OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

とりあえずフィル・スペクターの箱

2011-12-21 15:08:13 | Pops

Phil Spector Presents The Philles Album Collection
                                                               
(EMI / Sony Leagcy =7CD set)

もうじきに日本盤も出るという、まさに本年度復刻大賞の有力候補にもなっていたCDボックスセットではありますが、結果は賛否両論……。

個人的にも初秋には輸入盤をゲットしていたんですが、外箱に貼られていた「back to MONO」のステッカーが虚しくなるほど、リマスターに満足しませんでしたねぇ。

と最初っから絶望的な結論を述べてしまいましたが、全てはそれだけ期待が大きかった事への裏返しであって、何故ならばフィル・スペクターが一番勢いのあった1960年代前半に作られていた名曲名唱、そして名演がリアルタイムで出されていたLP単位で、初めてきっちりモノラル仕様の復刻が成されるという、実に嬉しい企画だったからに他なりません。

もちろん説明不要とは思いますが、フィル・スペクターはアメリカンポップスのひとつの完成形を提示した偉大なるプロデューサーであって、その影響力はビーチボーイズを筆頭に、以降のあらゆるロックミュージャンへ及んでいますし、ビートルズにしても例の「レット・イット・ビー騒動」の終着点からジョンやジョージのアルバム&シングル制作に大きく関わり、当然ながら世界中に夥しい信奉者が存在しているのですから、本人が重罪で服役している今であっても、こうした復刻が実現するのは歴史の流れというところでしょうか。

で、そうした功績の中で一番に評価されているのが、所謂「音の壁= Wall Of Sound」と称されるサウンド作りであることは常識とされていますが、しかしリアルタイムで発売されていた45回転のシングル盤に収められていたモノラルミックスの迫力あるサウンドを他の媒体で再現することの難しさは、これまで後追いで聴く者を混迷させる要因でもありました。

つまりフィル・スペクターが想起実現していたそれらのレコーディングには、同一楽器奏者の複数起用、平たく言えば打楽器やギター、キーボード等々を担当するプレイヤーを多人数集め、基本的にスタジオでの一発録りで作られたカラオケパートには豪勢なストリングスやホーンを分厚く配したオーケストラサウンドが構築されていながら、芯のしっかりしたリードボーカルやコーラスは幾分薄くミックスするという手法が使われていますから、選び抜かれたキャッチーな楽曲のメロディや歌詞が意外なほどリスナーに迫って来るという相反的効果は絶大!

もちろん当時最先端の情報メディアであったモノラル放送のラジオやジュークボックスを意識していたのは言わずもがな、それらは基本的に少年少女向けの流行歌ですから、高価な大出力のオーディオ装置ではなく、所謂電蓄プレイヤーで再生しても強烈な音圧を楽しめるように意図されたのが前述「音の壁」であろう、とサイケおやじは解釈しています。

ですから、必然的に33回転のLPでは音圧的に届かない部分がありますし、ましてや1970年代の再発見的なブームの中で復刻された音源集にしても、ほとんどがステレオ用のカートリッジで再生される事を前提としたカッティングプレスの所為もあり、所謂スペクターサウンドを特徴づけると定義されていた大仰なエコーばかりが強調される結果は、後々に禍根を残したというわけです。

ただし、そうした誤解は欧米でも日本でも、特にフィル・スペクターをリアルタイムで体験していなかった世代、つまり「レット・イット・ビー騒動」によってフィル・スペクターに邂逅したサイケおやじを含むリスナーには、これがそうなのか……!? という正当的解釈として罷り通っていたのも、これまた事実でした。

まあ、今となっては再発で出されていた音源のほとんどが疑似ステレオっぽいLP復刻でしか聴けなかった原因があるにせよ、そのあたりの真相はもちろんの事、フィル・スペクター本人についても堂々と教えてくれる情報なんてのは皆無だったという言い訳もあったのです。

こうして時が流れました。

そして1980年代になると、それまでは単なる懐古でしかなかったオールディズ趣味が、がっちりと大衆音楽の中でリサイクルされるという環境が整い、殊更我国ではフィル・スペクターを分かっていなければ恥ずかしいという風潮さえ、マニアックな領域を飛び越えて、広く音楽好きの間では信仰されるようになったのですから、ある意味では困った現象だと思います。

しかし虚心坦懐というか、素直に聴いて嬉しくなるのがフィル・スペクター関連の楽曲であることは隠し様も無く、ちょうどCDが普及した1991年頃だったと記憶していますが、アメリカで初めて本格的な復刻4枚組セットが登場し、続けてクリスタルズ、ダーレン・ラブ、ロネッツのベスト盤がCDで発売されるという快挙には拍手喝采♪♪~♪

ただし本物のオリジナルシングルの音を体験していた幸福なリスナーにとっては、そんなものはあくまでも偽物でしかなかった実相も否めません。なにしろCD化された諸作の音圧レベルの低さ、そして音の組成の薄っぺらな感じは、リアルタイムを知らないサイケおやじにしても正直な気持……。

ですから、1970年代から復刻されていたLPや1990年代の再発CDに満足出来ないとすれば、必然的にアメリカプレスのオリジナルシングルをゲットするしか道は無いという事なんですが、それはあらゆる事象において相当な困難を極めながら、それだけの努力は必ず報われる世界になっていたのです。

さて、そんなこんなが積み重なって今日に至れば、ついに最新リマスターをウリにした再発が気にならないはずもなく、しかも既に述べたとおり、当時出されていたオリジナルアルバム単位での企画を素通りするわけにはいきません。

とにかくそれには以下のLPを紙ジャケット仕様でCD復刻した6枚に加え、貴重なシングル盤B面収録曲を集めたボーナス盤が付くのですから、嬉しくないと言えばウソになりますよ。

