目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

山梨百名山曲岳・黒富士と升形山

2022-01-02 | 山行~中央線沿線・大菩薩

曲岳(まがりがだけ)標高 1642m 黒富士 1633m 升形山 1650m 山梨県

2021年10月10日(日) 晴れのち雨

メンバー 山の神と私

コースタイム 7:35観音峠上、曲岳登山口駐車スペース7:49--めまい岩--8:46曲岳山頂8:54--八丁峠--八丁平--9:54黒富士山頂10:06--八丁平--10:36升形山山頂10:37--八丁峠--11:03林道手前(昼食)11:32--11:38林道--12:15曲岳登山口駐車スペース

5:05山の神とともに車で自宅を出る。中央道に上がり、今日は気分を変えて談合坂をパスし、釈迦堂PAで朝食をとった。まだ店舗は閉まっているが、自販機はいつでも使える。缶コーヒーを買い、持ってきたパンをかじる。

高速は韮崎で下りた。あらかじめ調べておいたセブンイレブンで買い出し。Googleマップでは、ICから登山口までの途上で唯一のコンビニだ。その後昇仙峡グリーンラインを走り、茅ヶ岳深田記念公園や太刀岡山の駐車場にけっこうな台数の車が停まっているのを横目に観音峠を目指した。


左:観音峠上、曲岳登山口駐車スペース 右:曲岳登山口

太刀岡山の辺りを過ぎると、交通量はないといっていいくらい閑散としてきた。観音峠から曲岳登山口の駐車スペースにあがると、5、6台は停められるかという広さがあるが、予想外に1台も停まっていない。やはり曲岳に簡単に登れてしまうので、メジャーコースではないようだ。


左:いきなり急登が始まる 右:岩峰の左を巻く

7:49登山口にとりついた。しばらくは等高線が詰まっている。きついねえと山の神に話しかけながら進むと、すぐに切り立った岩が目の前に現れる。これはどうやって登るん?と山の神の目が点になっている。当然ナイフリッジを行くわけではなく、左に巻き道が付けられている。

この辺りはなんともなかったのだが、、

ナイフリッジを巻いてなんなく稜線に出ると、その岩がめまい岩だった。たしかに先端を歩けば、「めまい」を起こしそうだ。この辺りから振り返ると深田久弥終焉の山として有名な茅ヶ岳に連なる金ヶ岳を一望できる。


左:通過したのは、めまい岩だった 右:振り返ると金ヶ岳

ここは序の口で、次に曲岳の最大の難所に差し掛かった。


左:トラロープを手繰って登る 右:山の神、最大の難所へ

岩と岩がくっつくかというくらいに迫った、その隙間を強引に上がって、トラロープが垂れた岩を下降する。足がかりをすぐに見つけられずに難儀な場所だ。私は早々に下って山の神を待つが一向に顔を出さない。そのうち、ここはどうやって登ったの~?と山の神の困惑の声。

ひとりじゃだダメかと私は自分のザックを下ろして登り返した。

狭い隙間を越えたら、切り立った岩を下る

山の神はまずダブルストックをしまい、両手を自由にするが、今度はザックが岩に阻まれて登れない。それならとザックを渡してもらい、身一つで登ってもらうことにした。なんとかなりそうだ。

山の神がようやく岩を乗り越える。私は山の神のザックを背負って、先にトラロープを伝って下降。山の神もようやく下りた。最初はここをピストンする予定だったが、無理そうだなとこの時感じていた。


左:最大の難所は展望ブリッジという名(?) 右:曲岳山頂

再び稜線に戻ると、先ほどの場所の上部に「展望ブリッジ」という名がついていることがわかった。

8:46地味目の狭い曲岳山頂に到着した。展望はほとんどない。山梨百名山の96年の制定時のものなのか、古い標柱が設置されていた。


左:曲岳から八丁峠を目指し下る 右:鹿が多いのか笹の丈は短い

8:54山頂を後にして八丁峠を目指す。この時にはもう、帰りはこの道をたどらずに八丁峠から林道へ出るエスケープルートを使うことに決めていた。

八丁峠の指導標

八丁峠にはあっけなく到着。木の幹に道標が雑然と括りつけられていた。


左:きれいな黄葉に目を奪われる 右:八丁平を越えると美林が続く

獣道のような細い登山道をたどっていくと黄葉したきれいな木が1本。思わずカメラを向ける。升形山への分岐、八丁平を越えて、黒富士へと進路を右にとる。カラマツの美林が続き、快適な道だ。


左:黒富士山頂、山梨百名山の標柱 右:真新しい甲府名山の標柱

曲岳山頂からほぼ1時間、9:54にこれまた狭い黒富士の山頂に着いた。登山者は一人もいない。曲岳同様、古い山梨百名山の標柱、そして少し離れたところに甲府名山と記された標柱も立てられていた。検索して調べてみると、甲府名山は開府500年事業として最近選定されたようだ。

小腹が減ったなと山の神とここでスコーンを食べてのんびりする。


左:升形山への直登道 右:山頂が岩場のため直下に建てられた升形山の甲府名山の標柱

10:06ちょっと長居しすぎたかと黒富士を後にする。カラマツの美林を抜け八丁平に戻り、升形山への直登コースに入る。なんか怪しい雲が出てきたなあといっていると、ポツリと雨粒が落ちてきた。


升形山山頂から黒富士を一望

10:36甲府名山と記された升形山の山頂標示を越えて、岩に這い上がる。山の神は岩の下でもうここでいいといっていたが、やはり登ってきた。先ほどまでいた黒富士が見えている。雨がぽつぽつと普通に降り始めてきて、すぐに山頂を退散する。


升形山から昇仙峡方面をみる

天気予報では、雨が降ることはなかったはずだが、みごとにはずれだ。


葉が枯れているものもあるが、少し紅葉もしている

どういうことかねえと山の神。仕方なくザックカバーとレインウエアの上をはおって元来た道をたどる。

八丁峠からは曲岳へ登り返さずに林道へ向けて下る。林道に出る前にお昼にしようと、適当な場所を物色しながら下るが、なかなかいい場所がない。とはいっても、決めないと林道に出てしまう。もうこの辺りでいいかと半ば妥協気味に腰をおろして昼メシにした(11:03)。運よく雨はちょうど上がっていた。


左:八丁峠から林道へ下り始める 右:後から知ったが、食べられるヤマボウシの実(登山口近く)

昼食をとった場所は、林道からすぐのところだった。片付けて歩きだすと、本日初めての登山者とすれ違い、その人が停めたと思われる車1台がすぐに見えてきた。

11:38林道に出る。ダンプが走っていたが、とくに危険はない。また雨が落ちてきた。青空も覗いているが、どうも安定しない天気だ。

 
左:登山口(数台は駐車可能) 右:林道に出て、車を停めた場所へ移動開始

12:15車のところに戻る。もっと時間がかかると踏んでいたので、ちょっとラッキーな気分だった。しかしラッキーな気分は、中央道にあがると無残にも木っ端みじんに打ち砕かれた。連休でまたコロナのため、普段運転しない人たちが大勢高速を走っていたのだろう。相模湖あたりで事故を起こした方がいて、激しい渋滞が発生していた。通常の所要時間プラス2時間、17時の帰宅とあいなった。

 

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ふるさと納税で今度はハムとウィンナー

2021-12-30 | 日記

仕事が忙しくてブログどころではなかったが、やっと今日から年末年始の休みに突入した。とはいってもだいぶ仕事を家にもって帰っているのだが、、、

ところでブログを中断する頃に書こうと思っていたのが、これ。茨城県筑西市にふるさと納税した返礼品だ。写真を撮った日付を確認すると、11月26日だった。この日に返礼品である日本ハム筑西工場でつくられたミートローフやハム、ウィンナーなどが送られてきたと思われる。

こんな大企業の製造品まで返礼品にできるのだ。12月に入ってしばらくは、フライパンでじゅうじゅう焼いて、ビールのつまみとして食卓にのった。来年もまたもらおうかな。

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ふるさと納税で、がっつり日本酒をもらう

2021-11-20 | 日記

今週11/15(月)夜、我が家に「酒」と書かれた宅急便が届いた。初めて見るパッケージ。ヤマトは酒専用の段ボール箱をつくっているのだとこのとき知った。

中身はもう開けるまでもなく、わかっている。先日ふるさとチョイスで申し込んだ山形県のふるさと納税の返礼品だ。

待ってましたとばかりに、さっそくダンボールを開けてみると、一升瓶が2本、配送元なのか池田屋酒店のパンフ(下の写真)、そして絵はがきが入っていた。

絵はがきやパンフはそっちのけで、さっそく割れないように厳重に梱包されていた一升瓶を丁寧に1本ずつ抜き出した。

まずは山形県酒田市にある楯の川酒造が醸した楯野川(たてのがわ)。純米大吟醸でしかも山形県限定流通と書かれている。希少価値があってそそられる。これは正月用かなあ。もう1本も同じく酒田市の酒造メーカー菊勇の純米吟醸三十六人衆。大吟醸と吟醸酒が一升瓶で2本も送られてきているが、寄付額は2万円でお得感がすごい。

会社の同僚から意外に簡単なふるさと納税のしくみを聞いて申し込んだのだが、たしかに手続きは楽チンだった。ワンストップ特例制度というのがあって、寄付をした自治体から納税にかかわる書類を送ってもらい、それに記載して、身分証明書(運転免許証やマイナンバーカード)のコピーを添付して送り返すだけだ。

来年もふるさと納税で日本酒ゲットだ。

 
 
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ハツカ石温泉石打ユングパルナスで、和牛と大トロ

2021-11-01 | まち歩き

2021年9月19日(日)

