■嘘つきな子 / 高沢順子 (CBSソニー)
今日は「エイプリル・フール」だという事に気がついてみると、なんとなく以前ほどの騒がしさというか、挙ってマスコミが騒ぎ立てていたムードが最近は失せてしまったと思うんですが、いかがなものでしょう。
で、その原因を考えてみると、やっぱりテレビや新聞、週刊誌等々で「嘘」が「普通」に流されているからじゃ~なかろうか……?
もちろん、そんなマスコミにしても、決して面白半分じゃ~なくて、真剣にやってはいると思うんですが、ネットが普及した現代においては、ど~やってもスピードと迫真性に劣る部分が否めないもんですから、意図的な「フェイク」や所謂「大本営発表」なんてものが通用するはずもなく、「嘘」=「曖昧な情報」という詭弁を成立させる箏によってのみ、放送・活字の媒体が存在感を示すのに躍起というのが、いやはやなんとも……。
例えば、連日報道されているウクライナの戦況や現地の状況にしても、ロシア軍が苦戦云々は、全く疑わしく、現実的には意図的に手抜き(?)攻撃をやっているところが確かにあると思われ、それは1分1秒でも戦争を長引かせて軍産共同体を儲けさせようとする魂胆がミエミエなれど、それを直截的に報道できない、何らかの力関係があるという推察は易いでしょう。
また、ロシアに対する経済制裁等々についても、それじゃ~、中国が買うから、必要ならば中国経由で購入する道があり、もちろん中国に利ザヤが入るという仕組みは言わずもがな、結局はロシアも中国も、アメリカでさえも、最初っから計画しての戦争行為なんですから、全くウクライナ国民は救われないわけで……。
また、停戦が実現した後には、テロ行為の連鎖が予想されますから、そこで使用される武器弾薬は高性能で価格の安い、北朝鮮で作られたスーパーコピーが主流になる勝率が高いのですから、アメリカが次に狙う生贄は、おそらく……、そこになるでしょう……。
そりゃ~、確かに全てを詳らかにする事は、決して良い結果に繋がるとは思いませんが、「嘘」にだって「純粋」なものがあって、許されんじゃからでしょうか?
そんなふうに思うサイケおやじが、そこで本日ご紹介させていただのは、高沢順子が昭和49(1974)年に出した掲載のシングル盤A面曲「噓つきな子」というのは、ベタ過ぎるでしょうか。
しかし、ヒネクレタ純情を綴った千家和也の歌詞、やるせない寂しさを意識させられる馬飼野俊一の作編曲は、オンタイムで流行っていた歌謡フォーク調なんですから、全く時代の空気感をダイレクトに表現していると思いますし、高沢順子の反主流的な声質と節回しが、それを歌って放出する悄然として芯の強い女心の難しさ(?)は、不肖サイケおやじの如き野暮天には立ち入るスキさえ無いと思わせられるほどに、胸キュンなんですねぇ~♪
本音が言えずに嘘で繕う、そんな積み重ねだって、人生に変わりはないんだとしたら、せめて「嘘」にもイノセントな何かを求めてしまいたいわけですよ……。
あぁ……、気分はロンリーな歌謡フォークの存在価値って、こ~ゆ~ところにもあるんじゃ~ないでしょうか?
ということで、世の中の諸事全般、何を信じるかの取捨選択は個人の自由であるわけですから、結局は所謂「気の持ちよう」なのかもしません。
何かと先が見通せない時ではありますが、新年度への意気込みだけでも、しつかりと持っていたいと思うばかりです。