この本の主舞台、ブロードピークとK2がこんなにも近いとは知らなんだ。ブロードピークからK2が見えるということだ。
私の場合、K2といえば思い出すのがインド。90年代にインド、スリナガル近郊のSonamarg, Baltalへトレッキングに行ったことがある。ことの発端は、ニューデリーの怪しげな旅行代理店で、2,700ドルで2泊3日のK2トレッキングはどうだとしつこく勧められたことにある。K2トレッキングと称していたが、うさんくさい匂いがプンプンしていて、インド商人だから、あまりにも高くふっかけてくる。もっと格安のトレッキングツアーはないのかと訊いてみると、このインド北西部の氷河を見るトレッキング案を出してきたのだ。
左:Sonamargのテント場。このボロい英国車で到着 右:奥に氷河が見える
この辺りの中国・パキスタン国境地帯では常に紛争のタネが転がっているから、登山やトレッキングでも面倒な手続きが多い。私は軍の駐屯地前を車で走る際には時速20Km以下の制限を受けたし、パスポートの提示や国名と名前の記入を求められたりした。これに乗じてインドでも怪しげな人間が金の匂いをかぎまわっているのだから、本に出てくるパキスタンでも同じことだろう。リエゾンオフィサーがこの手合いとして設定されているのは思わずうなずいてしまう。実際にいてもまったく不思議ではない。
リエゾンオフィサー以外でも、アルパインスタイルを標榜するが、実際の行動はそれとは正反対のアルゼンチン3人組、ワンマン経営の会長など、クセのある人たちを登場させる。この本の面白さの一つにあげられるのは、こうした登場人物の多様さと人物造形の巧みさにあるといっていい。さらにラストが盛り上がるように周到に計算されたさまざまな仕掛けが、いたるところに配されている。巻末に至るブロードピーク登山とともに、それらの仕掛けがあっちこっちで炸裂し、また巻頭で提示されていた謎も解明されていく。こうなるともう読むのを中断できなくなる。
ラストは美しくまとめあげられている。主要な登場人物はトラウマを背負い、今の生活の中でさまざまな矛盾や葛藤と闘いながら(放置しながら?)、宙ぶらりんな状態で浮遊していたのだが、それぞれがそんな現状に気づき、本来「還るべき場所」を見つけていくのだ。主人公たる翔平も、パートナー聖美との訣別のときを知る。
まあ、その主題よりも私も含めた「山屋」さんにとって、登高シーンやクライムダウンの詳細な描写はゾクゾクするほどうれしいのではないか。この臨場感は山岳小説にとってかけがえのないものだ。たんなるエンタメに堕していないのは、こうした筆力を著者が備えているからなんだろうね。
ただ枝葉末節、重箱の隅ツツキだが、ブロードピークのクライマックス、この高々度でなんでこんなに元気に行動でき、しかも声高らかに会話ができたりするのかは疑問だ。それに著者の仕掛けによって、次々に困難な状況が出来するわけだが、それを打開するために翔平はほとんどあり得ないスーパーマンになってしまう。フィクションだから大目に見るべきなのか。はたまた許されざるやりすぎなのか。この思考の「還るべき場所」はいったいいずこに?
還るべき場所 (文春文庫) | |
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