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OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

ミッチー対テリー! スカッとするぜっ!

2017-07-23 17:27:03 | 日本のロック
津軽じょんがら節 c/w 黒い瞳 / 三橋美智也&寺内タケシとバニーズ (キングレコード)

大物スタアの夢の競演は、どのようなジャンルでもファンにとっては絶対嬉しいはずで、例え周囲に何と言われようとも、素直に受け入れなければバチアタリだと思うのがサイケおやじの立場ですから、昭和42(1967)年末に発売された本日掲載のシングル盤は、まさにそれっ!

なにしろ、今も人気の津軽三味線を一般に広めた大功労者にして、もちろん津軽三味線の名手たる歌謡界の大スタア! その三橋美智也とエレキギターの世界的名手として知らぬ者もない寺内タケシが、なんとっ!

津軽三味線の所謂曲弾きとして最も有名な「津軽じょんがら節」で競演するというのですから、たまりませんっ!

ご存じのとおり、寺内タケシはエレキギターばかりか三味線やマンドリンをも自在に弾きこなすテクニックと世界を俯瞰した幅広い音楽性を有する天才ミュージシャンであり、また三橋美智也は日本民謡を基調した歌謡曲を十八番にしながらも、実は洋楽センスに満ちた楽曲を多数吹き込み、大ヒットさせた事は、例えば昭和歌謡曲のスタンダード「星屑の町」だけでも、凄過ぎる説得力だと思いますから、「津軽三味線 VS エレクトリックギター」という新旧和洋折衷の大企画にも、なんらの問題はありません。

むしろ、寺内タケシのレコーディングキャリアでは昭和40(1965)年秋に出したブルー・ジーンズ名義のLP「レッツ・ゴー・エレキ節」において、既に「津軽じょんがら節」をエレキギターで弾きまくり、これは翌年春にはシングルヒットもした大名演になっていますし、掲載シングル盤を出す直前にはクラシックの名曲をエレキ化した傑作「レッツ・ゴー・運命」で世界中を驚嘆させていたのですから、いよいよ三橋美智也との夢の対決には、血沸き肉躍るのが当然でありましょう。

ちなみにバックの演奏メンバーは荻野達也(key)、黒沢博(g)、鈴木義之(g)、小野肇(b)、井上正(ds,per) という顔ぶれのバニーズなんですが、アレンジはしっかり寺内タケシ!

そして演奏は、あらためて三橋美智也の三味線のド迫力に圧倒されるのがサイケおやじの最初っからの印象で、それは今も変わりありません。

全然、エレキに負けていないんでよねぇ~~~!?!

しかし、寺内タケシも、やっぱり凄いですっ!

基本的には前述ブルー・ジーンズのバージョンに準じたスタイルではありますが、例の「Terry-sh」なリックの圧巻な響きが野太い録音によって、最高の迫力が感じられる「ロックの音」になっていますよ♪♪~♪

このあたりは互に相手を打ち負かそうという意識よりも、競演を楽しみ、それをリスナーに最良の雰囲気で伝えんとする本物のプロの証かと思うばかりです。

その意味でB面に収録された、これまた有名なロシア民謡を演じた「黒い瞳」は、些かアイディアが空回りしたような、失礼ながら、ちょいと違和感のある仕上がりと思います。

う~ん、津軽三味線でロシア民謡ってのも、なかなかオツなもんですから、もうちょっと正調でもイケたような……。

ということで、最後の最後で不遜の極みも吐露してしまい、反省しきりのサイケおやじではありますが、真夏はエレキ!

なぁ~んて、覚悟(?)を決めてしまえば、グッタリしちゃ~、なんにもならないっ!

ビシッと心身ともにエレキを注入して、明日っからもシビレていこうと思います。
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本音の踏み絵のPYGかな

2017-03-31 21:01:19 | 日本のロック
花・太陽・雨 / PYG (ポリドール)

世の中には、どんなに素晴らしくとも、素直に受け入れらず、認められないものが少なからずある事は、皆様もご存じのとおりです。

例えば本日掲載のシングル盤で堂々のデビューを飾った日本のロックバンドである PYG も、全くそのひとつでしょう。

その要因は、PYG がGSの人気グループから選抜されたとしか思えないスタア集団であり、それが如何にも商業主義っぽくて、つまりは純粋なロック魂とは異なる主義主張が感じられ、もちろんそこには世間の所謂「やっかみ」が無かったとは言えません。

また、当然ながら、それを主導していたのは沢田研二を手中に留めておきたい渡辺プロ?

