目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

黄金色?の湯を愉しむ横谷温泉旅館

2021-08-29 | まち歩き

2021年7月23日(金・祝)北横岳より下山後、宿に向かうにはまだ早いので、道の駅ビーナスライン蓼科湖に行ってみることにした。北八ヶ岳ロープウェイからビーナスラインに入り移動していくと、すぐに目的の道の駅に到着した。駐車場はほぼ満車で、ちょうど1台空いたスペースにこれ幸いとすばやく滑り込んだ。この道の駅は、蓼科湖に隣接した施設で、ジモティが涼みにもやってくるようだ。湖畔にはテーブルや椅子が置かれていて、昼食をとる人たちが大勢いてにぎわっていた。

山の神は道の駅でさっそくお土産を物色していたが、私はすぐに飽きてしまい、辺りをふらふらと歩いていた。このエリアにはソフトクリームの店や民芸品を売っている店もあって、覗くだけでも楽しい。

山の神のお買い物が終わって、いよいよ本日の宿へと移動開始だ。ビーナスラインを少し戻って、メルヘン街道へと入る。少し走って左折するとすぐに目的地だ。バブル期に建てたのか、ボロボロの日帰り温泉施設や「農夫の食卓」と看板が出ている廃墟が恐い。そこを抜け、沢へと下っていくと、本日の宿、横谷温泉旅館が現れる。

15:00過ぎにチェックイン。結構大きな旅館で山の神と私が泊まった部屋は、エレベーターなしの古い清流荘(本館)の一室だった。つくりからいって、元は二部屋だったのをぶち抜いて一部屋にしたようだった。入って右手が普通の和室で、左手には、テーブルと椅子が置かれていた。

清流荘はフロントから横移動し、大浴場を越えて隣の建物だった。なんとそのときに館内標示で知ったのだが、北横岳ですれ違った某女子高の生徒がここに泊まることになっていた。しかも〇時からは団体客が風呂を使用しますと、この女子高生のために貸し切りタイムが設けられていた。この旅館は大きいだけに団体客をとっているのだ。

チェックイン早々に宿自慢の温泉に浸かってみた。特徴的なのは泥湯ともいえそうな黄色い湯だ。この宿では、黄金色の濁り湯と称している。巨大な露天風呂は開放感があり、ゆっくりと浸かれてくつろげる。また貸し切り露天風呂の「月あかり」にも入ったが、小ぢんまりとしているものの風情があってなかなかよかった。

風呂上がりには、家でnalgeneに詰め替えて持ってきたスコッチを、ここの清水で割ってガブ飲みしていた。やわらかい水でのどごしよくするする飲めてしまうのは危険だ。上の写真のグラスに入っているのがまさにそれ。

夕食は豪勢だった。すでにスコッチが食前酒と化してしまったが、まずはかりん酒で胃の腑を熱くする。それからお造り、蓼科牛のステーキ、同じく蓼科牛の赤ワイン煮、紅鱒の野菜餡かけ、色鮮やかな地野菜と鶏&海鮮系のしゃぶしゃぶ、自家製粉の十割そばなど、大満足の品々だった。

翌朝はこの宿にほとんど隣接しているといってもいい横谷峡を散策した。

横谷峡トレッキングにつづく

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SWITCHインタビュー「石川直樹×大竹伸朗」

2021-08-22 | テレビ・映画


イメージ Th GによるPixabayからの画像

よくチェックしている番組にNHKEテレの「SWITCHインタビュー達人達」がある。先週番組表で「石川直樹×大竹伸朗」を見つけて(放送は8月14日)、これは見逃してはならじとさっそく録画予約を入れ昨日の午後さっそく再生した。

石川直樹さんといえば、このブログでも2度ほど登場させている。この番組での肩書は写真家となっていたが、厳密にいえばなんだろう。冒険家のようにも、探検家のようにも見えるし、それを記録することからノンフィクション作家のようにも見える。対談相手の大竹伸朗(おおたけ・しんろう)さんは、今までにない地図を探っているから「マップ・メイカー」と彼のことを評していた。

番組の冒頭シーンは、2021年4月のヒマラヤ。このコロナ禍で収入が激減したシェルパ族にカンパとして、自らのシェルパにかかわる写真集(『EVEREST』か)の収益の一部を渡していた。何度もシェルパとともに仕事をした彼であるからこその気遣いなのだろうが、そうそう実行に移せることではない。

シェルパのエピソードをはじめとして、17歳のときのインド・ネパール行、学生のときに選抜されて参加した南極から北極までの旅「Pole to Pole」、世界七大陸最高峰最年少登頂(当時)など、石川さんの山や自然とのかかわりを紹介する一方で、最近は人類学や民俗学にも食指を伸ばしていることも紹介していた。

南米パタゴニアの洞窟に残された「ネガティブ・ハンド」と呼ばれる太古そこに住んだ人々が残した多くの手形を見に行ったり、折口信夫で有名になった異形の神「まれびと」に関心をもち、日本各地の「まれびと」が登場する祭りを写真に収めていたりと、活動の幅は広い。コロナ禍で自由に動きにくくなると、地元渋谷の街を駆け回るネズミに注目するなど、好奇心の旺盛さには舌を巻く。未知の領域がすぐそばにあったとうそぶくのは彼らしい。