Twist Uptown / The Crystals (4000)
 フィル・スペクターが実質的に主導権を握った1962年のフィレスレコードから発売された記念すべき最初のLPアルバムで、主役のクリスタルズもまたフィレス最初の大ヒットを放ったスタアグループです。
 収録曲の詳細は省かせていただきますが、もちろんその「There's No Other」、もうひとつの「Uptown」というヒット曲をアナログ盤ではAB面のトップに据え、各々のシングル盤B面曲にオマケ的な歌と演奏を収めた全11曲の構成は、如何にも当時の標準的なものと思います。
 しかも特徴的なスペクターサウンドが未だ確立していなかった事情の証拠物件というか、後に知ったところでは、ほとんどがニューヨーク録音だったそうですから、そのあたりの興味は深々!?
 ただし一説によると、1962年秋頃の発売に合わせて各収録トラックはハリウッドで手直しされた部分もあるらしく、特に優れたスタジオセッションプレイヤーの手癖(?)が堪能出来るパートにはハッとさせられるほどです。
 また私有のアナログLPは疑似ステレオ仕様の再発盤でしたから、このリマスターCDで聴けるモノラルミックスはオリジナルとは比較出来ないものの、それなりの迫力と音の分離の良さが時と場合によっては賛否両論の気持です。

He's A Rebel / The Crystals (4001)
 クリスタルズにとってはフィレスにおける2枚目のアルバムなんですが、何故か前作アルバムと収録曲にダブリがあるのは減点としか言えません。
 ただし発売された1963年当時の最新ヒット曲「He's A Rebel」と「He's Sure The Boy I Love You」が入っているのは当然ながらも嬉しく、書き遅れましたが、フィレスと関係を築いた頃のクリスタルズのレコーディングで実際に歌っていたのはダーレン・ラヴであったという真相も、特にこの2曲を聴けば納得されるでしょう。
 またアレンジを担当したのが、今もハリウッド芸能界の縁の下の力持ちとして有名なジャック・ニッチェであり、以降に出されるフィレス音源の大部分を担っていく仕事は要注意でしょう。もちろんセッションプレイヤーとしてハル・ブレイン(ds)、フランク・キャップ(ds,per)、トミー・テデスコ(g)、ステーヴ・ダグラス(ts) 等々の名手が固定化していった事も含め、どうやらこのあたりで所謂スペクターサウンドが一定の形を表わしているように思います。
 
Zip-A-Dee-Doo-Dah / Bob B. Soxx The Blue Jeans (4002)
 ボブ・B・ソックスとブルージンズは所謂「実態の無いグループ」だったようで、今ではダーレン・ラヴとボビー・シーンがメインで歌って真相も明かされていますが、当時の宣材写真や日本盤のレコードジャケットを見ると、おそらくはファニタ・ジェイムズであろうメンバーを加えた三人組になっています。
 しかし、それでも主役は絶対にダーレン・ラヴ!
 ヒットシングルのアルバムタイトル曲「Zip-A-Dee-Doo-Dah」のディズニーカパーらしくない粘っこいR&Bフィーリングと間奏で聴かれる摩訶不思議なサイケデリック風味のギターの音色は特筆物でしょう。
 このあたりは、全くのサイケおやじの妄想ではありますが、フィル・スペクターがフィレスの専属録音エンジニアだったラリー・レヴィンと目論んだ新しい音作りの表れかもしれません。また、となれば、このグループの実態の無さも納得されて当然なんでしょうか?
 正直、ヒット曲は少ないし、アルバムそのもののポップさも地味な感じですが、こうしてあらためて聴いてみると、なかなか面白みがあるように思います。
 そして注目しておきたいのが、今回の再現されたオリジナル盤LPジャケットの裏面クレジットで、そこにはプロデューサーのフィル・スペクターはもちろんの事、アレンジャーのジャック・ニッチェ、録音担当のラリー・レヴィン、さらには参加したセッションミュージャンの名前までもが確実性をもって記載されており、録音スタジオがロスのゴールドスタアスタジオであったという重要機密(?)までもが明かされている現実には、当時の業界人やファンがどのくらい衝撃を受けたのか!?
 そのあたりの興味も深いと思われます。

The Crystals Sing The Greatest Hit Vol.1 (4003)
 なにかアルバムタイトルだけだとクリスタルズのベスト盤と思われがちですが、確かに彼女達のヒット曲「There's No Other」「Uptown」「He's A Rebel」「He's Sure The Boy I Love You」、そして会心の「ハイ、ロン・ロン / Da Doo Ron Ron」の輝きは別格ながら、残りは他人のヒット曲の安易なカパーが中心という構成は???
 しかし時代性を考慮すれば、これはこれで素敵なアルバムだと思います。
 特にカパー曲の中では、以前のアルバムにも収録されていた「On Broadway」がサイケデリック期のビートルズが十八番にしていたストリングの響き、そして間奏で聴かれるミョウチキンリンなサックスの音色とフレーズ共々、今も不思議な魅力を放っているんじゃないでしょうか?
 そして冷静に考察してみれば、この曲はアメリカのR&Bコーラスグループとしてはトップだったドリフターズが1963年にヒットさせているんですが、録音事情からすれば、このクリスタルズのバージョンの先見性は凄すぎるかもしれませんねぇ~♪

