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OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

キャンディ・ステイトンはディープソウルの裏女王か?

2013-01-28 14:58:19 | Soul

ベイビーとよんで c/w What Would Become Of Me / Candi Staton (Fame / 東芝)

1970年代中頃、ディープ~サザンソウルに目覚めたサイケおやじが、ひとつでも多く聴きたかったのが、キャンディ・ステイトンのレコードでした。

ところが当時はそうしたブームが萎みつつあり、黒人大衆音楽はニューソウルやフィリーソウル、またはディスコ系も含んだ後のブラコン風ブラックミュージックが主流になっていましたから、殊更我国でもキャンディ・ステイトンを聴かんと欲すれば、それなりに「運」と「努力」が必要とされていたのです。

つまり先輩コレクターに礼を尽くしてカセットコピーをお願いしたり、中古屋でのソウルコーナー探索は必須だったんですよねぇ~~。

そしてようやく手に入れた最初のブツが、本日掲載のシングル盤というわけです。

さて、そこでキャンディ・ステイトンは本質的にアメリカ南部育ちのゴスペルシンガーであり、若くして結婚したことから、実力は充分ながらも長い間、所謂芸能界とは無縁の生活を送っていたと言われていますが、ゴスペルグループに参加しての巡業は時々やっていたそうですから、世俗でのレコードデビューも運命の流れだったのでしょう。

本格的なきっかけはR&Bの大物歌手だったクラレンス・カーターの紹介により、アラバマ州にあったフェイムというマイナーレーベルと契約レコーディングを開始!

それが1969年頃であれば、フェイムレーベルを運営していたリック・ホールのプロデュースによってバックを務めるのがジミー・ジョンソン(g)、バリー・ベケット(key)、ジェシ・ボイス(b)、フリーマン・ブラウン(ds) 等々の所謂マスル・ショールズ~フェィム・ギャングの面々ですから、ハードに粘っこい演奏と真っ黒なブルース衝動に満ち溢れた歌の仕上がりは、聴かずとも最高であろう事がソウル好きの共通認識でしょう。

実際、1973年頃までにフェイムで作られたキャンディ・ステイトンのレコードにハズレは無いんですよねぇ~♪

この「ベイビーとよんで / He Called Me Baby」にしても、幾分大雑把なストリングスとバカラック調のホーンアレンジが如何にも発売された1971年型ソウルミュージックでありながら、その奥底から滲んでくるディープなフィーリングは、これぞっ! キャンディ・ステイトンのしなやかでブルージーなボーカルの力量に他なりません。

同時にリズムセクションが提供するシンプルなミディアムテンポのグルーヴ感も良い感じ♪♪~♪

一方、B面に収録された「What Would Become Of Me」の泣き節ボーカルと正統派サザンソウルの演奏が醸し出す醍醐味も最高で、ナチュラルにハスキーな領域へ踏み込んでいるとしか思えないキャンディ・ステイトンのボーカルには、思わず震えを誘われてしまうほどです。

う~ん、なんて素晴らしいシングル盤なんでせう!

以降、ますますキャンディ・ステイトン中毒が進行した事は言うまでもありませんが、思えばサイケおやじが最初に彼女の歌声に接したのは、FENから流れてきた「Stand By Your Man」という、せつなくも熱い名曲名唱でありました。

そのあたりの事は追々、拙ブログでも書いてまいりますが、もうひとつ、特筆しておきたいのが、このシングル盤を制作したフェイムレーベルとブロデューサーのリック・ホールの存在、そして件の現場だったフェィムスタジオ所縁のセッションミュージシャンのあれこれであり、それは1970年代前半の大ブームであったサザンロックやスワンプロックとも密接に関係しているわけですから、その影響力は計り知れない歴史でしょう。

ということで、結果論ではありますが、キャンディ・ステイトンを聴くようなった事で、1970年代ロックの要点やソウルミュージックのキモを尚更に強く意識するようになったのがサイケおやじの実相です。

ただし、そんな屁理屈を持ち出さなくとも、キャンディ・ステイトンの歌には素直に感情を揺さぶられる事が必至であり、それは言い古されたとはいえ、同時代のアレサ・フランクリンに匹敵するレディソウルの真髄と思っています。

なかなか聴くことが容易では無かったフェイム制作の音源も、今日ではコンプリートに近い編集盤CDが出ていますので、ぜひともお楽しみ下さいませ♪♪~♪

ビリビリにシビれること、請け合いです。

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モータウン元ネタ先祖帰りの名曲

2012-11-28 14:54:07 | Soul

Band Of Gold / Freda Pyne (Invictus / 東芝)

1960年代後半から1970年代中頃にかけて、それこそ世界中のポップスファンをシビれさせたバブルガムヒットの数々は、定説としてアメリカの黒人ポップスだったモータウンサウンドの剽窃ではありますが、しかしモロにそれをやっていたわけじゃ~ない事は、皆様ご承知のとおりです。

つまり制作側の創意工夫があっての事で、例えばイギリスのトニー・マコウレイにしろ、我国の筒美京平にしろ、モータウンサウンドやそれに関連するノーザンビートの黒人歌謡ヒットを土台にしつつ、それぞれのお国柄に合わせたリメイク(?)をやっていたと思います。

しかし、それはアメリカでも同様であった事は言わずもがな、些か本末転倒ではありますが、具体的には所謂ダンヒル系のグラス・ルーツあたりに代表される諸作ヒットに顕著でしょう。

そしてもうひとつ無視出来ないのが、黒人側からの白人ポップスの創成というか、もちろん1960年代の全盛期モータウンサウンドには、そうした側面があったわけですが、大衆音楽の最先端がサイケデリックロックの時代以降は、黒人音楽も後のニューソウルの萌芽の如き混濁フィーリングを滲ませるようになりましたから、セールスも限定的に……。

さて、そこで原点回帰を目指したのでしょうか、モータウン系サウンド工房では中心的役割を務めていたブライアン・ホーランド、ラモント・ドジャー、エディ・ホーランドのソングライターチーム、通称H=D=Hが本家から独立する形で1969年に発足させたのが、インヴィクタスというレベールでした。

そして狙いは往年のモータウンサウンドの再生と進化!?!

無論、それは楽曲やサウンドプロデュースだけではありません。中心となる歌い手の存在こそが一番重要ということで、特に本日ご紹介のシングル曲「Band Of Gold」と、それを歌ったフレダ・ペインは忘れ難いスタアでありました。

しかし、ここまで書いてきた事をサイケおやじが知ったのは、例によっての後付けです。

リアルタイムでは前述のグラスルーツとか、イギリスのエジソン・ライトハウス、我国のポップス歌謡等々に浸り込んでいたところから、そのルーツを探索する過程と言えば大袈裟でしょうが、ある日突然にラジオから流れてきた件の名曲名唱にハッとさせられたのが発端となり、様々に調べた挙句の経緯なのです。

とにかくイントロから重心の低い溌剌ピートを叩き出すドラムスとベースの共謀、そして背後にはキャッチーなリフが提供され、しかもキュートな声質と素直な節回しでシンプルなメロディを歌ってくれるフレダ・ペインのナチュラルな上手さは絶品♪♪~♪

おそらくバックの演奏はモータウン所縁のファンクブラザーズ、つまりアール・ヴァン・ダイク(key) やピストル・アレン(ds) 等々がやっているんでしょうねぇ~♪ だって、これは1970年の制作ヒットながら、サウンドのフィーリングは丸っきり1960年代中頃の味わいですからっ!

