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いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
それに周辺の話題。
時折、プライベートも少々。

鹿島の人物 志賀直哉

2009-03-01 07:13:23 | Weblog
志賀直哉(一円融合の提唱者)
           明治20年(1887)6月12日~昭和31年(1956)2月7日  享年71歳
 
 鹿島町下蔵持字嘉睦家(かもか)15番地、志賀林弥の長男として出生。
 鹿島を語るときに、この人を欠くことはできないと云っても良いほど昭和の前半期に於いて偉大な指導者で、後人に遺した教訓は計り知れない。
 昭和4年に村議会議員となり、昭和5年助役となる。
 村長、鈴木大蔵を補佐しその手腕力量を高く評価され、鈴木大蔵辞任後村議会の推挙を受け村長となり二期8年間村政に傾注した。

 その間、一円融合を提唱し、矢田分校を本校へ統合して鹿島村立尋常高等小学校を建設した。 註(現在の、いわき市立鹿島小学校の校地)
 また、県から農業経済指定村の指定を受け、農村振興に意を用いる傍ら灌漑用貯水池・堰の改修等に努力。更に毎月の1日を道路愛護デーと決め、各ごとこれを実施して道路の整備をした。

 一方、百駄刈りを推奨して堆肥作りや家畜の導入を推し進め、食糧の増産と農家収入の増収を図った。常に人づくりに意を配り、村長辞任後は太平洋戦争下の石城郡翼賛青壮年団長として、郡の指導的責任を担ったが敗戦となり占領軍司令官マッカーサー指令により、公職追放となる。
 
 下蔵持の如来山正福院は、昭和4年鹿島の大火で焼失し、昭和5年再建にかかり翌6年完成したが昭和11年6月、豪雨による裏山の土砂崩れにて寺院崩壊。
 これの再建に再び東奔西走し、昭和30年9月、ようやく洋風の寺院を建設。同年10月、二宮尊徳翁百年祭慰霊塔を建立した。


  本日の催し 3/1(日)
鹿島ショッピングセンター・エブリア2階 ギャラリーエブリア
時代着物・古布展示

ギャラリー創芸工房(鹿島町走熊) 0246-29-3826
「ちっちゃな幸せー私のお気に入りーⅣ」 ☆入場無料
市内をはじめ茨城、石川、広島などの作家58人と2団体が合わせて約600点を出品しています。
陶や金属、ガラスなどを素材に制作した、ぐい呑み、豆皿、動物オブジェなどジャンルを超えた作品が並んでいます。

いわき市暮らしの伝承郷  13:30~14:30
「企画展展示解説」



 
 
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