■ちいさな恋 / 五十嵐じゅん (ユニオン)
世の中の仕組みの「好き嫌い」で成り立っている!?
最近、そんなふうに思うことしきりのサイケおやじではありますが、そこには男女間で決して歩み寄れない距離がある事も、否定出来ません。
例えば昭和146(1971)年に本日掲載のシングル盤で歌手としても人気を集めた五十嵐じゅんは、キュートな清純派という、些か矛盾気味の存在感で大ブレイクしたんですが、それはあくまでも野郎どもが好きなタイプであって、サイケおやじの妹なんか、リアルタイムから徹頭徹尾嫌っていた芸能人のひとりでした。
もちろん妹は彼女とは個人的な面識があろうはずもないんですが、テレビや雑誌なんかで接するだけで、もうボロクソに貶すんですから、五十嵐じゅんがそれなりに好きだった兄の面目なんか、ありゃ~しませんでしたよ。
そりゃ~、確かに五十嵐じゅんは五十嵐純子として、例えば東映スケバン映画「ずべ公番長・夢は夜ひらく」で悪いクスリに溺れているアーパー娘とか、初期は所謂ケバイ役が十八番でしたし、テレビでもゴーゴーガールやCMの脇役で男に媚を売っていた印象が強かったのですから、妹に限らず、女性には嫌われるタイプだった事は想像に易いわけですが……。
しかし、繰り返しますが、当時の五十嵐じゅんの人気は相当に高く、ここでA面に収録された「ちいさな初恋」で楽しめる絶妙のぶりっ子フィーリングは永遠に失せることのない魅力が全開♪♪~♪
あぁ~、これはなんと申しましょうか、今にして分析すれば、ある種の倒錯性が良かったんでしょうねぇ~♪
なにしろジャケ写のイメージからして、超ミニスカでぬいぐるみを抱いた彼女の仕草、面立ちの徹底した媚び売り姿勢は、まさに当時のアイドル王道路線の極北かもしれませよっ!
それほど当時は「アイドルという商品」に一方的な「嗜好」を強要していたわけでして、ちょいと事例は異なりますが、同時期にデビューした天地真理やキャンディーズには強引(?)とも思える処女宣言をさせていた事を忘れてはなりません。
ということで、しかし以降の五十嵐じゅんは五十嵐淳子と改名し、本格的な女優としての活動も要注意! 時にはヌードも披露していましたし、グラビアアイドルとしての存在価値も絶大♪♪~♪
ですから、昭和52(1977)年に中村雅俊と結婚した時も、実は先に子供を妊娠していたという騒動を妙に納得出来たのは、サイケおやじだけでしょうか? もちろんその後の二人が様々な問題に巻き込まれようとも、離婚することもなく、今日に至っているのは、彼女の人間性と堅実性があればこそでしょう。
つまり家族を含めた周囲が自分に何を求めているのか、常に考えてきたんだと思います。
最後になりましたが、この「ちいさな初恋」は作詞:林春生、作曲:鈴木邦彦のプロの手腕が存分に発揮された、これぞっ! 典型的なアイドル歌謡曲です。
当然ながら、サイケおやじは彼女のあれこれを思い出しつつ、今もこの歌を聴くと胸キュンが高まるのでした。