Philles Records Presents Today's Hits (4004)
 これはタイトルに偽り無し、フィレスレコード最初の本格的なベスト盤!
 内容はクリスタルズ、ボブ・B・ソックスとブルージンズ、ダーレン・ラヴ、ロネッツ、アレイキャッツという顔ぶれのヒット曲を収めていますが、バランスを考慮したのでしょうか、中にはシングル盤のB面だったと思われる曲も入っています。
 個人的には最初に手に入れたフィレスのオリジナルアルバムとして、なかなか愛聴した思い出の1枚ということで、今回の復刻では「音」を比べる作業には重点的に用いた事もあり、かなりの思い入れの強さを自覚させられました。
 う~ん、それにしてもロネッツの「Be My Baby」とダーレン・ラヴの「Wait Til' My Bobby Gets Home」は、何時聴いても良いですねぇ~~♪ 素直に好きと言えます。

Presenting The Fabulous Ronetts (4004)
 さて、これが今に至るもガールポップグループのお手本的な名盤アルバム!
 ご存じ、ロネッツというよりも、後にフィル・スペクターの後妻に納まるヴェロニカ・ベネットを大フィーチャーしたドリーミーな作風は永遠に不滅であり、その代名詞がスペクターサウンドの決定版となった「Be My Baby」は言わずもがな、収録された全12曲全てが最高ですよ♪♪~♪
 しかもそこにはシングル盤には無い、アルバム特有の制作意図が随所にあって、効果音やミックスの魔術はモノラルバージョンでも、というよりもモノラルだからこその魅力を感じるほどです。
 ちなみにこのアルバムはリアルタイムからステレオミックスも堂々と発売されていたらしく、それは如何にも1964年の業界事情だったと思われますが、フィル・スペクターとしてはモノラル優先主義だったのかもしれません。
 なんとっ、後年に再発された時には、オリジナルのステレオミックをモノラルに落した「ニセモノ」も売られていて、サイケおやじが私有のLPは残念ながら、それです。また、そうした経緯もあり、今となっては「ステレオ」「疑似ステレオ」「オリジナルモノラル」「ニセモノ」等々の混在がアナログ時代からの悪しき慣習として継続されているのは十人十色の問題意識を喚起することでしょう。
 ですから今回、一応は統一性のあるモノラルミックスで再発された現実は、なかなか侮れないんでしょうねぇ……。

という上記6枚のアルバムの他に、実は目玉なのが既に述べたようなボーナス盤の存在です。

ここにはリアルタイムで世に出ていたシングル盤のB面に収められていたトラックが、なんと17曲も大集成!

結論から言うと、それは主にバックのカラオケパート制作に関わっていたセッションミュージシャンによるインスト曲がメインで、中にはR&RやR&Bとは一線を画す4ビートジャズも演奏されているのですから、たまりません。

なにしろ彼等の基本は白人系モダンジャズであり、参加メンバーにはバーニー・ケッセル(g)、フランク・キャップ(ds)、ジェイ・ミグリオリ(sax)、ドン・ランディ(p)、ジミー・ボンド(b) 等々、その世界では特に有名な面々が集っていたのですから、ガチガチのジャズファンにとっても気になる再発じゃないでしょうか?

告白すれば、サイケおやじは、これが一番に聴きたかった音源なんですよっ!

ちなみにフィル・スペクターが、何故にこんな録音を残し、世に出していたかについては諸説があって、一番有力なのは優れた楽曲の不足と安いギャラで録音に参加してくれる超一流メンバーに印税を稼がせるためだったとか!?

まあ、そのあたりの真相は定かではありませんが、車の中で聴き流すとかの利用法も今では許されるかもしれませんよ。

以上、決して入門向けとは言い難いボックスセットではありますが、フィル・スペクターを聴いてみようという決意をされた皆様には、避けて通れないブツだろうと思います。

気になる音質も冒頭に否定的な事を書きましたが、再生芸術のひとつとして楽しめば、これはこれで充分に価値があるわけですし、なによりも素敵な楽曲群の魅力は絶大! あっ、このリフやキメはっ!? という瞬間やアレンジの緻密さとリサイクルされた現在までの利用履歴の面白さは、聴く度にニンマリさせられるんじゃないでしょうか。

そして登場するグループや歌手のベスト盤に進む道もありますし、何れは絶対に欲しくなるオリジナルのアナログ盤シングルへのアブナイ旅立ちも、一概に罪作りとは言えないはずです。

それだけの魅力がフィル・スペクターの作り出した諸作にはある!

そう、本日は断言させていただきとうございますが、加えて、この種の音源の復刻の難しさも痛感させられている次第です。

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帰ってきました

2011-12-20 19:25:44 | Weblog

ということで、韓国内は今のところ平静です。

まあ、これは一般人レベルの話ですが。

ただし飛行場は警戒がキツイ感じでしたし、銀行とかも同じです。

おそらくは港湾も、さらに厳戒じゃないでしょうか?

しかしちょいと妙な表現ですが、現地で会った在日の人は焦っていましたですね。もちろん二つの祖国問題とか、韓国と北の分断が根底にあるからでしょう。

今後の推移は慎重にとらえていく必要があろうかと思いますが、一番怖いのは中国のバブルマネーが一気に北へ入っていくことでしょう。若い指導者が、それによって経済を立て直そうとするのなら、アメリカも韓国も黙ってはいられませんからねぇ。

当然ながら我が国だって、冷静を保てるはずもないのですが、少なくとも国民はマスコミや与党政府に踊らされないように気をつける必要はあるはずと思います。

一般庶民に罪はなく、日本も韓国も北朝鮮も中国も、上手くやっていければ良いのですが、そのためには大袈裟な努力の必要性を痛感した次第です。

 

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ある日突然、何が起こるか分からないのが世の中

2011-12-19 15:37:25 | Weblog

北の将軍様が急逝!?

どうか半島情勢に何事もありませんように願っています。

しかし、その所為もあって、急遽韓国へ出張となりました。

明日帰ります。

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バブルガムもサイケデリックだったのだっ!

