黒鉄重工

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飛行機の町と刃物の町の旅行 その7【2018/1/6~7】

2020-07-11 22:35:08 | バス・航空機撮影記
関善光寺にある四国八十八ヶ所のお遍路を終えて本堂の場所に戻ってきました。茶屋もありましたのでここで一息つくことにしまして、汁粉タイムと相成りました。汁粉が染み渡るぜ・・・。これが実質的に昼飯になってしまったのはアレでしたが。


関善光寺はこれで離脱し、通り道にあった弁慶庵というところに。


江戸時代の俳人、広瀬惟然の旧跡だそうな。ここはほぼ素通り。


関市のマンホール蓋のフルカラー版です。こうすると分かりやすい。


再び商店街を通ります。うなぎの煙が濃くてとてもそそられましたな。


安桜山を南北に貫くわかくさトンネルです。地形的には隧道を掘らずとも迂回は簡単なんですが、通勤時間帯はよほど混むのかしら。


路地裏を通る。いい雰囲気だ。



関川に架かる橋の親柱。橋の名前は分からなかったですが、凝ったデザインです。昭和初期に造られたものかしら?


関鍛冶伝承館に来ました。敷地は工事中でしたが見学はできました。


ここらへん。


入館料を支払って見学します。
3人のマネキンが熱せられた鋼をソイヤソイヤと鍛えているところ。小槌と大鎚を使って鋼を平たく延ばして、折り返して2枚に重ねてまた叩いて延ばすというのを10~15回繰り返します。


玉鋼(左)と鉧(けら;右)です。
鉧はたたら製鉄で作られた粗鋼です。玉鋼は鉧を精錬してできた純度の高い鋼です。玉鋼が刀剣の原料になるのだ。



奥は玉鋼を積み沸かしたやつ。手前は叩いて延ばして折り返したやつ。叩いて鍛えると玉鋼にまだ含まれている不純物を除去できるのだ。

というようなかんじです。もっと詳しいのは現地に行ってみような。


実際に作られた刀剣が飾られています。今では美術品ですな。


「越前住兼高」という17世紀江戸時代の刀剣。


刀剣はこの刃文を観察するのが刀剣鑑賞の嗜みなのだそうな。
当時流行していた「寛文新刀」という刀身の反りがほぼ無い刀剣なのです。


奥が「兼久」という16世紀室町時代の短刀。手前が「美濃関藤原家久於飛州高山作之」っていう長たらしい名前の脇指。


銘が彫られているやつ。刀剣の展示ではいつも柄が外れているんですが、なんか刀剣の柄は飾りみたいな感じで本体ではないんでしょうかね。


刃文です。


「正也作平成二十七年三月」という太刀。銘から分かる通り、つい最近作られた刀剣です。伝統技術継承のために現在でも作られているのです。
観光客向けに鍛造中のところを公開しているのは有名ですな。初めはこれを見に行こうと思っていたんですが、そんな毎週やってるもんじゃないので、この日はやっていませんでした、トホホ。


刃文でござい。今まで見たやつとはだいぶ違うね。


「二十八代濃州住兼成平成四年二月吉日」という刀。これも割と最近作られた刀剣。


これはなんというか見慣れた模様をした刃文ですかね。


ところ変わって2階にある刀剣の近代史展示にある「大日本刀刀剣鍛錬所長真勢子兼吉」という太刀。
江戸幕府が倒されて明治政府が発足した後の1876(明治9)年、歴史の授業でもおなじみの「廃刀令」が公布されました。そうすると帯刀が禁じられたので刀剣は文字通り無用の長物と化しました。刀剣は需要激減し、関の多くの刀鍛冶は打刃物、農機具製造にジョブチェンジしました。
刀剣の製造技術は断絶の危機となりましたが、大日本帝国軍の軍装品に日本刀の軍刀があったのでその需要を満たすことでどうにか断絶を回避できた模様。関の軍刀は高品質だったので、そのシェアをほぼ独占していました。これもそのひとつということです。


館内にいたイケメンの等身大パネル。たぶん刀剣乱舞のキャラクターなんでしょうけども(調べない)

というような場所でした。刀剣の基礎知識を身につけるにはぴったしかも。

というところで今日はここまで。




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