神楽ヶ峰から下山後、車を走らせ、ハツカ石温泉石打ユングパルナスへ。本日のお宿だ。屋上に温泉マークを掲げ、パステルカラーの外観は品がなくて引く人もいるだろうけど、まあ、それはご愛敬。ジモティ御用達の日帰り湯で宿泊もできる。

山の神と私のように宿泊する人にとっては、温泉に日帰り湯の客が四六時中いるのは残念な感じがする。ちなみに日帰り湯の客は5:30~8:00、10:00~23:00の間、入館可能だから、宿泊客と思いっきりかぶる。実際にチェックインして、さっそく風呂にいったのだが、露天風呂が混雑していて鼻白んだ。

 石打ユングパルナスの外観

代わりにサウナ好きの私はさっそくサウナ室へと向かった。さすが日帰り湯だけあって、サウナ完備なのだ。入室すると、座る場所にはバスタオルやマットの類はいっさい敷かれていなかった。後から知ったのだが、それはコロナ感染防止対策の一環で、じつは小さなマットが入口付近に置かれていて一人一枚ずつ使用することになっていた(使用後は洗い流して元に戻すルール)。それとは知らずにいきなりサウナの熱い板の間に座り、あぢ~。お尻をやけどしそうになった。親切な人がいて、出てすぐ右手にマットがあると教えられ、恥ずかしながら、いったんサウナを出た。

マットを携えてなにごともなかった顔で、サウナに戻った。たっぷりと汗をかき、体をしぼったぜ感がいい。水風呂でざばあと汗を流せば爽快。久々のサウナは最高だった。


左:部屋についていた露天風呂 右:露天風呂は目隠しがなければ丸見え

部屋には露天風呂がついていて、夕食後にお湯を張ってどっぷりと浸かってくつろいだ。でも、露天の目隠しの先にはリゾートマンションがそびえていて、景観を壊している。マンションさえなければ星や山並みを一望できるのに……。


左:夕食メニュー 右:豪華!A5ランクのにいがた和牛サーロイン

時間をさかのぼって、お待ちかねの夕食。おいしいものを少量ずついただく贅沢メニューだった。生ビールでのどを潤したあとには牡丹エビのお造りに舌鼓を打ち、とろける大トロをぺろりと食す。にいがた和牛のサーロインをじゅうじゅうとミディアムに焼いて味わった。ビールを飲み干した後には、山の神とシェアして地酒の飲み比べ。至福のひとときだった。


牡丹エビ、そしてその後ろには大トロ

翌朝は、前日に人が多くてパスした露天風呂と、スタッフが山から採ってきた薬草と森下仁丹の薬仁湯をブレンドした薬草湯に浸かりパワーをもらう。

チェックアウト後は魚野の里道の駅に立ち寄り、山の神とお土産を物色。柿の種や普段飲み用の魚沼の純米酒、酒盗などを購入し、後ろ髪引かれながら家路についた。

 
 
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計画時から苗場山八合目まで。神楽ヶ峰へ

2021-10-24 | 山行~信越

神楽ヶ峰 標高 2030m 新潟県

2021年9月19日(日) 晴れ 

メンバー 山の神と私

コースタイム 8:10祓川登山口駐車場8:20--8:45和田小屋8:50--9:55下ノ芝10:16--10:43中ノ芝10:53--上ノ芝--11:30神楽ヶ峰11:35--11:55上ノ芝(昼食)12:35--13:15下ノ芝13:20--14:00和田小屋14:25--14:45駐車場

台風14号が来て、計画変更を余儀なくされた。最初の計画では、秋山郷から小松原湿原と界隈の山を1泊2日で歩く予定だったのだが、台風が通過中の18日は家にいることにし、19日だけの山行、そして苗場山までのロングコースとはせずに手前の神楽ヶ峰までで引き返す計画を立てた。

4:40山の神とともに自宅を車で出発した。高速にあがると、当初はそこそこの交通量があったものの、関越トンネルを越える頃には交通量も激減し、これは登山者は少ないかも、駐車場も数台くらいしか停まっていないかもしれないと山の神と話していた。しかしいざ到着してみると、目の前にトイレのある本来の駐車場は満車で、そこからカーブした車道をぐるりと上がって、その末端に停めることになる。残された駐車スペースはあと数台分といったところだった。


左:ほとんど満車の祓川登山口駐車場 右:和田小屋を見ながら車道を上げる

なぜ山にポルシェと思いながら、その隣に停めた。以前どこかの登山口でフェラーリを見たことがあるが、カーマニアさんも山に登る人はいるんだね。

珍しくサクッと準備を整え、8:20に出発した。まずはアスファルトの車道歩き。さっそく山の神が傍らにウメバチソウが咲いているのを見つけて誇らしげだ。前回の山行、入笠山で予想外にウメバチソウの群落を見ていたので心動かず。そのうち和田小屋がふいに現れる。


左:車道終点 右:登山ポストのあるベンチ

小屋が見えたら車道の終点だ。登山ポストが設置されていて、休憩してくださいといわんばかりにベンチが設けられている。ザックを下ろしてのどを潤していると、目の前のゲレンデの草地に続々と登山者が入っていく。