2011-12-18 16:02:29 | Rock

■Green Tambourine / Lemon Pipers (Budda / 日本コロムビア)

1968年にアメリカのチャートではトップに輝くほど流行った、これまた「バブルガムロック」を代表するヒット曲のひとつではありますが、甘~いメロディを彩るシタールの響きに象徴されるとおり、その意図的に作られたであろう幻想的なサウンドは見事なサイケデリックロックとして侮れません。

つまり当初はお子様向けのヒットポップスであったはずが、仕上がってみれば永遠のロックアンセムに近いところにまで位置づけられた感があるんですねぇ~♪

まあ、そう思っているのはサイケおやじだけかもしれませんが、ご存じとおり、制作発売元がバブルガムの総本山とも言うべきブッダレコードですから、なかなか深~い味わいがヤバイほど!?

それは未だ過小評価されている職業的幻想詩人のシェリー・ピンズと職人的手腕に秀でた作編曲家のポール・レカがプロの中のプロというコンビネーションで作り上げた、言ってみれば完璧な造作芸術(?)を鑑賞する楽しさに溢れているわけです。

で、当然ながら発売名義グループのレモン・パイパーズはアイヴァン・ブラウン(vo)、ウィリアム・バートレット(g)、R.G.ネイヴ(key)、スティーヴ・ウォルムスレイ(b)、ウィリアム・アルバー(ds) という5人組が実在のバンドとして表立った活動を展開する一方、このデビュー曲「Green Tambourine」は一応はアイヴァン・ブラウンのボーカルを使っているものの、ストリングを多用したアレンジで作られた演奏パートの大部分はスタジオセッションミュージャンの手になるものという、業界の掟がしっかり守られているようです。

そして既に述べたとおり、見事にチャートトップの大成果を達成してみれば、これがブッダレコードにとっては初めての快挙として、同時期に「バブルガムロック」を担った1910フルーツガム・カンパニーオハイオ・エクスプレス等々と共にブームを牽引したのですから、大衆音楽史には確固たる足跡を……。

ただし、それが怖いんですよねぇ~。

本当はもっとサイケデリックロックの流れの中で楽しまれるべき名曲名演が、これだっ!

と、本日も独善的な断言をぶちかますしかありません。

実際、これほど良く出来たサイケデリックロックのポップス曲は、例えばビーチポーイズの「Good Vibrations」やビートルズの「Strawberry Fields Forever」あたりと続けて聴いたって違和感は薄いはずで、まあ、そこまでの重量感は無いにしても、決して劣るべき仕上がりではありません。

お疑いの皆様は、好きな表現ではありませんが、騙されたと思って聴いてみて下さいませ。

結果として「騙された」と憤慨されたとしても、それなりに素敵な音楽であることにはちがいないはずと、最後に居直らせていただくのが、本日のサイケおやじのとるべき態度であります。

そして如何にものジャケットデザインに免じて、どうか暴言ご容赦、お願い致します。

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宴の中の孤独感を歌う

2011-12-17 15:58:52 | 日本のロック

ダンシング・ロンリー・ナイト / ザ・ジャガーズ (フィリップス)

さて、昨日から、今は非常勤となっている雪国の仕事場に来ていますが、まさに偽り無しの雪景色!

風は強いし、雪も当然の顔で積っていますし、なによりも寒~~~いんですよねぇ。

自分ではそんな環境には慣れたつもりだったんですが、自然の摂理の凄さには脱帽する他はありませんし、せいぜい体調管理と諸々の事故に留意するのが精一杯でしょうか……。

それと昨夜は早速の宴会に顔を出したんですが、正直に言うと、ここ3~4年、そうした酒席が億劫です。

まあ、自分が酒に酔わない体質である事もいけませんが、少なからず周囲にそれ知られている所為で酔ったふりする演技もイヤミがありますし、客観的にその場を見てしまう自らの性質に自己嫌悪してしまうところが最悪!?

ですから勢い、そこはかとない孤立感を覚えてしまいますし、歌うカラオケは本日ご紹介のGSヒット曲「ダンシング・ロンリー・ナイト」を選んでしまう事を出来過ぎと思われたくはありません。

それを演じていたジャガーズはご存じ、GSブームの中では何かしら玄人っぽい雰囲気があったバンドで、まあ、そう感じていたのはサイケおやじだけかもしれませんが、虚構に彩られた映画の中でさえ、非常にリアリティが強い存在だったような印象です。

なにしろ実質的には2作目のシングル曲として大ヒットした「ダンシング・ロンリーロ・ナイト」が発売された昭和42(1967)年秋の世界的ロックサウンドの傾向をがっちり取り入れた作りは、冒頭から炸裂するジージージリジリのファズギターとヘッイッという掛け声のコントラスで、もう決まり!

しかも強いビートでクールな味わいが表出したAメロと湿っぽいサビの展開は、流石に鈴木邦彦が絶品の十八番であり、しかも作詞が和製洋楽ポップスの翻案作詞を長らく手掛けてきた漣健児であれば、数多あるGSヒットの中でも、その屹立した永劫性は否定出来るものではないでしょう。

 きのうの恋は 忘れて
 きのうのあの娘は 忘れて
 踊りつづけていたい
 夜なのさ

 月が砕け散っても
 星がもえて落ちても
 踊りつづけていたい
 夜なのさ

幾分捨て鉢な虚無的態度が痛烈なR&R魂で歌われた次の瞬間、ミエミエの泣きを含んだサビが出るんですよねぇ~♪

 胸にささった 恋のやいばが
 もえる想いを 狂わすのさ

 きのうの恋は 忘れて
 きのうのあの娘は 忘れて
 踊りつづけていたい
 夜なのさ

どうです、まさに玄人でなければ表現しえない世界だと思うのはサイケおやじだけでしょうか?

