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サイケおやじの生活と音楽

歌手・研ナオコファンの告白

2013-05-05 15:10:56 | 歌謡曲

第三の女 / 研ナオコ (東宝レコード)

最近はちょっとおとなしくなっているようですが、研ナオコを単なるバラエティタレントと思い込んでいる皆様にとっては、彼女の歌の上手さが驚異に感じるのではないでしょうか。

もちろんそんなこたぁ~、あらためてサイケおやじが述べるまでもなく、美人画の大巨匠から「不世出の美人」とお墨付きを頂けたという個性的なルックスも含めて、その印象の強烈さは公式デビュー時から既にありました。

ただしサイケおやじが研ナオコを初めて見たのはスパイダースの前座というか、某テレビ番組の公開放送録画の会場で、近々デビュー云々と紹介された時は当然ながら、本番スタート前の時間調整中の事でした。

しかも歌は披露してくれたか、それは覚えていませんが、ルックスのツッコミ鋭い存在感が痛烈なイメージで焼きつけられた事は確かなんですねぇ~。

それが昭和45(1970)年末頃の記憶であり、そして翌年春にレコードデビューを果たしてマスコミに登場した時には、あぁ~、あの人かぁ~~~!?

と瞬時に思い出したのですから、研ナオコはある意味で幸せなルックスの持ち主だと思うばかりですし、歌唱力も抜群だったんですから、凄い人が現れたなぁ~~、と素直に感銘を受けましたですよ。

ところが彼女が最初にブレイクしたのは結局、テレビバラエティ番組でのハチャメチャな存在感!? というよりも、ほとんどET化したようなルックスがあればこその強い印象は、何をやらかしても許される雰囲気が濃厚でしたから、例えば堺正章と坂上二郎がメインの「カックラキン大放送(日本テレビ)」は、その代表的なものとして、今も忘れられていないはずです。

また、そこでの好演が認められたのでしょうか、昭和49(1974)年には一応の主演映画「にっぽん美女物語(松竹・渡辺祐介監督)」、そして翌年には「同・女の中の女(同)」が制作公開されているのですが、これがまた局地的に傑作喜劇の称号を与えられているのですから、侮れません。

さて、そこで肝心の歌手活動なんですが、既に述べたとおり、レコードデビューは昭和46(1971)年だったんですが、残念ながらヒット曲を出すまでには些か時間が必要……。初めての大きなヒットは昭和50(1975)年秋に発売された「愚図」であり、以降は歌謡曲とニューミュージックを繋ぐが如き存在感とでも申しましょうか、持ち前の卓越した歌唱力で、中島みゆきが書いた「あばよ」や「かもめはかもめ」等々を個性的に表現してくれた事も、またご存じのとおりだと思います。

しかし同様に素晴らしいのが、それ以前に所属していた東宝レコード期に吹き込んだ諸作であり、おそらくは8~9枚ほどのシングル盤と2枚のアルバムを残しているところから、それらは中古屋巡りに勤しむ歌謡曲ファンの標的になり続けているんですねぇ~~♪

本日掲載の1枚は前述した「愚図」をヒットさせる、ほぼ1年半前の昭和49(1974)年初夏に発売の人気曲「第三の女」をA面に収録したものですが、なんと言ってもジャケ写のポートレイトが強烈でしょう~~♪

告白すれば、これはこれで、なかなか魅力的なルックスと思っているのがサイケおやじの本音であり、現代の人気グラビアアイドルである松本さゆき似と書いてしまっては、ここも炎上の危険にさらされそうですが……。

まあ、いいか、彼女のファンは誰も読んでいないと思いますので!?

そして楽曲そのものが作詞:阿久悠、作曲:森田公一、編曲:鈴木宏昌によるジャズっぽい歌謡曲の決定版なんですから、まさにグルゥ~ヴィ~~、としか言いようのない研ナオコのボーカルが良い味出しまくり♪♪~♪

もちろんバックの演奏は、4ビートが基調のハードバップを根底に潜ませたオーケストラアレンジでカッコ良く、自嘲と自棄の歌詞の世界をサスペンスタッチで歌う研ナオコとの相性が素晴らしいです。

う~ん、好きだなぁ~、こういうのはっ!

ということで、研ナオコもまた、レーベル横断のアンソロジーが編まれるべき歌手だと思っています。

まあ、残念ながら、ちょい前にテレビに出演していた彼女の歌声には衰えが感じられ、苦しかったのは画面の前のこちらも同じ気持……。

そういう諸行無常が研ナオコの歌には似合う気もしています。

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