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OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

6年目の春に

2017-03-11 18:27:43 | Weblog

東日本大震災の慰霊祭に参加して来ました。

あの未曽有の大惨事も忘れてはなりませんが、同時に前向きな復興が様々に進んでいる現実も確かにあります。

そのところを認め、そして更なる支援・応援を続けていく必要性を痛感させられました。

記憶の風化云々はマスコミの決まり文句ではありますが、当時の惨状は直接的な被災者ならずとも、忘れられるものではありません。

それなのに避難者へのイジメとか、補助金詐欺や使い込みが絶えないのは、日本人としての恥を知らない者の所業ですよ。

今日は「らしくもなく」説教紛いの文章を連ねてしまいましたが、本音を抑えきれないのが正直な気持ちです。

前向きな力は確かに強くあって、それを微力ながら応援していきたいのが、サイケおやじの本日の決意であります。

 

 

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フランスはねぇ~~

2017-03-10 16:52:44 | 歌謡曲
愛してモナムール / 岩崎良美 (キャニオン)

何の恨みもありませんが、ど~もフランス人が苦手なサイケおやじです。

それは自分がフランス語がほとんど分からないという事もありますが、何というか人間としてのノリが異なっている様な気分なんですよ。

また、フランスという国へも、飛行機の乗り継ぎで空港に滞在(?)した事が2回ほどあるだけですし、美味しいという定評があるフランス料理にしても、個人的にはそれほど堪能させられた事が無いもんですから、フランス映画とか、ファッションセンスとか、アルセーヌ・ルパンの物語とか、フレンチジャズ&ポップスぐらいしか馴染が薄いというのでは、国民性を直感的にも理解し難いわけでして……。

と書いたのも、実は現在、フランス人との仕事が進行中なんですが、そんな心持が昔っからあるもんですから、組織の意向とは別に、サイケおやじの腰は引け気味です。

う~ん、でも、虚心坦懐に進めていく事が大切なんでしょうねぇ、とにかくも。

それはフランスやパリが、やっぱり世界中の人々から憧れの地とされる事にも所以の証明というか、例えばそれを歌い込んだ楽曲だけでも、夥しく作られてきましたからねぇ~~~。

岩崎良美が昭和57(1982)年に出した本日掲載のシングル盤A面曲「愛してモナムール」も、そのひとつとして、これがなかなかにオシャレなアイドル歌謡になっています。

なにしろ歌詞の中には「オペラ座」「ボンジュール」「モナムール」等々、我々日本人にもそれなりに知られているフランスの言葉が用いられていますし、どうやらパリを舞台にした恋愛賛歌に附されたメロディの柔らかな高揚感は流石、作詞:安井かずみ&作曲:加藤和彦の手際の素晴らしさ♪♪~♪

加えて岩崎良美の素直な歌唱力を存分に引き出した清水信之のアレンジも秀逸だと思います。

あぁ~、このライトタッチのリズムにジャストミートの節回しは、ほとんど当時流行のニューミュージックに限りなく近い仕上がりでしょう。

そして、だからこそ、アイドル歌謡としては浮いてしまったというか、オシャレ過ぎてローティーンのファンには親近感が薄くなってしまったのでしょうか、完成度とは裏腹に、それほどヒットしていたという記憶がサイケおやじにはありません。

う~ん、そのあたりも「フランス」という印象の功罪と書けば、それはサイケおやじの思い込みであり、ふっと当時を思い出せば、フランスの印象やフランス語の響きを用いた歌謡曲やニューミュージックが次々と世に出ていたわけで、例えばアン・ルイスの「ラ・セゾン」とか、松原みきの「倖せにボンソワール」等々、これが如何にも1980年代的でありましたし、そ~云えばもっと以前には辺見マリが「ダニエル・モナムール」という名曲を大ヒットさせていましたですねぇ~~♪

うむ、やっぱりフランスは侮れないなぁ~~、と独り納得するしかないような……。

ということで、今夜もフランス人と諸々の話の予定ではありますが、あんまりビジネスライクにしたくないのは相手方も同じみたいですし、ここでこ~して泣言を連ねた見苦しさを境に繰り言は止めにします。