とすれば、フレダ・ペインのボーカルが失礼ながらダイアナ・ロスっぽく聞こえてくるのもムペなるかなです。

もちろんサイケおやじは一発で曲も歌手も好きなり、特にフレダ・ペインには殊更夢中にさせられたわけですが、なんとっ!? ここでサイケおやじをシビれさせる以前にはジャズボーカリストとしてのキャリアもあり、名門レーベル「インパルス」で作られた彼女の実質的なデビューLPが最高の仕上がりになっている事はジャズ者には常識と言われるほどです。

また、これも後追いで知ったんですが、クインシー・ジョーンズの自伝によれば、彼女とは不倫関係にあったとか!?

う~ん、ジャケ写からも一目瞭然、フレダ・ペインは美人歌手の典型であり、しかもグラビアモデルもやっていたそうですから、当時は19歳だった彼女にクインシー・ジョーンズが夢中になったのも納得されますねぇ。当然ながら、前述のインパルス盤の実質的なプロデュースは? という推察も易いでしょう。

閑話休題。

そこで肝心の話に戻りますが、サイケおやじがフレダ・ペインの歌う「Band Of Gold」で目覚めたのは、それがなかなか白人っぽいポップス感に彩られていたからでしょう。

今更言わずもがなの事実ではありますが、筒美京平の洋楽パクリの上手さは原曲元ネタよりも素晴らしいメロディやアレンジを作ってしまう才能の凄さであり、リアルタイムの最新ヒットを研究し尽くしていたに違いないとすれば、この「Band Of Gold」も俎上にあったと確信するところです。

それがトニー・マコウレイにも該当するであろう事は、同時代に作っていた前述エジソン・ライトハウスの一連のヒット曲等々で明らかでしょう。

逆に言えば、「Band Of Gold」を作り出したインヴィクタスの制作者達も、同様の意識で白人ウケを狙っていたんでしょうねぇ~~~。

そうしたロックフィーリングの導入は、きっちり後のボズ・スキャッグスやドゥービー・ブラザーズあたりに受け継がれていくわけですが、その意味でもフレダ・ペインのジャズもソウルも見事に融合させた歌いっぷりは流石だと思います。

ということで、サイケおやじのソウル歌謡趣味を導いてくれたのが、フレダ・ペインの「Band Of Gold」でありました。まあ、今となっては彼女の偉大なキャリア中では、それほど大きな意味合いがあるとは思えないかもしれませんが、機会があれば皆様にはお楽しみいただきたい名曲名唱です。
 

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ソウルもラテンロックもフュージョンしていたウォー

2012-09-26 15:14:51 | Soul

Cisco Kid / War (United Artist / 東芝)

1970年代初頭、サンタナの大ブレイクによって火がつけられたラテンロックの流行では、マロやアステカといったサンタナの弟分バンドをはじめ、同系の音楽性を持ったグループが幾つも注目されました。

例えば本日ご紹介のウォーも、黒人メンバーが主体とはいえ、やっていた基本は丸っきりラテンロックであり、さらにはファンクやジャズ、ブルースやフォークロックまでも包括的に融合したフュージョンサウンドで一世を風靡しましたですねぇ~♪

しかも歌詞の中身に相当なメッセージ性が強く、「ウォー」というバンド名が逆説的に平和を希求する意味合いになっていたところも侮れません。

そして彼等の最初のメジャーな出発的が、アニマルズを解散させたエリック・バードンのバックバンドであったという事実も、これまた重要ポイントかもしれません。

実は当時のエリック・バードンは芸能界引退を考えていたらしいのですが、周囲の勧めによって黒人バンドを率いての活動を企図!? そんな折にLAで発見されたのが、ウォーの前身であったナイトシフトだったと言われています。

また同じ頃、エリック・バードンが歌うステージで共演していたのが、デンマーク人のリー・オスカーと名乗るハーモニカ奏者で、そんな諸々の関係者が一堂に会し、1969年に結成されたのが、エリック・バードン&ウォーでした。

メンバーは前述のリー・オスカー(hmc,vo)、ハワード・スコット(g,vo)、ロニー・ジョーダン(key,vo)、B.B.ディッカーソン(b,vo)、ハロルド・ブラウン(ds,vo)、チャールズ・ミラー(fl,sax,vo)、そしてパパ・ディー・アレン(per,vo) の7人組で、当時のステージ進行は前半がウォー、後半がエリック・バードンの入ったガチガチネチネチのライプでしたから、1970年には最初のアルバム「宣戦布告 / Eric Burdon Declares War」を作り、シングルカットした「Spill The Wine」が大ヒットしたのも不思議ではありません。

しかし告白すれば、その頃のサイケおやじは、日本でもそれなりに流行っていた件の「Spill The Wine」をラジオで聴いても、何かイマイチ……。何が悲しくて、エリック・バードンが中途半端なラテンロックを歌うのか!?

そんな不遜な気持になっていたんですから、お笑い下さいませ。

もちろん、問題なのは、その「中途半端」なところだった事を後に知るわけですが、まあ、それはそれとして、とにかく順調なスタートから作られた2ndアルバムが「エリック・バードンの黒い世界!! / The Black-Man's Burdon」という物凄い邦題が付されたLP2枚組の熱血盤なんですねぇ~~~~。

この内容については何れ、あらためての掲載を予定していますので、今は端折りますが、ひとつだけ特筆しておきたいのが、カパー曲以外を作ったのがウォーの面々だったという事です。

さらにジャケットもエロいデザインが潜んだ問題作であり、中身は激しいラテンロックとネクラなモダンジャズの化学変化ばっかりなんですから、後は自ずと進む道が知れようというものです。

なんとっ! 驚くなかれ、主役のエリック・バードンがグループを投げ出したというか、巡業の真っ只中に疾走(?)もどきの脱退騒動が勃発し、以降のツアースケジュールは全てウォーの単独ステージになったそうですが、そのライプが所謂元祖ジャムバンドであった事から、結果オーライ♪♪~♪

こうしてウォー単独での活動が認められ、1971年には最初のアルバムが制作発売されたのですが、ここまでの経緯をサイケおやじが知り得たのは、もちろんリアルタイムではなく、本日掲載したシングル盤A面曲「Cisco Kid」が大ヒットして以降、つまりウォーが我国でも注目されての後追いです。

それが1973年の事で、最初はFEN=米軍極東放送のラジオから流れまくっていた記憶から、とにかく調子が良くて、さらにヘヴィなピート感はイントロから全開! ピアノとエレキベースの蠢きにワウワウのギターが絡んでいく展開には心底、ゾクゾクさせられましたですねぇ~♪

さらにボーカル&コーラスが野性的なグルーヴを発散し、どこか猥雑なフィーリングがワイワイガヤガヤのファンクなノリに変質していくんですから、たまりません♪♪~♪

う~ん、これぞっ! ラテンロックの真髄!!