対談相手に大竹伸朗さんを選んだのは、やはり似たマインドをもっているからなのだろう。大竹さんは画家という肩書で登場したが、果たしてそうなのか。現代アート作家というほうが私にはしっくりくる。様々な気に入った切り抜きや道具、廃品などパーツを集めては、2次元でも3次元でもコラージュして作品化するのが彼の真骨頂だ。

石川さんと大竹さんの共通点はマインドだけではなく、多作であることにもある。石川さんは40歳そこそこにもかかわらず、すでに50冊くらいの本をものしており、大竹さんはお気に入りの切り抜きコラージュのスケッチブックが40年で70冊もあり、2006年に開催した自らの作品を集められるだけ集めた「全景展」では、2000点を展示したというからすごい。

この2人は、まだまだ多くの作品や話題をわれわれに提供してくれるのだろう。楽しみに待つとしよう。

参考:当ブログ
石川直樹 この星の光の地図を写す オペラシティアートギャラリー
冒険家と探検家はべつものだった。下北沢B&Bトークショーにて

 
 
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定員オーバーの北横岳

2021-08-16 | 山行~八ヶ岳とその周辺

北横岳南峰 標高 2472m 北峰 2480m 長野県

2021年7月23日(金・祝) くもり時々晴れ |

メンバー 山の神と私

コースタイム 9:45北八ヶ岳ロープウェイ駐車場--10:20山頂駅10:28--11:36北横岳南峰(昼食)12:03--12:08北峰12:11--七ツ池--12:35北横岳ヒュッテ12:40--13:21ロープウェイ山頂駅13:30--13:37山麓駅

9:15頃前泊したベルクコットをチェックアウト。30分ほどで北八ヶ岳ロープウェイの駐車場に到着した。何度か来ているはずなのにビーナスラインから曲がるところに見覚えがなかった。最近来ていなかったからということもあるけれど、来ていたのは冬場が多かったためかもしれない。また2012年4月を境にいつの間にかピラタスという名称もなくなっていたことを知った。

ロープウェイ乗り場に並ぶと、連休で混んでいるかと思いきやすぐに改札となり、それほどでもないのかと最初は思った。しかし、すぐに乗れると思ったのはつかの間で、その次の便までお預けとわかり結局20分も待つことになった。


坪庭入口から縞枯山を望む

山頂駅では、三々五々乗客は展望テラス、坪庭、縦走路へと分かれて出発していく。

山の神と私はまずは坪庭組で、入口のところでお茶を一口飲んでから、やおらスタートした。この日は天候が今イチかもしれないと懸念していたのだが、青空も覗き、まずまずだった。


左:山の神と坪庭の木道を進む 右:北横岳への分岐

観光客のためにスニーカーでも歩けるようにした坪庭の遊歩道は、よく整備されていて歩きやすい。すぐに北横岳への分岐に出た。


左:雨池峠への分岐 右:北横岳ヒュッテ

その分岐に北横岳ルートは登山者向けであると注意が出ていたものの、そんなことはまったく意に介さず、装備らしい装備もなく軽装で登っている人を見かけた。登山道をふさいで、私は山頂まで行く、私たちはここで引き返すと相談しているご婦人がたもいたし、学校登山で来ている女子高生1学年分もいた。大勢で休日に登山するということがほかの登山者にどれだけ迷惑をかけているか、想像力の乏しい学校の先生には参る。

山でのルールやマナーを知らない人も多くいた。登りと下りですれ違う際には(原則は)下る人が道を譲り、安全確保のために山側によけるというものがあるが、なぜか我が物顔で下ってくる御仁がいるばかりか、谷側によける人が続出。待つ人も通過する人もお互いに安全でありたいものだ。

論外なのは、おしゃべりしながら歩いてまったく後ろを気にしない人。自分たちの後ろに長蛇の列ができているのに道を譲ろうとしない。明らかに後続の登山者が視界に入っているのに、話に夢中で気づいていないのか、あるいは確信犯で完全無視なのかはわからない。人を思いやる心を持とうよといいたい。


樹林帯を抜けると一気に開けた場所に出る。山頂はすぐそこ

登山者やハイカーだらけの道を歩くこと1時間10分。いや、厳密には待っている時間も含めてか。樹林帯を抜けてパッと開け、北横岳南峰のピークに達した。


左:北横岳南峰 右:南峰から北峰を遠望する

最初はそれなりの景色が目の前にあったのに黒っぽい雲が流れてきて、たちまち視界を閉ざしてしまった。それでもまだ指呼の間である北峰のピークに大勢の登山者が見えていて、あそこで昼メシにするには窮屈すぎるよなと山の神と相談。まだ人が少なめの南峰で昼メシにありつくことにした。


左:北横岳北峰 右:北峰は大勢の登山者でにぎわう

昼食後、北峰に移動。ものの5分もかからないくらい近い。北峰の標高が8メートルほど高いためか、こちらを主峰として登ってくる人が多く、自然と北峰に人が集まってくる。とりわけて広い山頂ではないので、3密状態だ。写真を撮って早々に退散する。


左:七ッ池の巨大な標示 右:北横岳ヒュッテから下るとまず現れる七ッ池の入口

下山を始めると、まだまだ登ってくる人は多くここでもそこでもすれ違いまくる。ロープウェイで容易に高所まで来られて展望もあり、池もあり、しかも短時間で歩けるというお手軽さで八ヶ岳屈指の人気コースなのだ。