失礼致しました。
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今日は…

2017-03-09 17:58:14 | Weblog

朝から仕事が縺れて、現在も暗中模索というか……。

なんとか逃げ道を探っております。

それとPCが不調で、外部からのリモートアクセスが苦しいです。

メモリーが矢鱈に食われているような……。

本日の1枚は休載、ご理解下さいませ(__)

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煙草があれば、いろいろと

2017-03-08 18:01:57 | 歌謡曲
プカプカ / 殿岡ハツエ (エレック)

相変わらず緊張感に乏しい国会ではありますが、そこで審議対象になっている受動喫煙対策法案は、だんだん苦し紛れの矛盾が多く、どうにもすっきりしないサイケおやじです。

説明不要とは思いますが、これは非喫煙者が煙草の煙を吸い込む事への配慮が主目的であるならば、医療機関や小中学校は敷地内、大学や官公庁等々は建物内を禁煙とし、飲食店等々は新基準を満たす喫煙室を設置する云々という原案に対し、小規模の店は例外というんじゃ~、ミョウチキリンな話でしょう。

狭い場所ほど、禁煙にしなければ、非喫煙者を守るという意義が無いわけで、結局のところ、この法案はこれから開催が予定されている東京オリンピック&パラリンピック等々に関連して、諸外国へ良い顔を見せたいというカッコマンの独り善がりじゃ~ねぇ~のかっ!?

ちなみにサイケおやじは昭和62(1987)年4月1日から、それまで時には1日に百本以上吸っていた事もあった煙草をぴったり止めていますので、喫煙者・非喫煙者の両方の気持は理解出来るつもりなんですが、だからこそモヤモヤした気分を感じるのが、この法案というわけです。

もちろん、煙草が健康に悪い事は承知していますし、煙草の生産販売で生計を立てている人達もいれば、煙草でストレスを発散する人だって決して少なく無いんですからねぇ~~、根底には難しい問題がある事も確かで、件の審議が妥協点を模索するのはわかるんですが……。

さて、そこで本日取りだしたのは所謂タバコソングの人気曲「プカプカ」を歌った殿岡ハツエのシングル盤なんですが、まずはジャケ写の雰囲気の良さが、まさに昭和の粋とでも申しましょうか、これが発売された昭和49(1974)年なればこそ、少なくとも昭和50年代の我が国では、煙草を吸う女性の仕草にも、イイ女っぷりが表れていたものです。

なにしろ主役たる殿岡ハツエは日劇ミュージックホールをメインに活躍していた当時のトップダンサーのひとりであり、映画やテレビにも頻繁に出演していたのですから、それも当然が必然でしょうか、サイケおやじは殊更テレビの深夜番組で舞い踊る殿岡ハツエに圧倒させられた青春時代が確かにありましたですねぇ~~♪

また、これは後追いで鑑賞したのですが、日活の神代辰巳監督の昭和43(1968)年のデビュー作「かぶりつき人生」では堂々の主役に抜擢され、劇中ではストリッパーを職業する女性を見事に演技きっていますので、必見ですよ。

サイケおやじは、この哀しくも胸キュンの物語に、ちょっぴりウルっとしてしまった思い出があります。

閑話休題。

で、肝心の殿岡ハツエの「プカプカ」なんですが、作者はご存じ西岡恭蔵ながら、興味深いのはアレンジとバックの演奏が鈴木茂(g)、細野晴臣(b)、林立夫(ds)、松任谷正隆(key) から成るキャラメル・ママであるという事でしょう。しかも今もって謎になっているのは、そこに「+2」として、正体不明のミュージシャンが参加しているわけでして!?

しかし、個人的にはイマイチというか、ジャズっぽいアレンジが失礼ながら裏目というか……、所謂スイングしている気がしないんですよ、歌も演奏も。

もっと素直に懐古趣味調のフォークロックでも良かったと思うんですけどねぇ~~、例えばラヴィン・スプーンフルみたいなと書けば、ディランII(セカンド)のバージョンに近くなるんでしょうけど……。

ですから、殿岡ハツエのプカプカは、やっぱりこのジャケ写を愛でながら聴くところにこそ、有難味が♪♪~♪

ということで、煙草の功罪が一概に決められないのは自明の理であって、なかなか法律で縛ろうとするのも難しいと思われます。

それゆえに、今後の行方を注視したいです。
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帰ってきました

2017-03-07 19:23:30 | Weblog

それにしても、あの国の本気度は常軌を逸していますよっ!

