●(その2)/「劇画」の時代があった●
1964年に創刊された『ガロ』は、巻頭連載されていた白土三平の『カムイ伝』が、大学生に読まれていることがマスコミの話題になった。ついで、『カムイ伝』の壮大かつダイナミックな史観が、「いまどきの大学生は『カムイ伝』で「唯物史観」を学ぶ」と書き立てられた。
『シートン動物記』を劇画化するほど白土の野生動物の生態、行動、習性の知識は多岐にわたり、博覧強記だった。たとえば当時小学生のボクなどが、サンカの存在やセブリといったサンカ用語を知ったのは白土三平の作品を通じてだった。だからといって白土三平の作品に「唯物史観」や「弁証法」があったのかと言えば、いまでもはなはだ疑問である。差別と言う視点や、階級闘争はカムイや忍者たちの出自として語られることはしばしばだったし、「一揆」や「打ち壊し」は、底辺からの世直し、革命として描かれる。白土三平の作品は、壮大な歴史ドラマに個人やその人生は翻弄され、「群集」というマス(かたまり)が歴史の真の主人公と訴える構想が多かったように思う。動物もので言えば、ムレ同士の競走で、また種のせめぎあいに犠牲になる個体という図式である。むしろ、白土三平の思想には「唯物史観」より、ダーウィンの「進化論」の影響が大きいとボクは考えている。
これは余談だが、いまだ解けない謎がある。『ガロ』連載の『カムイ伝』は当初、群れのなかで個体としての「異和」という個性を背負って生まれた白いオオカミの話としてはじまる。これは抜け忍カムイの追っ手からのサバイバルをかけた(このエピソ-ドだけをテーマにしたものが主に漫画週刊誌に連載された『カムイ外伝』である)カムイの宿命をかけたスティグマ(聖痕)を顕わしたものだったのだろうか?
また、なぜ抜け忍カムイは「神」という意味のアイヌ語の名前を持つのだろうか?
という、ふたつの疑問である。
これに対するとりあえずのボクの現在までの思考の結論は、こうである。
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1964年に創刊された『ガロ』は、巻頭連載されていた白土三平の『カムイ伝』が、大学生に読まれていることがマスコミの話題になった。ついで、『カムイ伝』の壮大かつダイナミックな史観が、「いまどきの大学生は『カムイ伝』で「唯物史観」を学ぶ」と書き立てられた。
『シートン動物記』を劇画化するほど白土の野生動物の生態、行動、習性の知識は多岐にわたり、博覧強記だった。たとえば当時小学生のボクなどが、サンカの存在やセブリといったサンカ用語を知ったのは白土三平の作品を通じてだった。だからといって白土三平の作品に「唯物史観」や「弁証法」があったのかと言えば、いまでもはなはだ疑問である。差別と言う視点や、階級闘争はカムイや忍者たちの出自として語られることはしばしばだったし、「一揆」や「打ち壊し」は、底辺からの世直し、革命として描かれる。白土三平の作品は、壮大な歴史ドラマに個人やその人生は翻弄され、「群集」というマス(かたまり)が歴史の真の主人公と訴える構想が多かったように思う。動物もので言えば、ムレ同士の競走で、また種のせめぎあいに犠牲になる個体という図式である。むしろ、白土三平の思想には「唯物史観」より、ダーウィンの「進化論」の影響が大きいとボクは考えている。
これは余談だが、いまだ解けない謎がある。『ガロ』連載の『カムイ伝』は当初、群れのなかで個体としての「異和」という個性を背負って生まれた白いオオカミの話としてはじまる。これは抜け忍カムイの追っ手からのサバイバルをかけた(このエピソ-ドだけをテーマにしたものが主に漫画週刊誌に連載された『カムイ外伝』である)カムイの宿命をかけたスティグマ(聖痕)を顕わしたものだったのだろうか?
また、なぜ抜け忍カムイは「神」という意味のアイヌ語の名前を持つのだろうか?
という、ふたつの疑問である。
これに対するとりあえずのボクの現在までの思考の結論は、こうである。
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