■みんな仲間だ / 山本真記子 (日本コロムビア)
マスコミのニュース報道は昔っから権力者を批判する事で成り立っている実態は言わずもがな、さらに自分達だけが「正義」という看板を振り回すという愚行で笑いを作り出しているあたりの節操の無さは、他人の不幸で飯を食う、その喰い方を知らぬ者の自意識過剰がなければ、とてもとても恥ずかしくて、それは生き恥そのものでしょう。
特に最近の旧統一教会に関する諸々は、自民党のセンセー連中が如何に関わっているかという部分を誇らしげに報道していますが、サイケおやじからすれば、全く何の意味合いがあるのか、わからないんですよ。
何か彼らが犯罪行為と結びついているかの様な報道になっていながら、具体例は全く示されず、教団主催の会合に出席していたとか、選挙のボランティアを頼んでいたとか、それが何の問題になるのかさえ説明せずに悪者扱いされる代議士諸氏にしても、言い訳する必要性を感じていない言動ばかりですから、ますますマスコミ報道の意図は明白!
つまり、平たく言えば、イジメの対象に今回は旧統一教会を選んだに過ぎないんでしょう。
そりゃ~確かに、異教徒の行動には馴染めないものがあるのは確かですが、所謂イワシの頭も信心から!?
ってやつじゃ~ないでしょうかねぇ~~ (^^;
あえて仲間意識を持つ必要もありませんが、それだから攻撃排除せんとする姿勢は、世情を不穏混沌させ、マスコミの存在意義を誇示せんばかりの策謀でありましょう。
尤も、ネットが普通になっている現代においては、テレビなんか真面に眺めている人々は減少傾向にあるでしょうし、新聞は常に赤字を垂れ流しつつも、それを廃止出来ないというジレンマに陥っているんですから、公に他者をイジメでもしないと、やっていられないのはわかりますけどねぇ……。
とうとう、生稲晃子センセーが生贄になりそうなんで、ワクワクしている人だって!?
さて、そんなこんなの思惑を他所に、やはり人間は何かしらの繋がりを持った社会を構築したいという希望は、何時の時代も不変だと思いますよ。
それは昭和40年代、所謂昭和元禄期においても、きっちり根底にあった願いであり、だからこそ本日掲載のシングル盤A面曲「みんな仲間だ」なぁ~んていう、何時の時代も些か気恥ずかしくなる様な歌が堂々と作られていたじゃ~ないでしょうか。
発売されたのは昭和43(1968)年8月とされていますから、既に述べたとおり、必要以上とも思える仲間意識が綴られた作詞は鼻野律子、そこに補作詞として古野哲哉というクレジットが確認されますが、もちろんサウンドはエレキ&GSスタイルで青春歌謡丸出しのメディが歌われるという、これは作曲:山本丈晴&編曲:川口真のイイ仕事 (^^♪
ですから、山本真記子の歌いっぷりも元気溌剌、明るさモードが全開という節回しであり、合いの手の男性ボーカルやバックコーラスはスクール・メイツとされているのも、納得して聴き惚れるばかりですよ (^^♪
ちなみに山本真記子については、何も知るところはありませんが、スクール・メイツと共演しているところからして、おそらくは同グループ出身だったのかもしれません。
いゃ~、少しばかり甲高い彼女の声質は、こ~ゆ~楽曲にはジャストミートしていると思いますし、歌謡曲というよりは、所謂みんなの歌っぽい仕上がりではありますが、これが退廃と爛熟で世相が熱かった昭和43(1968)年に作られていたという、その事実に共感してこそ、幸せが見えてくる様な気がしております (^^;
ということで、信じる者は救われる!?
という故事(?)に倣えば、矢鱈に他者を生贄して憂さを晴らすが如き言動・行動はバカの上塗りでありましょう。
もちろん、それに気がついていながら、やってしまうのも、信心ってやつなんでしょうけどねぇ……。
いやはやなんとも、世知辛いと思うばかりです (^^;