くわばら、くわばら……。

さて、明日からは、こっちも気持ちを入れ替るぞぉ~~っと!

 

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呆れと恐怖が怒りより大きいです

2017-03-06 16:44:51 | Weblog

隣国に出張してますが……。

それにしても我が国へ向けてのミサイル発射は暴挙の極み!

直接的な被害云々よりも、その行動が喧嘩を仕掛けているんじゃ~なかろうか!?

旅先でも、相当な騒ぎになっていて、後が怖くなりました。

 

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王道過ぎたのか、トライアングル

2017-03-05 17:53:17 | 歌謡曲
トライアングル・ラブレター / トライアングル (CBSソニー)

数多登場したアイドルトリオの中でもトライアングルこそ、キャンディーズの正統を継ぐグループでした。

なにしろ本家キャンディーズが解散する以前から、妹分としてキャンディーズ・ジュニアと名乗る事を許され、ドリフターズのテレビ番組等々への出演も多かったのは、もちろん渡辺プロダクション所属だったという事は説明不要と思います。

そして当然ながら、メンバーのミッチ=森光子、クーコ=大塚邦子、マミ=上野真由美は同プロが運営に深く関わっていた東京音楽学院~スクールメイツの中から選抜されたわけですが、それが昭和52(1977)年秋頃に具象化した企画という事は、既にキャンディーズ解散後のプロジェクトが既に進行していた証左であり、件のキャンディーズが今や歴史となった同年7月の解散宣言から翌年春まで、会社側の要請によってそれが引き伸ばされた実情も、推察に易いでしょう。

ところが、そ~なってみると、それまでだって熱かったキャンディーズのファンは尚更の狂騒状態になったもんですから、「キャンディーズ・ジュニア」というグループ名や彼女達の存在そのものが頭っから拒絶&否定の対象となり、つまりトライアングルは、その船出からして厳しい環境に置かれたのも、また事実だったという記憶があります。

実際、翌年になってキャンディーズが解散した直後、トライアングルとして掲載のシングル盤A面曲「トライアングル・ラブレター」で堂々のレコードデビューを果して以降も、テレビ出演等々は多かった反面、局地的には風当たりが強かったと……。

ですから、デビュー翌年にはメンバーチェンジがあり、クーコ=大塚邦子が抜けて、加藤アキ=アキが新加入するも、いよいよの尻つぼみ感は強まるばかりだったんですが、さりとて彼女達が残したレコードを虚心坦懐に聴いてみれば、なかなかの秀作が揃っています。

それは唯一のヒット曲と認定(?)されるこの「トライアングル・ラブレター」からして、作詞:島武実&作編曲:穂口雄右という本家に関わりの深いソングライターコンビからの提供という事実、またなかなかのロック風味の強さ共々に、個人的には高得点♪♪~♪

ちなみにトライアングルが記憶されるもうひとつの印象が、そのステージ衣装の露出度の高さというポイントも忘れられないところで、時にはベビードールの如き超ミニスカとか、ピッチピチのホットパンツ、また男性週刊誌のグラビアとか芸能人水泳大会におけるサービス性感度の高い水着姿、腋&横乳見せを誘発させるようなノースリーブなファッションも当たり前にありましたですねぇ~~♪

しかし、奮闘空しくというか、フェードアウト気味に昭和56(1981)年初頭に活動停止~解散……。

そしてトライアングルが決して忘れられていないのは、メンバーのミッチが小森みちこと改名し、昭和57(1982)年の日活ロマンポルノ「あんねの子守唄」に出演すれば、これが大ヒット! 忽ちのプログラムシステムにより、続けて「あんねの日記」も制作公開されるいう社会現象にっ!?

