もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

141218 日本のマスコミは、安倍晋三のポチになり下がっている。特に朝日の曽我豪編集委員よ、恥を知れ!

2014年12月19日 01時21分22秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
12月18日(木):

日本のマスコミは、本当に終わっている。特に朝日の曽我豪編集委員は、先日の朝日新聞紙面のオピニオン欄(ザ・コラム)で「安倍政権に阿る感じで気持ちの悪い変なことを言う朝日記者だな」っと強い違和感を感じさせられたが、こういう裏があったということなのだろう。本当に下らない! 朝日の曽我豪編集委員は、即刻、編集委員を辞めろ。恥を知れ!これは「朝日新聞購読者」の声だ!

「恥ずかしげもなく鮨食いに行く、安倍に飼われる隷属軍団:孫崎 享氏」 http://sun.ap.teacup.com/souun/16114.html 2014/12/18 晴耕雨読

朝日新聞、原発、憲法など安倍政権推進報道。
他方東京新聞は選挙で実は反対勢力増になった分析、東京新聞「 九条改憲に積極的な自民党と次世代の党合計議席は、公示前定数三分の二に迫る314、今回で292に減った。反原発も増」
総選挙協力功労賞:すしでご馳走します。
17日首相動静、夜すし店しまだ、時事・田崎論説委、朝日・曽我豪編集委員、毎日・山田編集委員、読売小田論説主幹、日経石川常務、NHK島田解説委員、日テレ粕谷解説委員長。
米国ではまずない現象。
恥ずかしげもなく鮨食いに行く、安倍に飼われる隷属軍団。
記者が首相に鮨ご馳走されて何が悪いか?:民主主義国家でメディアの責任は権力監視。
米国等は権力との癒着はメディアの信頼性喪失につながる。
従って権力からの饗応に応じないとの内部規定。
首相の饗応に躊躇なく応ずるのは国民の目を全く気にせず、権力者に好まれることを最優先していると言うこと。
政治漫画:風刺漫画は権力批判の最先端が通例。
それで今日の朝日新聞をみると、安倍首相に横綱まわしをつけさせて、安倍氏に「相撲で言うならば」「一筆加えて」と白鳳の白に自。
風刺漫画家ですら安倍首相へのごますり。
掲載の朝日新聞の安倍ゴマすりが一段と顕著に。
> テロップというのは誰が書くか知らないが、TV朝日で解説者・星浩氏の紹介で、10人ぐらいだったか「~人の総理に仕え・・」と出た。 それは、何回も見た。番記者というのだろう。この「仕え」とは何事だ。
安倍首相による日本のジャーナリスト餌付け一覧表http://ic.twitter.com/ozvTsiC8h6 (徳永みちお氏ツイッターより)。
目をおおいたくなる惨状。
世界のジャーナリズムは権力監視の矜持をもつが、日本の大手ジャーナリストはあたかももってそうな顔をして、安倍首相の忠犬に励む。
醜い姿だ。
> 徳永みちお 懲りない連中です。
> 徳永みちお チーム鮨友。RT @kingo999: @makomelo 安倍首相と西新橋のすし店「しまだ鮨」で会食したマスコミの幹部たち(2014年12月16日) http://t.co/N0LKirpk9A

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141216 大事な確認:安倍自民圧勝の“最大の協力者”は民主党・野田前首相だった(日刊ゲンダイ)

2014年12月16日 23時54分55秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
12月16日(火):

大事なことを忘れないように確認しておく。財務省の犬藤井裕久の言いなりになって民主党のマニフェストに無かった増税を決定したクセに、今になって「はらわたが煮えくりかえる思いだ」なんてどの口が言うのか。新自由主義路線と社会民主主義リベラル路線の二大政党制の枠組みという大切な大切な芽をコソ泥のようなちっぽけな功名心でかすめ取って、潰してしまった<野田汚物の裏切り>を断じて忘れていない。

安倍自民圧勝の“最大の協力者”は民主党・野田前首相だった
2014年12月16日 日刊ゲンダイ


 総選挙に圧勝した安倍政権は平和憲法をかなぐり捨て、戦後体制を転覆させる……これが今、現実に起ころうとしていることだ。この“クーデター”の最大の協力者は民主党の野田前首相という見方もある。

「民主党の中でも、野田前首相や前原元外相といった松下政経塾出身の政治家は、安倍首相と根っこは一緒。特に野田前首相は、自民圧勝という最悪の結果を招いた戦犯です。政権交代にかけた国民の期待を裏切って、“自民党野田派”と呼ばれるほど自民党化し、最後は民主党をブッ壊して、安倍独裁政権を誕生させた。野田前首相のヒドイやり方のおかげで、2年経っても民主党への信頼は少しも戻っていません。民主党を壊滅的な状態にした松下政経塾が安倍首相に“大政奉還”をしたようなものなのです」(本澤二郎氏=前出)