北横岳ヒュッテまで下れば、そこから七ッ池への道がついている。行ってみると登山者が1人だけで静かだった。壊れかけた木道が荒れた感じを出していたけれども、奥に進むほど秘境っぽい感じの場所になる。水面が鏡と化して、風景を映し込み、ちょっとした絵画のような趣で目を奪われる。 


水面は鏡面のようになり周囲の景色を映し込んでいた。紅葉の時期もまた来たい


入道雲を飲み込んだアート作品のようだ

景色を堪能していると、続々と登山者がやってきて騒がしくなり、興を削がれてしまった。北横岳ヒュッテに戻り、小休止。山の神はヒュッテのブランコに乗ってご満悦だった(冒頭の写真)。

休憩後坪庭へ下り、歩いていない残りの坪庭コースをめぐって、ロープウェイ山頂駅には13:21に戻った。ベンチでお茶を飲んでいるとちょうど改札が始まり、ラッキーとばかりに13:30発のロープウェイに乗り込んだ。ここでのんびりしていて混雑で待たされるのはごめんだった。ロープウェイが下り始めると、シカが何頭も草を食んでいるのを見下ろせた。この辺りでも増えすぎているのだろう。

山麓駅に到着して、コケモモとバニラのミックスソフトクリームを食べる。さっぱりしてほんのり甘くておいしい。食べ終わって、さあ出発かなというときに、登山道でおしゃべりに夢中で渋滞を引き起こしていた妙齢のご婦人グループがやってきた。われわれと同じようにソフトクリームを買ってここで食べようという腹積もりのようだ。私がその存在に気づいたとき、向こうに立っていたその1人と目が合った。山の神がテーブル席を立つと、当のご婦人グループはもうワープしてきたのかというほど素早く移動してきて、テーブルをアルコールティッシュで拭き始めた。まだ私がテーブルに広げていた地図や手帳などを仕舞っているところなのに早すぎる。ありがとうねといいつつ、早くも座る態勢に入っていた。体よく追い出され、すごすごと山の神の後を追った。

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八ヶ岳山麓の野鳥と出会えるペンション「ベルクコット」

2021-08-15 | まち歩き

天狗岳下山後、雨具を片付け、雨に濡れたザックを拭いたり、一服ふかしたりしているうちに17:00を回っていた。もたもたしていると本日の宿蓼科東急ペンション・ベルクコットには到着と同時にディナーになってしまう。

急ごうと山の神を促した。

この宿は、たまたまじゃらんでこの界隈を検索していて見つけた。口コミの評価の高さ、とくに料理がおいしいというのはそそったし、野鳥が来るというところも気に入った。さっそく予約して楽しみにしていたのだが、チェックインがこんなに遅くなってしまっては、せっかくのお楽しみも半減で残念だった。

宿までの経路でカーナビに電話番号や住所を入れると、たどりつけないことがあると注があったことから、事前にGoogleMapのストリートビューで確認。ビーナスラインから「東急リゾートタウン蓼科」の入口を間違わなければ、あとはだいじょうぶと東急の敷地内に入った。

ベルクコットは、道路から一段低くなったところにある。進行方向右手にペンション名を掲げた駐車場(右の写真)を探しながら進む必要がある。しかしカーナビで行きつけないという情報が頭にこびりついていて集中していたせいか、通過することなく難なく見つけられた。

宿はご夫婦で切り盛りしていて、チェックイン時は旦那さんが相手をしてくれた。かわいらしい置物に自然と目がいく階段を上がって2階の部屋に入る。まずは館内2か所にあるうちのひとつ、2Fの麦飯石の風呂に入って汗を流す。そして部屋で少しくつろいでいるとすぐにディナータイムとなった。ディナーは評判にたがわずおいしかった。リンゴのチップでスモークした自家製ベーコンは逸品。地元の無農薬野菜がシャキシャキの歯ごたえもあって新鮮さをアピールするとともに滋味豊か。リンゴで育ったという牛もいうことなしだった。

食堂前のスペースには、動物が来るように餌場を設けていて、この日はタヌキが姿を見せていた。ほかにアナグマやテンが来るという。いずれも夜行性だから宵のうちだと姿を現さないのかもしれない。またテラスには野鳥やリス用の餌台があって朝食時に野鳥やリスを見られればと思っていたのだが、見られるのはタイミングによるようだ。

次回訪れる機会があるのなら、快適なテラススペースでくつろげるように早くチェックインしたいものだ。

参考:https://www.facebook.com/bergcot/

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著者と栗城くんとの相似形『デス・ゾーン』

2021-08-14 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本


『デス・ゾーン—―栗城史多のエベレスト劇場』河野啓(集英社)

それをすると面白いのか、視聴者の興味を引くのか、視聴者の支持を得られるのか。

こんな思考法をとる栗城くんと、仕事への取組み方やマインド、行動様式がそっくりと思ってしまったのは、著者の河野さん。そっくりだからこそ、河野さんにとって栗城くんは取材対象となったし、いったん興味を失いしばらくブランクがあったのに、再び取材対象となったのではないか。類は友を呼ぶというやつか。

