風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

毒書日記Poisonous Literature Diary/「マダム・エドワルダ/目玉の話」(一)

2006-09-13 23:56:16 | アート・文化
「マダム・エドワルダ/目玉の話」Histoire de L'Oeil/G・バタイユ/中条省平・訳(光文社古典新訳文庫)

 これは偶然なのだろうが、『エマニエル』を読了したとたんに、この新訳の文庫本を見つけた。生田耕作訳が定本のようになっているところを勇気のある新訳出版だと思うが、この光文社の古典新訳文庫のコンセプトは「いま息をしている言葉で、もういちど古典を」というものらしく、これはこれで素敵なことだ。それなのにローダリの「本邦初訳」もあるという面白いライナップである(『ちいさな王子』?「星の王子さま」のタイトルで知られるそれ?もあるところを見ると、著作権切れの「古典」を狙った企画出版なのかもしれない)。

 しかし『眼球譚』をわざわざ『目玉の話』というタイトルにするというところは、のけぞってしまいそうになる。しかし、これはこれで理由の無いことではないらしい。

 生田訳では「眼球(眼玉)・玉子・睾丸」であるものを中条新訳は「目玉・玉子・金玉」とした。これは、フランス語原文の「ウフ・ウエ・クエ」(oeuf,oeil,couille)の音韻上の類似をひきたたせ、この三つのイメージの形態上の類似を「玉」を重ねることによって強調するという意図で選ばれたらしい。
 それはいい。ただ「目玉」という文字面はボクに「目玉焼き」を連想させ、ついで「玉子」も連想の連鎖で「卵焼き」になってしまったという不具合を除いては……。
 さすがに「金玉焼き」というのはないから、「金玉」はそのままかと言えば、食べ物の連想からボクの口の中は「白子」(魚や動物の精嚢のこと)のイメージで白いツバが込み上げてきそうだ。

 いや、不平を言っているだけではない。たしかに「告白体」の採用など、読み易くなったのは認める。しかし、このバタイユの処女作(!)は、聖なる涜神の物語であり、一時は神学校で聖職者になるべく勉学にいそしんでいたバタイユという特意な存在の幼児体験にまで遡るイメージの連鎖であり、「眼球(眼玉)・玉子・睾丸」とは、いいかえるとバタイユの涜神とエロチシズムの供儀のための「三位一体」のオブジェなのだ。

 『眼球譚』、ここでは『目玉の話』だが、その中にふたつの印象深いエピソードがある。闘牛場の場面と、ドン・ファンの墓のある教会のエピソードである。
 「グラネロの目玉」(生田訳「闘牛士の眼」)と、「シモーヌの告解とエドモンド卿のミサ」(同「無神論者のミサ」)それに引き続く「蠅の足」(同)である。
 ここで語られるエピソードは、「死」と「エロチシズム」、「涜神」と「スカトロジー」をテーマとする。とりわけ、この作品ではバタイユの糞尿(とくに尿)への愛着もしくは固着が感じられる。

 詳しい引用をすると章(しかしそれ自体は短い章)全体を引用したくなってしまうが、バタイユの「三位一体」(眼球・玉子・睾丸)が、どのように物語を引き裂くのかの好例としてこの部分を中条新訳で引こう。

 ??私は立ち上がり、シモーヌの太腿を広げました。彼女は横向きに寝ています。このとき、私は、ギロチンが切断する首を待ちのぞむように、自分が長いこと待ちのぞんでいたものと対面したのです……シモーヌの毛むくじゃらの陰唇のあいだから、マルセルの青白い目玉が見えて、尿の涙を流しながら私を見かえしてきたのです??

 物語が引き裂かれる! その引き裂かれた物語の裂け目で主人公は狂気に駆られたかのように屹立する。たとえば、「マダム・エドワルダ」ではこうだ。

 ??「あたしのぼろ切れを見たい?」と彼女はいう。/彼女は椅子に腰を下ろして、片方の脚を高くもちあげていた。割れ目をもっと広げるために、両手で皮膚をひっぱったところだった。すると、エドワルダの、毛むくじゃらで、ピンクの、いやらしい蛸のように生命にあふれる「ぼろ切れ」が私を見つめていた。私は口ごもりながら、ゆっくりと尋ねた。/「なんでそんなことをするんだ?」/「分かっているでしょう、あたしはなのよ……」??

 この彼岸から見返えされるかのようなまなざしが、死者の眼球であり、神の虚無であるといった認識がバタイユのエロチシズムが何であるかをあらわしているだろう。死者(ドン・ファン教会の聖職者)の眼球を内部にくわえこんでシモーヌは、闘牛場で牛の生の睾丸をくわえくんだ時のように両性具有者となり(少女にして睾丸を持つ者)、そして睾丸にして眼球であるそれは陰部から語り手である「私」を見据えるマルセル(「私」とシモーヌが愛した死んだ少女)のまなこ(眼)となったのだ。
(つづく)