のんびりしている場合ではなく、われわれも出発だ。最近は足どりが重く、標準コースタイムですら歩けない。


左:六合目 右:ナナカマドの実が真っ赤に色づいている

ゲレンデを横切り森の中へ、そしてブナの原生林を抜けていく。この一帯は地図にぬかるんでいると書かれていたが、まさにその通りで、さらに前日の台風が追い打ちをかけていて、登山道には水があふれていた(下の写真)。

前日の台風で登山道は水浸し

そのうち笹原の道が交差しているところに差し掛かる。スキー場の連絡コースみたいなものか。似たような交差している道がまた出てくるが、こちらは土がむき出しになっていて、入ろうと思えばいくらでも入っていける。そのせいか立入禁止のロープが張られていた。


左:下ノ芝(休憩用ベンチがある) 右:この辺りですでにヨレ始める

9:55ちょっと開けた下ノ芝に到着する。先着パーティがわいわい話しながら休憩中。またわれわれと同タイミングで早くも下山してきた単独者がザックを下ろす。山の神と私は早くも疲れたなと、ここのベンチにどっかと腰をおろして水分補給、ついでにもう小腹が空いたなと行動食に手をつける。


左:リフト降り場が上方に見えてくる 右:森林限界を越え、一気に開ける

10:16下ノ芝を出発する。少し登ると、すぐに森林限界となり、笹原と灌木が出てくる。この時点でもうヨレ始めている山の神と私だった。


中ノ芝。前方に平標

10:43中ノ芝のベンチにたどり着く。振り返ると平標が見えていて、なかなかの絶景だ。しばし足を止める登山者が多い。


ちょっぴり雲海が広がる

中ノ芝からしばらくは、前にも後ろにも高層湿原が広がっていて気持ちよく登高できる。


左:ほんのり草紅葉 右:木道はさらに奥へとつづく

色づき始めた草紅葉の絨毯、そこに一筋の木道が天空へ向かって伸びている感じだ。


カッサ湖(田代湖)が見えた

やがてダム湖のカッサ湖(田代湖)が眼下に見える。真っ青な湖面が印象的だ。


左:股スリ岩を通過 右:通過するところだった目的地、神楽ヶ峰

股スリ岩を越え、もうすぐ目的地の神楽ヶ峰だと山の神に声をかける。緑の小道を進んでいくと、大勢の登山者がたまっているところに出た。すれ違うのが難儀なので、山の神と私が来るのを待ってくれていたようだった。何気なしにそこを通過しようとしたとき、ここからちょっと下るな、もしやと思って振り返ると、なんやら書かれている標柱が見えた。そこが苗場山の八合目、今回の登山の最終目的地である神楽ヶ峰だった(11:30)。危ないところだった。人が大勢いて分岐や道標を見落とすことは往々にしてあるので気をつけたい。

予定ではここで昼食だったが、あまりに狭いし、登山者が目の前をどんどん通過するので落ち着かない。ということで、上ノ芝か中ノ芝のいずれかで昼食にしようとすぐに下ることにした。


左:復路で顕彰之碑を見る 右:昼食のため上ノ芝ベンチに

下りがてら、往路でパスした顕彰之碑を見るために登山道からそれた。その碑に刻まれていたのは、昭和5年4月にスキーで苗場山に初登頂したことを顕彰するものだった。4月とはいってもこのあたりではまだ相当の積雪だろうから、ルートファインディングが成否の分かれ目だったのではないだろうか。冬の新潟の空はいつも灰色だけれども、この登頂の日はきっと晴れていたのだろう。それにしても装備も貧弱であった昭和初期に登頂を果たしたのはすごいことだ。

11:55上ノ芝のベンチががら空きだったことをいいことに、山の神と占有して昼食にした。われわれが食べている横を登山者が数珠つなぎに下りていく。おそらく6:00台に登り始めた人たちがもう山頂から下ってここに至っているのだろう。こういう山に来るだけあって、健脚者ぞろいだ。


中ノ芝から魚沼を見渡す

昼食後、中ノ芝まで下りてくると、少し霞んではいたが、魚沼の田んぼと街並みが遠望できた。

14:00だいぶ疲労を感じた頃、和田小屋に到着した。若者たちが自販機でコーラを買うのを横目に山の神と私はQooを購入。疲労したせいか甘いものを体が欲していたのだろう。しばしベンチでくたーと休憩する。

14:45駐車場に戻り、そそくさと片付けて本日のお宿ハツカ石温泉石打ユングパルナスへ急いだのだった。

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入笠山Part2~山頂は大展望

2021-10-03 | 山行~八ヶ岳とその周辺

Part1~一面の花園の続き

ハイキングコース入口から前になり後ろになりと絶えず近くにいた年配者グループがいまは目前を歩いていて何の違和感も感じなかったのだが、なんとゴンドラ駅に戻る道だった。林道を曲がって駅舎が見えてようやく気づいた。気づくのが遅すぎだ。