という構図が透けて見えていた事もマイナスのベクトルであったと言われています。

しかし、それでも昭和46(1971)年に出された作詞:岸部修三&作曲:井上堯之によるデビュー曲「花・太陽・雨」の仕上がりは、少なくともサイケおやじをリアルタイムでグッとシビレさせた、これがニッポンのニューロック!

かもしれないなぁ~~~♪

と、なかなか感銘を受けたのですが、既に述べたとおり、世間の目は厳しく、PYGを真剣に聴くなんてのはロックファンでは無く、むしろミーハーを告白しているようなもんだぜっ!

てなことが、常識的に思われていたのですから、ますます素直になれないわけで……。

そんなこんなを思いつめていた(?)同年秋、本格的特撮ヒーローの回帰を企図したであろうテレビ番組「帰って来たウルトラマン(TBS)」の第34話「許されざるいのち」が放送され、そのクライマックスでなんとっ!

PYG が演じたこの「花・太陽・雨」が劇伴として流れされ、その物語展開を異様とも思えるほどの高揚感に導いたのですから、たまりません。

ここからはちょっとネタバレもありますが、このエピソードは天才的な科学者でありながら、世間から疎外され、また自意識過剰なコンプレックスに苛まれていたとしか思えない行動から新種の怪獣を作り出してしまい、結局はウルトラマンに退治される流れはお約束かもしれませんが、そこに関わる登場人物の心情描写が絶妙のカットバック等々を駆使して繋ぎ合わされる時、既に述べたとおり、素晴らしい仕上がりながら、ほとんどストレートに受け入れられなかった PYG が演じるところの「花・太陽・雨」がジャストミートしてしまうのも、ムベなるかなっ!?

この強烈な相乗効果が、どのように企画されたかは知る由もありませんが、件の第34話「許されざるいのち」の脚本が石堂淑朗&小林晋一郎、そして監督が山際永三という制作スタッフの総意だとすれば、PYG サイドがどのような許諾姿勢だったは大いに興味を惹かれるところです。

閑話休題。

さて、そこでいよいよ本日のお題「花・太陽・雨」は、いきなりゴ~ン~ゴ~ン~と鳴り響く鐘の音に導かれ、力強いミディアムテンポで歌われるメロディアスな曲調は、その仕掛けからしてジョン・レノンのあの名曲「Mother」を強烈に想起させるという、そんな「あざとさ」があるもんですから、ますます PYG は疎まれるという事が否定出来ないんですが、さりとて沢田研二と萩原健一のツインボーカル、ハイセンスな大野克夫エレピ、そして井上堯之の味なギター、さらに言うまでもなくリズム隊のヘヴィなビートを素直に楽しめないというのじゃ~、勿体ないですよっ!

ちなみにこの「花・太陽・雨」はシングルバージョンとアルバムバージョンが公式音源としてスタジオレコーディングで残されており、まずシングルバージョンは沢田研二と萩原健一によるツインのリードボーカルが「6:4」であるのに対し、アルバムバージョンでは、ほとんど沢田研二がリード、萩原健一はバックコーラスみたいなミックスになっており、また井上堯之のギターにも、シングルバージョンでは強いディストーションが効果満点!

演奏のテンポも幾分早く、つまりシングルバージョンの方がロック性感度が高いんですよねぇ~~~♪

ところが、いよいよ使われた問題の第34話「許されざるいのち」での「花・太陽・雨」は、まずは演奏のテンポがシングル&アルバムの両バージョンとも異なる印象ですし、ボーカル&コーラスの雰囲気も微妙に違っているように感じますので、もしかしたら、ここだけの別ミックスが作られたんじゃ~なかろうか?

と推察する次第です。

ということで、自分の好きなものを素直に認めなきゃ~、生きている意味も薄れてしまんじゃ~ないかなぁ~~~。

独断と偏見に満ちた拙ブログではありますが、これからもそ~した心情吐露は継続させていただきたく、よろしくお願い致します。
 
あぁ……、いよいよ新年度がスタートかぁ~。
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大友裕子は演歌ロックか!?

2017-02-26 16:14:08 | 日本のロック
傷心 / 大友裕子 (東芝)
 

大友裕子というロックシンガーを覚えていらっしゃるでしょうか?
 
昭和53(1978)年からの4年ほどの活動期間中には、失礼ながら大きなブレイクは無かったんですが、アルバムもベスト盤を入れれば3~4枚、シングル盤はサイケおやじが極力集めた限りでも9枚は残していますから、当時も今も、根強いファンは確かに存在しています。

また、現在では葛城ユキが昭和58(1983)年に大ヒットさせた歌謡ロックの人気曲「ボヘミアン」のオリジネーターという認識で有名かもしれませんが、それからもご存じのとおり、大友裕子はハスキーでソウルフルな声質と何を歌っても所謂ロック魂を感じさせてくれる歌手だった!

と、サイケおやじは思っていますが、「だった」と書いたのも、彼女は既に引退して久しく……。

しかし、一度でも彼女の歌にシビレたら、事ある度にレコードを取り出し、針を落として聴き入りたいと希求する気持ちに嘘が無くなりますよ。

さて、そこで本日掲載したのは昭和53(1978)年末に発売された自作自演のデビュー曲「傷心」をA面に入れたシングル盤で、これまた失礼ながら、ジャケ写からは決してフォトジェニックとは申せませんが、そんなの関係ねぇ~~~!

つまり彼女の場合は歌の説得力が半端じゃ~なくて、ライブステージにおけるスケールの大きさ、佇まいの強さは、殊更タイバンや他の出演者をも圧倒した伝説が幾つか残されているほどですし、そのあたりはテレビ出演時も変わりなかったと思いますが、個人的には昭和54(1979)年のネムフェスにおけるライブは実演を目の当たりに出来た幸運も重なり、強い印象を刻み込まれましたですよ♪♪~♪

で、肝心の「傷心」なんですが、小野崎孝輔の重厚で思わせぶりなアレンジもジャストミートの失恋バラードながら、決して甘ったれた悄然さよりは、凄絶な心情の吐露が大友裕子の泣き節ソウルによって歌われていて、時には「巻き舌」の節回しにも必然が感じられるところです。

そのあたりは、例えば内藤康子や葛城ユキ、また同系のボーカリストにも魅力のひとつとして認められるわけですが、大友裕子の場合は、それが演歌及び歌謡ロックのどちらにも傾かず、普通(?)にロックしているようにサイケおやじには感じられ、大きな魅力になっています。

また、その演目持ちネタの数々は自作・提供曲の別を問わず、暗いムードや内向きな情念の横溢が強く表出したものが多く、今となってはネクラとかいう先入観もございましょうが、そこは前述したとおり、彼女持ち前のロック魂があればこそっ!

歌の上手さ、芯の強い表現力は言うまでもありませんし、数曲を続けて聴いたとしても、うちひしがれるが如き悪寒は無いと思うんですが、流石にそこは十人十色の好き嫌いでしょうか……。

そしてサイケおやじが、今もちょっぴり残念に思っているのは、ここまで歌える大友裕子には、下世話な正統派歌謡曲も出して欲しかったという自己矛盾的希望です。

それが演歌ロックと呼ばれるジャンルであろうとも、きっと大友裕子には相性の良い仕上がりになったと想像する次第です。

ということで、昭和も50年代後半に入ると、「ネクラ」という文化(?)が堂々と表面化し、あえてそれを売り物にしていた歌手や芸能人も珍しくはなかった時代ですから、大友裕子もそんなイメージで括られていた事は否定出来ません。

実際、サイケおやじの周辺にも、それゆえに聞かず嫌いという者が少なからず……。

しかし、繰り返しますが、内藤康子や葛城ユキ、そして中島みゆきや浅川マキあたりが好きで、大友裕子がNGというのは、些か勿体ないですよ。

もちろん好き嫌いは大切にするべきですが、機会があれば虚心坦懐に接する「何か」だって、大切なんじゃ~なかろうか……。

しかし、当然ながら人一倍に独断と偏見が強いサイケおやじの、これまた強烈な自己矛盾と指摘されれば、全くそのとおりと身を縮めるばかりであります。
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両面宿儺はこの世の理

2016-12-17 17:36:30 | 日本のロック
泣かずにいてね c/w チュッ!チュッ!チュッ! / ザ・カーナビーツ (フィリップス)

面従腹背はサイケおやじの得意技なので、ど~のこ~のと他人の態度を評する事は決して出来ないんですが、それにしても最近仕事で親密になった某氏の裏表の顔の落差・格差は凄いなぁ~~、と感心させられるばかりです。

例えば平素は人当たりの良い態度が、相手の傍若無人やスジの通らなさに対しては、突然怖い口調で封じ込めにかかるし、自分の役目に徹する場合には、それこそ地面に頭を押し付けんばかりに平伏!

しかし、一方では絶対に主張を曲げず、それでいて融通は利きすぎるほどに物分かりが良い人物なんですから、普通に考えれば嫌われ者のはずが、なかなかの人望を各方面で集めているんですから、あれぇ~~~、てなもんです。

それは実際、サイケおやじにしても、少なくとも仕事では信頼感を覚えますし、様々にやり易い事が多々あるもんですから、決して蔑ろには出来ないなぁ~、と思うばかりなんですよ。

人間誰しも、大なり小なり、裏表があって当然の世の中、そこで思い出して取り出したのが昭和43(1968)年にカーナビーツが出した本日掲載のシングル盤で、まずはA面の「泣かずにいてね」がベタベタの歌謡曲!?

ところがB面に収録された「チュッ!チュッ!チュッ!」がハチャメチャに弾けたニッポンのロックなんですから、その落差・格差は実際に皆様に聴いていただく他はありませんし、しかも両面2曲共に作詞:橋本淳&作編曲:すぎやまこういち!

まさにプロの仕事と言っちゃ~お終いなんでしょうが、こ~ゆ~ものが堂々と罷り通っていたのも昭和元禄の底力であり、この世のひとつの理なのかもしれません。

もちろんカーナビーツにとっては、その両方が共に表の顔でありましょうし、人気の秘密の一端だったように思います。

ということで、常日頃からバランス感覚の悪いサイケおやじは、つまるところ世渡りが下手ですし、引かされた貧乏籤にも即座に気が付かない時も間々あるという……。

本当に自嘲の上塗りです。

さあ、ありがたい事に今夜は宴会のお誘いもいただきましたので、裏も表もどっちが本当なのか?

そんなふうに盛り上がりたいものです。
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好きと言える先生は…

2016-12-04 17:04:31 | 日本のロック
ぼくの好きな先生 / RC・サクセション (東芝)
 
近年、教師の不祥事や犯罪等々が報道される事は珍しくもありませんが、それにしても先日の新潟で発生した小学校のイジメ問題における事例には唖然とさせられました。

あえて詳細は述べるまでもないとは思いますが、とにかくイジメの被害者たる生徒から相談され、助けを求められている担任教師が、イジメの加害者と共謀したに等しい言動云々では、もはや常軌を逸しているでしょう。

しかも問題が公になると見え透いたオトボケから見苦しい言い訳を弄し、文部省や教育委員会が動き出しての生徒聞き取り調査が行われるや、今度は一転しての謝罪も、その誠意なんか伝わらない事を明白に自覚しての雲隠れですから、これじゃ~、マスコミの前で状況説明をさせられた教育委員会の面々が如何にも不満そうで煮え切らなかったのも、やるせないばかりですよっ!

弱い者をさらに傷つけるような奴は教師なんかになるんじゃ~ねぇっ!

とサイケおやじは声を大にするわけですが、その根底には教員資格取得の安易さ、しかし実際に奉職するにはコネが無ければ非常に難しいという現実があると思うんですが、いかがなものでしょう。

そして当然ながら、そんなこんなの学校にるおける事件が発生すると、必ずや国会の場でも問題提起されながら、そんな時に限って、日頃文句を言い放つのが仕事と決め込んでいる野党、特に日教組を支持母体にしているところがダンマリというんじゃ~、あまりにもコネ太郎が教師の本質と暗黙の了解を求めているわけです。

しかし、振り返ってみれば、サイケおやじが青少年時代に接して来た多くの教師の中で、本当に尊敬出来る先生、好きな先生は極僅かだったのも確かです。

まず、小学校3年生の担任だったS先生は、まさに昔風に言えば「訓導」と呼ぶに相応しい様な、とても「人の道」を大切にする教育に徹していたと今は思いますが、リアルタイムでもハートウォームな態度で生徒に接し、貧富の差や学力の優劣よりも大事な何かを自然に教えてくれていました。

ですから、生徒にも父兄からも人気と信頼を集めていましたし、普通よりも早く教頭や校長に栄進していったのも当然だったんですが、それでも人の運命は分からないもので、退職直後にアル中の徘徊老人を轢き殺すという交通事故をやらかし、以降は自宅で謹慎の日々……。決まっていた叙勲も無かった事にされ、さらに数年後には孤独死という、その経緯と顛末を知らされたサイケおやじは、言葉に出来ないほどのせつなさを感じましたですよ。

また、もうひとり、高校の時に生物を教えてたT先生も忘れ難く、何時もよれヨレヨレの白衣とだらしない髪型、安物のネクタイばっかりが目立つという風采の良くない人物ではありましたが、なかなか本音で生徒に接していたところがサイケおやじは大好きでした。

