OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

どっかぁ~んと当てれば、後はOK!

2017-10-21 19:23:44 | Rock
My Sharona / The Knack (Capitol / 東芝)

1970年代半ばからの流行のひとつに、所謂「ビートルズの再来」という売り文句があった事は笑い話では無く、実際にそ~やってプロモートされたバンドの中で、一番に力が入れられていたのが本日掲載のシングル盤A面曲「My Sharona」を1979年に大ヒットさせた極みの一発屋たるナックでありました。

なんたって、このデビュー曲「My Sharona」が全米ヒットチャートでは5週連続1位という偉業が我が国に伝えられた時、既に「ビートルズの再来」と決めつけた宣伝が大々的にあって、しかも現実的に「My Sharona」という楽曲を聴く以前にナックと名乗る4人組がヘアスタイルやファッション等々からも、なかなか初期ビートルズっぽいムードを滲ませたビジュアルが先行して報道されていたのですから、それは空騒ぎなのかっ!?

なぁ~んていう猜疑心に苛まれた洋楽ファンが多かったはずと推察するサイケおやじも、そのひとりでありました。

そしていよいよ初めて「My Sharona」を聴けた時には、ほとんどメロディらしきものが感じられない歌でありながら、一番に耳に残るのが前向き(?)にドライヴするベースとギザギサしたリズムギターやドラムスの存在、さらにザ・フー系の吃音シンギング!?

このあたりはサイケおやじが苦手とするパンク~ニューウェイヴの臭いが強いんですが、それでも聴いていられるのは前述したベースラインの気持良さだったように思います。

ちなみにナックはイギリスじゃ~なく、アメリカはロサンゼルスあたりの出身で、メンバーはダグ・ファイガー(vo,g)、バートン・アヴェール(vo,g)、プレスコット・ナイルズ(b)、ブルース・ゲイリー(ds) というのが、このデビュー期の顔ぶれで、それがど~ゆ~経緯からか、この「My Sharona」を含む最初のアルバムのプロデュースをスージー・クアトロ等々のブリティッシュハード&グラムロックで当たりを飛ばしたマイク・チャップマンが担当したというのが、成功に至った大きな要素なのでしょう。

もちろんサイケおやじは、ナックがデビュー以前にどんなスタイルのバンドだったかは知る由もありませんが、それが初期ビートルズの路線に沿ったものだったとしても、「My Sharona」という楽曲はほとんどビートルズっぽくはありませんし、似ているのはバンドのルックスや雰囲気だけですから、「ビートルズ」という偉大なる冠に拘ってナックを聴けば、完全な肩すかしは必至!

そして結果的にナックが究極の一発屋として音楽史に名を刻するのも、そんな虚偽申告(?)が何時しか本物になったという瓢箪から駒なんでしょうかねぇ~~~。

ということで、そんなこんなを書き連ねても、現実世界では例え一発でもでっかいのを放つのは至難!
 
空振りしての河童の屁ってなもんなら、まあ、なんとかなるんじゃ~ないかと思わせられるのも、こ~ゆ~突発的なヒット曲の役割と思うばかりです。
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代役 (名無しの権平)
2017-10-24 17:57:13
来日公園の途中でドラムのメル・テイラーが不調を訴え、翌日に帰国。それからわずか10日後にロスの病院で死去。けい享年62歳。メルの死後「ツアーをキャンセルしてはメルの遺志背く」と代役に元・ブルージーンズの竹田尚司氏を迎えツアーを続行、9月からは元・ナックのブルース・ゲイリー氏を竹田氏の後任に企てた。
今後、メルの息子リオン・テイラーがメンバーに加わりバンド活動を続けるという新聞記事を読み、グループの存続を確認したが、彼らの日本での生き様をこの目に焼き付けておこうと、9月16日の東京・中野サンプラザ、9月21日の京都会館に行くことにした。
中野の公演には日本のミュージシャンの飛び入り参加、リオンの顔見世演奏もあるという記事が新聞に出ていたので楽しみにしていた。予告通りDr・kこと徳武弘文氏、「サーフ・オン・ギター’96」のレコーディングに携わった白井良明氏、シンガー・ソング・ライターの村下孝蔵氏が参加大いに盛り上がったコンサートだった。
第一部のW-D-R’64」が終わり、ブルース・ゲイリーが、「私は、元・ナックのブルース・ゲイリーです。メルは世界で一番のドラマーです。彼に近つ゛けるようにがんばります。」と挨拶
第二部では「朝日のあたる家」が終わった後にメルの奥さん、フィオラ・テイラーさんが登場、メモを手に笑を浮かべながら「どうか悲しまないで下さい。彼は音楽で人を楽しませるのが大好きで、死ぬ数日前までそれが出来て幸せだったと思います。
彼のスピリッツは永遠になくならないでしょう…。私は1972年にメルと大阪で知り合い、それ以後、彼も私も心の故郷として日本を愛しました。初めて会った場所からそう遠くない京都で最後のコンサートをしたのも何かの縁でしょう。
彼はきっとこういうでしょうね、「日本の皆さん素晴らしいです!」
フィオナさんが日本語で話し終えると会場から大きな拍手が起こった。その後すぐにリオンが登場。着ている衣装は親父のものか!?新たに用意したドラム・セットが登場、リオン自身少々緊張している様子である
「ダイヤモンド・ヘッド~パイプライン」「ワイプアウト」「サーフ・オン・ギター’96」を亡き父に代わり演奏。リオンの加入についてある新聞はメルが亡くなる一時間前、病室にリオンを呼びこう話したという。
「ベンチャーズのドラムの後任はお前に頼む。」この一言がベンチャーズ入りを決意させたそうだ。父の死後、バンドの演奏を聞くために来日したリオン。ロスで仕事をしながらアマチュア・バンドでドラムを叩いていたそうで、父のドラムをずっと聞いて育ってきた。
「メルは失ったが、僕らのサウンドは変わらない。ベンチャーズは永遠だ。」とドン・ボブは話しているという。Vフリークの私にはグループの存続にはうれしい限りだが、他のメンバーも高齢である。活躍できても精々あと2~3年か?日本での彼らの活躍を残す意味でもライブビデオ、いやCDでもいい。東芝EMIさんさん、録音して発売してください。

ある記事より

1996年愛知公演終了後「メル・テイラーさん」は体調不良を訴え8月2日帰国、8月11日死去(肺がん)
ドラマーは肺に負担をかえるんでしょうね…いやー何とも
ブルー・ゲイリーはメルに雰囲気がにてますね。

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