左:入笠湿原に戻る。前方の人影は山の神 右:カラマツ林を通ってマナスル山荘へ

失敗だと山の神を振り返り、来た道を引き返し鹿フェンスを越え、湿原へと逆戻りした。無駄に斜面を上り下りした徒労感にぐったり。山彦荘の前のベンチにどっかと腰を下ろし休憩することにした。小屋のおやじがおいしい牛乳はいかがですかと大声を張り上げている。

9:58マナスル山荘に向けて腰を上げ、カラマツ林を抜けていく。


左:マナスル山荘 右:入笠山登山口

マナスル山荘はすぐに現れた。入口に掲げられた「ビーフシチュー」の看板にそそられる。マナスル山荘の前に入笠山登山口の標示があり、ここ、ここ。ここが登山口だよと何度も来ている山の神は記憶をようやくよみがえらせたようだった。


左:岩場コース(右側)と岩場迂回コースの分岐 右:岩場コースに岩はそれほどなかった

ちょっとした急斜面に取りつき登り始める。途中で岩場コースと迂回コースに分かれる。とりあえず帰りに迂回コースを通ることにして、上りは岩場コースにしようと山の神に告げた。岩場コースとしている割には、斜度があるだけで岩場ではない。家族連れがわれわれを余裕で追い越し、目の前をスタスタと駆け上がるように登っていった。


左:入笠山山頂 右:八ヶ岳方面は雲が多かった。雲が切れたところに蓼科山

10:36入笠山山頂に到着。アクセスもよくゴンドラを使えば登りやすい人気の山だけあって、かなりの人出だ。八ヶ岳方面にだけは残念ながら、白く帯状の雲がかかっていたが、他は雲は少なく、ほぼ全方位の眺望を楽しめた。


奥に北アルプスが見える。木のてっぺんの先に奥穂


諏訪湖もばっちり


中央アルプス。左から南駒ヶ岳、空木岳。雲の辺りが木曽駒

誤って入笠湿原からゴンドラ山頂駅に向けていったん上がってしまったこともあり、山頂到着は予定よりも遅れていた。もともとコースタイムが短いからどうってことはないけれども、ハイキング気分で来ていることもあり、この後予定していた大阿原湿原はカットすることにした。

10:55下山開始。岩場迂回コースを下り、大勢の登山者とすれ違いながら途中から鹿フェンスを越えて草原側の道に出、大ぶりなご立派な花を咲かせているキキョウのところへ。栄養がいいのか、とにかくでかくて存在感を誇示していた。マナスル山荘近くに来ると、今度はシモツケソウの群落。場所によって赤味が強い花もある。日当たりのせいなのか、土壌のせいなのか、どっちなんだろう。

 
左:キキョウ 右:ピンク系のシモツケソウ。もっと赤いのやもっと白いのも

昼食はマナスル山荘前、登山口辺りにあるベンチにしようと山の神と山頂で決めて下ってきたのだが、お目当ての日蔭の特等席には年配の方が一人くつろいでいて、当面動きそうになかった。このガラガラの状況で、しかもコロナ禍にあって隣の席に座るのはどうかとなって変更。山彦荘まで下ることにした。

山彦荘前のベンチは直射日光が照りつけていたが、すでに11:30を回っていたこともあり、日陰探しはあきらめて、ここで昼食にした。

 山頂駅のカフェメニュー

11:55山彦荘を後にして、ゴンドラ山頂駅を目指す。先ほど間違ってすでに歩いたこともあり、直射日光の照りつける湿原の斜面を登り返すことはやめ、元来た道をたどることにした。12:15山頂駅カフェに到着。ルバーブのミックスソフトにありついた。気温がだいぶ上がってきているのか、受け取るいなや融けだして写真を撮るどころではなく、早々に食べることになった(写真なし)。冷たくておいしい。

帰りは八王子料金所で、またかいなのオリンピック規制に続くパラリンピック規制で、通行できるETCゲートが1カ所だけになっていた。当然渋滞を招く結果に。

Part1に戻る

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入笠山Part1~一面の花園!

2021-10-02 | 山行~八ヶ岳とその周辺

標高 1955.1m 長野県

2021年8月29日(日) 晴れ

メンバー 山の神と私

コースタイム 7:42富士見パノラマリゾート駐車場 ゴンドラ乗車8:35頃--山頂駅8:55頃--入笠湿原--山頂駅方面から戻る--9:45山彦荘9:58--マナスル山荘--岩場コース--10:36入笠山山頂10:55--岩場迂回コース--マナスル山荘--11:30頃 山彦荘(昼食)11:55--12:15山頂駅カフェ12:35--13:00駐車場

5:07山の神とともに自宅を車で出発した。高速にあがると、交通量はそれほどでもない。サクサク走って双葉SAで朝食をとり、韮崎を過ぎるあたりでは、交通量が極端に減って怖いくらいだった。諏訪南ICで高速を下り、カーナビで指示されるJRすずらん駅側には曲がらずにまっすぐ走ると、国道20号に突き当たり、そこにローソンがある。さっそく車を入れ買い出しだ。今日はコースタイムも短いからと控えめに行動食を購入し、富士見パノラマリゾートに向かった。

7:42富士見パノラマの第1駐車場に到着。手前の第2駐車場や第3駐車場にはテントを張っている人や車中泊の人たちもいた。第1駐車場には、われわれと同じようにいましがた到着したと思われるトレッカー、登山者たちが多くいる。


左:富士見パノラマ第1駐車場。目の前にゴンドラチケット売り場 右:ゴンドラで移動中

山の神と準備を済ませ、チケット売り場を覗くと、8:15から販売開始と出ていた。隣接するインフォメーションにもついでに足を運ぶと、ラッキーなことにゴンドラ割引券が置かれていた。さっそく使わせてもらうことにした。


ゴンドラ往復チケットを購入するともらえるお花のガイドブック「入笠に咲く花」

5分くらい前からチケット売り場に列ができ始め、我々もそこに並ぶ。チケットを買うと、「入笠に咲く花」というお花のガイドブックがもらえる。この特典に惹かれて躊躇なくゴンドラ山行にしたのだが、売り場では1冊でいいですかと山の神に聞いている(なぬ~)。横から2冊お願いしますと私。

チケット売り場からゴンドラ乗り場までそこそこの距離を歩いて移動し、ゴンドラが動き出すまでほかの客とともに並んで待った。スタートは8:30。やがて時刻どおりに乗車が始まり、5分ほど待って空中散歩が始まった。意外と乗車時間は長い。


左:山頂駅の気温は18℃ 右:入笠山ハイキングコース入口

ゴンドラの山頂駅に着くと気温が18℃と出ていた。このくらいの気温がもっとも活動しやすい。

近くにはカフェのメニューが置かれていて、ルバーブのソフトクリームの写真が掲示されていた。帰りはこれだなと山の神に目配せをしつつ、入笠山ハイキングコース入口と書かれた登山道に入った。


左:見事に咲き誇っていたヤマユリ 右:アサギマダラ発見

入ってすぐのところに、いきなり度肝をぬく大きな白いユリの花が咲いていた。ヤマユリだ。こんな至近距離で見るのは久しぶり。花には蝶がやってくる。目の前をひらひらと飛んできて羽を休めたのはアサギマダラだった。俳句でもひねりたいところだが、残念ながら何も出てこない。直前を歩いていた年配の人がアサギマダラをオオムラサキと呼んだせいもある。


左:たぶん初めて見ましたレンゲショウマ 右:エゾリンドウ

レンゲショウマやエゾリンドウなどを見て林を抜けていくと、鹿よけフェンスが出てきて、いよいよ花園、入笠湿原に入る。


入笠湿原と山彦荘

木道を下っていくと、スカッと目の前が開け、見渡すかぎりの湿原に花があちらにもこちらにも咲いているのがわかる。


お月さんと入笠湿原

私が上空にお月さんを見つけて写真を撮っていると、山の神はスタスタと木道を歩いていき、ウメバチソウが咲いていると連呼する。たしかに白い梅の花に似たそれが一帯に広がっていた。

 ウメバチソウ


お花の種類の多さに興奮気味の山の神

名前のわからない花は、チケット売り場でもらったお花のガイドブックで探してみる。ないかと思っていると、ある。今夏は長雨があったせいか、花期が少し前のものもまだ咲いていて、その分多くの花を堪能できたことになる。

 
左:サワギキョウ 右:マツムシソウ

花に釣られて、また人の流れに釣られて正面の斜面を上がっていく。ワレモコウやマツムシソウ、サワギキョウなどの花がずらりと整列して山の神と私を迎えてくれている。壮観だ。中には見慣れないアケボノソウも咲いていて、思わずカメラを向けた。


左:アケボノソウ 右:鹿よけフェンス

湿原を抜けて登りきると、鹿よけフェンスが出てきて、何気なしにそこを通過したのだが、、

Part2ヘ続く

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疾走するアラカンの「ぶらっとヒマラヤ」

2021-09-26 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本

『ぶらっとヒマラヤ』藤原章生(毎日新聞出版)

週刊誌の書評でこの本の存在を知った。著者は毎日新聞の記者。勤務地が長野であった時にはシリーズの山岳記事を書き、その後海外特派員として南アフリカ、メキシコ、イタリアに赴いているが、その土地土地で現地に根差した情報を集め記事を書いた。帰国後は夕刊の特集面を希望して担当するなど、根っからの自由人であり、足で稼ぐをモットーとするような猪突猛進タイプの傑物だ。