そして、そんな思いが未だ強くありますから、すっかり中年者特有の屈折した意地がある現在、これをカラオケで熱唱するジコチュウだって、結局は我儘な気分を周囲に理解して欲しい!

その一点に収斂していくというわけです。

ということで、いよいよ冬も本番となり、心身ともに寒さが身に滲みる今日この頃……。

宴会は楽しむという基本姿勢をなんとか維持するべく、またまた今夜も出かけてまいります。

いや、いろいろと理屈を垂れたって、結局は享楽を求めているのが正直な気持ちなんですよ。

失礼致しました。

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オージェイズとフィリーソウルの高揚感

2011-12-16 16:01:05 | Soul

裏切者のテーマ c/w Sunshine / O'Jay's (PIR / CBSソニー)

今では大衆音楽の古典的用語として普通に使われているであろう「フィリーソウル」あるいは「フィラデルフィアサウンド」という名称が我国で広まったのは、オージェイズが1972年にメガヒットさせた本日ご紹介の「裏切者のテーマ / Back Stabbers」によるところが大きいと思われます。

それは実際、当時のラジオ洋楽番組はもちろんの事、パチンコ屋とか居酒屋等々の有線からも流れまくったほどの人気があって、黒人音楽に特有の迫力と粘っこさが洗練されたサウンドに彩られた所謂フィール・ソー・グッドな感覚は、以降に例えばスリー・ディグリーズやハロルド・メルヴィン&ザ・ブルーノウツ、さらには白人ソウルコンビのホール&オーツが大ブレイクする呼び水となり、ひいては我国歌謡曲の世界でも存分に活用されたのは、今や歴史でしょう。

で、そのあたりを探求してみると、これが名前のとおりにアメリカはフィラデルフィアにあったカメオというマイナーレーベルで働いていた作詞家のケニー・ギャンブルとアレンジャーのレオン・ハフのふたりによって設立された新制作会社が源であって、そこに置かれたネプチューンやPIR=フィラデルフィア・インターナショナル・レコード等々のレーベルから発売される諸作こそが、1970年代に一世を風靡したフィリーソウルの根幹でありました。

ただしギャンブル&ハフの盟友コンビは他にも外仕事として同時期、例えばジェリー・バトラーやウィルソン・ピケット、またローラ・ニーロのレコーディングもプロデュースしていますし、それに伴って有能なスタッフの参集があったことは言うまでもないでしょう。

特に同じフィラデルフィアで既に実績のあったプロデューサー兼アレンジャーのトム・ベルは、デルフォニックスの「ララは愛の言葉 / La-La Means I Love You」やスタイリスティックスの「You Are EveryThing」等々の大ヒットへの貢献は有名ですし、それらが所謂フィリーソウルの雛型となった事実は侮れません。

ですから、この「裏切者のテーマ / Back Stabbers」を特に強い印象に焼きつける流麗なアレンジがトム・ベルの仕事だった事も説得力は充分! とにかくストリング&ホーンの使い方は、当時としては洗練の極みでありましたから、本来はちょいと無骨なオージェイズの持ち味と表裏一体のミスマッチ感覚が新鮮だったように思います。

ちなみに肝心のオージェイズはエディー・リヴォート、ウィリアム・ポーウェル、ウォルター・ウィリアムスの3人組ながら、決して新人グループでは無く、1950年代末頃から5人組で活動し、1960年代初頭にデトロイトの有名DJだったエディ・オージェイに認められてからは、正式にオージェイズと名乗った履歴があります。

そして1960年代中頃には、それなりのR&Bヒットも出していたようですが、所属していたインペリアルレコードに対する契約の縺れがあったようで、メンバーチェンジやグループの縮小が続いてのフェードアウトは業界の常というところでしょうか……。

しかし流石に実力派のオージェイズは、1971年秋頃から前述の3人組として復活し、ギャンブル&ハフの誘いでPIRから出した「裏切者のテーマ / Back Stabbers」が世界中で大ヒットした事で名実ともにフィリーソウルの代表選手になったのです。

さて、そこでフィリーソウルを印象づけるサウンドのポイントは、モータウンサウンドの継承発展形と言えば体裁は良いですが、率直に言えばパクリであって、特にギャンブル&ハフがPIR以前に運営していたネプチューンという前身レーベルで作られたオージェイズのレコードを聴いてみると、これがモロ!?

それが1969~1970年頃の実相だったわけですが、諸々があってオージェイズが一旦はギャンブル&ハフの傘下を離れ、再び舞い戻った1972年に作られた「裏切者のテーマ / Back Stabbers」が見事に独得の仕上がりになっていたのは時代の流れというべきなのでしょうか?

ご存じのとおり、それを作り出すのに大きな働きをしていたのが通称MFSB=Mother,Father,Sister,Brother という演奏集団で、そのメンバーにはノーマン・ハリス(g)、ローランド・チェンバー(g)、ロニー・ベイカー(b)、アール・ヤング(ds)、ヴィンセント・モンタナ(vib,per)、ラリー・ワシントン(per)、レニー・パキュラ(key) 等々の名手がメインで集っていたわけですが、他にもドン・レナルドが率いるストリングセクションや様々なセッションで幅広く活躍してたホーンセクションの面々も含め、白黒無差別の人種混成グループであったことが、結果的に良かったと思われます。

そういえば前述したホール&オーツも、件のMFSBにキーボードやギターで参加した事があったそうですよ。

そして束ねというか、作編曲家として参画していたのが前述のトム・ベル以外にもパニー・シクラー、デクスター・ワンセル、マクファーデン&ホワイトヘッド等々の有能な面々で、彼等が後にディスコミュージックやサルソウル、さらには白人AORの制作に関わって時代をリードした歴史も、また凄い結果!

ですから我国でもフィリーソウル~フィラデルフィアサウンドの信奉者はリアルタイムで数知れず、特に歌謡曲や歌謡ポップスの作編曲者には例えば筒美京平を筆頭に、その影響を悪びれずに表現していた現実は本当に嬉しくなるほどであり、それはについても追々に書いていく所存です。

ということで、華やかでもあり、シンミリとハートウォームな味わいも捨て難いフィリーソウルの魅力とは、分かり易さと用意周到さのバランス感覚の良さだと思います。

それは昨日も麻田ルミの項で書きましたが、ひとつの芸風を確立させ、広範囲の人気を得るための重要なポイントであって、結局はそうしたバランスを失ってしまった時には人気も落ちていく結末は、逆もまた真なり!?

今となってはフィリーソウルが懐メロ感覚でしかウケ無い現実もあるようですから、独断と偏見に拘るサイケおやじにしても決して強い事は言えないわけですが、それでも様々な混濁がたっぷりと存在していた1970年代には、これほどジャストミートしていた音楽もありませんでした。

つまり、どんな逆境でも明るい未来を信じる他は無かった当時、それが許されるような気分にしてくれたのが、独得の高揚感があったフィリーソウルの本質だったというわけです。

最後になりましたが、このシングル盤B面に収録の「Sunshine」は美しいハーモニーを活かしたスローバラードで、そのジワッと広がる甘美な魅力は所謂「甘茶」物の傑作ですし、本来がダンスナンバーの「裏切者のテーマ / Back Stabbers」の味わいと巧に混ぜ合わされたのが、次なる1973年の大ヒット「Love Train」へと繋がるのですから、併せてお楽しみ下さいませ。

本当に自然体でノセられてしまうのでした♪♪~♪。

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麻田ルミのバランス

2011-12-15 15:52:19 | 歌謡曲

展覧会の絵 / 麻田ルミ (東芝)

所謂アイドルって、親しみ易さと敷居の高さの並立するバランスが売れる為の絶対条件かもしれませんが、やはり手が届きそうで届かない領域にあってこそ、アイドルの存在価値は絶大であり、後々まで強い印象を残すんじゃないでしょうか。

例えば昭和40年代後半から根強い人気を保ち続けている麻田ルミは、あのテレビ版「おさな妻」の主役として一躍ブレイクし、歌手としても忘れ得ないひとりだと思います。

しかも今にして思えば、彼女は前述した昭和45(1970)年放送の「おさな妻(東京12ch)」から既に様々な芸能の基礎がしっかりしていて、当時は本当に15歳だったんですが、流石は西野バレエ団出身という履歴もダテでは無い実力派だったのです。

ちなみにそれはジュニア小説という名称ながら、富島健夫の原作は思春期少年少女向けに「性の問題」を大胆に扱ったものでしたから、当時はなかなか人気を集め、まずは関根恵子=高橋恵子を大スタアに押し上げた大映制作の劇場版が爆発的なヒットを記録し、その流れで同時にテレビ版が作られたというわけなんですが、当然ながらお茶の間での鑑賞という視点においては、原作や劇場版に顕著だったエロ描写は皆無に等しい内容でした。

物語は保育園でバイトする身寄りの無い女子高校生が、子持ちの中年男と結婚! そして健気に生きていくという展開で、つまりは学生妻というバリエーションが多彩に解釈されていくあたりは言うまでもないでしょう。

また、当然ながら関根恵子は映画版の主題歌も発売していますから、麻田ルミもテレビ版の主題歌を吹き込んでいますが、実は映画版公開もテレビ版放送開始も既に述べたように同時期の昭和45(1970)年秋であり、厳密に言えばテレビ版の方が若干早かったと記憶しています。

つまり関根恵子も麻田ルミも、リアルタイムでは分け隔ての無い注目度だったのですが、正直に差がついたのは、一重にエロティックな描写の有無でありました。

ただし麻田ルミは決して地味な女優ではなく、そのテレビ版は毎週1時間枠で翌年秋までの1年間の放送であった事実からしても、まちがいなく評価は高く、それゆえに続けて様々なテレビ作品に出演しています。

それと歌手としての麻田ルミもアイドル王道の楽曲を出し続け、本日ご紹介の「展覧会の絵」は昭和49(1974)年に発売されたマイナー調の哀愁歌謡曲で、それは作詞:林春生、作曲:筒美京平、そして編曲:高田弘という制作スタッフが揃っていますから、悪いわけがありません♪♪~♪

とにかく一度聴いたら、まさに今の時期にジャストミートするセンチメンタルな気分に酔ってしまうこと、請け合いですよ♪♪~♪

あぁ~~、この人の残した音源も集大成されるべきでしょうねぇ。

というのは、実は麻田ルミにはオールディズ調の歌謡ポップス「太陽だって夢をみる」という人気曲があって、サイケおやじは長らくシングル盤を探索しているのですが、未だに良い出会いがありませんから……。

ということで、歌手としての麻田ルミも素晴らしい魅力に溢れていますし、女優としての輝きも忘れられません。

そのバランス感覚の良さが自然体に秀逸だと思うんですよ!

皆様にも機会があれば、ぜひとも彼女の虜になっていただきたく、本日も思い入れ優先モードで書かせていただきました。

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ソニーとシェールの芸風に自嘲

2011-12-14 15:13:36 | Pops

Little Man / Sonny & Cher (Atoc / 日本ビクター)

1960年代中頃、妙に印象的な活躍をしたのが、ソニーとシェールでした。

と言うか、サイケおやじにとっては、この夫婦で歌われる楽曲よりも、洋楽雑誌のグラビアやテレビで時折に放送されるフィルム映像で見た、実にミョウチキリンなファッション感覚が今も忘れられないのですが、まあ、それはそれとして、ポップスの歴史の中では、なにかと今日までお騒がせ(?)な二人でしょう。

もちろん、それは後に知った事が大半であって、まずソニーと名乗るソニー・ボーノは1950年代後半からR&Rのソングライターとして、西海岸ではちょいと知られた存在であり、また、ドン・クリスティーの芸名で幾枚かのシングル盤を出していましたが、どちらかと言えば、当時から既に裏方としての仕事が多かったようです。

例えばソングライターとしては、黒人R&B歌手のラリー・ウィリアムズが1957年に放った会心の大ヒット「Short Fat Fannie」、さらにはサーチャーズやジャッキー・デシャノンでヒットした1964年の人気曲「ピンと針 / Needles And Pins」を書いた事は有名だと思います。

そして後者を共作したのが、これまた西海岸ポップスの裏方としては重要人物のジャック・ニッチェだったことから、どうやらこのあたりからフィル・スペクターとの繋がりも出来ていたようです。

ちなみに当時、そこでの仕事は宣伝や下足番だった等々、いろいろと言われていますが、録音の現場では打楽器やコーラスを担当していたというのが、今では定説です。

一方、シェールことシェリリン・サーカシアン・ラピエールはインディアン系の美女で、本来は女優志望だったようですが、1960年代初め頃からアルバイト的にハリウッド芸能界の様々なレコーディングセッションで歌っているうちにソニー・ポーノに見出され、1963年になるとフィル・スペクター子飼のロネッツでは、実際のスタジオ録音のコーラスパートで、その大半に参加しているとか!?

ですから、その流れの中でソニーとシェールが結婚し、一緒に歌い始めるのも自然の摂理のような気も致しますが、まずは最初に熱が入っていたのはソニー・ポーノであり、フィル・スペクターにシェールのデビュー曲を頼んで断られると、自らプロデュースに乗り出し、二人はデュエットとして最初の「Baby Don't Go」を作り出したというわけです。

こうしてめでたくソニーとシェールになった夫婦は、それまで培ってきた業界のコネを存分に活かしたのでしょう、アトランティックの某系レーベルだったアトコと契約し、本来はB面曲扱いだった「I Got You Babe」をレコード会社の意向に逆らう形でラジオ曲に売り込みをかけ、見事にチャートトップの大ヒットに乗せたのですから、そのミュージックビジネスの手腕は流石という他はありません。

既に述べたように、リアルタイムで盗られた宣材写真やフィルムに見られるような奇抜といって過言ではないファッション感覚、そして幾分の生臭さを滲ませる夫婦デュエットの味わいの濃さも、そのあたりの戦略だったように思います。

さて、そこで本日ご紹介のシングル曲「Little Man」はアメリカにおいては、1966年秋の大ヒットなんですが、今となっては何故かそれほど注目されていないのが現状でしょうか……。

個人的には日本じゃ、これが一番に流行った記憶なんですが、実は不思議なエキゾチック風味のメロディ展開が正統派ポップスのファン、あるいはオールディズマニアからは好まれないのかもしれません。

またジャケ写のムードが実に意味深というか、予定外の射精をしてしまったソニーを慰めるよりは幾分軽蔑したかのようなシェールという構図が透けて見えるようなデザインは、けっこうキテるんじゃないでしょうか?

告白すれば、サイケおやじはリアルタイムから、ソニーとシェールには生臭い感じを強く覚えていました。

ですからシェールが独立し、また自分達のテレビショウを持ったりする芸能界どっぷりの活動に進んでいく時でも、全然違和感がありませんでした。

いや、むしろエキセントリックな衣装を纏い、ツッコミ鋭い節回しを披露するシェールと既に中年太りが隠し切れていなかったソニーという佇まいは、なにか夫婦間の問題をリスナーに明かしているような……!?

その意味で後年、シェールがグレッグ・オールマンとの熱愛騒動で芸能界を席巻した事についても、軽く許容出来てしまうのですが、いかがなものでしょう。

ということで、ハリウッドポップスもヒッピー文化も夫婦生活さえも、徹底的に芸能界ノリに拡大解釈したが如きウリが、ソニーとシェールの大ブレイクした要因かもしれないと思います。

もちろん、その良し悪しは十人十色の感性でしょう。

しかし結果的に1960年代後半に一世を風靡し、1970年代からは別行動でそれぞれが当たりを取った実績は、ちょいと真似出来ない芸風として屹立しています。

最後になりましたが、そんなこんなを書き綴っても、少年時代のサイケおやじには夫婦間の空気とか現実なんてものは分かりようもなくて、きっと、だろうなぁ……。そんな漠然とした推量だけでソニーとシェールを見ていたのですから、ある意味ではバカがつくほど幸せだったというわけです。

思わず自嘲!

