goo blog サービス終了のお知らせ 

OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

解散よりは健さん! でも、そこに黄色いハンカチは無いよ…

2014-11-20 15:03:13 | Pops

幸せの黄色いリボン / Dawn featuring Tony Orlando (Bell / CBSソニー)

健さんの訃報から出演代表作のひとつとして紹介される事も多いのが、昭和52(1977)年に公開された「幸せの黄色いハンカチ」で、サイケおやじとしても特に異論はありません。

なにしろ健さんの役柄は刑務所帰りの不器用な男という、如何にもの十八番であり、山田洋次監督の演出も分かり易い映像表現とイヤミを感じさせないユーモアに彩られていましたから、その人情ドラマが予定調和になる事が分かってはいても、心温まる作品世界にどっぷり浸ってしまうという仕上がりは素直に認めているのです。

そして当時から公にされていたネタ元が、アメリカ人作家のピート・ハミルが1971年に発表した短編コラム「黄色いリボン」であり、しかも更なるネタ元が南北戦争の頃からの民間伝承話だったというのですから、忽ち各方面で話題を呼び、ついには本日掲載のシングル盤A面曲「幸せの黄色いリボン / Tie A Yellow Ribbon Round The Ole Oak Tree」が制作され、世界中でメガヒットしたのが1973年の事でした。

歌っているドーンはセッションボーカリストとして知る人ぞ知るトニー・オーランドが2人の女性サイドシンガーと共に活動していたポップスグループで、ここまで「恋するキャンディダ / Candida」や「ノックは三回」等々のバブルガムヒットを放っていたんですが、この「幸せの黄色いリボン / Tie A Yellow Ribbon Round The Ole Oak Tree」を出す直前には些か忘れられ気味で、サイケおやじは正直、同曲がヒットし始めた頃、なんだ……、まだ、やってたのか?

なぁ~んて、ちょっぴり驚いた記憶があります。

しかし、楽曲そのものは楽しくて、胸キュンフィーリングも程好いわけですから、これの大ヒットについても、サイケおやじは何の異論もありません。実際、中古ながらレコードもゲットしていますしねぇ~♪

しかし、まさかそういう内容の話が我が国で映画化されるとは、夢にも思っていませんでした。

そして主演が高倉健、つまり健さんである事を知ってみれば、駄作や失敗作が出来上がったら、映画の神様は絶対に激怒されたにちがいありません。

さて、そこで健さんに対し、どうやら「国民栄誉賞」が吝かでもないという総理大臣の談話があるようで、「幸せの黄色いハンカチ」が取沙汰されるのは当然だと思いますが、健さんはそれだけじゃ~ありませんよねぇ~~~。

「幸せの黄色いハンカチ」が傑作になったのは、健さんのひとつのイメージである前科を背負ったクールで熱い男という、絶対的な存在感を我々が無意識に認めているからでしょう。

それは説明不要、そこまで健さんが演じてきた任侠ヤクザ映画、あるいはヤクザ系アクション作品が何れもヒットし続けた積み重ねがあったからです。

果たして安倍の晋ちゃんは、そういう映画を1本でも観たことがあるんですかねぇ~~?

もちろん、およそ任侠精神が欠如している最近の永田町の先生方にも全く同様の疑念を抱くのがサイケおやじの偽りの無い気持ちです。

そして解散から選挙モードの突入と決まる以前から、我欲を隠そうともしない面々の開き直りは、諦めの目でしか見る事が出来ないんでしょうか……。

当然ながら、そういう就活に躍起になるのを否定は致しませんし、奴らにしたら国民に直に頭を下げるのは、例え心にも無い所業であろうとも、己の心意を演じられる唯一の機会なんですからっ!

そして、どうにか永田町に戻ってこられたとしても、そこに「黄色いハンカチ」は絶対に無いという事を、肝に銘じていて欲しいものです。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

レターメンの素直な歌心

2014-11-08 15:45:12 | Pops

涙のくちづけ / The Lettermen (Capitol / 東芝)

洋楽ファンにとっての秋はセンチメンタルなコーラス曲が聴きたくなる季節かもしれまん。

確かに、それは一概に決め付けられることではありませんが、少なくともサイケおやじは、そうなんですよ。

そこで本日ご紹介するのは、あまりにもベタベタな有名ヒット曲ではありますが、レターメンが1969年晩秋からの日本でロングセラーのウケまくりにした「涙のくちづけ / Sealed With A Kiss」を♪♪~♪

