軌道修正を余儀なくされていた。「白い毛並み」という異和を背負って生まれたオオカミと、「」という(社会的歴史的な)差別を背負ったカムイの有り様がけっして同じではないと作者自身が気付いたからなのだ。
これらのことを踏まえてボクはこう考える。
「カムイ」はこの国の基層に埋もれる先住民族アイヌやエミシの集合的な記憶を顕わしている。柳田国男が「山人」と名付けたひとびととその文化や工芸を継承するサンカや、マタギなどの流浪の山の民や、歴史的な差別を受け続けてきたひとびとのシンボル的なスティグマ(聖痕)としてアイヌ民族の「神」の名前が選ばれた。
アイヌのひとびとにとって「カムイ」は、いずこにも遍在する神の名前である。それは、すべての動植物つまり森羅万象に神をみるアイヌの世界観、宇宙観だった。
そしてこれは、白土三平の構想とはかけ離れてしまうが、大和民族がこの国を平定する以前に、各地に棲んでいた先住民族、や地方部族すなわちクマソ、隼人、土蜘蛛、エミシなどなどの隠されてしまった系譜を「カムイ(神)」と呼んだのでなかろうかと言う拭いがたい思いだ。ボクは、強大な権力に真っ向から立ち向かう「影丸」にもその系譜をみるが、これらの人々はのちの「鬼(オヌ)」の原イメージとなっていく。
『カムイ伝』がなぜ「カムイ」なのかという疑問には、まず証言がある。月刊漫画誌『ガロ』の編集長にして社主だった故長井勝一氏の証言である(『「ガロ」編集長/私の戦後マンガ出版史』ちくま文庫)。
「いま、できあがっている「カムイ伝」(といっても、あれで第1部だが)では、初めのほうに白い狼のことが少しでてくるが、構想の段階では、あれがもっと大きな比重を占めることになっていた……白い狼は、その差別をはねのけようとして必死に闘い、たくましく成長していくのだが、それと、の子として生まれ、社会的な差別を受けながらひたすら強くあろうとしたカムイとが重ねられるのだ。結局、カムイと狼は自由を求めて北海道にわたり、そこで自分たちと同じように差別されているアイヌの人々と出会い、やがてシャクシャインの大叛乱に加わっていく……」
と、「忍者武芸帳」の次回作の構想として白土三平が長井氏に語ったというのだ。
この構想通りに物語が進行していったならば、これ自体でも大変な先見の明のある物語となったはずである。アイヌの人々が明治時代に制定された「旧土人保護法」にしばられ、就職差別やさまざまな差別に苦しめられ、自らの出自をかくさざるを得なかった1960年代初めの構想だからだ。
ところが、物語は、そのような展開ではすすまず、連載途中の学生運動(全共闘運動)のたかまりに合わせるかのように、主人公は交替し、下人正助がリーダーシップを握った百姓一揆の話の展開がメインになっていった。
もっとも、初期の『ガロ』には佐々木守・文のアイヌ民族を主題にした物語が掲載されていた。アイヌの伝承物語、神話を下敷きにした話だったと記憶するが、その物語にたおやかなイラストをつけていたのは、白土三平の実妹である岡本颯子さんであった。この神話的な物語の存在が、もしかしたら白土の当初の「カムイ伝」構想を変えて行ったのかも知れない。
それに、物語が第2章に到達した時に作者自身が、その過ちに気付いたことによって軌道修正を余儀なくされていた。「白い毛並み」という異和を背負って生まれたオオカミと、「」という(社会的歴史的な)差別を背負ったカムイの有り様がけっして同じではないと作者自身が気付いたからなのだ。
これらのことを踏まえてボクはこう考える。
「カムイ」はこの国の基層に埋もれる先住民族アイヌやエミシの集合的な記憶を顕わしている。柳田国男が「山人」と名付けたひとびととその文化や工芸を継承するサンカや、マタギなどの流浪の山の民や、歴史的な差別を受け続けてきたひとびとのシンボル的なスティグマ(聖痕)としてアイヌ民族の「神」の名前が選ばれた。
アイヌのひとびとにとって「カムイ」は、いずこにも遍在する神の名前である。それは、すべての動植物つまり森羅万象に神をみるアイヌの世界観、宇宙観だった。
そしてこれは、白土三平の構想とはかけ離れてしまうが、大和民族がこの国を平定する以前に、各地に棲んでいた先住民族、や地方部族すなわちクマソ、隼人、土蜘蛛、エミシなどなどの隠されてしまった系譜を「カムイ(神)」と呼んだのでなかろうかと言う拭いがたい思いだ。ボクは、強大な権力に真っ向から立ち向かう「影丸」にもその系譜をみるが、これらの人々はのちの「鬼(オヌ)」の原イメージとなっていく。