河野さんは、栗城くんの関係者に精力的に接触を試み、取材をしている。ただ残念なのは、栗城くんにいちばん近いと思われる事務所の側近中の側近から取材拒否されたことにある。常に近くにいるだけに、もっとも栗城くんの心情を知っていたであろう人から話を聞けなかったのは、臥龍点睛を欠くというものだ。

それはさておき、いきなり核心を書いてしまおう。この本のクライマックスは、栗城くんの最後のエベレスト遠征にまつわることだ(以下ネタばらしになるので、これからこの本を読もうという人は注意)。

まずは5度目のエベレスト挑戦でSNSで大炎上したことが絡んでくる。この時GPSを装着することで栗城くんの位置情報を公開したわけだけれども、電源のON/OFFを繰り返してついたり消えたり、しかもゆっくりとした歩みが突如3倍のペースに変わったりと不自然さが際立った。支援者をだましてでも、演出して盛り上げようとしていたのではないかという疑惑が巻き起こり、Webでは大炎上した。真相はこうだ。シェルパもGPSを装着して登り、さも栗城くんが登ったように装ったのだ。だからシェルパが登った地点の栗城くんの映像はない。

またあれだけ「単独・無酸素」を標榜していた割には、栗城くんはBCに酸素ボンベを持ち込んで吸っていたし、C2やC3の上のキャンプ地にもシェルパが荷揚げした酸素ボンベがあって吸っていたことが明らかになった。単独といいつつ、まるで昔の極地法のような登山スタイルで荷揚げをしていたのは周知のことだ。

加えて驚きだったのが、凍傷で指を切断することになった件。あんな不自然な凍傷は見たことがないと登山関係者は声をそろえたという。演出のために故意にグローブを外して指を雪に突っ込んだのか?という疑惑もあったようだ。おそらく実際そうだったのだろう。凍傷になったというドラマティックな映像をつくるつもりが、やりすぎて指の組織を壊死させてしまったというのが真相だろう。

そして驚くべきは、著者の河野さんは栗城くんの死は自殺ではないかと疑っていることだ。死ぬ前の言動からさまざまな憶測を呼んだが、たしかにその推理は当たっていそうだ。「単独・無酸素登山」に疑惑をもたれ、激しい誹謗中傷を受けて自暴自棄になっていたこと、どんなにがんばってもノーマルルートで酸素ありでなければ、エベレスト登頂の可能性は低かったということがある。それを裏付けるように最後のルート設定は夢枕獏さんの『神々の山嶺』に出てくる未踏ルートであり、登頂の可能性はないといっても過言ではなかった。最後に華々しい散り方をしてカッコよく自分の人生に始末をつけようとする演出だったのではないのか。

どうしてこんなことになってしまったのか。最初に戻るが、冒頭に掲げたテレビ屋さんマインドに侵されてしまったからなのではないか。エスカレートすれば、倫理感は失われ、やらせが当たり前でバレなければなんでもよしとしてしまう、ちょっと前のテレビ屋さんと同じだ。河野さんはじめ栗城くんをとり上げたメディアの方々が知らず知らず追い詰めてしまったのは否めない。そう感じているからこそ、事務所の側近は取材拒否したのだろうか。

最後にこの本で、違和感を感じたのは、「山頂アタック」という言葉を頻繁に使っていたこと。初出で断り書きがあったが、山登り関係者でいまこの言い方をしている人はまずいない。山は攻撃や攻略するものではなく、われわれと一緒にそこにあり調和しているものであり、登らせてもらうものという感覚が普通であり、「サミットプッシュ」という言い方が一般的だ。この本の読者は、登山とは無縁の一般の人が対象ということで、わざわざ「山頂アタック」としたのだろうが、まさにテレビ屋さんマインドの象徴という気がした。

参考:当ブログ 栗城史多とはいったいどんな存在だったのか?Nスペで総括

 
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天狗岳Part2~イワヒバリ遭遇後に雨じゃんじゃん

2021-08-09 | 山行~八ヶ岳とその周辺

Part1のつづき


左:西天狗岳の登山者たち 右:東天狗岳へ移動開始

12:10山の神と東天狗岳に向けて下り始める。前方の山肌に登っている登山者がポツリポツリと点になって見えている。逆に向こうからくる登山者も多い。


左:東天狗岳山頂 右:すりばち池への分岐。まっすぐ進むと中山峠

12:32東天狗岳に到着した。狭い山頂では記念撮影の順番待ちだ。写真を撮ってすぐに直下に移動し、適当な場所で休憩した。しだいにガスが上がってきて、怪しい天気になってくる。

お茶を飲んでいると、背後でバリバリバリと鳴り響く遠雷。ヤバいとこれを潮に山の神と腰を上げ、黒百合ヒュッテを目指した。中山峠へとまっすぐ進む登山者につられないように地図で確認して、すりばち池への分岐から尾根をはずれる。


左:見た目はGood Viewだが、道はとことん歩きにくい 右:天狗の奥庭上

見た目はきれいな景色が続くのだが、岩がごろごろしていて歩きにくい。この歩きにくさのせいで、足の裏がジンジンしてくる。13:20たまらず天狗の奥庭上と書かれた指導標のところで休憩にした。