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バブルガムの進化に習え

2011-12-13 14:56:51 | Pops

The Train c/w 永遠の灯 / 1910 Fruitgum CO. (Buddah / 日本コロムビア)

そりゃ~、バブルガムロックだって進化していたのがリアルタイムの実相で、つまりは1960年代後半から1970年代前半までがロックの全盛期だった証明でしょう。

と、本日もサイケおやじの独断と偏見に辟易される皆様には申し訳ないんですが、例えば掲載した1910フルーツガム・カンパニーのシングル盤は、これが世に出た1969年初秋のロック界の動向を巧みにつかんだオルガンロックのバブルガム的展開として、実に見事に売れまくったのですから、侮れません。

特にA面の「トレイン / The Train」はアップテンポでイントロからモリモリに盛り上がるオルガンの響きが終始演奏をリードしていくという、なかなかR&Bフィーリングも豊かな仕上がりですし、熱いボーカル&コーラス、しぶといホーンセクションの導入が、これまたジャストミートのファンキーロック♪♪~♪

もちろん世界中で大ヒットしていますし、我国でも同年晩秋から翌年春にかけて、長らくラジオの洋楽番組では人気を集め、些か軽く扱われていた1910フルーツガム・カンパニーが息を吹き返した感もありましたですねぇ~♪

実はそうした流れも、この日本盤シングルのスリーヴ裏に掲載されている解説によれば、デビュー当時のオリジナルメンバーは全員が退団し、新たにパット・ソリアーノ、ドン・クリストファー、リッチー・ゴメス、ジミー・カサッツァ、ジェリー・ロス、ラルフ・コーエンの顔ぶれによる6人組として再スタート!?!?

なぁ~んて、もっともらしい記述があるんですが、既に皆様はご推察でしょうし、サイケおやじも度々述べているように、この1910フルーツガム・カンパニーも本質的には「実態の無いバンド」であり、ジェリー・カセネッツとジェフ・カッツという優れた2人のプロデューサーがセッションミュージシャンを動員して作り上げた企画商品なんですから、さもありなんでしょう。

ただし、1967年に出たデビューのメガヒット「Simon Says」以降は、きっちり巡業用のバンドが仕立て上げられていましたから、前述したオリジナルメンバー脱退の件も、故なき事ではないのでしょう。

というか、これもその解説に記載されていた事なんですが、ジェリー・カセネッツとジェフ・カッツの2人が黒幕のブッダ系バブルガムサウンドは、この頃から第二期に入ったとされるのであれば、それまでのライトタッチのギターサウンドからキーボードを前面に出した音作りにも説得力があります。

それはB面に収録された「永遠の灯 / Eternal Light」が、ちょいとプロコルハルムを想起させられてしまうオルガンインストになっている事にも顕著であって、欧州ゴスペル風のスローな展開から中盤でのラテンロックっぽい流れに入るところは、一概に「バブルガム」とは決めつけられない濃厚さが!?

う~ん、なかなかプログレしていると感じるのは、サイケおやじだけでしょうか。

ご存じのとおり、1910フルーツガム・カンパニーは今や伝説となった、例の1971年のピンク・フロイド来日公演の前座ステージがありますからねぇ~~♪

残念ながらサイケおやじは体験出来ませんでしたが、なにかそうした逸話にも違和感を覚えないのが正直な気持です。

ということで、やりは「バガルガム」と言えども進化の途上の勢いは、それがロック全盛期の中のひとつの要素であり、相対的に売れるレコードや楽曲が素晴らしいのは当然でありました。

もちろん、今だってロックは進化し続けているでしょうし、大衆音楽全般がそうであるように、常にリスナーの好みは変化し続けているのですから、温故知新も含めて、いっそ社会情勢全てがバブルガム志向になったとしたら、少しは生活も楽しくなるような気がしています。

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カフ・リンクス≒ロン・ダンテの宿業

2011-12-12 15:29:56 | Pops

Tracy / The Cuff Links (Decca / 日本ビクター)

さて、なんとか好評の「実態の無いバンド」特集(?)の一環として、本日はカフ・リンクスが1969年に出した「Tracy」をご紹介致しますが、もちろん楽しさ満点のバブルバムロックですから、欧米では忽ちの大ヒットになって、我国でも翌年にはラジオから流れまくったウキウキポップスの超名曲♪♪~♪

とにかくイントロのお気楽なコーラスパートから、一気に虜の楽しさですよっ!

そこで結論から言えば、掲載した日本盤シングルのジャケ写に登場している7人組がカフ・リンクスであり、メンバーはジョーイ・コード(vo)、デイヴ・ラヴェンダー(g)、リッチ・ディミノ(g,key)、アンディ・デンノ(b)、ダニー・ヴァレンタイン(ds)、ボブ・ギル(tp)、パット・リッツォ(sax) という顔ぶれなんですが、既に述べたとおり、この「Tracy」を実際に演じているのは彼等ではありません。

その正体は、「Tracy」を書いたソングライターコンビのポール・ヴァンスとリー・ポクリスがスタジオセンションミュージャンの助っ人を得て作り出したもので、リードボーカルはロン・ダンテ!

そうです、当時のヒットパレード界にあっては、「Sugar Sugar」の他にもヒット曲を連発した架空のバンドたるアーチーズのメインボーカリスト(!?)として活躍する等々、なかなかポップスど真ん中の業績を残した人気者なんですが、何故かそれなりに出していた自己名義のレコードは泣かず飛ばず……。

と書けば、なにかロン・ダンテには裏方に徹する宿業があったのかもしれず、有名なところでは、バニー・マニロウの影武者をやっていた事もあったとか!? つまり件のスタアのレコーディングではプロデュースや仮歌がロン・ダンテの仕事だったと言われています。

そして追々に調べてみると、ロン・ダンテは自己名義でLPは3枚ほど、またシングルも20枚以上出しながら、ひとつもヒットしていないんですから、これ如何に!? 少なくともサイケおやじが実際に聴いてみた幾枚かのレコードにしても、充分に売れる要素のあるものばかりなんですよっ!

あぁ、こういう歌手こそ、たとえマニア向けであろうとも、集大成的な音源集が出されるべきでしょうねぇ~。

本日は、そんな願いも込めて、これを綴ったというわけです。

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