あぁ、イントロから泣きの黄金律と言うべきコード進行がたまらないギターのアルペジオ、そして程好いテンポで胸キュンのメロディーを歌ってくれるレターメンのコーラス&ハーモニーは、如何にも晩秋のせつないムードにはバッチリ合うんですよねぇ~~♪

しかもフォークロック調からスタートし、中盤からはストリングやティンパニーを入れ、終盤にはオーケストラの流麗な伴奏を配するというアレンジも秀逸で、さらに終始ソフトムードな歌の解釈は絶品と思います。

というか、特定のリードボーカルを前に出していないスタイルが好ましい仕上がりの秘訣かもしれません。

ご存じのとおり、レターメンはアメリカの男性ボーカルトリオとして1960年代初頭から活動していたんですが、そういうところが個性になっているのはカバー曲等々、どんな演目でもそれほど原曲のイメージを変えないストレートな歌い方にしている事がウケる理由なのでしょう。

実はこの「涙のくちづけ / Sealed With A Kiss」にしても、決してレターメンのオリジナルヒットでは無いという真相があり、では誰のバージョンがオリジナルかという問題についての明確な答えをサイケおやじは出せません。

しかしレターメンのバージョンは決してリアルタイムのレコーディングではなく、既に1965年にシングル盤のB面扱いとして出していたそうですし、後追いで集めていたゲーリー・ルイス&ザ・プレイボーイズのレコードの中に「ハートにキッス」の邦題で同曲が収められていたのは、どうやら1968年の発売と言われています。

また他にもブライアン・ハイランドが1962年にアメリカで大ヒットさせたバージョンとか、つまりは古くから人気があり、どんな時代にも受け入れられる要素が「涙のくちづけ / Sealed With A Kiss」にはあるんですよ♪♪~♪

ちなみにレターメンは既に述べたとおり、それなりに長いキャリアがあって、アメリカでは1960年代中頃が人気のピークだったと言われていますが、日本ではちょうど「涙のくちづけ / Sealed With A Kiss」の大ヒットからの1970年代前半が最盛期で、メンバーはトニー・ブタラ、ジム・パイク、ゲイリー・パイクが、この頃の顔ぶれだったようです。

ただし、「涙のくちづけ / Sealed With A Kiss」は、それ以前のメンバーだったロバート・イングマンが参加していたらしいのですが、これまたサイケおやじには定かに知るところもありません。

それでもレターメンのような男性三重唱のグループにおいては、あまりメンバー云々という事よりも、彼等が提供してくれる歌や音楽そのものを素直に楽しんでしまえるという喜びが優先し、それは決して勉強不足による言い訳ではないつもりですが……。

実際、レターメンが日本で人気絶頂の来日コンサートを開催したり、例えばジョン・レノンの「Love」やデイヴ・クラーク・ファイブの「Because」等々のカバーヒットを連発していた頃は、失礼ながら完全に中年のおっちゃんグループだったのに、ファン層は圧倒的に婦女子が多かったという現実は侮れません。

ということで、そんな理由からあれこれとコーラス系のレコードをひっぱり出して、昨夜から聴いておりますが、レターメンようなスタイルのグループは案外少ないなぁ、という現実に気がつかされました。

う~ん、人気を集めたのも当然というレコードの仕上がりも含めて、そういう歌心を大切にした音楽の素晴らしさは、今の時代にも受け入れられて欲しいものです。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本の流行洋楽は世界最高

2014-10-17 14:42:00 | Pops

木枯しの少女 / ビョルン&ベニー (Polar / CBSソニー)

クイーンと同じく、日本で最初に認められた後に世界規模で大売れしたグループがアバでしたねぇ~~♪

本日掲載のシングル盤は、まさにその端緒となった有名作として、収録A面曲「木枯らしの少女 / She's My Kind Of Girl」が昭和47(1972)年初頭~春にかけて我が国独自の洋楽ヒットになり、信じてもらえないかもしれませんが、当時の歌謡スタアであった天地真理、小柳ルミ子、南沙織、欧陽菲菲、ペドロ&カプリシャス等々と全く遜色の無い売上があったんですから、流石に1970年代の洋楽は勢いがありました♪♪~♪

しかし、この「木枯らしの少女 / She's My Kind Of Girl」は、あくまでもビョルン&ベニー名義というところが大切で、実は楽曲そのものは2年ほど前に制作され、バックコーラスには後に堂々とアバを名乗った時のアグネタとフリーダの美女チームも参加していたのですから、なかなかに意味深長?

