風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

いせやな日々の終わり

2006-09-27 23:34:34 | コラムなこむら返し
Iseya_day_1 昨年亡くなった高田渡さんが通っているということが知られ、またネットのグルメ(?)記事などの紹介や、雑誌の吉祥寺タウン紹介などで有名になり、この数年、客層は変わってきてはいたが、「いせや」をもっとも長く贔屓にしてきたのは中高年客それも「年金生活者」だっただろう。実は、高田渡そのひとがその「年金生活者」、つまり生産の第一線から身を引いたリタイアの生活に憧れて、みずからもその身をリタイア世代に見立ててその気侭な暮らしぶりをライフスタイルにしようとしていた節があるからだ。
 また晩年の渡さん自体が、白くなった髯とボソボソとした語り口で年齢よりも老けて見えたからそのライフスタイルは身についていたと言うべきかも知れない。

 かく言うボクが、将来いくらかでももらえるのか分からぬが、「年金生活者」の年齢になったら正しく(!)真っ昼間から正々堂々と「いせや」で立ち飲みすることを夢(?)にしていたから、今回、その昭和28年に建てられたと言う木造の店舗が老朽化のため取り壊されることになったと聞き残念でならない。

 夕暮れ時の、「いせや」からもれる裸電球の灯火とモウモウと立ちのぼる「焼き鳥」(実は焼き豚)を焼く煙りは絵になったし、人恋しさをつのらせたものだった。

 季節々々が素通りする
 来るかとおもつて見ていると
 来るかのやうにみせかけながら

 僕がいるかはりにというやうに
 街角には誰もいない

 徒労にまみれて坐っていると
 これでも生きているのかとおもふんだが
 季節々々が素通りする
 まるで生き過ぎるんだといふかのやうに

 いつみてもここにいるのは僕なのか
 着ている現実
 見返れば
 僕はあの頃からの浮浪人
 (「石」詩:山之口 貘)

 若者の街のようになった吉祥寺にあって、北口のハーモニカ横丁と同様の焼跡闇市と「昭和」の面影をのこす「庶民遺産」とも言うべき店だった。

(店舗自体はなくなる訳ではありません。14階建てのビルになり、その1~2階に現在の店舗を復元して来秋オープンするらしいのですが……)

(写真3)昼、開店早々の「いせや」の佇まい。人影の見えない「いせや」も珍しい。貘さんの詩に合わせてみました。「僕がいるかはりにというやうに/街角には誰もいない」(2006年3月下旬撮影)。