左奥に蓼科山

天狗の奥庭を突き進んでいくと、奥のほうに蓼科山が見えた。なかなかの絶景ポイントだ。


両端にイワヒバリ

さらに行くと、登り時にも見かけたイワヒバリをここでも発見。しかも2羽いて、つがいなのか(?)。思わず足を止めて山の神とじっくり観察することになった。


イワヒバリ

羽根はスズメの文様を拡大したような感じで、頭はグレー。名前にヒバリとつくだけあって、ピーチクパーチクと小刻みに鳴く。この岩場では鳴いていなかったが、唐沢鉱泉から西尾根に上がる森の中では、しきりに鳴いていて登山道脇の茂みに留まったり登山道を横切ったりしていた。こんな近くでイワヒバリが見られるとは思わなかった。しばらく逃げずにこの岩に留まっていた。


水の干上がったすりばち池

すりばち池まで来ると、前方に人影が見えた。黒百合ヒュッテにお泊りの人が散策しているのだろうか。

14:06黒百合ヒュッテに到着。休憩する登山者であふれかえっていた。ペットボトルのお茶を飲む人、小屋で買ったアイスクリームをなめている人、ちょっとしたリゾート地のカフェのようだ。山の神と私も座れるスペースを端っこのほうに見つけ、ぐったりと腰かけ休憩した。


左:黒百合ヒュッテ 右:ヒュッテからの下山路も歩きにくい

14:18チョコレートなどを食べてエネルギー充填し、黒百合ヒュッテを後にする。再び森の中へ。この下山路は夏と冬に一度ずつ歩いているはずだが、ちっとも覚えていない。こんなに歩きにくい道だったか。疲れた体に鞭打って歩く。山の神の消耗度もかなり大きいようだ。

15:03唐沢鉱泉への分岐で休憩をとる。昭文社の山地図ではここから40分ほどで唐沢鉱泉とされていたが、とんでもなく長かった。不幸は突然やってくるものだ。分岐から40分ほど歩いて、そろそろ鉱泉に着くかと思った頃、ポツポツと雨が降ってきたのだ。曇っていたとはいえ、空は明るかったので、まさか降られるとは思いもしなかった。

山の神も同様で、ザックカバーだけ装着して再び歩き始めた。私はこれはしばらく止みそうにないなと雨具の上衣も着ることにした。山の神も足を止め上衣を着る。


もうすぐ唐沢鉱泉だと思ったのだが、、、

しかし、雨は止まぬばかりか、勢いを増した。途中で追い越した親子はどうしているだろうか、などと考えながら、修験僧のように黙々と下山。登山用パンツはしっとりと濡れて、いまさら雨具の下もはこうとは思わず、早く唐沢鉱泉に着かないかと足を速めたが、一向に着く気配はない。

鉱泉の建屋が見えた頃は土砂降りになっていた。軒下を借りて雨宿り。それでも変わらぬ雨脚にあきらめて、車のところに急ぐことにした。すると我々よりひどい状態の単独者が前を歩いている。雨具をもっていなかったのか全身濡れネズミだ。

16:35鉱泉から結構離れた場所に駐車していた愛車に到着。1時間半くらい予定より遅れての下山となった。すぐ前に停まっていた車はもう出発した後で、この雨には遭わなかったようだ。なんて不運な山の神と私。ペースが遅すぎだったか。私はびっしょり濡れた登山用パンツを脱いで半ズボンにはき替えた。

ペンション・ベルクコットにつづく
Part1に戻る

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天狗岳Part1~足が重くて進まない

2021-08-08 | 山行~八ヶ岳とその周辺

西天狗岳 標高 2646m 東天狗岳 2640m 長野県

2021年7月22日(木・祝) 晴れのち曇りのち雨  

メンバー 山の神と私

コースタイム 7:55唐沢鉱泉下部林道路肩8:08--鉱泉前8:22--9:14枯尾ノ峰分岐9:20--(西尾根)--10:07第一展望台10:18--10:50第二展望台10:55--11:35西天狗岳(昼食)12:10--12:30東天狗岳--山頂直下で小休止12:45--13:20天狗の奥庭上13:30--14:06黒百合ヒュッテ14:18--15:03唐沢鉱泉分岐15:13--雨宿り--16:35鉱泉下部路肩

4:40愛車フォレスターに乗り込み、自宅を山の神と出発した。中央道に上がると、そこそこの交通量で、コロナとはいえ連休なのだと思い知らされる。途中詰まったりしながらも、とりあえずは重篤な渋滞に巻き込まれることなく進んだ。この日はあとから知ったが調布から上野原まで最大36Kmの渋滞になったようだ。

双葉SAで朝食をとり、諏訪南ICで高速を下りた。コンビニでこの日の昼メシと行動食、そして翌日の昼用パンを購入した。


左:天狗岳登山者用駐車場(唐沢鉱泉手前) 右:唐沢鉱泉

順調に移動して、最後の唐沢鉱泉へ上がっていく未舗装の林道は予想外に長く感じて、まだかまだかと焦れる。それでも天狗岳登山者用駐車場にはほぼ予定どおりの7:55に到着した。しかし、すでに満車で立錐の余地もない。Uターンして林道を下り路肩に車を置いた。この後も次々に車が上がってきては、私の前のスペースを埋めていった。