今となっては立志伝中の逸話でしょうか、とにかくビョルン・ウルヴァースとベニー・アンダーソンが1960年代中頃に出会い、意気投合して曲作りやライブ活動を行いながら公式デビューは果たしたものの、本国スウェーデンにおいてさえ、些か鳴かず飛ばず……。

まあ、失礼ながらご両人とも、曲作りの才能は抜群でも、ポップスタアとしては地味な雰囲気が優先していますからねぇ、そこで1969年春のある日、テレビ出演時の彩(?)に起用されたアグネタとフリーダを誘って(?)活動する事になったそうで、実はアバがスタートしていたのは、その時からでした。

そして日本において、ど~してこれが発売され、大ヒットしたかについては、リアルタイムの我が国では洋楽業界も広く欧米にアンテナを張っていた証でしょう。それはこの「木枯らしの少女 / She's My Kind Of Girl」に限らず、日本人ウケするメロディや曲調があれば殊更歌詞の意味は重視されないという、如何にも外国語が日常一般に浸透していなかった国内事情を逆手に活かした方策の成功例のひとつと思います。

だって歌詞を読んでみたって、どこにも「木枯らし」なんてフレーズは出ていませんからねぇ~~。

で、首尾良く売れたビョルン&ベニーは洋楽雑誌にも登場するようになり、更に広くプロフィールが紹介?される中で、用いられるグラビアカットには何時の間にかアバとなる4人組が写っていたというわけですが……。

正直に言えば、リアルタイムでのヒットはこれだけで、もちろんビョルン&ベニー名義のレコードは続けて発売されながら、ちょっぴり忘れられた頃の1974年、突如としてヒットしたのが「恋のウォルタールー / Waterloo」でありましたから、おぉ、ビョルン&ベニーか!? 懐かしいぃぃ~~!?

なぁ~て、思ったのも束の間、実質的にはアバというグループ名にして、メインで歌っているのはアグネタとフリーダであり、ビョルン&ベニーはヒモ状態といっては失礼でしょうか?

もちろんビョルンとアグネタ、ベニーとフリーダは夫婦関係にあったのですから、所謂ファミリーグループであったわけで、そうなれば共に同じ目的意識を携えた活動が成功するのも当然が必然でした。

そしてそれを支えたのが、「木枯らしの少女 / She's My Kind Of Girl」の日本だけの大ヒットであり、アバとして世界的に名声を得た頃のインタビューにおいても、メンバーはその事に触れるほどなのは、よっぽど嬉しかったんでしょうねぇ~~。

ということで、日本の洋楽業界の「読み」の確かさやファンの耳と嗅覚の素晴らしさと鋭さは、堂々と世界レベルにまで達していたのが昭和40年代後半の真実でしょう。

他にもエアロスミスとかキッスとかチープトリックとかジョーン・ジェットシェリー・カーリーが在籍していたランナウェイズとか、あのボストンでさえも、我が国で売れた諸事情の重なりがあって、世界的にブレイクしたミュージシャンは他にも多いです。

そして同時に言えるのは、だからこそ日本での成功を目指して媚を売り、逆にヘタレをやらかした現実の厳しさもあるんですが、それはそれとして、既に「ロックの殿堂」入りも果たしたアバの事ですから、もしも将来、ロックの歴史がテストの問題になるとすれば、日本というキーワードも学習の対象になるような気がしますよ。

例え英語なんか話せなくとも、我々日本人は己の耳と感受性を世界に誇って良いと思うばかりなのでした。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋の洋楽といえば、これもね♪

2014-09-11 16:41:23 | Pops

想い出のサマー・ブリーズ / Seals & Crofts (Warner Bros. / ワーナーパイオニア)

1970年代に活躍した男性デュオの中でも、そのルックスと放ったヒット曲のギャップの大きさを鑑みれば、本日の主役たるシールズ&クロフツは最右翼かもしれません。

例えば彼等が1972年に出したメガヒットにして出世作の「想い出のサマー・ブリーズ / Summer Breeze」は印象的な演奏パートのキメのフレーズとジェントルなメロディゆえに、基本的に英語の歌詞が通用しない我が国でも晩秋から翌年始めにかけて、主にラジオを中心に流行りまくった洋楽のひとつなんですが、この「ラジオを中心に」というところが、大きなミソでしよう。

それは掲載した日本盤シングルのピクチャースリーヴからも明らかなように、失礼ながらシールズ&クロフツのルックスには当該ヒット曲を印象づけたセンチメンタルな爽やかなとは裏腹の胡散臭さが強く滲んでいますからねぇ……。