もちろん、校内教職員の中でも浮いていたのは隠し様も無く、教務室では無くて、理科準備室に自分の机を置かされていたという冷飯待遇にも、かえってそれが自分には合っているという態度でしたからねぇ~~。そんなところでタバコを吸いながら、授業のプリントを作っている事もあれば、週刊誌を読んでいる時もあり、プロレスが好きだったことから、気さくに生徒と「昨日の試合は!?」なぁ~んていう会話もするほどでしたから、サイケおやじもすっかり年上の友人みたいに思っていましたですよ。

それはなんとなく、RC・サクセションが昭和47(1972)年にヒットさせた本日掲載のシングル盤A面曲「ぼくの好きな先生」にリアルタイムで重なる思い出でもあります。

ちなみに説明不要とは思いますが、当時のRC・サクセションは忌野清志郎(vo,g)、小林和生(vo,b)、破廉ケンチ(vo,g) から成るフォークロックスタイルのグループで、折しもブームになっていた歌謡フォークの中でもアングラ系ではありましたが、この「ぼくの好きな先生」は存在感を確立した初期の代表曲ですから、皆様も一度は耳にしているにちがいありません。

ということで、所謂「反面教師」という言葉もあるくらいですから、教師は何も聖職である必要は無いと思いますが、決して安定した職場を求めんとして就く仕事でもありません。

ですから、ある意味ではピュアなハートと義理人情に篤い行動が求められる立場であり、非常に難しい仕事だというのが本当かもしれないのです。

時には、どんなに真面目にやっていても、偽善者という烙印を押されかねない立場でもあり、下手すりゃ~裁判沙汰に巻き込まれる恐れさえあるんですから、気楽にやれる商売と思ったら大間違いと思うのはサイケおやじだけでしょうか……。

そうそう、最後になりましたが、もちろんサイケおやじの事ですから、大好きだった女性教師も幾人かおりまして、特に高校の時に地学を教えていたK先生は何時もミニスカ気味のファッションで、当然ながら美脚が魅力♪♪~♪ 実は既に人妻だった事もあって、そこはかとないフェロモンを滲ませていましたから、サイケおやじは様々な妄想に苛まれていましたですねぇ~~♪

そして幸運にも、たった一度だけ、瞬間的なパンチラシーンを目の当たりにした僥倖もあり、そのベージュ色のデルタ地帯は今も脳裏に焼き付けられているのでした。

あぁ~、ぼくの好きなぁ~先生ぇ~~♪
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遺言も夢のひとつ

2016-11-30 16:57:48 | 日本のロック
遺言 / 柳ジョージ&レイニー・ウッド (Bourbon)
 
自身の体調が悪い事や友人が最近急逝等々があった所為か、なんとなく今朝は掲載のシングル盤A面曲「遺言」に針を落としてしまいました。
 
う~ん、我ながらネクラモードに入っているのは自嘲するしかありません……。
 
しかし、楽曲そのものは柳ジョージ&レイニー・ウッドの演目の中でも人気の高い名曲で、発売されたのは昭和54(1979)年秋、傑作アルバム「レイニーウッド・アベニュー」からの先行シングルだったと記憶していますが、当時の柳ジョージ&レイニー・ウッドは年頭から「雨に泣いている」、続けて「ヘイ・ダーリン」「微笑みの法則」という大ヒットを連発していた人気急上昇期でしたからねぇ~~、まさかというか、こんなマイナスのベクトル感が強い「遺言」なんていう曲名の歌を出すなんて、ほとんど不意打ちに思えましたですよ、サイケおやじには。
 
ところが、作詞:トシスミカワ&作曲:上綱克が手掛けた、その仕上がりはミディアムテンポの和製ゴスペルロックとでも申しましょうか、ソウル歌謡のロック的展開も心地良く、バンド自らが納得してのアレンジもニクイばかりで、サザンロック風味のコーラス、ソウルフルで力強いピアノやハートウォームなサックスの響きもたまりません。
 
そして当然ながら、柳ジョージのハードボイルドな歌唱は最高!
 
 裏道歩いた俺のぉ~
 たったひとつの夢さ~
 暗い土の中に埋めないぃ~でくれぇ~~
 
あぁ、これはサイケおやじの夢でもありますよ。
 
もちろん、サイケおやじの生き様は、この歌の世界とは遠く離れた、ドロ臭いものですけどねぇ……、それはそれとして、夢は死ぬまで大切にという思いであります。
 
ということで、今年も残りが1ヶ月という事になりました。
 
例によって仕事に追われ、自分で満足する趣味の世界の楽しみがほとんど追及できなかったという、ここ数年の泣き言の繰り返しではありますが、この苦しみから脱却する道を探すためにも、生き延びねばという心境でございます。
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春を待たずに逝ってしまったりりィ姐さん

2016-11-11 16:01:54 | 日本のロック
家へおいでよ c/w オレンジ村から春へ / りりィ (東芝)
 
りりィ姐さんの訃報に接しました……。
 
闘病中だったとはいえ、享年64歳は早すぎるとしか……。
 
本当に言葉もありません。
 
掲載したのは追悼の想いで針を落とした、昭和51(1976)年のヒットシングルです。
 
A&B両面共にりりィ姐さんの自作なんですが、「家へおいでよ」は基本歌謡フォークに坂本隆一がジャズファンクなアレンジを施した所謂「和グルーヴ」の傑作と最近は評価も高い名唱にして名演♪♪~♪
 
もちろんバックはバイ・バイ・セッション・バンドだと推察出来ますので、安心して身も心も委ねてしまいますし、ミディアムテンポで特有の「節」を聴かせてくれるりりィ姐さん、最高ぉ~~♪
 
一方、B面扱いの「オレンジ村から春へ」は、当時某化粧品メーカーのCMタイアップ曲として、こちらは陽気なカントリーロックになっていますが、りりィ姐さんのハスキーボイスを無駄にしない国吉良一のアレンジが良い感じ♪♪~♪
 
テレビから頻繁に流れていた所為もあるんでしょうが、個人的にはたっぷりと刷り込まれています。
 
ということで、本日は衷心よりお悔やみを……。
 
りりィ姐さん、どうぞ安らかに……。
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これぞっ! カッコイ~~日本のロック!

2016-10-17 17:08:14 | 日本のロック
さらばミシシッピー / 柳ジョージ&レイニーウッド (Atlantic / ワーナーパイオニア)
 
仕事絡みの宴会に出るということは、必然的に少しでも自分に有利な人脈を作ろうとして名刺の交換に勤しみ、時には心にも無い事を言っては作り笑いという作業が当たり前でしょうし、その機会を提供するのが宴会の趣旨という現実は否定のしようもありませんが、それゆえに自分と趣味性が合致する、所謂同好の士のような人物と思いがけなく邂逅した時の喜びは、また格別です。
 
もちろん、そんなことは滅多にないわけですが、昨夜は久々にそれがありまして、仮にQ氏としておく件の人物は半端なく歌が上手く、しかもナチュラルなハスキーボイスが良い味出しまくりなもんですから、演歌から歌謡フォーク、さらには洋楽ヒットまで幅広いレパートリーを自分のものにしているという、なかなかのカラオケ中毒者だったもんですから、サイケおやじも話し易くて、意気投合♪♪~♪
 
そしてその場から速攻でフェードアウトした後は、互いに連れを放っぽって他の飲み屋やカラオケ店で盛り上がったんですが、実はサイケおやじと同世代のQ氏は、これまで一度もバンド活動をやったことが無く、それでも本人はそれを望み続けて今日に至ったというのですから、なかなか勿体ない話でしょう。
 
しかもQ氏が一番に好きな歌手が柳ジョージだというのですから、後は自ずとカラオケで熱唱してくれたのがレイニーウッドのヒット曲「雨に泣いている」とか、洋楽ヒットでは「テネシーワルツ」等々で、いゃ~、本当に上手いと思いましたですねぇ~~♪
 
そして話の行き着いた先は、何時かQ氏とサイケおやじは一緒にバンドをやろうぜっ!
 
なぁ~んていう、なかなか嬉しい予感の結論が導き出され、特にQ氏が熱望したのが本日掲載のシングル盤A面曲「さらばミシシッピー」なんですから、サイケおやじも血が騒ぎます。
 
皆様ご存じのとおり、この名曲は昭和55(1980)年末からテレビのCMにも使われてヒットした日本のロックの傑作で、しかも水甫杜司&柳ジョージの綴った歌詞が曲タイトルどおり、アメリカのミシシッピー川を舞台にした哀愁の別れ歌?
 
なんですから、およそ日本人が大好きな演歌チックなところとは遥か別な場所から、これ以上無いほどド演歌な描写が歌われているあたりが、作曲:石井清登&編曲:レイニーウッドの如何にもカッコイイぶる~す&ゴスペルロックのサウンドで表現されているという、これこそ大人のロックの決定版!
 
もちろん柳ジョージの歌とギターは冴えまくりですし、バックを固めるレイニーウッドの面々も的確なサポートで盛り上げている中にあつて、殊更サイドギターやサックスのプレイが良い感じ♪♪~♪
 
ちなみに柳ジョージといえば和製クラプトンと称されることが度々なんですが、個人的には絶対にデイヴ・メイソンからの影響も否定出来ないと思っているので、サイケおやじが柳ジョージを大好きなのも、そこにナチュラルな理由があるのかと自問すれば、実は柳ジョージの一番の魅力は、やっぱりあのハスキーな声質によるハードボイルドな節回しだと痛感させられます。
 
ということで、Q氏とサイケおやじは何時か一緒にバンドをやろうと語り合ったものの、それが何時になるのかは、どちらも決定的な事はわからないのが現状……。
 
特にQ氏はサイケおやじなんかは足元にも及ばないほど多忙でシビアな日々を過ごしていて、昨夜だって話が盛り上がっている最中に迎えがやって来て、本当に名残惜しい別れが……。
 
しかし、それでも楽しい時間と未来への約束が交わせたことは、漠然としながらも幸せな結末にしたいものです。
 
最後になりましたが、柳ジョージ&レイニーウッドの「さらばミシシッピー」は、このシングル盤収録のバージョンとは異なるアルバムバージョンがあるのは知られるところですが、個人的にはモノラルミックスに近いシングルバージョンがコーラスの厚みもあって好きとはいえ、サウンドクオリティの高さが顕著なアルバムバージョンも大好きという、なかなか欲張りな気分にさせられるのは、やはり名曲名演の証かと思うばかりです。
 
そして、とりあえずは、その「何時か」に備えて、ギターリフのコピーやコードの採取に勤しむ決意をするのでした。
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繰り返す涙の太陽

2016-08-11 19:32:40 | 日本のロック
涙の太陽 / サンディー&ザ・サンセッツ (東芝)
 
名曲だからカバーバージョンが作られるのか、あるいはカバーバージョンが作られているからこそ名曲に成り得るのか?
 
本日掲載のシングル盤A面曲「涙の太陽」は、そんな「ニワトリと卵」に例えられる人気の歌のひとつだと思います。
 
それはとにかく昭和40(1965)年に作詞:R.H.Rivers = 湯川れい子&作曲中島康敏が提供したエミー・ジャクソンの大ヒットシングル曲がオリジナルバージョンとされ、この時は日本制作でありながら、歌詞は英語という洋楽扱いであり、歌っているエミー・ジャクソンはアメリカンスクールの学生だったというのが定説になっています。
 
しかし同年、この英語の歌詞を湯川れい子が直々(?)に日本語の歌詞にした競作バージョンが青山ミチによってレコーディングされ、その仕上がりも売れ行きも負けず劣らずの印象だったんですから、やはり当初から名曲の証明が成り立っていたんですが、さらにそれが決定的になったのが昭和48(1973)年に発売された安西マリアの日本語バージョンで、こちらは川口真のブラスロック&ソウル風のアレンジも素晴らしい出来栄えでしたから、これまた白熱の大ヒットになったことは、サイケおやじと同世代の皆様であれば、言わずもがなの真実でしょう。
 
そして以降、同時代のセクシーアクション系の女性シンガーがステージでの持ちネタに入れていたり、アルバム収録曲のひとつにピックアップしたりで、様々なバージョンが残されていく事になったわけですが、中にはテレサ・テンのチャイニーズバージョンという珍品も以前に聴いたことがありましたし、名前は失念したんですが、中途半端なアイドルグループのミョウチキンリな英語バージョンもあったような記憶が!?!
 
で、そんな中でもサイケおやじが不思議と好きになってしまったのが、本日掲載したサンディー&ザ・サンセッツのバージョンで、これが発売された平成元年(1989)年の流行がど真ん中というアジアンテイストな、そしてライトテクノなアレンジで歌われたという、本来はサイケおやじの守備範疇からは外れた仕上がりなんですが、あえて「不思議と」なぁ~んて書いてしまったとおり、その妙に心地良い歌と演奏がクセになって♪♪~♪
 
ちなみにアレンジは大村憲司で、演奏パートにはサンセッツのメンバーがどのように関わっているかは知る由もありませんが、ロックっぽくてスカスカの音作りとサンディーが歌う英語&日本語チャンポンの歌詞の節回しが、なかなか素敵なんですよぉ~~♪
 
即座にシングルCDをゲットしたのは言わずもがな、実は一昨日に中古盤屋へ行った折、なんとっ!
 
そのサンディー&ザ・サンセッツが演じる「涙の太陽」のアナログシングル盤に出会ってしまっては、忽ちサイケおやじは辛抱たまらん状態!?
 
説明不要とは思いますが、当時は既に音楽ソフトの主流がCDに移行していましたから、それでも作られていたアナログ盤は時代遅れの代名詞みたいな存在で、演歌とか民謡あたりのジャンルならばまだまだ通用していた実情を考慮しても、サンディー&ザ・サンセッツのようなグループがこれを出していたというのは、まさか四半世紀後の温故知新であるアナログ盤再認識流行を見越していたとするのは、贔屓の引き倒しなんでしょうかねぇ~~~!?
 
で、気になる音質は所謂「温もりのある感じ」と書けば良いのかもしれませんが、サイケおやじとしては、このアレンジによる歌と演奏であれば、やっぱり耳に馴染みきったCDの方が好みでした。
 
しかし、同時に正方形に近くデザインされたジャケ写の味わいは、私有しているシングルCDの長方形の構図よりも、これまた好みでありますし、サンディーの良い感じのボディと美脚の魅力には、何時もクラクラさせられます♪♪~♪
 
最後になりましたが、それでもこのブツに不満が無いわけではありません。
 
それはジャケ写の表面で堂々と鎮座しているバーコードの不粋な存在で、すっかり良い気分も興醒めですよ……。
 
「涙のバーコード」なんて歌があっても許されるんじゃ~なかろうか?
 
なぁ~んて思ってしまうのでした。
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タツロー歌謡とナイヤガラロックの美しき流れ

2016-07-30 19:33:15 | 日本のロック
夏の翼 c/w RARKING / 岩崎元是 & WINDY (キティ)
 
ほぼ日本全国で梅雨が明けたと思ったら、いきなり強烈な猛暑に苛まれているのは自然の摂理ってやつでしょう。
 
当然ながら、その中じゃ~、実にちっぽけな存在の人間なんて太刀打ち出来るはずもありませんから、人工的な冷房は必要でしょうが、まずは気分を夏どっぷりの涼風に持っていける音楽という利器(?)を用いるのも悪くありません。
 
そこで取り出したのが昭和61(1986)年に発売された岩崎元是 & WINDYの、おそらくは最初のシングル盤で、殊更A面「夏の翼」は曲タイトルどおり、なかなか素敵なサマーソングの決定版!
 
結論から申し述べれば、作詞作曲が岩崎元是、編曲が WINDY というクレジットがあろうとも、これはスバリッ! 山下達郎の大いなる影響下に生まれた歌と演奏であり、そのメロディラインの流れ、サウンドの作り方等々があまりにもモロな世界な過ぎて、サイケおやじは初めて聴いた時、思わず微笑ましい気分にさせられましたですねぇ~♪
 
特にサビ始まりのパートにおけるコーラス&ハーモニーの重ね方には、なかなかの愛情を感じてしまうほどです♪♪~♪
 
そして当然ながら、その根底(?)に存在するもうひとつのキモが大滝詠一の主導する通称「ナイヤガラサウンド」でしょうから、つまりはそれ経由でフィル・スペクターの「音の壁」に対する敬意のようなものが表出しているあたりにも、ニンマリ♪♪~♪
 
ですから、B面収録の「RARKING」が、これまた思いっきり大滝詠一になっているのもムベなるかな、ゆったり&しっとりの曲調を彩る実兄・岩崎文紀のストリングスアレンジも素晴らしく、さらには最終パートで用いられる「雨音のSE」がアナログ盤ならではのエンドレスという趣向になっているのも、たまりません♪♪~♪
 
ちなみに岩崎元是 & WINDY は実在のバンドであり、メンバーは岩崎元是(vo,g)、稲葉真弘(key)、 村中義仁(b,per)、関和則(ds) というのが基本編成ながら、レコーディングやライブの現場では適宜助っ人が参加していたわけですが、とにかく岩崎元是は奇特な才人であり、バンド解散後は作編曲やプロデュースの仕事で、演歌からアニソンまで、なかなか幅広い活動と実績を残しておりますので、気になる皆様は探索してみる事をオススメ致します。
 
なんたって、演歌に「音の壁」を使ったサウンド作りとか、アニソンにおける素直に分かり易いアレンジの旨味は絶妙なんですねぇ~♪ 中でも某ビール会社のCM曲になっていた細川たかしの「応援歌、いきます」は、ほとんど大滝詠一が作ったかのような作編曲になっていますので、これはニクイです!
 
ということで、実は木曜日の「もらい事故」の余波が良い方向へ作用したみたいで、昨夕から本日もちょっぴりですが時間的に余裕がとれまして、久々に映画館で新作「シンゴジラ」鑑賞して来ました。
 
こ~ゆ~、穏やかな日を過ごせる現状には感謝するのみであります。
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