なぁ~んて、当時は強く思っていたサイケおやじではありますが、既に述べたようにウォーの作り出していた音楽にはラテンやロックの他にブルースやジャズ等々の黒人ルーツが明確にあって、そこが黒人主体のバンドである本領なのでしょう。

ステージではアドリブ主体の気持E~、それこそフュージョンをやっていた事は、後のライプ盤で証明されています。

ちなみに同じ頃にはスティーリー・ダンも「Do It Again」のヒットで、ラテンロック路線を狙っているとリスナーに思い込ませていたんですから、なかなか罪深い話……。

もちろん両者共にジャズファンクを包括したフュージョンの礎を築かんとしていたわけですが、それはまた後の話です。

ということで、一発で「Cisco Kid」にシビれたサイケおやじは以降、ちょいちょいとウォーのレコードを集めていく中で、前述したエリック・バードンとの共演アルバムに接し、ようやく目が覚めたというわけです。

皆様もご存じのとおり、ウォーはフュージョンバンドでもあり、真性ソウルグループでもありましたが、それゆえに1970年代後半からのディスコブームの渦中では精彩を欠き、取り残されています。

つまりウォーは実に複雑なグルーヴを易々と演じていたんですねぇ~♪

現在ではほとんど顧みられないバンドになっているようですが、ドロドロのライプ盤も含めて、1970年代に発表したアルバムは全てに聴きどころが満載されていますし、率直に言って、楽しいです。

本当に良いバンドでした♪♪~♪

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ベン・E.キングの変化と常態

2012-09-06 15:48:07 | Soul

Supernatural Thing / Ben E. King (Atlantic / ワーナー・パイオニア)

ベン・E.キングと言えば、「Stand By Me」と応えるのが、広く音楽ファンの常識だと思います。

それは黒人ソウルミュージックを代表する名唱にして、ロックファンをも魅了する名曲であり、中でもジョン・レノンのカバーバージョンが、これまた地球規模で大ヒットしていますから、とにかくメロディラインと歌詞の内容についても、お馴染みのはずです。

しかしその曲を作り、オリジナルバージョンを歌ったベン・E.キング本人については、些か評価が定まらない感があるようで、実はサイケおやじも後追いで聴くベン・E.キングの歌の数々には、あまりソウルフルなムードを覚えないものが少なくないのです。

ご存じのとおり、ベン・E.キングはアメリカの黒人コーラスグループとしては超有名なドリフターズのリードシンガーであり、特に1959年からアトランティックと契約して以降に連発した大ヒット曲、例えば「ラストダンスを私に / Save The Last Dance For Me」等々は、今やスタンダードなオールディズでしょう。

また独立してからも前述の「Stand By Me」や「Spanish Harlem」、「Don't Play That Song」あたりは知られ過ぎているに違いありません。

ところがそうしたヒット曲には、意外とも思えるほど甘~いフィーリングがたっぷりと塗されていて、ストリングスやリズムのアレンジが、なかなか白っぽいメロディにジャストミート!?

おまけにベン・E.キングのボーカルスタイルが十八番とはいえ、そのソフトタッチの節回しは、何なんとも洋楽ポップスじゃ~ありませんかっ!?

つまり世間一般も、またサイケおやじも強く感じてしまう、黒人らしくないソウルミュージックというか、極言すれば白人ウケを狙ったお洒落感覚は、如何にも都会的という事かもしれません。

それが1960年代前半頃までの黒人ソウルミュージックのひとつの典型だったとすれば、サム・クックが同時期に、これまた甘~いムードのポカール曲を歌っていた事も合わせて、そうしたスタイルこそが黒人音楽の主流だったと理解されるべきなのでしょう。

ですから時が流れ、黒人音楽の世界にモータウンやスタックス等々から作り出される新しいサウンドが蔓延した時、残念ながらベン・E.キングが過去の人になってしまった印象も当然!?

実際、サイケおやじがベンチャーズやビートルズの流行によって洋楽を聴き始めた1960年代中頃以降ではありますが、黒人ソウル歌手としてベン・E.キングの名前が出てくる事は稀だったという記憶しかありません。ただ、前述した「Stand By Me」や「ラストダンスを私に / Save The Last Dance For Me」あたりの歌のメロデイだけを知るのが優先事項として、歌手「ベン・E.キング」は付随事項だったんですから、不遜極まりない話ですよねぇ……。

しかし、それが当時の真相と本音であったサイケおやじにとって、1975年という、ニューソウル真っ盛りの時期に、突如としてベン・E.キングが流行バリバリの大ヒットを出したという現実は、なにか浮世離れした感が強く、同時に新鮮でありました。

それが掲載したシングル曲「Supernatural Thing」で、実は7吋45回転のレコードA面には「part-1」、B面には「part-2」が収められているという、如何にも仕様が侮れません。

実は結論から言うと、普通、こうしたシングル曲が出る場合、それはアルバム収録の長尺オリジナルバージョンをシングル向きに分断編集したものと思ってしまうんですが、この「Supernatural Thing」の場合はLPでも、きっちり「part-1」と「part-2」に、最初っから分けられているんですねぇ~。

しかもご推察のとおり、「part-1」はクライマックスの盛り上がりでフェードアウトしながら終了し、「part-2」において、ついにネチネチとイヤミっぽいほどのエキサイティング状態に突入するんですから、どうしてアルバムに纏まったロングバージョンが入っていないのか??

これは全く不思議でなりません。

また既に述べたとおり、曲調はチャカポコのパーカッションやファンキーなギターカッティング、思わせぶりなメロディ展開等々、まさに流行最先端のサウンドが構築され、その中で自在な歌を披露するベン・E.キングは、非常にソウルフルなんですねぇ~~♪

女性(?)コーラス隊との相性も良い感じ♪♪~♪

う~ん、時代は確かに変わったんでしょうが、実はベン・E.キングの本質は変わっておらず、どんな環境のサウンドでも唯我独尊で歌いこなしてしまうのが、その実力の証明なのでしょう。

そう思ってからは、有名な「Stand By Me」が尚更に真っ黒く聴けるようになったんですから、たまりません。

しかも、このシングル盤B面「part-2」における呪術的な魂の盛り上がりが、尚更に愛おしい!

何時しかサイケおやじは、常にB面ばっかり聴いていた時期があったほどです。

ということで、どんな環境にあっても、常に自分の実力を発揮出来る人物は確かに存在し、それは要領が良いとか、日和見主義だとか、周囲から様々な批判を浴びようとも、残した立派な結果の前では戯言にすぎません。

ベン・E.キングは今日でも堂々と活躍し、最近では日本語の歌も吹き込んでいることから、ますますそうした讒言に晒される立場は看過されませんが、だからこそサイケおやじは、ベン・E.キングを認めてしまうのでした。

コメント (3)
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こんな時こそ、O.V.ライトの熱い歌

2012-09-01 15:42:06 | Soul

A Nickle And A Nail And Ace Of Spades / O.V. Wright (Back Beat)

この素っ気ないデザインのジャケ写に包まれたLPが、ディープなサザンソウルの名盤と言われれば、それなりに説得力があるのですから、レコード世界の魅力は尽きません。

そして実際に針を落し見れば、ハナからケツまでシビれること請け合いの大傑作!

歌っているO.V.ライトは南部系R&B、所謂サザンソウルの黒人シンガーとしては代表的な存在ながら、特段一般に知られたシングルヒットは出していません。しかし少年時代からゴスペルグループで歌い、鍛え上げられた実力は大衆歌謡の世界に入っても天下一品!

それは業界関係者や黒人音楽愛好者には常識であり、だからこそ本人の些か自堕落な生活の合間に立派なレコーディングが残されたのでしょう。

で、本日ご紹介のアルバムは1970年前後に出していたシングル曲をメインに編集された1枚で、世に出たのは1972年頃とされていますが、それにしてもニューソウルが黒人音楽の流行最先端であった時期に、これほどR&B原理主義の歌と演奏が作られていた現実は、独立的とも思えるサザンソウルの根強い人気と需要があった事に加えて、O.V.ライトの実力がはっきりと認められていたからと思います。

 A-1 Don't Let My Baby Ride
 A-2 Born All Over
 A-3 Ace Of Spades
 A-4 Eight Men - Four Women
 A-5 He Made Woman For Man
 B-1 I Can't Take It
 B-2 Afflicted
 B-3 When You Took Your Love From Me
 B-4 Nickle And A Nail
 B-5 Don't Take It Away

まずA面ド頭「Don't Let My Baby Ride」に針を落した瞬間に迫って来る、何とも思わせぶりなスワンプフィーリング満点のイントロ! そのギターの音色とフレーズの妙に加えて、ピアノもベースもドラムスも粘っこくてヘヴィなピートをナチュラルに表出していますから、主役のO.V.ライトもミディアムテンポで熱いブルース衝動をじっくりと歌ってくれますよ♪♪~♪

怠惰なムードの女性コーラスも良い感じ♪♪~♪

あぁ、もう、この一発だけで、辛抱たまらん状態は必至なんですが、実はこれこそが1972年にシングル発売されたという、今となっては時代錯誤も強烈と思わざるをえない、そのディープなソウル魂が嬉しくも素晴らしすぎるんですよねぇ~~♪

おまけにそのB面に収められていた「He Made Woman For Man」が、これまたブラックミュージック特有のメロウフィーリングを滲ませる情熱のサザンソウルであり、泣きじゃくるが如く歌うO.V.ライトには我知らず、もらい泣きしてしまうですよ♪♪~♪

ちなみに原盤LP裏ジャケに記載された演奏メンバーはティーニー・ホッジス(g)、チャールズ・ホッジス(key)、リロイ・ホッジス(b)、ハワード・グリムス(ds) という、所謂ハイ・リズムですから、その力強く、しなやかなソウルグルーヴは天下一品ですし、ウェイン・ジャクソン(tp)、アンドリュー・ラヴ(ts)、ジェームズ・ミッチェル(ts)、エド・ローガン(ts) 等々が参加したホーンセクションもツボを押さえた良い仕事!

またバックコーラスとしてクレジットされた「Rhodes, Chalmers & Rhodes」は白人のボーカルトリオとされていますが、これには諸説があり、個人的にはイマイチ真相が掴めていません。

しかし、それはそれとして、とにかくここに収められた全曲の真っ黒いソウルフィーリングは過言ではなく、唯一無二の黒光りで、特にスローで粘っこい「I Can't Take It」の魂を揺さぶられるが如き歌唱の物凄さ! 抑えた中にも、こみあげる魂の呻きがリアルな「Afflicted」、同じく力強いリズム隊に煽られつつも、コーラスと一体になって絶唱していく「When You Took Your Love From Me」と続くB面の流れは、ちょい聴きには地味かもしれませんが、絶対に飽きることが無いどころか、完全にサザンソウル中毒に陥る事、必至です!

あぁ~、これが本当に1970年代初頭のサウンドなんでしょうか?

既に述べたように、極東の島国でニューソウルに浸っていたサイケおやじには、その時代錯誤性が眩しくも強烈に感じられましたですねぇ~♪

その意味で続く「Nickle And A Nail」のリズム&ピートにスワンプロックと同質のグルーヴを発見したり、オーラスの「Don't Take It Away」へ至っては、思わずチキショーって叫びたくなるほどの高揚感に満たされてしまうんですから、O.V.ライト、そしてディープソウルは不滅!!

実は告白すると、このLPをゲットしたのはオーティス・クレイの「愛なき世界で」を聴いてからの次の行動でありまして、その頃の我国では完全にマイナーな領域であったサザンソウルの奥の細道に歩み出さざるを得ない心境になりましたですねぇ~~。

しかし、その道は険しく、厳しく、平たく言えば、日本国内での再発状況の活性化は少しずつ活発になってはいましたが、情報そのものが極端に少ないのでは、何を聴いていいのか、まさに手探りというか、耳探りでした。

そこで、このアルバムで凄いバックを担当していた前述のハイ・リズムが入っているレコードをひとつの基準に設定したわけですが、それにしても、この4人組はアブナイほどの力量がありますですねぇ~♪

それはここでも「Born All Over」の淡々としたグルーヴの奥深さ、ドスの効いたピートを堪能させてくれる「Ace Of Spades」、それが常に主役であるO.V.ライトを鼓舞し、裏に表に見事なサポートを演じているんですから、流石と思います。

で、このリズム隊が何時頃から一緒にやっているのかは勉強不足で知る由も無いながら、このアルバムで一番に古い録音とされる1967年頃の「Eight Men - Four Women」でさえも、既に確固たるソウルのエモーションを煽ってくれるのですから、好きになったら命がけというか、生涯ついていくのがサイケおやじの生きる道なんでしょうかねぇ~♪

と、まあ、そこまで追いつめられてしまうのが、O.V.ライトの魅力というわけです。

ちなみに最初に買った私有盤は当然ながらアメリカプレスのアナログ盤LPだったんですが、後の1978年頃に国内盤が出た時には、なんとっ!? 「Ace Of Spades」が別人の歌うテイクだったという真相があったというんですねぇ~~!?

実はサイケおやじが、この問題を知ったのは以前にご紹介したO.V.ライトの「壱萬参千円箱」に付属の解説書を読んだ時だったんですが、詳しくはそこに譲るとして、結論から言えば件の「Ace Of Spades」には現在まで以下の4バージョンが残されているとの事です――

 1970年シングルバージョン (オリジナルヒットバージョン = MONO)
 アメリカ盤LPバージョン (フェイドアウトのショートバージョン = Rimix)
 1973年シングルバージョン (再発別テイクバージョン)
 作者のメルヴィン・カーターが自演のバージョン (STEREO)

以上のような分類なんですが、これは実際、前述の「壱萬参千円箱」にきっちり分類収録された同曲4バージョンを聴いてみれば、その違いに驚きを隠せません。

例えば再発の「1973年シングルバージョン」には、イントロから歌い始める前の「ヘイッ!」という掛け声がありませんし、サイケおやじが慣れ親しんでいた「アメリカ盤LPバージョン」は「1970年シングルバージョン」に比べると、最後のパートが短くフェードアウトしてあった事が歴然でした。

また問題となる、1978年の国内盤に入っていたとされる「メルヴィン・カーターの自演バージョン」が、どういう経緯でマスターの取り違えが行われたのかは不明ながら、これだけがステレオミックスになっている事が、その一因かもしれません。

ということで、このアルバムはディープ&サザンソウル永遠の名盤なんですが、何故か単体としては少し前まで品切れ状態だったものが、いよいよ近々、紙ジャケット仕様のCDとして再発されるようです。

気になる「Ace Of Spades」の別テイク&バージョンが現時点で、どのように収録されるかは不明なんですが、ひとりでも大勢の皆様に楽しんでいただきたい傑作集であることは断言して後悔しないのが、サイケおやじの姿勢です。

こんな世相と残暑が続く毎日、これほど熱い歌と演奏は……、と躊躇されるご気分も、いえいえ、だからこそのO.V.ライト!

鬱陶しさには本物が絶対に効きますよ。

魂を揺さぶられる快感は決して悪いものではありません。それは真実だと思います。

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これがファンクだっ! ファンキーだっ!

2012-08-24 15:11:25 | Soul

ファンキー・ベティ / Betty Davis (Just Sunshine Records / CBSソニー)

ここ数日の我国外交の見苦しいザマは、恥ずかしいやら、呆れるやら……。

相手国の非礼も異常とは思いますが、それと同じ気持になって泥仕合をやっている野田ってのは、本当に総理大臣なのかっ! 子分どものボンクラさ加減も極まっていますが、やっぱりねぇ……。

そこで、ど~せ、ドロドロやるんなら、ファンクとはスマートに演じてこそ、ファンキ~~~♪

と、本日の主役たるベティ・デイビスのお姉さまから、キツ~イお説教をぶちかましていただきましょう。

ご存じのとおり、彼女はファンションモデルであり、また有能な作詞家でもあり、一番知られているのは、今日でもモダンジャズの帝王と崇められているマイルス・デイビスの元妻にして、絶対的なファンキークイーン!

とにかくビジュアルも、やっている事も全てが、カッコE~~♪

そういうブラックミュージックの輝けるスタアであって、そのあたりは掲載したシングル盤のジャケ写からも、皆様には充分納得いただけるものと思います。

しかしそれはマイルス・デイビスとの結婚でそうなったわけでは決してなく、それ以前のベティ・メイブリー時代から各方面に作詞を提供し、ファッション感覚もモデルという職業意識以上のぶっ飛びがあったそうで、流石の帝王たるマイルス・デイビスも完全にゾッコン、イチコロにされていたのは、そのあたりに要因があろうという推察は易いでしょう。

なにしろ正式に結婚した1967年以降、まず帝王自らがスーツを脱ぎ、サイケデリックど真ん中のギンギンファッションに身を包んだばかりか、ベティ・デイビスに捧げて「Mademoiselle Marby」なぁ~んて曲まで演奏吹き込みしているんですねぇ~♪

それが隠れ人気アルバム「キリマンジャロの娘」に収録され、当然ながらというか、そのジャケットにもベティ・デイビスが登場しているんですから、いやはやなんとも、男は女で変わる!

それが証明された立派な事件(?)でしょう、これは。

また一説には音楽面においても、ジミヘンやスライをマイルス・デイビスに紹介したのが、これまたベティ・デイビスの仕業と言われていますし、結局は2年ほどで終わってしまった結婚生活も、今となっては「歴史」の一幕なのでしょうか?

もしかしたら、あの「ビッチェズ・ブリュー」だって、彼女が帝王の前に現れなければ、作られなかった??? そんな妄想さえ浮かんできますから、ますます意味深!? 同時期には夫婦付随でベティのボーカルセッションが録られていたという噂もありましたですねぇ~♪

さて、そういうベティ・デイビスですから、帝王と別れてからも周囲はチヤホヤ♪♪~♪ モータウンでの仕事やソロシンガーとしてのデビュー企画も持ち上がり、なんとっ! T.レックスのマーク・ボランの熱心な勧めにより、ついに制作発売されたデビューアルバム「ベティ・デイビス」には、サンフランシスコ周辺のファンキー&ファンクな面々が大集結し、なかなか決定的な名盤になっていますが、これについては何れ、取り上げたいと思います。

で、いよいよ本日ご紹介のシングル曲「ファンキー・ベティ / They Say I'm Different」なんですが、これは1974年に出た同名2ndアルバムからのカットながら、曲作りやプロデュースは完全に自前の世界!

前述のデビューアルバムがグレッグ・エリコのプロデュース、さらにその繋がりで豪華絢爛なサポートメンバーを集めていた事を鑑みれば、こちらはマイク・クラーク(ds) やコーネル・デュプリー(g) 等々、職人肌のミュージシャンを思いのままに操った(?)ベティ・デイビスの趣味嗜好がモロに出ているように思います。

なにしろイントロからメッチャ、ファンキーなギターが登場し、ラップ系ボーカルで何を歌っているのか、ほとんど理解不能なベティ・デイビスのボーカル! その背後で蠢くスライドギターとシャープなピートのドラムスに絡むベースの辛辣さ!!

あぁ、これで腰が浮かなかったら、ファンク&ファンキーを楽しむ遺伝子に欠けていると断言したくなるのは、例によってサイケおやじの強い思い込みです。

しかし、実際にカッコ良すぎて、ど~にもなりませんよっ!

スバリッ! こんな駄文を綴っている自分が恥ずかしくなるほどです。

ということで、ここまで潔くファンキークイーンを演じているベティ・デイビスは、実質3枚のアルバムを出してから以降は沈黙……。

今は何をやっているのかなぁ~~~。

とにかくファンキーにもスマートさ、品性が時には必要でしょう。

そう思っていたら、例の外交問題における手紙の問題なんて、バカ丸出し以外の何物ではなく、互いにキモがちっちゃい事を世界中に晒したにすぎません。

そんな思いに囚われてしまう国民が少なからず存在しているのですから、ちったぁ、自覚して欲しいもんですねぇ、リーダー各々には! 

ベティ・デイビスのイカシたファンクは、そういうバカどもにも良いクスリになるはずですよ。

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サム・クックのソウルに震える

2012-08-21 16:47:58 | Soul

Sam Cooke Live At The Harlem Square Club, 1963 (RCA)

もちろんサム・クックは「ミスター・ソウル」と崇められる偉大な黒人歌手であることは、今や説明不要だと思います。

しかしサイケおやじは正直、何故サム・クックが「ミスター・ソウル」なのか? 恥ずかしながら長い間、それが全く理解出来ませんでした。

それでもサム・クックがオーティス・レディングやジョン・レノンやロッド・スチュアート等々、多くの凄い歌手から尊敬される存在であることは、日本で洋楽を聴いているサイケおやじにも知識としてはありましたし、実際に前述したボーカリストが素晴らしいカパーバージョンを吹き込んでいる事からして、サム・クックはやっぱりソウルの神様なのか!?

という漠然とした真実を確かめる事は、所謂ひとつの責務として、サム・クックの代表曲が入ったベスト盤LPを聴いてみたのですが、これがどうにも黒人らしさ、つまりソウルフルな感覚が薄く、しかもソフトなメロデイ優先主義の上手い歌手という印象だったんですねぇ……。

う~ん、これが「ミスター・ソウル」とは、これ如何に!?

今となっては完全に笑われてしまうんでしょうが、偽りの無い気持です。

しかしご存じのとおり、サム・クックはそのキャリアの初めにはゴスペル歌手としての成功があり、次いで1957年頃に大衆歌謡の世界へ転じた時、どういうわけか当時流行のR&Bスタイルではなく、反ロケンロールとも言うべき歌物スタンダードを吹き込んでいきました。

それが前述のベスト盤に収められていた「You Send Me」や「For Sentimetal Reasons」、そして「Wonderful World」等々の大ヒット曲に代表されるソフトな語り口を活かした名唱なんですが、そのあたりを「ミスター・ソウル」の真髄として聴くには、レコードという媒体は、あまりにも肩すかしでしょう。

実は後に知り得たことですが、ジャズやR&Bの黒人ボーカリストが大きな成功を収めるためには、白人マーケットにも売れる歌謡パラードをメインにする必要性があったようで、例えばビリー・エクスタインやナット・キング・コール、そしてロイ・ハミルトン等々が絶大な人気者であった事を鑑みれば、サム・クックのそうした路線も当然であったのです。

そしてもうひとつ、少なくともサイケおやじの世代はビートルズ以降の洋楽がリアルタイムのはずですから、基本的に強くて粘っこい黒人ピートやコブシには慣れきっているんでしょうが、当時のアメリカの白人少年&少女は当たり前の人種差別によって、本物の黒人音楽に接する機会が極めて少なかったはずですから、サム・クックが狙った白人ウケするレコードでさえも、相当に黒っぽく感じられたんじゃ~ないでしょうか?

とすれば、サム・クックのダンス系ヒット曲としては代表的な「Twistin' The Night Away」にしても、素っ気無いほどの歌いっぷりが妙にインパクトの強いものに感じられるのです。

ちなみにサム・クックが残したレコードでは、明らかに大人向けの歌謡パラードや歌物スタンダードで作られたLPに対し、シングル盤は十代向けというか、そういう恣意的な制作企画があったように思いますし、実際の巡業ステージでは白人御用達のナイトクラブとは別に黒人専用のドサ回りっぽいライプもやっていたのが定説で、おそらく「ミスター・ソウル」の真髄は後者にあったと思われます。

で、そんな漠然とした推察がぼんやりと浮かんでいた頃、それは1985年だったんですが、忽然として輸入盤屋の店頭に出ていたのが、本日ご紹介のライプアルバムでした。

 A-1 Feel It
 A-2 Chain Gang
 A-3 Cupid
 A-4 Medley:It's All Right - For Sentimental Reasons
 A-5 Twistin' The Night Away
 B-1 Somebody Have Mercy
 B-2 Bring It On Home To Me
 B-3 Nothing Can Change This Love
 B-4 Having A Party

さて、ライプ盤の魅力とは、その一端であるにせよ、ファンが憧れのスタアのステージに接する興味と喜びであって、そういう需要と供給から実況録音が行われるわけですから、主役にとっては自らの人気を証明する絶好の機会でしょう。

サム・クックの場合も、1964年12月の突然の悲報により他界する以前、既に公式ライプアルバム「アット・ザ・コパ」と題されたLPを作っていて、これは同年7月、ニューヨークのナイトクラブ「コパカバーナ」に出演したステージを録った人気盤ながら、内容は白人客にアピールする目的を優先させたが如き、なかなか小粋にスイングする歌物が中心ですから、決して「ミスター・ソウル」の本領発揮を期待するとハズレます。

ところがご紹介の発掘ライプ音源は、1963年1月にマイアミの黒人客もOKというクラブでのライプレコーディングですから、その基本姿勢が違うという事でしょうか、実に生々しくも熱いブラックフィーリングが全篇に噴出しまくっているんですねぇ~~♪

しかも音質は、おそらく正規録音(?)であり、歌も演奏も観客の拍手やざわめきさえも、ソウルの闇鍋の如く、最高のゴッタ煮が美味しく楽しめるのです。

それはA面ド頭「Feel It」の幾分軽い肩慣らしから、続く「Chain Gang」では既に熱気全開という会場の雰囲気がピンピンに伝わって来る流れが圧巻! さらにスタジオバージョンでは甘さが目立って虫歯になりそうだった「Cupid」でさえも、ここでは粘っこいハードスイングになっているのですから、たまりません♪♪~♪

そして最初のハイライトが「It's All Right - For Sentimental Reasons」の極みのメドレーで、ゴスペルフィーリングをモロ出しにするサム・クックに呼応する観客のコーラスは、まさにコール&レスポンスを超越した魂の合唱ですよっ!

あぁ~、これを最初に聴いた時のサイケおやじは、心からの歓喜で震えてしまったですよ♪♪~♪

う~ん、サム・クックって、こんなに凄かったんだぁ~~!

これぞっ、「ミスター・ソウル」に偽り無し!

と、思わず熱くなってしまいましたが、もちろんサム・クックは闇雲にシャウトしているわけではありません。

持ち前のソフトな歌いっぷりと高音域に入っていく瞬間に聞かせてくれる絶妙のコブシ、如何にもゴスペル出身者らしい粘っこい説得力を前面に打ち出した節回し等々、それは今日の黒人ソウルミュージックでは当たり前の基本を自然体で演じているにちがいありません。

ですからお馴染みの「Twistin' The Night Away」がアップテンポで披露されても、スタジオバージョンで感じられたスピード感の軽さが、ここでは黒人音楽だけが持つ特有のトライヴ感に変質しているように思います。

いゃ~、このA面の流れ、本当に何度聴いても飽きませんねえ~~♪

しかしB面もさらに素晴らしく、抑えきれない(?)ゴスペル衝動が隠し様もない「Somebody Have Mercy」や「Nothing Can Change This Love」、お待たせしましたの大ヒット曲「Bring It On Home To Me」におけるネチネチした表現は、明らかに後の白人ロック歌手にも多大な影響を与えている事が確認出来るでしょう。

そしてオーラスの「Having A Party」が、これまた意外なほどの素っ気無さを逆手に活かした絶妙のクライマックスを出現させている感じですから、もう、会場は興奮のルツボ! 歓喜の喝采はもちろんの事、時折に雑音と思われる拍手は、おそらく録音マイクの傍にいたレコーディングエンジニアが我を忘れた行動じゃないかと推察されるほど、その場の雰囲気は狂熱に包まれていたわけです。

ちなみにバックの演奏はキング・カーティス(ts) のバンドがメインで、そこには弱冠二十歳のコーネル・デュプリー(g)、ジョージ・スタッブス(p,org)、アルバート・ガードナー(ds) 等々が、サム・クックの巡業用バンドの面々と最高のグループを演出提供しているのですから、たまりませんねぇ~♪ もちろん親分のテナーサックスも適所で任侠節を聞かせてくれますよ♪♪~♪

ということで、こんなにR&B本来の魅力を堪能させてくれるレコードが、なんとっ! 22年間もお倉入りしていたという、その信じ難い事実!

まあ、確かにサム・クックは生前、黒人公民権運動に深く関わり、自ら作った黒人意識高揚の曲を堂々と歌っていましたから、最期の瞬間となった射殺事件の真相も含めて、白人社会には長らくそっとしておきたい天才だったのかもしれません。

また黒人ミュージシャン全体の地位向上という大義名分を得て、自らの楽曲を管理する音楽出版社の設立やレコード会社との印税配分のゴタゴタ等々、あきらかに白人資本家にとっては、疎ましい一面を持った歌手でした。

それが白人と黒人の両方にウケていたという現実は、既に述べたとおり、双方のマーケットでスタイルやポリシーを使い分けていたという、些の狡さもあったからという分析は認めざるを得ないかもしれません。

しかしサム・クック本人は決して聖人君子ではなく、お金や女や酒でのトラブルも人間的な誘惑に負けての結果であることを知ってみれば、非常に親しみの持てる天才だと思います。

ということで、このLPは素晴らしく熱くて楽しい傑作盤!

出た当時から、ずぅ~~っと愛聴しているんですが、実は発売された頃はちょうどCDが実用化され、このアルバムも逸早くそれが輸入されていました。

で、友人から流行最先端のメディアとして聞かせていただいた同音源は、まさに仰天! その音質のクリアーさは無論の事、アナログ盤LPではカット編集されていた曲間の諸々がしっかり追加された完全版仕様になっていたんですねぇ~~!?

そのあたりは冷静に考察すれば、パッケージ化された同音源の曲の流れが実際のステージどうりであったのか? そういう分析も含めて、何かと疑問もあるわけです。

ただし、それはそれとして、そのCDバージョンで聴く事が出来た同アルバムのさらに凄い実態は、常に時代に遅れているサイケおやじにCDブレイヤー導入を決断させるきっかけのひとつになった事を付け加えておきます。

もちろん現在では、しっかりCDもゲットして、聴きまくっていますよ。

なにしろ何時如何なる時に聴いても、感動しますからねぇ~~♪

サム・クックの真髄、「ミスター・ソウル」と称された理由が、ここにあります!!

最後になりましたが、随所に滲み出るロッド・スチュアートっぽい節回しは無論、本末転倒!

しかし、続けてロッド・スチュアートが聴きたくなる衝動も抑えきれないのでした。

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熱気ブッ飛びの熱気

2012-07-30 15:07:06 | Soul

In The Beginning... / The Isley Brothers & Jimi Hendrix (T-Neck / Buddah)

すっかり成功を勝ち得た偉人の下積み時代を語る事は、その頃に苦楽を共にしたり、あるいは様々に世話をした云々という、些かの自慢話が傍目には嫉妬に思われてしまうわけですが、それでも昔の恩義を忘れないのが本当の偉人というものでしょう。

例えば未だ音楽史に屹立するジミ・ヘンドリクスが、その駆け出し時代から多くのR&Bスタアのバックバンドで働きながら、常に自らの個性を磨く事に邁進していた姿を我々が知ることになったのも、当時の音源がそれなりに纏められているからに他なりません。

平たく言えば、それは人気が爆発したジミヘンに便乗した商売なんですが、それを全て、一概に否定するのは大間違いでしょう。

もろちん中身は玉石混合、う~ん、これは酷いなぁ……、と呆れるブツも多い事は確かなんですが、しかし本日ご紹介するアイズリー・ブラザーズのLPは、なかなかの充実作として、殊更サイケおやじは愛聴している1枚です。

 A-1 Move Over And Let Me Dance Part 1
 A-2 Have You Ever Been Disappointed Part 1 & 2
 A-3 Testify Part 1 &2
 A-4 Move Over And Let Me Dance Part 2
 B-1 Wild Little Tiger
 B-2 The Last Girl
 B-3 Simon Says
 B-4 Looking For Love

ご存知のとおり、ジミヘンがアイズリー・ブラザーズのバックバンドだったI.B.スペシャルズに雇われていたのは1964年前半であり、そこを一時的に止めた後、1965年夏頃から再び同バンドに出戻ったわけですから、何もアイズリー・ブラザーズがジミヘンの個性を育てたとばかりは言えません。

ところがここに纏められた上記のトラックを聴いてみると、特にA面の4曲においては、ほとんど完全にジミヘン特有の「らしさ」が出来上がっているんですねぇ~~!?!

結局、これは個人的な思い込みもありますが、アイズリー・ブラザーズ本来の持ち味であるファンキーロックとジミヘンがやろうとしていたアイディアの相性が良かったのでしょう。

中でも初っ端に収められた「Move Over And Let Me Dance Part 1」や続篇の「Move Over And Let Me Dance Part 2」におけるファンクロック丸出しのリズムカッティングや早弾きフレーズは、完全に後のジミヘンがモロ!

実は良く知られているように、このアルバムに収められたトラックはアイズリー・ブラザーズが1964&1965年にシングル盤として出した音源ばかりなんですが、あえてジミヘンの名前を出して再発するからには、その天才のギターを前面に出したリミックスを施した事が効果的!

それはアップテンポで疾走する「Testify Part 1 & 2」の爆発的なギターワークに驚愕させられる事にも絶対的で、残念ながらサイケおやじはオリジナルミックスのシングルバージョンは何れも聴いたことが無いんですが、いやいや、ジミヘン中毒患者としては、このアルバムバージョンに手を合わせるばかり♪♪~♪

ひぇ~~、本当に凄いんですよねぇ~~♪

そしてスローテンポの「Have You Ever Been Disappointed Part 1 & 2」が、これまた味わい深い仕上がりで、本来はもっと全面に出ていたであろうホーンセクションよりはグッと強くリミックスされたジミヘンのギターゆえに、アイズリー・ブラザーズ特有のネチネチしたメロウ感覚が増幅されている感じです。

しかし一方、B面に収録のトラックは、どのように足掻いても当時の流行に沿った普通のポップス系R&Bの域を出ておらず、やはりシングル盤として世に出す以上は革新性よりは最大公約数的な大衆ウケを狙う常道の結果なのでしょう。

このあたりを付属の資料から整理すると――

 「Testify Part 1 c/w 同 Part 2 (T-Neck 501 / 1964)」
 「The Last Girl c/w Looking For Love (Atlantic 2263 / 1964)」
 「Simon Says c/w Wild Little Tiger (Atlantic 2277 / 1965)」
 「Move Over And Let Me Dance c/w Have You Ever Been Disappointed (Atlanitc 2303 / 1965)」

となりますので、制作は何れもアイズリー・ブラザーズが主導する自己のレーベル「T-Neck」なれど、その音源を発売していたのはアトランティックという大きな会社であれば、そういう方針を非難する事は出来ません。

もちろん激しいギターワークを演じていたジミヘンのプレイにしても、おそらくは相当に抑えられたミックスであったのが、オリジナルシングルの実相だと思われます。

また後に正式メンバーとなる年少の弟・アーニーが、この頃のジミヘンのギターに大きな衝撃と影響を受けた事は、特に1970年代以降に発表されていくアイズリー・ブラザーズのアルバム、あるいは同時期の巡業ライプ音源に顕著ですから、そうした有名な逸話の裏付けとして、ジミヘンの参加をウリにした音源集が1971年に出されたのは意味深でしょう。