実際、サイケおやじは「想い出のサマー・ブリーズ / Summer Breeze」を聴いて、一発で気に入っていただけに、初めて洋楽雑誌でシールズ&クロフツのグラビアカットを見た時には、なんじゃ~、こりゃ~、という松田優作状態でしたよ。

まあ、尤もジーパン役の松田優作が「太陽にほえろ」の劇中で殉職するのは、さらに後年だったんですが、それはそれとしてシールズ&クロフツのようなヒッピー系のミュージシャンが、「想い出のサマー・ブリーズ / Summer Breeze」のようなソフト&メロウなポップスを歌っていたというインパクトは絶大でありました。

そこでサイケおやじは例によって件の洋楽雑誌に載っていた彼等のプロフィールから、ジム・シールズとダッシュ・クロフツはセッションミュージシャンとして活動しながら、様々なバンドや自分達の名義でレコードを何枚も出していた事を知り、中でも1958年に「Tequila」の特大ヒットを放ったチャンプスのメンバーだったキャリアは有名なんですが、これは推察するに、本来はスタジオで作られた実体の無いグループであったチャンプスの巡業用バンドにジム・シールズはテナー&アルトサックス、ダッシュ・クロフツはドラムスで参加していたという定説に賛成です。

ちなみにチャンプスには似た様な立場のパートタイマー(?)的なミュージャンが大勢去来していたそうで、中にはグレン・キャンベル(g) やルイ・シェルトン(g) 等々の達人も!?

そう思えば、この「想い出のサマー・ブリーズ / Summer Breeze」を含む当時の諸作がルイ・シェルトンのプロデュースである事にも納得出来るわけでして、しかも曲そのものがシールズ&クロフツの自作自演とあっては、そういう下積みもあながち無駄ではなかったのでしょう。

もちろん彼等は所謂マルチプレイヤーとしてレコーディングでもライブの現場でも、各々がギターやキーボードの他にマンドリンやバイオリン、ベースや打楽器を操り、しかも上手いんですよねぇ~~♪

それは残されたライブ音源や映像でも確認出きるんですが、何故か他にもヒットシングル&アルバムを相当に残したシールズ&クロフツの歌や演奏は現在、復刻状況がイマイチ芳しく無いわけで……。

実は本日掲載した昭和49(1974)年発売の私有シングル盤には、中川五郎の訳詩による「想い出のサマー・ブリーズ / Summer Breeze」の日本語バージョンが入っているのに、今では「無かった事」にされているのが、悲しいですよ。

また、そうなっているのはシールズ&クロフツが1980年代に入って、ほとんど表立った芸能活動をやっていない所為もあるんじゃ~ないでしょうか。

どうやらその時代以降は若い頃から信仰している「バハーイー教」に深く帰依し、聖なる生活をしていると言われる彼等にすれば、過去は過去しておきたいのかもしれませんが、広くポップスファンを惹きつけていたシールズ&クロフツは、そっとしておくには勿体ない存在と思うばかりです。

ということで、これからの季節にはジャストミートする「想い出のサマー・ブリーズ / Summer Breeze」には、かなりのカバーバージョンがあるようで、例えばサイケおやじはメロウソウル仕様のアイズリーズ版が大好き♪♪~♪

また、同時期に我が国だけの大ヒットになっていた、同趣向の名曲「シーモンの涙 / Simone」を演じたイングランド・ダンとジョン・フォード・コリーのイングラド・ダンの兄がジム・シールズという逸話も有名というか、やっぱり兄弟なればこその感性は認めざるをえません。

この「想い出のサマー・ブリーズ / Summer Breeze」と「シーモンの涙 / Simone」、そして出来ればヴィグラスとオズボーンの「秋はひとりぼっち / Forever Autumn」を続けて聴くという必殺の自己満足も、秋には大いにオススメしたいところです。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

皆が知ってる風船ガム

2014-09-10 15:03:40 | Pops

フルーツガム・カンパニーのテーマ c/w Bubble Gum World
            / 1910 Fruitgum Company
(Budda / 日本コロムビア)

今週から仕事がらみで所謂ファミリーアニメを幾つか鑑賞しているんですが、その中のひとつ「サザエさん」のラストテーマ「サザエさん一家」が本日掲載のシングル盤B面曲「Bubble Gum World」のパクリである事は、今や有名な事実でしょう。

