OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

モップスのデビューの衝撃

2010-11-22 13:55:19 | 日本のロック

■朝まで待てない c/w ブラインド・バード / ザ・モッブス (ビクター)

GS期にデビューしたバンドの中でも、特にサイケデリック・サウンドをウリにしていたのがモップスでした。

しかし、今となっては、路線そのものが当時の流行を逸早く取り入れんとした所属事務所のホリプロが押し付けたものだったと言われているほど、モップスが本来の持ち味からは浮き上がったものでした。

ただ、バンド側がそれを受け入れ、所謂ヒッピームーブメントに影響された衣装や企画を自分達の歌や演奏に活かす努力(?)をしたのは、流石のプロ根性だと思います。

と、最初っから生意気な独り善がりの分析を書いてしまったのは、少年時代のサイケおやじがデビュー前のモップスのライプに運良く接していたからで、そこではアニマルズやビートルズ経由でのリトル・リチャードのカパー、あるいはR&B系のインスト曲をやっていたのですから、相当に正統派のブリティッシュ系ロックバンドだったと思います。

それは昭和42(1967)年の春休み中の事で、当時は既にGSが真っ盛りだった我国芸能界において、こういうバンドはセミプロも含めて、雨後の筍状態でしたから、毎週の土日に行われる各種イベントには欠かせないアトラクションでありました。

ちなみに当時のモップスは、未だモップスと名乗っていなかったと記憶していますが、既に鈴木ヒロミツ(vo)、星勝(g,vo)、三幸太郎(g,b)、村上薫(b)、スズキ幹治(ds) というレギュラーは揃っていたと思います。

で、その5人組が本日ご紹介のシングル盤を発売し、モップスとして正式にデビューしたのが同年11月だったんですが、ジャケットでもご覧になれるとおり、まずメンバーの衣装はバラバラというのが、揃いのユニフォームを着用するのが普通だった当時のGSグループとは違っていました。

またルックスも風変わりというか、下手すりゃコミックバンドと思い込まれない危険性が逆に大きなインパクト!?!

そして歌って演奏するのが、かなりヘヴィな歌謡ロックのサイケデリック的な展開で、特にボーカルは確かに曲メロを歌っているんでしょうが、その頃の常識からは叫びとしか感じられない部分もあって、実はサイケおやじはレコードバージョンよりも先にテレビでこのシングル盤A面収録の「朝まで待てない」に接し、仰天させられましたですねぇ~。

と、同時に歌っている鈴木ヒロミツの、失礼ながらGSスタアには到底見えないルックスも印象深く、それゆえにモップスが前述した春休み中のイベントで接したライプのバンドだと気がついたのです。

つまり直截的に言ってしまえば、モップスは鈴木ヒロミツという稀代のロックボーカリストの存在ゆえに、強烈な印象を今に残しているんじゃないでしょうか。

さて、肝心のデビューシングル盤は、まず両面とも作曲:鈴木邦彦、作詞:阿久悠という職業作家の手によるものですが、モップスの演奏そのものはディストーションの効いたエレキギターとヘヴィなビートが、当時としては珍しいほど全面に出た仕上がりになっています。

特にA面の「朝まで待てない」は、既に述べたようにテレビで接した叫びと混濁の歌と演奏よりは、かなり纏まった雰囲気はあるものの、やはりサイケデリックロックを研究したと思われる村井邦彦の書いた曲メロにはキャッチーなキメがあり、モップスが弾き出すビートは重くて生硬なのが結果オーライでしょうか。それゆえに歪んだギターが目立ちまくり、同時にボーカル&コーラスが尚更に高い熱気を放っているようです。

また、B面の「ブラインド・バード」は今日、和製ガレージサイケの最右翼とされるオドロのヘヴィロックとして海外でも評価される演奏なんですが、正直に言えばサイケおやじにとって、リアルタイムでは全然、面白くないお経のように感じられましたですねぇ……。ただし、ここでもへヴぃなロックビートとエグイ歌いっぷり、さらに歪みまくったギターは圧倒的だと思います。

ご存じのように、この歌は歌詞の問題から現在は封印されていますが、機会があれば、一度は聴いて納得しておく必要があるのでしょう。そうする事により、欧米では我国以上に評価され、人気が高いというモップスの秘密に迫れるのかもしれません。

しかしモップスが日本で人気を集めたのは、ビクターから東芝へと移籍した以降の事でしょう。その頃には確か、村上薫が抜けた4人組になっていたのですが、サイケデリック路線を踏まえつつ、さらに黒っぽい方向へと、バンド本来の持ち味を活かした個性が発揮され、後年のブルースロックヒーロー主題歌「月光仮面」や刹那的快楽ロックの極みとも言うべき「御意見無用」等々のヒットから、あえて歌謡フォークにチャレンジした「たどりついたらいつも雨ふり」のメガヒットを放つのは、ご存じのとおりです。

その意味で、デビュー当時の意図的なサイケデリック路線は、最初っからの回り道だったという解釈も可能でしょうが、しかしデビュー登場時の衝撃度があればこそ、モップスがモップスとして芸能界で生き残れたのは確かだと思いますし、実際、GSブームがとっくに去っていた昭和46(1971)年頃から、前述したヒット曲を堂々と放ち、本格的な日本のロックバンドとして営業を成り立たせていたのは、驚異的でした。

ということで、鈴木ヒロミツのキャラクターやバンドの方向性ゆえに、モップスは局地的に熱烈なファンが多く、また一方では軽く見られていたわけですが、やはりサイケおやじとしては無視出来ない存在として、レコードもかなり集めています。

もちろんボーカリストとしての鈴木ヒロミツは、本人が途中からマルチタレントや俳優としての芸能界どっぷりに専心した所為もあって、決定的な歌手としてのソロ活動をやってくれなかった事が、多くのファンに悔しい思いをさせてしまったんじゃないでしょうか……。

既に故人となった、この素晴らしいボーカリストに対し不遜ではありますが、やはりそうした気持を捨てきれないのが、サイケおやじの本音です。

コメント (2)
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