ここでサイケおやじがなんとも驚かされたのが「21歳の処女」という、日活による彼女のウリだったんですが、そ~いえばデビュー当時に所属していた渡辺プロダクションって、新人女性歌手&アイドルタレントには「処女」と言わせるのが社是だったようで、天地真理もキャンディーズも例外では無かったんですから、その精神は流石の肝っ玉というか◎▼?△

ということで、アイドル業界の厳しさは今も昔も変わりないとは思いつつも、そこで登場した各々がなんらかの印象や実績で少しでも我々の記憶に刻み込まれたのであれば、立派な成功と呼んで差し支えないんじゃ~ないでしょうか。

どんな社会でも、全ての人が陽のあたる場所には居られないのですから、例え一瞬の陽だまりだったとしても、その中で生きられた時間は羨望です。

いわんやアイドルをや……。
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中古屋での邂逅:松田かんなの巻

2017-03-04 19:47:43 | 歌謡曲
恋は動物園 / 松田かんな (東芝)

本日掲載したのも、サイケおやじが中古猟盤活動中に遭遇した1枚で、とにかくジャケ写を見た瞬間、思わずガッツ~~ンと衝撃を受けた事は、皆様にもご理解いただけるんじゃ~ないでしょうか。

どうです、このシュールというか、本末転倒の疑似アンティークとでも申しましょうか、もしかした成金的悪趣味かもかもしませんが、それでも混濁したインパクトは確かに絶大!?

しかもド真ん中に鎮座されている松田かんなという女性歌手のチープなビッチフィーリングは、失礼でもなんでもなく、おそくらはこれが発売されたと思しき昭和50年代初頭の雰囲気の一端を今に伝えるものではありますが、でもねぇ……。

少なくともサイケおやじは、これをゲットした昭和60(1985)年まで、こんなブツの存在、そして松田かんなという歌手さえも知らなかったという実情に鑑みれば、売れていなかったというのは確かでしょうか?

しかし、実際に針を落としてみれば、作詞:なかにし礼&作曲:井上忠夫が提供したA面曲「恋は動物園」の破天荒さは強烈で、曲調としてはディキシーランドジャズとロケンロールの巧みな融合による、所謂チャールストン風味のオールディズ歌謡という仕上がりが実に楽しく、それでいて歌詞のキメが

 ズ~ズ~だよぉ~♪ 恋はズ~~だよぉ~♪

なぁ~んていうスキャット風な歌い回しに展開されるんですから、この奇妙な味わいは傑作なのか?

それともキワモノないか?

おまけに、恋は動物園!? だとか、恋すりゃ誰でもしっぽがついちゃう!? とか、それがスカンク見たいに!? そんなこんなの暴れ(?)を綴ってしまうなかにし礼って、常軌を逸したんですかねぇ~~~!?

全く聴いているうちに心地良く混乱させられるばかりで、判断力なんてものは霧散させられてしまいますよ!?!?

相当に強引(?)な萩田光雄のアレンジも面白さを乗り越えて良い感じ♪♪~♪

ちなみに主役たる松田かんなについては全く知るところもありませんが、裏ジャケ裏に記載のプロフィールによれば、本名は佐藤久美、調布アメリカンスクール在学中、等々の情報が確認できますし、だとすると、ハーフ系なんでしょうかねぇ~~~?

謎は深まるばかりですよ、う~ん。

ということで、いくら景気が良かろうと、商売である以上、誰だって最初っから売れもしないレコードを作るわけもなく、しかし結果的に様々な面白盤が現代に残されているのですから、後追いで楽しむ我々は有難く拝聴するべしという教訓を再認識する次第です。

あぁ、良い時代でした。
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これが仕事というやつか…

2017-03-03 19:53:22 | Weblog

今日は身動きがとれませんので、これにて失礼させていただきます。

明日は休みたいなぁ……。

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So Long Monsieur

2017-03-02 19:18:14 | Singer Song Writer
我が良き友よ c/w ゴロワーズを吸ったことがあるかい / かまやつひろし (東芝)

既に昨年から闘病を伝えられていたとはいえ、ムッシュかまやつ=かまやつひろしの訃報は、感慨深いものがあります。

ご存じのとおり、故人はGSの中でも別格の実力と人気を誇ったスパイダースでは、音楽とファッションセンスの両面をリードしていた事は、具体的には自作によるヒット曲の提供や最新の洋楽事情、さらには海外の流行全般に対し、敏感に反応するフィーリングの持ち主として、まさに我が国芸能界における裏街道のリードオフマンであったように思います。

もちろん、ここでむ「裏街道」と書いたのは、故人が決して押しの強い活動を意図的にやっていたわけではないと思うからで、逆に言えば、何が流行って、何がウケるかという観点からすれば、自らの感性に正直を貫いたところが一般的な商業主義とは異なりつつも、しっかり何時の時代にもアクセスしていたという稀代のミュージシャンでしたからっ!

つまり、サイケおやじはリアルタイムでは知らない故人のロカビリー歌手時代も含めて、カントリー&ウェスタン、エレキインスト、コミックソング、ジャズ歌謡、そしていよいよGS時代の大ブレイクを経て後はシンガーソングライターのブームを意識しつつも、ハードロックやグラムロックにも傾倒した楽曲を演じる等々、なにが本質か定かではないところから、ついには昭和歌謡フォークの世界にも切り込んで、昭和50(1975)年に大ヒットさせたのが、本日掲載のシングル盤A面曲「我が良き友よ」でありました。

しかも、これが吉田拓郎の作詞作曲という、所謂提供作であり、歌の中身のバンカラ風味や瀬尾一三の編曲にも顕著な和風オールドタイミーな下世話さが、ど~してもハイセンスなイメージがあるムッシュかまやつには違和感満点で、しかし実際には、きっちり収まった雰囲気を醸し出したボーカルを披露したのですから、故人の懐の深さには驚かされるばかり……???

というのも、実は当時、気ままな学生生活の中でバンド活動をやっていたサイケおやじが、バイトという大義名分、そして入れてもらっていたバンドの先輩からの命令とはいえ、この「我が良き友よ」をやるハメになった時には正直、嫌でしたねぇ~~。

もちろん楽曲が大ヒットしていた事は知っていましたし、それをやらなきゃ~、パーティバンドとしてのライブの場が失われる等々の諸事情も分かっていはいるんですが、これはど~やっても、当時の自分達が標榜していたアメリカンロックとは無縁の世界でしょう。

だいたい、ムッシュかまやつともあろう洋楽志向のミュージシャンが、こんな歌を出して、大ヒットさせてしまった事自体が、サイケおやじには面白くありませんでした。

で、不貞腐れていたら、マネージャー役の先輩から、とにかくこれを聴いてみろっ!

と強い口調と共に手渡されたのが、本日掲載のシングル盤というわけです。

そして驚愕させられたのが、B面収録の「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」で、なんとっ!?

これがタイトでグルーヴィな演奏をバックにした和製トーキングファンクであり、現在では各方面(?)から絶大な支持を得ている人気快演ではありますが、リアルタイムの昭和50(1975)年の我が国じゃ~、カッコ良過ぎて、ついていけない世界でもありました。

もちろん、サイケおやじにしても最初は、うっと呻いて、クレジットを確認するのがやっとの状況で、すると当然ながら、作詞作曲はかまやつひろし、そして編曲がグレッグ・アダムス!?!

ひぇ~~~っ!

ということは、このバックの演奏はタワー・オブ・パワーなんですかねぇぇぇぇ~~!?

そうです、どうやら、これは本当にタワー・オブ・パワーが参加したファンキーグルーヴがあってこその傑作だったんですよっ!

う~ん、かまやつひろし、恐るべしっ!

それは失礼ながら、ダサいA面の裏側に、こんなに洋楽最先端を意識的に実践した歌と演奏を入れてしまうという、まさにムッシュかまやつの真骨頂なんでしょうかっ!?

穿った事を書かせていただければ、ど~やっても一般ウケせず、売れる事も無いであろう「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」を広く大衆に聴かせたいがために、きっとウケるに相違ないと確信した、およそ自分のイメージとは異なる「我が良き友よ」をA面に入れたシングル盤を出したのかもしれないと思うのですが、いかがなものでしょう。

しかし、これはどちらも「かまやつひろしの世界」であり、大きく位相の異なる音楽を同時並行的にやれるのが、ムッシュかまやつの天才性なのでしょう。

でなければ、鬼籍に入られるまでの長期間、常に第一線の存在感を認められていたはずもなく、その多大な影響と偉業の数々は、そんなふうに尊敬と親しみを集めるはずもありませんからっ!

ということで、故人の残した楽曲はスパイダースの「あの時君は若かった」を筆頭に、今やスタンダード化した名作名演も多数ありますから、映像やインタビュー等々も含めた包括的なアンソロジーボックスが近い将来、編まれると確信する次第です。

ムッシュかまやつ、永遠なれっ!

合掌。
 
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