タイトルにあるようにヒマラヤ(ダウラギリ)に誘われて、ぶらっと行ってしまうバイタリティと思い切りの良さをもっている。ただ安易に行ってしまっているわけではなく、周到な準備をしているのがすごい。高所での自らの体のコンディションを調べるために、三浦雄一郎氏の活動拠点、ミウラ・ドルフィンズを訪れ、低酸素室に入って睡眠中のリスクが高いことを知る。恐れ入ったことに、さっそくそれを改善するために鼻の手術をしている。

いざ出発すると、身に起こったことを面白おかしく、また適格な比喩で表現している。ダウラギリ登山は、シェルパがコースを設定し、ロープを張り、ラッセルもし、キャンプ地を設営、ごはんを作ってくれるコックもいて至れり尽くせりで登れる、まさに「名門幼稚園の遠足」であると表現する。ツアーに参加すれば、ほとんどこれだ。

ただし、そうであってもひょうが降ったり、雪崩が起きたり、落石があったりとリスクは高い。それを教養の高い記者だからこそだが、ホッブズの『リヴァイアサン』の言葉を引いて、このリスクへの感情をこうまとめる。

「嫌悪が恐怖の原因ではあるが、嫌悪だけでは恐怖は生まれない。自分が害を受けると思ったときに恐怖となる。逆に嫌悪などは払いのけられると思えるのが勇気だ」

著者は20歳のときに山三昧で3度も滑落を経験している。普通は100メートルも落ちたら助からないものだが、運よく藪に突っ込んで止まること2回。沢で落ちそうになったときにザックが木の枝に引っ掛かり助かった話も出てくる。すごい体験だ。ここまで命にかかわる事故を経験していると、ものの見方が変わるようだ。このブログでもとり上げたジミー・チンさんへのインタビューでこんなくだりに賛同を示している。

「ほとんどの人は普段、死を考えないからね。死は誰にでもやってくる避けられない経験。その死について健全(healthy)な見方をするのは、とても役に立つし、その後の自分の人生での決断を左右することにもなる」

この本は、人生哲学もふんだんに散りばめられており、こんな生き方、考え方もあるのかと驚かされる。

参考:当ブログ
ヒマラヤの未踏峰に挑むドキュメンタリー映画『MERU(メルー)』
アカデミー賞受賞作『フリーソロ』を観る

 

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滝めぐり~横谷峡トレッキング

2021-09-18 | 山行~八ヶ岳とその周辺

横谷峡 標高 1200~1500m 長野県

2021年7月24日 晴れのち曇り 

メンバー 山の神と私

コースタイム 横谷峡駐車場9:40--乙女滝--霧降の滝--鷲岩--一枚岩--10:46東屋(王滝展望台)--11:08おしどり隠しの滝11:18--12:30駐車場

前泊は横谷温泉旅館。フロントで一言断って車を旅館の駐車場に停めたまま、散策に出発しようかとも思ったが、時間を気にしながら歩くのもなと思い返して、前日に見つけていた横谷峡散策用の駐車場に車を置くことに決めた。


左:横谷峡駐車場 右:木戸口神社を越えていく

9:30頃宿をチェックアウトし、横谷峡駐車場に移動する。すでに何台も車は停まっていて、それなりに人気のスポットであることがわかる。山の神と登山靴にはきかえ、9:40出発した。


左:横谷温泉旅館側へ下る 右:乙女滝への分岐

横谷温泉旅館のほうに戻り、木戸口神社を越えた辺りで、峡谷に下りる道が出てくる。

 乙女滝

下ってすぐ水しぶきを盛大にあげている乙女滝に到着する。散策の方々が多くいて滝の間近まで攀じって行く人、i-Padで写真を撮っている人、マイナスイオンの恵みを一身に浴びている人など思い思いのスタイルで滝を楽しんでいる。


左:峡谷沿いの遊歩道 右:横谷温泉旅館裏にあったアルパカ広場。山の神が覗くが一頭もいなかった

前を歩く人のあとについて峡谷沿いの道をゆるゆると進んで行くとすぐに横谷温泉旅館の下に到着する。峡谷からいったん離れ旅館の建屋の間を抜けて林道に出る。旅館の裏手にはアルパカ広場があった。季節によってはアルパカがお目見えになるようだ。


左:地味に霧降の滝が登場 右:炭焼窯跡

しばらく歩くと、やがてこぢんまりとした地味な霧降の滝や、わざわざ「炭焼窯の跡」と案内板を立てていた石積みが現れる。また、この辺りの道で這っていたコクワガタを発見した(冒頭の写真;追記 ミヤマクワガタのメスでした。訂正します)。

鷲岩

そして鷲岩。たしかにこの露岩は鷲の羽根っぽく見える。直後木々が邪魔をしてよく見えないが、屏風岩が出てくる。接近を試みるもこの季節は木々が生い茂っていて全貌は見えない。しかし冬場は木々の葉も落ち屏風岩に氷瀑がかかるようだから、冬に来た方がそのダイナミックさを味わえるのだろう。