山の神とザックを車から降ろし、虫よけパッチなどを貼りながら、砂利道を唐沢鉱泉に向けて上がっていく。


左:西天狗岳登山口 右:苔むした森を行く

登山者用のトイレ(男の小用ともう一つしかないので人が多いときは注意)に寄って、8:22唐沢鉱泉前の西天狗岳登山口となる橋を渡った。


左:青々としたスギゴケ 右:山の神は早くも足が重い

すぐに苔むした岩がごろごろした八ヶ岳特有の風景を目にすることになる。ふっさふっさにスギゴケが生えている岩もあって、まさに苔天国だ。

山の神はすでに足が重いと訴える。まだ樹林帯で直射日光でない分、気温も上がらずに歩きやすいのだが、体のコンディションはいまいちだ。この山行の数日前に大菩薩界隈を足慣らしに歩いたのは、あまり役に立たなかったようだ。


左:枯尾ノ峰分岐 右:足取り軽いベテランパーティ

9:14枯尾ノ峰分岐に出た。ここから西尾根をひたすら登ることになる。ちっともスピードの上がらない山の神と私は、われわれよりも後に出発していたベテランパーティに道を譲る。


第一展望台より赤岳を望む

10:07目の前がパッと開けた第一展望台の岩稜に到着。その直前にらしきところが出てくるが、そこは展望台ではあるけれども、第一展望台ではない。赤岳がぴょこんと頭を出している。


左:ストックの先に赤とんぼ 右:西尾根の樹林帯を行く

10分ほど休んで第一展望台を発つ。灌木地帯を抜けていると、とんぼが飛んでいた。ふと童心に返ってストックの先に止まらせることにした。片手にストック、片手にカメラ。意外にきれいに撮れるものだ。


左:第二展望台 右:森林限界を越える

やがて登山者が多く休憩していた第二展望台に差し掛かる。そのまま通過しようとしたが、ちょうど腰を上げたベテランパーティたちがいて思いとどまる。第二展望台を過ぎると、もう森林限界となる。


左:西天狗岳山頂 右:東天狗岳にも大勢の人が

11:35予定より35分遅れて、西天狗岳山頂に到着。このペースだと下山は16:00過ぎになるなあとペースの上がらない足を呪った。山頂にはわれわれの後から続々と登山者が到着。若い人が結構多いのは意外だった。メジャーな山域だからか。


下界の街が見える

サクッと昼メシを食べて、遅れを少しでも取り戻そうと山の神に告げ、山頂の一角に腰を下ろした。

Part2につづく

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西天狗行ってないな

2021-08-01 | 山行~八ヶ岳とその周辺


イメージカット(北横岳)

7月の連休は非常事態宣言が出ていたけれども、すでに宿に予約済であったので、そのまま計画を実行することにした。今回の山旅計画は、コロナのため、やはり遠慮がちに八ヶ岳。初日は唐沢鉱泉を起点に天狗岳の周回コースをたどり、そのままそこに宿泊と思っていたのだが、山の神に唐沢鉱泉泊まりは否と却下されてしまった。もっとゆったりゆっくりと泊まれる温泉宿がいいといわれてしまった。まあ、山小屋の高級版みたいなところだからね。

最初から2泊3日にすることは決めていて、ゆったりゆっくりの高めの温泉宿に泊まるのなら山歩き時間の短い2泊目か(行程が短ければ早くチェックインできるしね)、であれば1泊目はテント泊かと思い、周辺を探すも探した時点ではもうオートキャンプ場などめぼしいところは予約で埋まっていた。遠出をだいぶ控えていたから、1泊目も屋根付きにするかと、検索して出てきた料理のおいしいペンションに決めた(後述)。

まず山行計画は行き損ねていた西天狗を歩くことを優先し、初日はここに照準を定めた。昭文社の山地図の標準コースタイムは、5時間50分でちょっと長めだった。それもあって直前に足慣らしに鶏冠山と甲斐黒川金山へ行ったのだが、足慣らしにしては、直前すぎて天狗では山の神が音を上げることになった。

2日目は、ペンションに泊まって朝が遅くなることから、最初からゆるゆる登山の計画を立てた。北八ヶ岳ロ-プウェイを使って北横岳往復2時間40分の行程だ。ロープウェイが混んでいるだろうから、それなりに時間がかかる覚悟だった。

3日目は横谷温泉旅館に泊まって、横谷峡トレッキング。沢沿いに滝を見ながらのトレッキングは、それほど暑さを感じることなくマイナスイオンを浴びられるという2重にメリットがある。

以上2泊3日の計画。でも計画は計画にすぎない。交通事情や天気、そのときのコンディションなどでいかようにも変わってしまう。ではどうなったか。天狗岳Part1につづく

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心地いいばかりではない「森の生活」

2021-07-25 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本


『限りなく繊細でワイルドな森の生活』内藤里永子(KADOKAWA)

「森の生活」といえば、真っ先にヘンリー・D・ソローを思い浮かべるけれども、先ごろKADOKAWAより詩人で翻訳家の内藤里永子著『森の生活』が刊行された。ソローは森の思索家として20代から森の生活を志向し実践しているが、内藤さんはといえば、若い頃から登山を趣味として自然に親しんでいたものの、実際に「森の生活」を営んだのは60代に入ってから。

なぜ60代になって突然か。勝手な推測ではあるが、「メメント・モリ」(死を思え、つまりは今を楽しめ)に目覚めたからなのではないのか。50代で周囲の親しい人たちが鬼籍に入ったことが影響している。内藤さんは独身者であり、独身者にとって親しい人がいなくなることは大きな衝撃になることは容易に想像がつく。

