風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

毒書日記Poisonous Literature Diary/「マダム・エドワルダ/目玉の話」(二)

2006-09-14 22:03:56 | アート・文化
 バタイユのこの処女作には、後年の『エロチシズム』や『エロスの涙』として理論化されて著述される原形のようなイメージが鮮烈な印象で詰め込まれている。ここには、まだエロチシズムの禁忌とその侵犯といった洞察は登場しない。

 国立図書館の司書であったその身分を隠すためか「便所にしゃがんだ神」という意味のロード・オーシュというひとを食ったような変名で地下出版されたこの作品は(1928年にアンドレ・マッソンの石版画を添えて134部限定版、1941年に500部、1940年にはハンス・ベルメールの版画を添え199部というささやかな限定出版であり、1967年にやっと1万部出版されたのだ)、それでもバタイユを少年時代、梅毒病みの父親から受けた恐怖や、トラウマから解放したようである。
 最後の章(中条訳「思いだしたこと」。生田訳「回想」、「暗合」)で、「眼球・玉子・睾丸」の三位一体がどのようにしてバタイユにイメージとして訪れたのかが明かされる。

 この新訳にはないのだが、バタイユの同時期の断片作品に「松毬の眼」というものがある(バタイユ著作集1971年)。ここでバタイユは眼球のイメージを脳の松果腺に敷衍してそれを「頭蓋の眼」と呼んでみたりする。ところで、このイメージがヨーガで言うところの「第三の眼」(アジナー・チャクラ)の開眼と似ていると思うのはボクくらいだろうか?

 バタイユの「松毬の眼」のイメージはチャクラに似ている。普通「第三の眼」は第6のチャクラで天頂部のすぐ下の眉間にひらくチャクラであるが、バタイユのそれは天頂部にひらく眼なのだ。すると、その眼は第7のチャクラであるサハスラーラ・チャクラに開く眼で、会陰からつきぬけるエネルギーがまさしく頭蓋に開かせる天頂部の眼球だ。

 そして、バタイユは頭蓋骨の天頂部に開いた「松毬の眼」は、正午の天頂の太陽を直立した姿で見据えるために存在する眼だと言うのだ!
 いくら球形のイメージ連鎖でそれが、正午の太陽にまでつながったとはいえバタイユは狂っているのだろうか?

 しかし、まさしく『眼球譚(目玉の話)』そのものに、天頂部の眼でみつめるような美しい描写がある。そして、またバタイユはおなじく同時期であるこの頃に(1927年バタイユ30歳)宇宙的な「涜神」のイメージとも思える「太陽肛門」という作品をも書いていることを申し添えておこう。

 天頂部の眼(松毬の眼)で見つめるような美しい文章で、球形のイメージの連鎖は睾丸、玉子、眼球、頭蓋骨そして天窮にまで至るのだ。ここは生田訳で引用したい。

 ??そのあと私は平たい石を枕にして、草原に長々と寝そべり、「銀河」を振り仰いだ、それは星の精液と空の小便がこぼれ出しでもしたような奇妙なすがたで、星座からなる頭蓋骨状の穹窿を横切ってひろがっていた。まさしく無辺のひろがりのなかで輝きをおびたアンモニアの蒸気から形造られた、天空の頂に開かれたその割れ目は??まるで深い静寂のなかの雄鶏の叫び声が蒸気を引き裂きでもしたような虚ろな空間の中に??その玉子の一種、潰れた眼玉、それとも石に張りついた目くるめく私の頭蓋骨は、相似の形象を無限に映し出していた。吐き気をもよおすような、その雄鶏の異様な叫び声が、私の生命と重なり合うのだった。??
(生田耕作・訳『眼球譚』バタイユ著作集/二見書房1971年)

(おわり)


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