■電光石火に銀の靴 / Shigeru Izumiya & Street Fightingmen (FOR LIFE)
ふざけたバンド名で出された泉谷しげる会心の名曲名演が、本日掲載のシングル盤A面曲「電光石火に銀の靴」で、もちろん皆様ご存じのとおり、これは昭和55(1980)年に公開された傑作映画「狂い咲きサンダーロード(石井聰亙監督)」の主題歌!
まあ、これをパンクなんていうジャンルで括るのは、それぞれの勝手かもしれませんが、サイケおやじは日本のロック、それもガチガチの真っ向勝負と断じます。
だってキメになっているギターリフから泉谷しげる本人のバラケタ疾走感たっぷりの節回し、その歌いっぷりの痛快さは空前にして絶後でしょう。
パンクという度量の狭さには収まりきれないパワーとエネルギーが止め処無く放出されている事は、一度でも聴けば、納得しての感無量ってもんですよねぇ~♪
そして当然ながら作詞作曲は泉谷しげる、という事は何をやっても許されるんじゃ~ないか? 等々の憶測を物ともしないキャッチーさが侮れません。
さて、そこで件の「狂い咲きサンダーロード」なんですが、驚くなかれ、石井聰亙監督が大学卒業製作の企画として撮ったと言われる、所謂自主制作映画でありながら、きっちり東映セントラルで配給されたわけですから、その面白さはプログラムピクチャーの本質を外していません。
もちろん内容は時代の流れから方針変更を余儀なくされた暴走族集団の中で、それに馴染まない、馴染もうとしない、反骨野郎の勝ち目の無い戦いを描いた、なかなかのバイオレンスとせつなさに満ちた物語という事で、そうした状況設定は、以前にも東映任侠映画や日活ニューアクション物等々でも、度々描かれていたわけですから、特段の目新しさはありません。
しかし演じられ、撮られたのは、破天荒なアクションとそれを上回る精神的な高揚感であり、一応は近未来を舞台にしていながら、質感は極めてアナログというところにサイケおやじはグッと惹きつけられましたですねぇ~♪
ちなみにサイケおやじはバイクは大好きですが、暴走族は大嫌いで、そういう団体には全く入った事は無いんですが、自惚れた勘違いと言われようとも、奴等の気持はそれなりに理解しているつもりです。
ただし、だからといって、それ以外の皆様に「狂い咲きサンダーロード」が面白くないというわけでは、決してありません。
アクションシーンではバトルスーツを着用した登場人物がバズーカ砲を爆裂させたり、バイクでの集団狂走から人間同士の魂の鬩ぎ合いという、つまりは熱い気持の滾りが、たまらないという映画なんですよっ!
そうした作品ですから、泉谷しげるの歌と演奏が何の違和感も無いのは当然というのが、実は大きな誤りかもしれません。
むしろフィルム本篇もサントラ劇伴も、互いに嬉々として「やっちまった」感があるように思うんですが、いかがなものでしょうか。
そして一番素敵なのは、これまで述べてきたサイケおやじの戯言なんか、ど~でもいいほどの強烈なインパクトが、泉谷しげるの演じる主題歌「電光石火に銀の靴」と映画本篇「狂い咲きサンダーロード」には、在るという事!
ですからサイケおやじは仕事や私生活のあれこれでモヤモヤした時、とりあえず「電光石火に銀の靴」を聴いて、前向きに気持を切り替える事が度々です。
うむ、エレキの泉谷も、なかなか根性が据わっています。
コメント、ありがとうございます。
キラーズは初期、ピンキーのバックで演奏をやっていたんですが、なかなか重いビートを出していましたよ。
こういうスピード感に満ちた演奏をやらせても、ヘヴィなフィーリングを出せるんじゃ~ないでしょうか。
尤もコーラスには冷や汗が……(苦笑)。
泉谷は「戦争の犬たち」で使われていた曲も良かったですね。
「サンダーロード」で使用されていた曲ではPANTA&HALの「ルイーズ」「つれなのふりや」が印象深いです。
コメント、ありがとうございます。
今では石井聰亙監督の影響が世界中に広まっている気さえするほどです。
古いものを否定し、ぶっ壊すものがロックやパンクだとしたら、例えば「狂い咲き」や「爆裂都市」等々では、時代の変化にアクセス出来ない、むしろ古い奴らが描かれているところに、個人的な共感を覚えるのかもしれません。
PANTAについては、様々にありすぎまして、拙ブログでは、ど~しても触れられませんので、どうかご容赦を……。
そんなこんなも、結局はサイケおやじの心の狭さであります(自嘲)。
チャ―リ―ムスタング名義でチャ―が参加しているのが
ミソです!
日比谷野音で実現したお二方のライブ!
見に行けなかったのが悔やまれます!
コメント、ありがとうございます。
実はご存じのとおり、チャーは歌謡フォークのバックをどっさりやっていますからねぇ~。
本人がどのように思っているかは知る由がなくとも、瑠あるタイムのリスナーは、実状を知っているわけです。
それは大切にしたいものです。