目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

生還のカギは、サードマン現象?

2011-04-16 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本

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自らが苦境に陥ったときに、助けてくれる人がいれば…、とは誰しも思うことだ。卑近なことでいえば、ああカネがないとか、仕事でモメてたり、痔が痛い、くしゃみが止まらない、なんて場面ですぐにでも助けてほしいとなる。大変だねといって、札束を渡してくれる、それやっとくわ、大船にのったつもりでねとか、ほらボラギノール、ほら鼻炎新薬だよとか、お助けマンが現れれば、万々歳だ。でも、この本で採り上げている「サードマン」はそんな些細なことでは現れてくれない。もっと深刻な状況、つまり生死を左右する状況でのみ現れるのだ。

山の遭難話では、この手の話はよく聞く。ナンガパルバットで遭難した鳥人メスナーにもやはりサードマンが現れた。後ろから来るはずの弟がいつまで経っても来ないために、彼はたどったルートを引き返すわけだが、そこで、雪崩のあとを見つけてしまう。弟はこの下に埋まっているのか。弟を見つけるために、あちこちさまよい歩いた末、疲労のために的確な判断ができなくなり、いつのまにか見えない「存在」が近くに現れる。その「存在」に導かれてメスナーは助かるのだ。

一時期、故星野道夫氏が困難な冒険の時には必ず携えていたという本、『エンデュアランス号漂流』は有名になったが、この本の主人公であるシャックルトンの生還劇でも、サードマンは現れる。南極探検に出発した彼らは、氷に閉じ込められて、身動きがとれなくなり、救助隊を呼ぶために決死のメンバーを編成する。荒れる海をわたって、捕鯨基地のある島へ渡り、さらにその島を何日もかけて人が住む町まで徒歩で縦断する。そこで、メンバーにいないはずの、ある「存在」が加わるのだ。その「存在」によってメンバーは精神的に落ち着いていく。

他にもサードマンの事例は豊富に挙げられている。冒頭は著者がアメリカ人だからか、あの9.11でのニューヨーク世界貿易センタービルでの生還者について書いているし、リンドバーグの極度の疲労と睡魔を制しての大西洋横断、宇宙ステーションでの火災からの生還、海難事故から果てしない時間を漂流しての生還等、嫌になるくらいの人間の極限状態が書き連ねられていく。

読み進めていくと、サードマンとは何か? どこからやってくるのか? たんなる神秘現象なのか? と疑問が次々に生じるが、この本では、サードマンに関する科学的な知見を披露している。心理学や精神医学、そして脳科学の立場から、この現象を解明しようと試みている。ただし最終的な結論には至っていない。でもそれではつまらないので、ここに書かれていることを自分なりに噛み砕き、ちょっとした推論を書いてみようと思う。私なりの解釈ということで、真実ではないかもねということを先にお断りしておく。

絶対的な生命の危機状況になると、まず脳が酸欠状態になっている。それは極度の疲労や空気が薄い高所にいるなどの外的・内的環境によって生み出される。とくに脳の頭頂部位にある感覚の統合機能が失われると、その人は外界から得られる感覚を統合できなくなり、いろいろな事象がバラバラに脳の中に起ち上って来ることになる。つまり、見たもの、聞いたもの、触ったもの等を、正しく判断できない、感じることができないということだ。その状態のときに、生きようという強い意志が働くと、その人の過去の経験や、もっている知識・技能が別人格として出現するのだ。それがサードマンではないか。

困難な場面から生還する人は、もともと助かるべくそうした要素、素質をもともと持ち合わせているのだろう。そうでなければ、助かるはずはない。逆パターン、つまり善意のサードマンではなく悪意のデビルが現れることもあると著者はいう。その場合は、その人は知識も技術も経験もなく、自暴自棄になって死を受け入れざるをえないと、あきらめてしまった結果なのだろう。あまりこの事例が出てこないのは、そうした人は大抵死んでしまっているからだろうね。

個人的には、将来にわたって、サードマンやデビルには会いたくない。仮にサードマンに出くわしたにしろ、あまりにしれている自分の力量を考えると、そのサードマンに騙されてさらに苦境へ転落していきそうだ。君子危うきに近寄らずってか。

サードマン: 奇跡の生還へ導く人 (新潮文庫)
クリエーター情報なし
新潮社
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