分類:史
所在地:いわき市鹿島町走熊高照山(頂上)
磐城三十三観音の十七番札所 本尊・十一面観音
〈ご詠歌〉 世の中は ふもとにありや 東泉寺 日は高寺に 水はしりくま
鹿島町にある観音霊場、二つ目の第十七番札所 『高照(たかでら)観音』 です。
高照観音を祀る高寺山は海抜126メートルで、鹿島町地内では最も高い山です。観音堂は殆んど頂上に近い場所にあり、そこまで辿るには細い山道を約20分上ります。磐城三十三観音中で最もキツい試練の道のりです。 ご詠歌にある「東泉寺」というのは観音堂の一段下(※杉や雑木に覆われているが平坦になっているので何となく分かります)の地にあったが火難に遭い現在では存在しません。
《昭和45年に建立された現在の観音堂》
走熊観音堂再建勧進趣意書によると「石城三十三番札所の一なる当十七番走熊高照山十一面観音菩薩は今を遡ること実に一千四百七十三年、一世の大徳徳一大師の御祈願に係るものにて云々」と、こと細かに記されていますから、年号は文明年間に遡ることになります。
《何度も火難に遭った挙句に盗難で失くなってしまった観音さま》
なんとも災難の多い観音堂で、永禄年間と元文年間に焼失して再建されたのですが、大正元年11月にも火難に遭い、京都から勧奨したと伝えられた等身大の木像十一面観音がお堂と共に焼失してしまいました。
そのため、お堂は大正2年7月に再建され京都より唐銅(からかね)製のご本尊を再勧奨をしたのですが昭和4年2月に鹿島村内の家屋40戸が焼失したという走熊大火の延び火を受け、又々お堂と尊像を灰燼と帰してしまいました。
火難に奪われたお堂の歴史には筆述に絶するものがありますが、地元の人たちは大同2年徳一大師開祖の伝えを誇りに、厚く観音を慶信して止まないのです。
所在地:いわき市鹿島町走熊高照山(頂上)
磐城三十三観音の十七番札所 本尊・十一面観音
〈ご詠歌〉 世の中は ふもとにありや 東泉寺 日は高寺に 水はしりくま
鹿島町にある観音霊場、二つ目の第十七番札所 『高照(たかでら)観音』 です。
高照観音を祀る高寺山は海抜126メートルで、鹿島町地内では最も高い山です。観音堂は殆んど頂上に近い場所にあり、そこまで辿るには細い山道を約20分上ります。磐城三十三観音中で最もキツい試練の道のりです。 ご詠歌にある「東泉寺」というのは観音堂の一段下(※杉や雑木に覆われているが平坦になっているので何となく分かります)の地にあったが火難に遭い現在では存在しません。
《昭和45年に建立された現在の観音堂》
走熊観音堂再建勧進趣意書によると「石城三十三番札所の一なる当十七番走熊高照山十一面観音菩薩は今を遡ること実に一千四百七十三年、一世の大徳徳一大師の御祈願に係るものにて云々」と、こと細かに記されていますから、年号は文明年間に遡ることになります。
《何度も火難に遭った挙句に盗難で失くなってしまった観音さま》
なんとも災難の多い観音堂で、永禄年間と元文年間に焼失して再建されたのですが、大正元年11月にも火難に遭い、京都から勧奨したと伝えられた等身大の木像十一面観音がお堂と共に焼失してしまいました。
そのため、お堂は大正2年7月に再建され京都より唐銅(からかね)製のご本尊を再勧奨をしたのですが昭和4年2月に鹿島村内の家屋40戸が焼失したという走熊大火の延び火を受け、又々お堂と尊像を灰燼と帰してしまいました。
火難に奪われたお堂の歴史には筆述に絶するものがありますが、地元の人たちは大同2年徳一大師開祖の伝えを誇りに、厚く観音を慶信して止まないのです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます