風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

短編・バフンとなったハナシ

2006-09-01 14:26:34 | トリビアな日々
 郊外とはいえ、ボクが住んでいるところは東京だ。ま、まだ畑もたくさんあってそのどこかのどかなところが気に入ってかれこれ20年近くも住んでいる。引っ越しを重ねてきたボクにしては、珍しい長期の居住年数である。その住み心地のよさは、最近はトトロの丘とよばれるようになった森や、丘陵が歩いて5分ほどのところにある住環境ののどかさに起因するかも知れない。

 だとしても、都市近郊型の農家があると言ってもニワトリくらいの他は家畜がいる訳ではない。
ここに、越してくる以前、八王子の堀之内というところに畑付きの一軒家を借りていたが、その周りは東京にのこる牛飼いのがあった。フスマやオカラを混合した飼料を食べている質のいい牛たちでビックリしたが、それでもさすがに牛舎につながれ放しで、運動不足は否めなかった。当時、ボク自身もロード種というニワトリを平飼いで飼っていたものだ。ボクが農業に一番、関心をもち熱情をいだいていた頃である。

 それだけに限って言えば、東京都内にもたとえば馬事公園、府中競馬場そして宮中にも厩舎がある。それから畜産大学や獣医を養成している学校などの一部に馬や牛を飼い、それにともなう獣の糞の匂いのたちこめる場所がある。一番わかりやすい場所で言えば、動物園の大型獣の檻の近くの匂いと言えばわかりやすいかもしれない。

 つまり、その匂いが歩いている時に匂ってきたのだ。懐かしいと言えば、懐かしい匂いだ……都市生活の中で自分達も毎日排泄しているにも関わらず、なぜか覆い隠し、それを衛生とか、美化ということばでうわべを整えて誤魔化している。

 見えてきた!……どうやら、遠目には銀バエも飛び回っているようだ。久しく銀バエというのも、お目にかかっていなかったような気がする。その本体は!

 これは見事な馬糞(ばふん)である。きっと、アスファルトにベチャッと落ちたところをトラックか何かが、タイヤで踏みつけ裾広がりしたのだろう。轍(わだち)のあとをくっきりと残して見事にだ円形に広がっている。その一番盛り上がっているところに銀バエが数匹、うるさく飛び回っている。うるさいという字は漢字では「五月蝿い」と書くのだが、まさしく五月のハエのようにそれは五月蝿かった。

 それに、その匂いといったら! 強烈な匂いだ。だが、ボクにはなんだかウットリさせる匂いに感じた。インドへ行った時、これでもかという位牛糞を踏んづけた。いや、その量と言い、広がりといい、道一杯に広がってとても避けて歩く事などできなかった。それに、油断をするとそれはどこにでもあった。そう民家の壁さえも牛糞で埋められている。紀元前からインドはこの牛糞を乾燥させて燃やし、煮炊きに使ってきた。もしかしたら、火力と言い、日本で食べるカリーの味がイマイチなのは、このエネルギーとしての牛糞の香の隠し味がないせいかもしれない……などとボクは思ってみる。

 で、なぜそれを馬糞と思ったかと言えば、牛糞には悩まされてかなりの数を見ているからである。それは、犬や猫の量ではなかったし、牛馬か、もしかしたら人間の糞の量くらいあった。
 アスファルト道路のほぼ真ん中に、ポツネンと裾広がりして堂々と落ちていた。ボクは、その馬糞にも飛び回っている銀バエにも感謝した。
 なぜって、それはボク自身の子ども時代、農村で嗅いだ肥溜めの匂いや、道ばたに落ちていた牛馬の糞や、往来のさまを思い出させてくれたからである。

 だから、通り過ぎて振り返り、振り返りその馬糞の方を見ていたボクは、そこで目をむいてバフン!となったのである。
 その馬糞の落ちていた目の前に建っているライオンズマンションから、たてがみも立派なライオンが出てきて、さきの糞のすぐとなりに猫そっくりのポーズで脱糞をしだすのを、目撃した時は!

 ボクが逃げ帰ったのは、言うまでもない。