しかし演じている1910フルーツガム・カンパニーが現役として、この日本独自のシングル盤を出した昭和46(1971)年春はもちろん、同曲が実はそれ以前の同グループデビュー期だった1968年に作られた1stアルバムにひっそりと収録されていた事からして、「サザエさん一家」を書いた筒美京平の着眼の見事さ、そしてあえてアニメ「サザエさん」の人気が定着していた時期に添え物ながらもシングルカットしたレコード会社の稚気には、思わずニンマリ♪♪~♪

つまり、当時は殊更我が国では、1910フルーツガム・カンパニーは決してガチガチのロックファンを納得させるような存在では無く、普通のポップスグループとして、あくまでもラジオ向けの耳に心地良く、サッと覚えて、それっきりみたいな扱いでしたからねぇ~~。

一応は国内盤も出ていた彼等のLPなんて、経済的な問題も含めて、しっかり聴いていた洋楽ファンは特に十代では、どれほど?

というような真相があったと思うんですよ、実際。

もちろんサイケおやじが、「サザエさん一家」≒「Bubble Gum World」という近似値に気がついたのは三十代になって、音楽産業的な視点からバブルガムサウンドに目覚めて以降、1910フルーツガム・カンパニーのレコードを本気で集め出してからです。

ちなみにテレビアニメ「サザエさん」の放映開始が昭和44(1969)年秋ですから、当初から使われていたエンディングテーマの「サザエさん一家」が作られたのは、その準備期間であったと思われます。

ご存じのとおり、1910フルーツガム・カンパニーはジェリー・カセネッツとジェフ・カッツという優れた2人のプロデューサーが黒幕となった楽曲優先の実体の無いグループであり、それゆえに練り上げられた売れる戦略は一般的な洋楽リスナーには軽く扱われようとも、業界は実績重視ですから、その分野の英才である筒美京平の思惑を侮る事は出来ないでしょう。

むしろリアルタイムの日本では、ほとんど無視されていた1910フルーツガム・カンパニーのアルバムを聴き、その要点を研究していたであろう筒美京平の感覚の鋭さに敬服するのみです。

ということで、最後になりましたが、実はA面曲「フルーツガム・カンパニーのテーマ / 1910 Cotton Candy Castle」も、本国アメリカでは既に1969年に出していたLP「インデアン・ギヴァー」に収録されていた、これがなかなかのお気楽ソング♪♪~♪

それがど~して、1971年の日本でシングル盤になったのかは、例によってサイケおやじの独断と偏見による当て推量ではありますが、同年夏の初来日決定による相互プロモーションだったのかもしれません。

そして今や伝説となったピンク・フロイドの箱根における野外公演の前座として、とことん物分かりの良いサウンドが持ち味の彼等が、どんなライブギグを披露したのかっ!?

既に述べたとおり、実体の無いグループとしてスタートした1910フルーツガム・カンパニーは、レコードを発売する度に表立ったメンバーが4~6人組に変動していましたし、1969年に入ると、例えば「The Train」のようなニューロック的なサウンドを入れたヒット曲も出していましたからねぇ~♪

タイムマシンは全ての人類が望むものだとしたら、サイケおやじは行ってみたい時空のベスト50には、必ずや選んでしまうでしょう。

もちろんそこで「Bubble Gum World」をやっていたら!?

そう思うだけで、ニンマリしてしまうのでした。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初秋に洋楽ポップスを

2014-09-01 15:21:47 | Pops

星影のバラード / Leo Sayer (Chrysalis / 東芝)

いよいよ9月がスタートし、所謂初秋ともなればロマンチックな洋楽ポップスが恋しくなるサイケおやじは「星影のバラード / More Than I Can Say」が大好き♪♪~♪

もちろんこの歌は本日掲載のシングル盤A面曲として、1980年末にレオ・セイヤーが歌い、世界的なメガヒットにしてしまったので、誰もが一度は耳にしたであろう、なかなか胸キュンのメロディと弱気(?)な歌詞が刷り込まれている皆様も大勢いらっしゃるでしょう。

実際、ウエストーストロック風味のAORサウンドに彩られたレオ・セイヤーのバージョンは心地良すぎるわけですが、そんなこんなを書いたのも皆様ご存じのとおり、この素敵な名曲はレオ・セイヤーのオリジナルではありません。

既に1960年頃、アメリカの粋なR&Rバンドだったクリケッツがイギリスや欧州でヒットさせ、さらには1961年にボビー・ヴイーがアメリカで小ヒットさせていたのですから、レオ・セイヤーはそれをカバーしていたわけです。

ちなみにオリジナルバージョンを書いたのは前述したクリケッツのメンバーであるソニー・カーティスとジェリー・アリソンという事は、当然ながら同バンドの看板であり、偉大なるロケンローラーであったバディ・ホリーの突然の悲報があって後の作品……。

 俺が言うより、もっと君を愛しているよ

なぁ~んて、些か歯の浮くような歌詞を曲タイトルにしているあたりも、なかなかロマンチックがモロ出しではありますが、それをレオ・セイヤーは持ち前の余裕を感じさせる節回しで、幾分長閑に歌っているんですから、これはヒットして当然でしょう。

しかし、レオ・セイヤーは我が国じゃ~、真っ当な人気は決して高いとは言えず、一応はシンガーソングライターという括りで扱われる事もあるんですが、確かにレオ・セイヤーは自ら名前を売った1974年の大ヒット「道化師の孤独 / Show Must Go On」の曲作りに関わってはいても、それは作詞担当なんですから、基本的に英語が常用されていない日本でのヒットはメロディ優先という真相があれば、いやはやなんとも……。

また、器用なボーカルスタイルというか、ロックもポップスも巧みに歌ってしまう天才性がある事から、これまでに出してきたレコードの数々がそのまんま、リアルタイムの流行を意識し過ぎたプロデュースに感じられるあたりが、なんとなくのマイナス要因かもしれません。

ところが、この「星影のバラード / More Than I Can Say」には、迷いがありません。

既に述べたようなウエストコーストロック風味のアレンジと演奏が、レオ・セイヤー自らのルーツであるイギリスの田舎っぽい独特の節回しと良い塩梅に融合したんでしょうかねぇ~♪

名曲ゆえに他にも数多カバーされた中には、黒っぽくソウルフルに歌われたり、ハードロッキンなバージョンさえ聞いたことがありますが、ちょっぴりホノボノして、せつないレオ・セイヤーのバージョンには捨て難い魅力を感じてしまいます。

ということで、もちろんクリケッツのオリジナルバージョンを一番好きだと言わなければ、それは本当のポップスマニアではないという風潮も承知しておりますが、サイケおやじは「マニア」ではなく、「ファン」であるという立場を旗幟鮮明にしているつもりなので、そこはご容赦下さいませ。

とにかく初秋の胸キュンポップスは素敵だということで♪

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暑いけどねぇ~~~♪

2014-07-29 14:53:19 | Pops

サマー・ブリーズ / マクリーン・ツイン (日本コロムビア)

You might  think but today is very hot!

  言うまいと、思えど今日の暑さかな。

なぁ~んていうインチキ英語で笑わせていた芸人が、その昔の日本には居りましたが、それもこれも西洋文明に対するコンプレックスを打ち消せなかった国民性の表れなんでしょう。

それは商業主義にも存分に活かされ、分かっちゃ~いるけど、ついつい気にしてしまうのが、例えば芸能界ならば、所謂パツキンのキレーなおね~ちゃん♪♪~♪

ですから、昭和の時代には意図的に「洋楽」を装いながら、実は「和製」という商品が少なくありませんでしたし、ヒットしてくれれば儲けもの、ハズレても後々の話のタネになるんじゃ~なかろうか?

とさえ、制作側の目論見を穿ちたくなるようなレコードが様々に出ていて、本日掲載のシングル盤も、そういうひとつだったような気がしています。

なにしろジャケ写に登場しているのが、如何にも正統的な美人顔の白人双子姉妹ですからねぇ~~♪

実は彼女達はイギリスのファッションモデルであり、スーザンとジェニファーの姉妹は本国でも相当に高い人気を集めていたそうで、ついには日本でもCMに登場したことから、昭和54(1979)年に我国主導で作られたのが、このレコードでありました。

そして特にA面収録の「サマー・ブリーズ」は曲タイトルからして、モロに夏向きのフュージョン系ポップスであり、流石に歌詞は Richy Gaz の綴った英語になっていますが、作曲は井上勝雄、さらにアレンジを井上鑑が担当した事により、なかなか当時の流行というか、お洒落志向の日本人を狙い撃ちする仕上がりは、今日でも気持E~~~♪ ですよ♪♪~♪

ちなみに、これがリアルタイムでは売れていたのか?

