風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

「東京ローズ」の死

2006-09-29 00:00:03 | コラムなこむら返し
Image1 28日の新聞の訃報欄に興味あふれる人物の死が報じられていた。その名はアイバ・トグリ・ダキノさん。1916年生まれのダキノさんは、26日老衰で90歳で亡くなったと書いてあった。AP電でおそらくアメリカからの配信であるようだ。
 その名前だけでピンとくる人がいたら、おそらく70歳以上だろう。
 ダキノさんは、ジャズやアメリカン・ポピュラー・ソングをバックに甘く囁くような声で、多くのアメリカ兵をとりこにした日本で最初のDJかもしれない。

 彼女の場合、その声の魅力そして正確な発音の英語で戦いを止め、故郷に住む恋人や妻子のことを思い、ただちに故国に帰ることをすすめたり、ホームシックになるようなスウィートな内容の話術をもっていたらしい。大平洋上に展開する若いアメリカ兵たちは、その声と語りにとても魅惑されその東京から発信されていたプロパガンダ放送「ゼロアワー」の女性DJのことを誰が名付けたのか「東京ローズ」と呼びならわした。

 実は「東京ローズ」は、数名いたという説があり、それは本当らしいが、ダキノさんは戦後に自ら名乗り出たただひとりの「東京ローズ」なのである。
 日系アメリカ人だったダキノさんは、ロス生まれで父親が雑貨商を営んでいた。たまたま親類をたよって日本に訪れていた時に、日米が開戦し、帰るに帰れなくなってNHKにつとめ、通信傍受の仕事をして、その英語力をかわれてプロパガンダのアナウンサーとなる。
 「ゼロアワー」は短波を使ったNHKの海外向け放送という位置付けだったらしい。

 日本名は戸栗郁子で、ダキノはポルトガル人の方と結婚したためらしい。しかし、戦後は戦犯同様の扱いをうけ(なにしろアメリカ人にとっては、日本における天皇に次ぐ有名人だったらしい)、アメリカにける裁判で「反逆罪」に問われ服役、恩赦がおりるまでに30年の月日が必要だった。だが、名誉回復も市民権の回復もなされないまま26日にお亡くなりになった。

 諜報活動や、謀略のたぐいには極秘事項が多くて、真実にいたることが困難になるが、第二次世界大戦時にかくまで有名になりながら、「東京ローズ」の真実はさほど多くは知られていない。
 それこそ、NHKなど自社の内部資料などを発掘して(GHQによる取り調べ記録も)、番組を作るべきではないだろうか?

 プロパガンダと放送とか、メディアという問題もきちんと切開されていないことのひとつだと思える。

(写真は巣鴨プリズンに収監中の東京ローズことアイバ・イクコ・トグリ・ダキノ)