この本の中で、若い頃黒部源流を訪ね遭難したときのことを認めている。昔は天気予報があてにならなかったし、各山域の情報が圧倒的に少なかったからこうした事態に陥いることも不思議ではなく、事故も多かったように思える。このときは救助された後に大雨になり、河畔にテントを張っていた登山者が濁流に呑まれて遭難死している。この経験がひとの死と向き合うことになった最初となったのだろう。

でもそんな深刻さは、森の中にいれば日々の楽しみで緩和されていく。辛夷の花を愛でたり、自然の恵みである、キノコや山菜、野草を自分好みの器やお皿に盛りつけて食したり、詩をつくったり、翻訳をしたり……。とても優雅な山の一日一日が過ぎていく。一方では野ネズミの来訪を楽しむ余裕。しかし山栗の豊作が多産の野ネズミを大量に殖やしてしまい、部屋中を走り回る事態にも。

ニホンザルの群れに家を占拠されたエピソードも書かれていて驚く。部屋という部屋にサルがいる風景は異様だし怖い。

「森の生活」は都会にはない、自然との共生を強いられる生活だ。それはとても楽しい日々であるが、突然のトラブルに見舞わられ困惑させられることもある。それでも「森の生活」がすばらしく感じるのは、そもそも人間は動物だからなのだろう。野生に目覚めたか。

 
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甲斐黒川金山跡と鶏冠山

2021-07-21 | 山行~中央線沿線・大菩薩

鶏冠山(けいかんざん)標高 1716m 山梨県

2021年7月17日(土) 晴れ

メンバー 山の神と私

コースタイム 7:17落合鶏冠山登山口路肩駐車スペース7:28--ハンノキ尾根--8:28鶏冠山・横手山峠分岐8:38--9:28鶏冠山山頂9:35--10:10立岩沢--経塚--10:35黒川金山循環歩道入口手前10:45--10:58黒川金山跡11:03--11:30寺屋敷尾根手前(昼食)12:04--立岩沢--巻道--13:09休憩13:19--13:38横手山峠13:45--14:35登山口駐車スペース

7月連休にいきなり高い山に行くには、山の神がしばらく歩いていないことから、ちょっと厳しいかとなって、足ならしになるような近場の山でそれなりに標高のあるところをと探してみた。まず思いついたのは、柳沢峠から黒川山・鶏冠山ピストン。前回訪れたのは20年近く前になるだろう。さっそく先日購入した2021年版の「大菩薩」の山地図を眺めてみると、鶏冠山の近所に甲斐金山遺跡、黒川金山跡と出ている。こんなところに金山があったのか、捨てずに残していた2000年版の地図を見ると出ていない。検索してみると、地元の役所主催のツアーで訪れた記録がヒットした。ほお、これは行くしかないなと最短コースを探った。

丹波渓谷からが最も近いのだが、21年版地図では林道崩壊と記載されていてコースは点線表示だ。反対側から行くとすれば、ハンノキ尾根を上がっていくのが最短。しかし駐車場がない。GoogleMapのストリートビューで確かめてみると、登山口付近の路肩に1台車が停まっていて、ザックが置かれているのが写っていた。停められそうだと判断して計画を立てた。


左:鶏冠山登山口の路肩スペース(3,4台) 右:いい感じのさわやかな森

自宅を山の神と4:38に出発した。高速に入り順調に走って、いつもの談合坂SAで朝食をとる。SAを出る頃には、交通量もそこそこあり、帰りは渋滞必至かとちょっと心配になる。勝沼ICで高速を下りフルーツライン、そして大菩薩ラインに。少し戻ってコンビニで買い出しをし、トイレもついでに済まそうとしたが、なんとトイレに並ぶ人が。思わぬ伏兵で時間ロスだ。

そんなこともあり駐車スペースがいっぱいだったら、柳沢峠に戻るつもりだったが、結果は1台も停まっていなかった。意外と知られていないのかと思いながら、粛々と登山準備にかかり、7:28山の神とともに登山口へ。道標にしたがって車道を上がっていくと、すぐに2、3台は停められる駐車スペースが出てきた。実際帰りに1台停まっているのを見かけたが、すぐそばに沢があるので釣りの人かもしれない。

そのまま集落の横の道を上がっていくと、猛然と犬に吠えられる。登山者が脇を通過するたびにこうなのか。すぐに山道になり、いい感じのさわやかな森の登高となる。

 

野鳥がさえずり気持ちのいい道だねと山の神と話していると、カラスが寄ってきてカアカアとうるさい。興を削ぐなあといっていると突然それを打ち消すようにピーッ、ピーッと甲高い声が山中に響いた。何の音だろうと音のするほうを見ると、遠くにシカが1頭いた。母シカとはぐれたのか、強く大きい悲鳴のような声を発し続ける。しかし歩いているうちに山影に入って、その声も聞こえなくなった。


左:鶏冠山・横手山峠分岐 右:分岐の手前であえぐ山の神

ホタルブクロ(冒頭写真)の群生地を抜け、写真を撮りながらゆるゆると進む。なかなか柳沢峠からの道と合わさる分岐に出ない。少しペースを上げるかと山の神を見るとバテ気味だ。私はひと月ぶりの登山だが、山の神はほぼ2か月ぶり。間が空きすぎたか。昭文社の山地図の標準コースタイム40分よりも10分余計にかかって、ようやく分岐に到着した。