という疑問について、サイケおやじは素直に答える事が出来ません。

何故ならば、このブツは某業界の友人からプレゼントされたサンプル盤ですからねぇ……。悪口なんかは当然、禁句なわけですが、夏場に聞いての気持の良さは保証させていただきます。

ということで、実は昨日は新しいPCを買ったんですが、なんだかんだと忙しくて、データ移行や各種設定が未だに出来ず、しかも皮肉な事には、これまで不調に陥っていた長年愛用のマシンが急にスイスイサクサク動き出したんですから、PCの神様は意地悪ですねぇ~~~。

世の中、そんなもんだと達観する術も無い、そんなサイケおやじであります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ソフトロックのトミー・ロウ

2014-06-29 16:31:22 | Pops

Dizzy / Tommy Roe (abc / キングレコード)

我国ではチャートマニアやオールディズファンから絶大(?)な支持を集めるトミー・ロウは、しかし一般の洋楽好きからはバブルガムのシンガーであり、決してロケンローラーと認められているわけではありません。

しかしトミー・ロウは偉大なロッカーとして歴史に名を刻するバディ・ホリーのボーカルスタイルに影響され、何よりもソングライターとしての才能も豊かでしたから、もう少しは日本で評価されても!?

というのが、サイケおやじの正直な気持ちです。

そこで本日掲載のシングル盤A面曲「Dizzy」は、1969年春に全米ヒットチャートのトップに輝いた本人自作のソフトロックで、共作したのは旧友のフレディ・ウェラーなんですが、もうひとつ特筆しておきたいのが、ハリウッド系ポップスの裏方としては、P.F.スローンと組んだ仕事やグラスルーツのプロジェクト等々で、殊更重要人物だったスティーヴ・バリの存在でしょう。

実はスティーヴ・バリは、トミー・ロウが1962年に放ったデビュー大ヒット「かわいいシェイラ / Sheila」以来のファンである事を公言していたらしく、この「Dizzy」のプロデュースにも相当の力が入っていたのでしょうか、ちょい聞きには、ど~って事の無いメロディをグッと濃密な印象に導くストリングの使い方は、なかなかにソウルフル♪♪~♪

ちなみにストリングのアレンジはご存じ、名匠のジミー・ハスケルなんですが、ここでの成功が例えばグラスルーツ等々、1969年末頃から黒っぽいサウンド作りに転進した所謂ダンヒルサウンドの分岐点だったのかもしれません。

ただし、スティーヴ・バリは最初っから、それを本命にしていたわけでは決してなく、同時期に作られたトミー・ロウ&スティーヴ・バリのコラボレコードを聴いてみれば、前述した「かわいいシェイラ / Sheila」の如き、先祖がえりのバディ・ホリー調の歌と演奏があったりしますから、試行錯誤は確かにあったはずです。

そして、以下はサイケおやじの独断と偏見による独り善がりな推察になりますが、おそらくはここで聞かれるスタイルで「Dizzy」を歌いたかったのは、トミー・ロウ本人の希望が強かったのでは?

また、それを鋭く察したスティーヴ・バリのプロデュースも侮れないのが当然であり、そんなこんなも音楽産業の裏側を探索する楽しみのひとつかと思うばかりです。

ということで、今となってはあまり刺激的ではないトミー・ロウという歌手の存在、同じくバブルガムヒットにジャルン分けされてしまう「Dizzy」という名曲の軽い扱いは、それが当然と納得するしかない状況だとしても、もう一度、聴き返されるべき時期に来ているような気がしています。

幸いなことにトミー・ロウのキャリアを辿るのは、CDによる音源覆刻も含めて、それなりに充実していますし、近年はソフトロックの分野から再評価される良い状況もありますから、皆様もぜひ、どうぞ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一番好きなシルヴィのレコード

2014-06-17 14:11:40 | Pops

コンパクト・グランプリ・シリーズ:シルヴィ・バルタン (RCA)

 A-1 哀しみのシンフォニー / Caro Mozart
 A-2 悲しみの兵士 / Les Hommes
 B-1 あなたのとこり / Irresisitiblement
 B-2 恋人時代
 B-3 アイドルをさがせ / La Plus Belle Pour Aller Danser

何時も美しすぎるシルヴィ・バルタンのお姉様が、これは代表的なヒット曲を集めた、日本編集のコンパクト盤なんですが、サイケおやじが、あえてこれを中古ゲットしたのは、見つめてくれるシルヴィお姉様のジャケ写ポートレイトは言わずもがな、B面2曲目に入れられた「恋人時代」がお目当てでありました。

