目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

ホテル・エベレスト・ビューを建てる

2011-07-01 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本

001

ホテル・エベレスト・ビューはいかにして、つくられたのか。どんなホテルなのか? どうやったら行けるのか? エベレストはそこからどのように見えるのか? 部屋の広さは? メシはどんなものが供されるのか? 次々にこのホテルへの興味が膨らんでいく。なぜそんな興味をいだくようになったかといえば、根深誠著『ヒマラヤのドン・キホーテ』を読んだからだ。この本の主人公はホテル・エベレスト・ビューを建てた宮原巍(みやはらたかし)氏なのである。

建てたご本人宮原氏の執筆による『ヒマラヤの灯~ホテル・エベレスト・ビューを建てる』の存在を知って、さっそく図書館で借り出してみた。奥付を見ると、1982年10月初版発行だから、もう30年近く前ということになる。実際にホテルが営業を開始しているのが1971年4月だから、営業開始後10年で、落ち着いてきたころの回想記になるわけだ。

計画から建てるまでの勢いはすごい。日本の登山仲間をはじめとする彼の多岐にわたるネットワークを駆使して資金集めに奔走する。いざ計画を実行しようとすると、エベレスト初登頂した、かのヒラリー卿の反対の声を耳にし、ご本人と面会し議論をしたり、ネパールの役人とわたりあったりと苦難の連続だが、日本の大使も巻き込んで、完成への道をひた走る。

いざ建設が始まれば、人夫200人の動員。製材や石切り、下界からの物資・燃料の搬送、整地と大事業だ。標高による空気の薄さ、寒冷という悪条件を乗り越えてようやく営業にこぎつける。とはいっても内装が完成していないのに、強引に開業してお客さんを泊めてしまうのだが。

驚くべきは、ホテルの最寄の地、シャンポチェに空港の建設を始めたことだ。交通手段がなければ、トレッカーだけになってしまい、一般の人が訪れることができない。だからこその空港建設なのだが、発想と行動力が常人ではない。日本からブルドーザーを導入し、整地が始まる。ブルドーザーのような人間がブルドーザーを扱うわけだ。

なおもホテルに水を引いたり、失敗に終わったものの発電所を作ったりと、底知れぬ苦界にはまりこんでいく様相が描かれていく。何が起きても、くじけずに自分の理想に邁進するから恐れ入る。

最後に一言。このホテル・エベレスト・ビューは、エベレスト街道で有名なナムチェバザールのさらに奥、オム・ラッサで今もちゃんと営業している。いずれ遠からぬ未来にぜひとも訪れて、エベレストの雄姿をこの目で見てみたい。

関連記事 ヒマラヤのドン・キホーテ
http://blog.goo.ne.jp/aim1122/d/20110618

ヒマラヤの灯―ホテル・エベレスト・ビューを建てる
クリエーター情報なし
文藝春秋

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする