OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

尾崎紀世彦に出会えた幸せ

2012-06-02 15:24:00 | 歌謡曲

また逢う日まで / 尾崎紀世彦 (フィリップス)

ニッポンのボーカリストと呼ぶに相応しい尾崎紀世彦の訃報に接しました。

享年69歳……。

思えば本年春先、マスコミが騒いだ疑似失踪事件も、なにか突然の悲報に繋がる本人の病状を知り得た中での関係者による、ある意味での気遣いだったようにも思います。

ご存じのとおり、故人は卓越した歌唱力があったがゆえに純粋な歌謡曲には馴染みにくい個性があったのかもしれませんが、逆に言えば本日掲載のシングル曲「また逢う日まで」を歌えたのは絶対的な幸せであったにちがいありません。

なにしろ昭和46(1971)年の我国歌謡界は、その名曲と尾崎紀世彦のためにあったと言えるほどで、当然ながらレコード大賞や歌謡大賞といったビッグタイトルは全て獲得! しかも当時、洋楽の世界で大人気だったイギリスのトム・ジョーンズという豪快派ボーカリストに負けない、和製トム・ジョーンズとまで称賛された実力を満天下に知らしめたのですから、平成の世にあっても常に懐メロ番組の常連という以上の存在感は圧倒的でした。

それと「また逢う日まで」の大ヒットによって、作曲家としての筒美京平が一般に知られるようになった事も特筆すべきだと思います。

実は今日では既定の事実になっていますが、「また逢う日まで」のオリジナルメロディはCMソング用に書かれたものであり、それが転用されて、まずはGSのズー・ニー・ヴーが「ひとりの悲しみ」という曲タイトルと別歌詞で昭和45(1970)年に出していたのですが、結果的にヒットしていません。

ちなみに「ひとりの悲しみ」も「また逢う日まで」も、作詞は同じ阿久悠が担当したものですし、曲アレンジも基本は一緒!?

しかしズー・ニー・ヴーのバージョンはバンドによる演奏がメインであり、オルガンやファズギターを前に出した使い方は、失礼ながら些かの時代遅れ感が無きにしもあらずと思います。

その点、「また逢う日まで」は全面的にオーケストラが導入され、リズム隊では派手にドライヴするエレキベースが最高にグルーヴィですし、何よりもダイナミックな尾崎紀世彦の歌唱と一体になって盛り上がる演奏は永遠に不滅でしょう。

もちろんズー・ニー・ヴーでリードを歌っていた町田義人だって、それは凄いボーカリストである事は否定しませんが、その時代へのジャストミートした味わいというポイントにおいて、尾崎紀世彦に軍配が上がったという事です。

それは町田義人がズー・ニー・ヴーでは昭和44(1969)年に「白いサンゴ礁」のヒットを出し、グループを脱退してからは夥しい本数のCM曲を歌いまくり、さらにはテレビや映画のサントラ音源での主題歌を多数ヒットさせている実績を残した事でも証明されるとおりの実力派だった真実があるのですから!

まあ、このあたりの運命の分かれ道(?)は、もしかしたら運否天賦というやつかもしれず、その意味で尾崎紀世彦が「また逢う日まで」を凌駕するヒットを出せなかった事にも、それは共通するんじゃないでしょうか。

ということで、歌手としての尾崎紀世彦の仕事としては、ソロ活動以前に昭和42(1967)年頃からのワンダーズというコーラスグループでの存在が確認されているのですが、中でも特に知られているのがテレビ番組の主題歌を多数レコーディングしている事でしょう。

それはサイケおやじの世代にとって、例えば特撮時代劇の「妖術武芸帳」であり、エコーズという変名プロジェクトにおける「ウルトラセブン」は、完全に五臓六腑の隅々にまで染み込んでいるはずです。

また故人の生き様は相当に自由奔放だったそうで、実はサイケおやじは、ずぅ~~と前に某バイクショップでパーツを選んでいる姿を見かけたこともあるとおり、趣味も多彩だったんでしょうねぇ。

人の一生は他人がとやかく言えるものでは決してありませんが、尾崎紀世彦は永遠の名曲「また逢う日まで」を歌う事によって、様々な幸せをリスナーに与えてくれました。

そしておそらく、それは本人の幸せでもあったにちがいありません。

いゃ~~、今日は朝から何度も掲載シングル盤に針を落しておりますが、その都度湧き上がる高揚感と幸せな気分は、故人が残してくれた大切な宝物♪♪~♪

ありがとう、尾崎紀世彦! また逢う日まで!

感謝をこめて、合掌です。

 

コメント (4)
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