なにしろ、これは昭和46(1971)年の来日時にレコーディングされた、作詞:山上路夫&作曲:村井邦彦による日本語の歌謡ポップスなんですからねぇ~~♪

もちろん、前述のソングライターコンビは我国屈指のソフトロック主義者という作風は素晴らしく、しかし最高に素敵なのは、何の違和感も無い、流麗な日本語の節回しを聞かせてくれる彼女の歌の世界です。

しかも、葵まさひこの絶妙のグルーヴ感が効いたアレンジによって、なんとなく弘田三枝子にも歌って欲しくなるような、密度の濃さがたまりません♪♪~♪

当然ながら、この「恋人時代」はリアルタイムでシングル盤が出ていたわけですが、サイケおやじは経済的な理由から入手が叶わず、それゆえに後々まで探索の対象にしていながら、良い出会いが無くて、時が流れ……。

ようやく手に入ったブツが掲載盤というわけですが、それにしても収録の全5曲、やっぱりグッとシビれる歌ばっかり♪♪~♪

それはモーツァルトの「交響曲40番」をアダプトした「哀しみのシンフォニー / Caro Mozart」から鋭いメッセージーが含まれているとして話題集中だった「悲しみの兵士 / Les Hommes」と続くA面、そして確か1968年の交通事故から見事なカムバックヒットになった「あなたのとこり / Irresisitiblement」、さらにオーラスには、これぞっ! シルヴィ・バルタンの誰もが知っている極みの大ヒット「アイドルをさがせ / La Plus Belle Pour Aller Danser」がせつなくなる、本当に見事な流れのB面の中にあって、何ら自然に聴けてしまうのが、日本制作の「恋人時代」なんですから、心底和みます♪♪~♪

今となっては何れの名曲名唱もCD等々で簡単に聴けるとは思いますが、サイケおやじが一番に愛聴していたシルヴィ・バルタンのレコードが、これっ! ということで、本日ご紹介させていただきました。

う~ん、シルヴィお姉様のコンプリートコレクションという、非常にアブナイに道に惹き込まれそうな、嬉しくもせつない予感に満たされています。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジュリー・イン・パリ

2014-06-03 15:51:02 | Pops

巴里にひとり:フランス語バージョン / 沢田研二 (ポリドール)

海外への進出を狙った日本のミュージャンは大勢登場してきましたが、もちろん成功を果たしたのは、極一握りであった事は歴史が証明しています。

特にボーカリストの場合は言語の壁が相当に厚いですからねぇ~、居直ってというか、偶然にも日本語の歌詞のまんまでヒットを飛ばした例もあるんですが、無理な外国語でヘタレを演じた事象は、論うまでも無いでしょう。

さて、そこで本日掲載したシングル盤は沢田研二=ジュリーがフランス語で歌い、見事に現地で大ヒットさせてしまたったA面曲「巴里にひとり / Mon Amour, Je Viens Du Bout Du Monde」をご紹介致しますが、案の定、ジュリーのフランス語は苦労していることが隠し様もありません。

しかし雰囲気の出し方は本人のルックスイメージどおりの見事さですからねぇ~~、忽ち欧州各国で同曲が発売されたのは自然の摂理と思うばかりです。

そしてご存じのとおり、この歌は、1975年早々にフランスで発売され、追って我国では「巴里にひとり」の邦題で日本語バージョンが大ヒットしたのですから、サイケおやじの御託なんかは無用の長物!

ちなみにジルベール・シヌエの原曲詞を訳したのは山上路夫なんですが、どっちの言葉で歌っても、ジュリーはジュリー!?

実は良く知られている真実して、フランス語では「世界の果てからやってきて、恋人に語りかける」内容が、日本語では「恋人を棄てて(?)フランスにやって来た」という正反対の歌になっているんですから、ジュリーは流石ですよっ!

最近のCMで、インチキっぽいフランス語の歌をやっている桑田某なんか、どっかにいってしまうほどでしょう。

ということで、こんなに魅惑のバラードを雰囲気たっぷりに歌える男は、そうそう居てもらっては、凡人の野郎どもは困っちまうだけです。

もちろんサイケおやじもそのひとりとして、リアルタイムでは無視していたのが掲載のブツなんですけどねぇ~、今年に入って、矢鱈に中古屋で遭遇するんで、ついついゲットしてしまったというのが真相であります。

ジュリーがライバル!?

なぁ~んてことを歌っていたアイドルも記憶にありますが、このフランス語バージョンによる「巴里にひとり」を聴いてしまっては、そんなこたぁ~、口が裂けても言えない気分なのでした。

 

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする