目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

「百年前の山旅」をシミュレーション

2011-02-11 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本

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服部文祥氏の最新刊『百年前の山を旅する』のページを繰っていくと、巻頭の写真にまず目を奪われる。冗談かと思う。このいでたちは何だ? なぜ股引にわらじ、肩掛けかばんにゴザなんだ。番組企画で、お笑い芸人がこんないでたちで山歩きを強要されているような錯覚を覚えた。実際にそんな番組があってもおかしくないだろうしね。

ここまで徹底して昔の山登りを追体験しようという気構え、行動力には舌をまく。去年の上海万博開催記念の遣唐使船再現プロジェクトを想起させる。遣唐使船を復元して、大阪を出て瀬戸内の都市を経巡りながら上海まで行った。もちろん当時と同じように風と潮流、手漕ぎでといいたいところだが、動力としてエンジンも使っていた。まあ、現代人の追体験は、往時のままというわけにはなかなかいかないわね。

でも、服部文祥氏は、まったく同一の追体験になるように、あるいはそれに肉薄すべく、服装から装備から、行動日程に至るまで、気づくことすべてにこだわりまくったようだ。近代登山黎明期の登山家田部重治や木暮理太郎の百年前の山行記録をひもとき、なるべく忠実に彼らの山歩きを再現しようと試みた。当時は今のような昭文社の登山用地図もなければ、2万5000分の1の地形図もない。交通機関も今のようには整っていない。奥多摩を歩こうにも、電車は青梅駅が終着駅だ。コンビニもないから、食糧も自分で用意して山に入る。佃煮を竹革に包んだりしてね。朝思い立って、ちょっこら奥多摩に日帰りなんて山歩きは到底ムリなのだ。現代人から見れば、恐ろしく不便なことばかりだ。

でも、こうした「ないない尽くし」が当たり前の世界に生きた田部や小暮にとっては、不便という感覚はない。登山口までの移動手段である交通機関がなければ、歩くだけだ。地図がなければ、地図なしで行く。雨が降ったら着ゴザをかぶる。夜寒ければ焚き火をする。それを一切合財服部氏は真似た。

彼の「サバイバル思想」の先には、道具や装備を減らしていくという、登山の原点へのベクトルが見えてくる。それは、自然と一体化する山登りともいえる。なるべく人が自然に寄り添い、文明の利器に頼らずに、一介の生き物として、行動、生活するという先鋭的な環境主義思想につながっていく。その思想へと帰結する過程で、田部・小暮をトレースするばかりでなく、日本のアルピニズムを開花させたウェストンと嘉門次、上田哲農の積雪期の白馬主稜縦走、江戸時代に加賀藩が行っていた黒部奥山廻、また入山の原初形態である沢登りにも注目していくのだ。

最後に「火を持ち歩くということ」という1章を設け、登山や冒険で最大の利器となる、ストーブについて語る。まさに逆説的であるが、このストーブ(火)を持ち歩けるようになったことが、一介の生き物から人間が脱し、より過酷な環境である、高地や極地での行動を可能にしたのだ。著者が敬愛する北極探検で名を馳せたフリッチョフ・ナンセンもストーブに助けられたはずだ。氷の中に閉じ込められていても、火はいつでも熾せたからだ。

おまけを1つ。『江戸人が登った百名山』という本がある。百年前どころではなく、二百年前、三百年前の山をとりあげている。江戸時代に描かれた絵入りで、その山の歴史的な謂われや地形なども記されている。ひまなときに、掲載されている谷文晁の絵だけを眺めて江戸情緒を味わうのもいいし、登場する知らない山を地図で確認したり、江戸人になった気分で山登りを夢想するのもいい。そのまま行っちゃってもいいだろうし。楽しみ方は人によって千差万別なのがこの本。資料的価値も高い。

 

服部文祥氏のサバイバル本については「1122メートル」のバックナンバーを参照!
田部重治『山と渓谷』についてはこちら。

百年前の山を旅する
クリエーター情報なし
東京新聞出版局
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