目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

男体山・大真名子山Part1

2017-06-25 | 山行~尾瀬・栃木・茨城

男体山 標高 2486m 栃木県

2005年8月27日(土) くもり時々晴れ 

メンバー 山の神と私

コースタイム 8:55志津乗越(志津峠)手前駐車スペース9:10--志津避難小屋--10:12休憩10:22--11:20稜線上休憩11:30--11:45男体山山頂(昼食)12:45--13:47休憩(往路と同じ場所)13:54--14:35駐車スペース--光徳キャンプ場(泊)

会社の同僚が友人同士で男体山に行くというんで、このブログで山行記録を検索し、いつ行ったのか見ようと思ったら、なんと存在しなかった。まだ書いてなかったかと、画像フォルダを調べてみると相当古い。遠い記憶になりつつあるジムニーに乗っていて、こんなに前だったかと唖然となる。

その日は4:45山の神とともに自宅を出発した。天気予報では、晴れといっていたのに東北道を走っていると、雲行きが怪しくなってくる。栃木県に入って雨が落ちてきた。佐野SAで朝食をとり、引き返すかといいつつも、もうここまで来たんだから、いずれ晴れてくるだろうよと、先に進むことになった。

 
右:志津乗越の駐車場。すでに満車で強引に停めている車も。引き返して林道の路肩に駐車(左)

やがて雨は上がり、なんとか天気はだいじょうぶそうだと胸をなでおろす。いろは坂を上がって男体山のノーマルルートである中禅寺湖湖畔の二荒山神社前を通過。しばらく走り、戦場ヶ原、三本松あたりで右折して、裏男体林道※に入った。狭い道で対向車が来ないか冷や冷やしながら進み、車が入れる終点志津乗越に到着した。すでに到着する前から路肩に車が停まっているのを見ていたので、ちょっとげんなりしていた。ここまで来るまでもない。Uターンして、だいぶ下ったところに車を置いた。

※2017年6月時点で裏男体林道は通行止め。詳細は栃木県/林道情報へ

 
左:志津避難小屋 右:お堂と石仏

9:10山の神とともに車を離れる。志津乗越からすぐに志津避難小屋が現れた。表に看板が出ていて社務所も兼ねているのがわかる。中を覗いてみると、比較的きれいで、フトンがきちんとたたまれ、その隣には折りたたみの小さなテーブルも備え付けられていた。

そこから少し歩くと、お堂と御婆様(乳母様;おんばさま)の石像が出てきた。山行の無事を祈って参拝していく。ちなみに御婆様とは太郎山の乳母様ということだ。父は男体山、母は女峰山だとか。 


雲が流れるとお隣の山、太郎山が現れた

10:12樹林帯の中で10分ほど山の神と休憩をとった。この後は、急登の連続、そして荒れ荒れの登山道を進むことになる。一昨日通過した台風11号の影響で荒れているのだろうか。

しばらく単調な道に耐えていくと、何も展望がないところから、いっきに開けた稜線に出る。そのうち雲の切れ間から突如として太郎山が現れた。


山頂の直下に社のようなものが見える。この写真左手には山頂の建物がある

すぐに男体山山頂だろうけど、もう1時間以上歩いているから、少し休もうかと稜線で休憩をとることにした。このときは珍しく山の神もカメラを持ってきていて、写真をとっていた(冒頭)。


男体山山頂より中禅寺湖を望む

11:45男体山山頂に到着。二荒山神社側(中禅寺湖側)から数珠繋ぎで登山者が登ってきていて、すごい人だ。ただすごい人ではあるけれども、縦に長い山頂だから、不思議と混雑感はなく気にならなかった。ラッキーだったのは、先ほどまでガスで覆われていた山頂付近が、突然風神様でも現れてひと吹きしてくれたかのように、さあっとガスがとれて晴れだしたことだ。眼下には中禅寺湖が広がり、視線を移していくと、太郎山や、明日登る大真名子山も見渡せる。でも、見えるのはそこまでだった。その先は厚い雲のベールに閉ざされていた。


どこもかしこも登山者

さあて、どこで昼食をとろうかと、周辺をぐるぐる歩いた後、いちばん人が少ない太郎神社前に腰を落ち着けることにした。山の神が持ってきたレジャーシートを広げて、登山靴を脱いでお座敷よろしくくつろぐ。ポコポコとお湯を沸かして、はるさめワンタン!

 
左:二荒山大神 右:太郎神社前で昼食

ところで、男体山は信仰の山だけに石仏や銅像や祠があちこちにあるけれども、やはりいちばん目を引いたのは刀だ。まずそれを見つけたときに不謹慎にも、なんだこれと思った。避雷針か? 近づいていくと刀の形状であることがわかり、なぜここにと思った。ネットを検索してみると、この刀はご神剣であり、1880年に奉納されたということだ。では、その前は? もしかしたら、8世紀の勝道上人の開山以来折れたり、欠けたりするたびに奉納され続けてきたのだろうか。

 頂上のご神剣。2012年に折れて、今は新しくなっているとか

中禅寺湖側からふわっとガスが湧いてきた。12:45これを潮にそろそろ下山しようと、山の神と山頂を後にした。朝休憩したのと同じ樹林帯の場所で水分補給をし、志津乗越へと急ぐ。林道に出てからは思った以上に距離があった。こんなに下に車を停めていたのか。14:35ようやく愛車にたどりついた。

 
左:名残惜しくも山頂を後にする 右:光徳キャンプ場(翌朝の写真)

本日は日帰りではなく、お泊り。アストリアホテル近くの光徳キャンプ場(当時1人500円;閉鎖)へ移動した。山用テントではなく、重たいスノーピークのテント(たしかこの頃に買ったんだったか)を持ってきていて、森の中に山の神と一所懸命張る。ひと休みして、アストリアホテルの温泉に浸かりに行く(当時1人1000円。東武鉄道の割引券があれば半額になるという)。白濁の湯を堪能して、薄暗くなり始めた18:00近くにマイテントに戻った。そして晩飯。ビール片手に枝豆やらビーフジャーキーやらを食べているうちに日はとっぷりと暮れ、19:00少し前には雨がパラつき始めた。

Part2大真名子山に続く

コメント
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