川床は一枚岩

次に待っていたのは、茶褐色に見える川床の一枚岩。数十メートルにわたる一枚の岩というからかなりのスケールだ。

蓼科中央高原観光協会のサイトにあった横谷峡遊歩道によれば、この先に王滝への道が書かれていたのだが、実際には、その道の入口に自己責任において通行してくださいとの標示があって、限りなく通行禁止に近い処置がとられていた。

 東屋から王滝を望む

山の神にこの道はやめとくかといって、王滝の展望台である東屋を目指すことにした。東屋は快適とはいえない、ジメっとした日陰にあった。そこにはすでに何人かの先着様がいてくつろいでいた。肝心の滝はといえば、けっこう遠くに見えていて、2段に渡って水を落下させている。まるでミニチュアといえなくもないが、悪くはない。


左:横谷観音・おしどり隠しの滝分岐 右:遊歩道に架けられた赤い鉄の橋

さて、ここからどうするか。山の神が当初主張していた、ここで引き返すか、あるいは私の希望どおりおしどり隠しの滝まで行くか。東屋からさらに奥に進んでいく人を見て、われわれも行こうとなった。

東屋からの急登を上がると、あとはそれほどでもない。横移動の末、おしどり隠しの滝に着いた。


おしどり隠しの滝

おしどり隠しの滝は思いのほか地味だった。急流であるから広義の滝ではあるが、なんといっても迫力不足。山の神の落胆ぶりがこちらにも伝染してくる。明治温泉のある反対岸に渡ると、多くの観光客がいて記念撮影に余念がない。トレッカーもここまで縦走して、歩いて戻るではなく、バスで移動する人も多いようだ。

雲行きが怪しいと速足に

山の神と私はここで水分補給をして元来た道を戻ることにした。復路は空に雲が広がり、もしかして雨かと思いながらの移動だったが、予想外に多くの散策者とすれ違った。なんの装備もなくとも歩けるコースだから、お手軽なのだ。

12:30駐車場に到着した。腹が減ったなと山の神と急いで片付け、目指した蕎麦屋は休み、その先にあったうどん屋は駐車場が満車で入れなかった。昼食は中央道に上がってようやくありつくことができた。やれやれと思ったのもつかの間でこのあとは渋滞の嵐だった。もっともひどかったのは八王子料金所。オリンピックだからとETCの出口を1車線にするという信じられない規制をしていた。

コメント (2)
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あっけにとられる陳腐な結論「北極探検隊の謎を追って」

2021-09-05 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本

 『北極探検隊の謎を追って』ベア・ウースマ著/ヘレンハルメ美穂訳(青土社)

久々にひどい本を読んだ。当然だけれど、面白いんだろうと思って読み始めて次々に裏切られ、最後の著者の探検隊遭難死の原因はこれだという裏付けに乏しい陳腐な推測で、深い失望と怒りすら感じた。

話の概要はこうだ。1897年7月11日スウェーデンとノルウェーの連合王国の3人の探検家、サロモン・アウグスト・アンドレー(42歳)、クヌート・フレンケル(27歳)、ニルス・ストリンドベリ(24歳)が北極点を気球で目指した。まだ北極点は人類にとって未踏の地であったときだ。この時代は探検の時代といってもいいくらい、世界の未踏の地に次々に人類が足跡を残していた。北極点も例外ではなく、列強といわれる国々が国の威信をかけて北極点一番乗りに力を注いでいた。

そんな中、民間で資金を集め極点を目指したのが、このアンドレー隊だ。準備は杜撰、一度も試験飛行をせずにいきなり出発し、気球から水素が抜けて3日と経たず北極圏の氷上に不時着することになる。その後の隊の行動は、彼らが残した日誌によって明らかになっており、なぜ十分な食料や衣類、ボートやソリ、猟銃などの装備があったのに全員死亡という結末に至ったのかその原因を究めようというものだ。

本書では、日誌を判読不能部分を黒くつぶして紹介したり、日誌の全内容を天候、食事、運動、精神状態などの項目をつくって表にまとめたり、遺体の解剖記録を図入りで掲載したりしている。こうしたロウ(生)データを、少し加工はしているものの、読者の前に垂れ流しているのがまず気に入らない。データの羅列でしかなく、退屈な情報がほとんどだからだ。

巻末にもきちんと文章化できなかったのだろうが、3人の死因の可能性についての羅列がある。「プリムス・ストーブによる一酸化炭素中毒」「酸欠のためテント内で窒息死」「海藻スープでの食中毒」「壊血病」「ホッキョクグマ肉を食べたことによる旋毛虫症」「アザラシの肝臓を食べたことによるビタミンA過剰症」……。死因がこれだと特定できる根拠、そして反証が示されている。著者の筆力のなさを如実に物語っている部分である。本来なら、本の核心ともいうべきところで、こんな扱いになっているのは解せない。

一方でこの本のレイアウトは遊び心があって、また当時の写真も多く掲載していいと思うが、困ったことに、私のような年配読者を無視した糸くずのような小さく細い文字を並べた本文ページもある。なぜそうしたのかの意図もあいまいだ。

 
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