企画やリミックスの作業も含めて、おそらくはアーニーのアイディアが相当に大きかったと推察しております。

ということで、このLPはジミヘンの死後に出た事により、なにか無断で商売をやってしまった感もありますが、もしもジミヘンが存命だったとしても、これは充分に発売されていたでしょうし、本人も納得されていたと思います。

それほど特にA面でのジミヘンのギタープレイは凄いですし、近年に纏められた4CD+1DVDのアンソロジーにも、これらの幾つかが入れられている事からして、遺族も公認するしかない素晴らしさのはずです。

とすれば、音質良好な当時のライプ音源も発掘が望まれますねぇ~。

とりあえず、暑さもプッ飛ぶ、逆療法的な熱演というわけです。

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これは和みのソウルミュージック♪

2012-07-15 16:33:10 | Soul

Gimme Little Sign / Brenton Wood (Double / 東芝)

とにかく歌の中身がなんであれ、聴いていて気持良い曲というのは確かにあって、例えば本日ご紹介のプレントン・ウッドが歌う「Gimme Little Sign」も、そのひとつ♪♪~♪

ジャケットからもご推察のとおり、プレントン・ウッドは黒人歌手ですから、それはR&B~ソウルミュージックに分類されて間違いの無いところではありますが、この「Gimme Little Sign」にはソフトロック風味も隠せないフィーリングが最高なんですねぇ~♪

まあ、そのあたりは黒人音楽特有のメローな感覚の表れなんでしょうが、これが日本で流行った昭和43(1968)年には、そうしたポイントが如何にもお洒落であり、忽ち我国歌謡曲のポップス部門にも少なからず影響を及ぼしたように思いますし、GSにもかなりカバーされていたように記憶しています。

肝心の歌っているプレントン・ウッドについては、ほとんどこれが我国では一発ヒット的なシンガーではありますが、実はソングライターとしても有能らしく、多くの職業作家のゴーストをやっていたとか、このあたりは如何にも活動の拠点にしていたハリウッド芸能界でブレイクしただけの事情が窺えると思います。

ちなみに掲載した日本盤のスリーヴに「ブレントン・ウッズ」と名前の記載があるのは、まあ、いいか……。

肝心のボーカリストとしての個性という点では、あきらかにサム・クック系のソフトな歌い回しとジャズっぽいノリが特徴的でしょうか。それは「Gimme Little Sign」に関する限り、今も人気が衰えていない要素のひとつかもしれません。

さて、実はこういうレコードを聴きたくなったのも、最近続発する自然災害や心の痛む陰惨な事件が報道され続けているからでして、つまりは和みが欲しいんですよねぇ。

もちろん政治状況の悪さは言うまでもありませんし、こんな世相の中で国会の場を軽んじ、フラガールの前でニヤついている総理大臣のアホな姿、あるいは身勝手な親分気取りの領袖達が嘘の上塗りをやっている現実からの逃避と指摘されれば反論も出来ないわけですが……。

まあ、一般庶民のささやかな抵抗のひとつとして、ソフトなソウルミュージックに浸るのもOKじゃ~なかろうか?

とサイケおやじは今日も言い訳を弄しているというわけです。

失礼致しました。

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今こそ必要なハッスル!

2012-06-30 15:51:06 | Soul

ハッスル / Van McCoy & The Soul City Symphony (Avco / 日本ビクター)

ここ数日、有名芸能人の訃報が続きますねぇ……。

それも伊藤エミ、地井武夫、小野やすし……、故人が押し並べて七十代になったばかりとあっては、現代我国の長寿社会を鑑みて、やはり早すぎるという思いを禁じ得ません。

もちろん、この世には、そこまでも生きられなかった命が夥しく、何が天寿なのかの答えを出せるはずもありません。

さて、そこで本日の1枚は、何故か最近、またまた耳にする事が多くなった掲載シングル曲「ハッスル / The Hstle」で、この名曲を世に送り出したヴァン・マッコイという早世の天才を偲びたいと思います。

で、故人の偉大なる業績としては、今では普通になっているディスコミュージックの基盤を築いたというか、昔っからダンス音楽の需要が高かったアメリカ東海岸地区における1950年代からの活動の中、一応はキーボード奏者としてよりも、どちらかと言えば作編曲家やプロデューサーとしての立場が明確であり、グラディス・ナイトやスタイリスティックス等々への縁の下の力持ちとして、熱心なファンや業界からは高い評価を得ていたようです。

しかし、一般的な我国の洋楽リスナーがヴァン・マッコイを痛烈に意識したのは、この「ハッスル / The Hstle」が極みでしょう。

それはスバリ! 聴いているだけで腰が浮いてしまうほどの快楽性が大変な魅力であり、同時に調子良く踊れてしまう事は言うまでもありません。

本国アメリカでは1975年に発売され、忽ちの大ヒットになった流れに沿うように、日本でもディスコはもちろん、街角の商店街やパチンコ屋、夜の居酒屋やストリップ劇場でも流行りまくっていた事は、今も刷り込まれた記憶になっていますから、今日まで様々なCMに同曲が使われてきたのも納得して当然!

これほどウケてしまう要因のひとつとして、ヴァン・マッコイは決してジャズやソウルといった黒人音楽保守本流に拘る事なく、ロックもラテンもエスニックも、とにかく世界中の素敵なリズムやメロディを偏見無しに融合させるテクニックに長けていた、とサイケおやじは思います。

そして、それを具象化する為のバンドが、掲載した日本盤シングルのピクチャースリーヴには「スタイリスティックス・オーケストラ」と記載されていますが、実際は「The Soul City Symphony」という覆面演奏集団で、メンバーはスティーヴ・ガッド(ds)、ゴードン・エドワーズ(b)、リチャード・ティー(key)、エリック・ゲイル(g) といった、後のスタッフの面々に加えて、リック・マロッタ(ds)、ジョン・トロペイ(g) 等々の凄腕セッションミュージシャンが大集合♪♪~♪

う~ん、件のスタッフの結成デビューアルバムがヴァン・マッコイのプロデュースだった事も、これで頷けるのではないでしょうか。

ちなみに日本盤のクレジットを「スタイリスティックス・オーケストラ」としたのは、おそらく本家のスタイリスティックス人気にあやかったと想像しておりますが、これまた肯定は易いのでは?

ということで、こういうイージーリスニング系のソウルインストがディスコでウケまくり、時を同じくして所謂クロスオーバーからフュージョンと呼ばれ始めたジャズ系快楽音楽が、なかなか共通のメンツで制作されていたというあたりは、時代の要請だったように思います。

そこではヴァン・マッコイが文字通りハッスルしまくった活躍をした事が、今は懐かし思い出になってしまった現実があり、ディスコミュージックが下火になりつつあった1979年、39歳の若さで天に召された事は非常なる運命のいたずらなのでしょうか……。

しかし少なくとも、この「ハッスル / The Hstle」が今も各方面で愛されている事は不滅の証であって、こんな停滞を通り越して消耗に向かいつつある現代にこそ、腰が浮いてしまう音楽の必要性を訴えているわけです。

個人的信条としては、矢鱈にアッパーな行動は慎む事を是としておりますが、たまには空っぽの徳利のように浮きあがってみるのも必要かと思う次第です。

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