左:苔むした岩場を縫っていく登山道 右:樹間から青い山と青い空

分岐で水分補給をして鶏冠山へ向かう。日陰の登山道で涼しくていい。苔女子御用達の山域といっていいほど、きれいに苔むした岩場が連続して現れる。


左:鶏冠山・黒川金山跡・横手山峠分岐 右:鶏冠山山頂

鶏冠山・黒川金山跡・横手山峠の分岐に出て、すぐに鶏冠山かと思ったのだが、それは間違いだった。ここからが思ったより距離がある。歩きにくい岩場、偽のピークなんかもあって、9:28ようやく祠のある鶏冠山山頂に到着した。これまた標準タイムより遅れている。この区間はそれほどゆっくり歩いていないのにおかしい。元々あまり歩かれていないコースだから健脚者のコースタイムが記載されているのだろう(ということにしておこう)。


鶏冠山からの展望


鶏冠山から富士山も見える

鶏冠山からの展望はいい。富士山も遠望でき、山頂を踏む価値はある。


左:石積みがされた九十九折の下山路 右:立岩沢

9:35鶏冠山山頂を後にし、分岐から黒川金山跡に向けて下り始める。九十九折の長い道で、傍らに石積みが延々と続く。何か建物か畑でもあったのだろうか。予定よりもだいぶ時間がかかっているので、立岩沢は通過し、先へと急ぐ。


左:寺屋敷経塚と書かれている 右:近くにこんもりした場所。これが経塚?

山地図には出ていなかった「寺屋敷経塚」という標示が出てくる。奥のほうに土を盛ったような場所があったので、そこが経塚なのかと思ったが、どうなんだろう。私の勝手な推測では、金山では落盤事故などで亡くなる鉱夫が多かっただろうから、その供養のためにお経を納めて経塚をつくったのではと思った。


左:黒川金山跡上 右:沢を渡る

この辺りから長い下りに入り、山の神を不安のどん底におしやった。もしや寺屋敷尾根を下っているのでは?という疑念が膨らんだようだった。私を呼び止め、地図をチェックし始める。そういわれてみれば、下りすぎかもと私も地図を見る。でもまだ立岩沢から30分程度しか歩いていないし、この道が寺屋敷尾根なら左手にくっきりはっきりとついた登山道があったはず。そんな道は明らかになかったし、経塚から尾根を下ってきたような感覚はまったくない。進むべしと腰を上げて歩き始めると、5分もしないうちに「黒川金山上」と書かれた道標が出てきた。やはり間違いではなかった。


左:黒川金山跡循環歩道入口(立入禁止) 右:昼食(セブンのおにぎり、右上は辛味唐揚げ)

少し下って沢を渡ると、黒川金山跡循環歩道入口に至る。ここから少し循環歩道を歩くつもりだったのだが、なんと立入禁止だった。上部の入口が立入禁止なのは事前に知っていたものの、こちらも禁止なのは知らなかった。残念だが、引き返すほかない。また来ればいいんじゃと言い放ちつつ、入れないとわかると今度は腹が減ってきた。沢沿いでお昼にしようかと山の神に提案すると、すげなく熊が出そうだからもっと上に行こうという。少し押し問答をしたのち、結局は今下ってきた道を登り返すことになった。ほとんど無言で汗をかきかき登り、ちょっとした小広いスペースを登山道の左手に見つけ、そこでやっと昼食にありついた。


左:台風で傷んだ登山道にハシゴ橋 右:林道に出る

昼食後は来た道を戻り、途中の分岐から鶏冠山方面には上がらずに巻き道で横手山峠をめざした。まだ峠に出ないのかとじれていると、台風か何かで派手に登山道が崩落した地点を通ることになる。ちょっと渡るのが恐いハシゴ橋を越え、倒木をくぐり、豪快に崩れた沢を横切る。そこからしばらく耐えて歩いていくと青々とした芝生の空き地に出る。ここは一体なんだと思って視線を上げると、林道だった。


左:横手山峠でひと休み 右:シカに遭遇

林道沿いに進み、13:38横手山峠に到着。そこそこの暑さの中で予想外のロングトレッキングとなり、疲労感がにじむ。水分補給して10分ほど休憩し、最後のひと踏ん張りと気合を入れて歩き始める。とすぐに茶色い物体が左の眼の端を動いていくのがわかった。シカが走っていた。もしや朝目撃したシカだろうか。お尻が真っ白で子どものシカのように思える。手を振ってみると、何をしているのだろうと遠くからこちらをうかがっているように見える。そのうちそのシカは関心を失って、遠くに去っていった。

大菩薩ライン近くまで下りてくると、バイクの爆音が聞こえてきて、少しもわっとした熱い空気が流れてくる。戻ってきたぞ。そして集落を通過するときにまた犬に吠えられる。暑くても元気な犬だ。予定より1時間以上も遅れて、14:35マイカーに戻った。ドアを開けると、高温の空気がなだれをうって出てきた。あぢ。

帰りの高速は予想したよりは混んでおらず、渋滞はちょっとだけ。17:00過ぎに無事帰宅した。

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