■トライアングル・ラブレター / トライアングル (CBSソニー)
数多登場したアイドルトリオの中でもトライアングルこそ、キャンディーズの正統を継ぐグループでした。
なにしろ本家キャンディーズが解散する以前から、妹分としてキャンディーズ・ジュニアと名乗る事を許され、ドリフターズのテレビ番組等々への出演も多かったのは、もちろん渡辺プロダクション所属だったという事は説明不要と思います。
そして当然ながら、メンバーのミッチ=森光子、クーコ=大塚邦子、マミ=上野真由美は同プロが運営に深く関わっていた東京音楽学院~スクールメイツの中から選抜されたわけですが、それが昭和52(1977)年秋頃に具象化した企画という事は、既にキャンディーズ解散後のプロジェクトが既に進行していた証左であり、件のキャンディーズが今や歴史となった同年7月の解散宣言から翌年春まで、会社側の要請によってそれが引き伸ばされた実情も、推察に易いでしょう。
ところが、そ~なってみると、それまでだって熱かったキャンディーズのファンは尚更の狂騒状態になったもんですから、「キャンディーズ・ジュニア」というグループ名や彼女達の存在そのものが頭っから拒絶&否定の対象となり、つまりトライアングルは、その船出からして厳しい環境に置かれたのも、また事実だったという記憶があります。
実際、翌年になってキャンディーズが解散した直後、トライアングルとして掲載のシングル盤A面曲「トライアングル・ラブレター」で堂々のレコードデビューを果して以降も、テレビ出演等々は多かった反面、局地的には風当たりが強かったと……。
ですから、デビュー翌年にはメンバーチェンジがあり、クーコ=大塚邦子が抜けて、加藤アキ=アキが新加入するも、いよいよの尻つぼみ感は強まるばかりだったんですが、さりとて彼女達が残したレコードを虚心坦懐に聴いてみれば、なかなかの秀作が揃っています。
それは唯一のヒット曲と認定(?)されるこの「トライアングル・ラブレター」からして、作詞:島武実&作編曲:穂口雄右という本家に関わりの深いソングライターコンビからの提供という事実、またなかなかのロック風味の強さ共々に、個人的には高得点♪♪~♪
ちなみにトライアングルが記憶されるもうひとつの印象が、そのステージ衣装の露出度の高さというポイントも忘れられないところで、時にはベビードールの如き超ミニスカとか、ピッチピチのホットパンツ、また男性週刊誌のグラビアとか芸能人水泳大会におけるサービス性感度の高い水着姿、腋&横乳見せを誘発させるようなノースリーブなファッションも当たり前にありましたですねぇ~~♪
しかし、奮闘空しくというか、フェードアウト気味に昭和56(1981)年初頭に活動停止~解散……。
そしてトライアングルが決して忘れられていないのは、メンバーのミッチが小森みちこと改名し、昭和57(1982)年の日活ロマンポルノ「あんねの子守唄」に出演すれば、これが大ヒット! 忽ちのプログラムシステムにより、続けて「あんねの日記」も制作公開されるいう社会現象にっ!?
ここでサイケおやじがなんとも驚かされたのが「21歳の処女」という、日活による彼女のウリだったんですが、そ~いえばデビュー当時に所属していた渡辺プロダクションって、新人女性歌手&アイドルタレントには「処女」と言わせるのが社是だったようで、天地真理もキャンディーズも例外では無かったんですから、その精神は流石の肝っ玉というか◎▼?△
ということで、アイドル業界の厳しさは今も昔も変わりないとは思いつつも、そこで登場した各々がなんらかの印象や実績で少しでも我々の記憶に刻み込まれたのであれば、立派な成功と呼んで差し支えないんじゃ~ないでしょうか。
どんな社会でも、全ての人が陽のあたる場所には居られないのですから、例え一瞬の陽だまりだったとしても、その中で生きられた時間は羨望です。
いわんやアイドルをや……。
デビュー曲はそこそこ売れたみたいですが、それ以降は無理だったみたいで知らないうちに解散なさってたようですね。その後フリーになった、小森みちこさん、ポルノ映画に出たりソロ歌手になったみたいですが、歌はやっぱり駄目だったみたいですね。
深夜ラジオの笑福亭鶴光さんの番組にレギュラー出演なさってましたが三流扱いで、鶴光さんや視聴者さんから、ぼろかすのイジられ役になってましたね。