 政治ジャーナリストの山田厚俊氏は、別の観点から、野田氏と安倍首相はそっくりだとこう話す。

「野田前首相が11年の民主党代表選に出馬する際、『出るから、みんなで政策を作ってくれ』と言ったという逸話は有名ですが、安倍首相にも似たところがあります。本人に政治哲学がなく、政策は丸投げになる。保守勢力からすれば、自分たちの政策を次々と実現してくれるのだから、こんな使い勝手のいい権力者はいないでしょう。安倍首相が気に入りそうな、保守的な政策を吹き込んで、『歴史に名を残す』などとおだてれば、深謀遠慮のない首相は、すぐにソノ気になってやってくれる。そうやって、国民が気づかないところで、戦前回帰が進んでいくとしたら、恐ろしいことです」

 こうなると野田氏から安倍氏へ、政党を超えた首相の連係プレーに何やら陰謀めいたものを感じてしまう。野田氏は、安倍勢力が送り込んだ「トロイの木馬」だったのかも知れない。


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141215 戦後最低投票率52%:自民党「比例」得票率はわずか17%=1770万票/全有権者数1億425万人

2014年12月15日 21時19分24秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
池上さんの番組は勉強になる!
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141215  高倉健主演『鉄道員(ぽっぽや)』(1999年) 感想5

2014年12月15日 18時40分54秒 | 映画・映像
12月15日(月):
 

 この映画、観るのは、何度目だろう。久しぶりであることは間違いない。自宅での仕事のBGMのように、DVD録画を流していたが、終盤涙が気持ちよく流れて止まらなかった。

 老駅長役の健さん(当時68歳)が、とても良い。日々変化に対応する器用さを求められて、追い立てられるような不安の中で毎日を送る我が身に振り返って、頑なに間口を広げず、一つの仕事を一途に勤め上げる映画の中の健さんの姿に「それでいいんだよな…」と思わせてもらえる。

 さして多くはない、懐かしい人々との思い出。慎み深い欲の無い人生。終盤、赤ん坊で亡くなった娘が、老いた父親の人生の終りに、童女、小学6年生、高校生(17歳)と成長する姿を見せて、ねぎらい迎えに来てくれる。“優しい風景”の映画だ。

 これからの日本の社会は大きく歪んで、息苦しくなってひどい世の中になるだろう。大変だろうが、自分を見失いたくない。健さんの映画は、日本人の大切な原風景の一つとして、折に触れて観返したい作品だ。「知には記憶があるが、情には記憶はない。」大切にしたい映画だ。


※am1:30 何度も観返している。その度に、心地よい涙があふれる。映像としては、セピアっぽいカラー画面に一貫して「朱色」のコントラストがテーマ色として強調されていてとても良い。
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141215 総選挙翌日の「社説」:沖縄タイムス、琉球新報:朝日新聞

2014年12月15日 15時12分42秒 | 考える資料
 社説:

【沖縄タイムス】
[移設反対派全勝]揺るがぬ民意を示した
2014年12月15日 05:30

 1月の名護市長選、11月の県知事選に続いてまたも、歴史的な選挙結果が示された。
 第47回衆院選が14日、投開票され、沖縄選挙区では、「ひやみかち・うまんちゅの会」の支援を受けた4人の候補が、翁長雄志知事を誕生させた余勢を駆って、県内4選挙区のすべてで自公候補などを破り、劇的な完全勝利を収めた。
 米軍普天間飛行場の辺野古移設に反対する沖縄のマグマは、衆院選でも噴火し、溶岩流となって地上に流れ出したのである。
 自民前職の強固な支持基盤を崩した1区の赤嶺政賢氏(共産)、準備期間ゼロの超短期決戦を強いられた4区の仲里利信氏(無所属)の当選は、この陣営の勢いが知事選だけの一過性のものでないことを物語っている。
 数の上で既成政党を上回る「支持政党なし」の無党派層が、沖縄の選挙で絶大な存在感を発揮し始めているのだ。
 この結果を踏まえ日米両政府は、辺野古の埋め立て工事を直ちに中止し、計画見直しに向けた話し合いに入るべきである。
 2010年の知事選で仲井真弘多氏が「県外移設」の公約を掲げて再選を果たしたとき、作家の大城立裕さんは、選挙後に一文を草し、こう指摘している。
 「日米安全保障のための基地なら、全国で共同責任をもつべきなのに、なぜ沖縄だけの負担なのか、という単純素朴な不平が消えないのである」
 大城さんは、住民意識の変化に注目する。
 「(沖縄は)『祖国』に絶望しかけている。民族の危機とはいえまいか」
 この不公平感と政府への不信感、「自分たちの未来を自分たちで決める」という自己決定権への渇望が、知事選に次ぐ衆院選での圧勝をもたらしたのである。
 この期に及んで民意を無視し、辺野古移設を強行するようなことがあれば、嘉手納基地を含む米軍基地の一大撤去運動が起こり、政府と沖縄の関係は、大城さんが指摘するような危機的状況に陥るだろう。
 全国的には、安倍晋三首相の不意打ち解散が功を奏し、自民・公明両党で法案の再可決が可能な317議席(定数の3分の2)を超えた。小選挙区、比例区とも自公が圧勝した選挙だっただけに余計、沖縄の選挙結果が際立つ。
 なぜ、全国と沖縄でこのような対照的な結果が生じたのか。
 降って湧いたような突然の解散・総選挙で野党は、与党候補に対抗する選挙協力体制を築くことができず、反自公の受け皿づくりに失敗した。比例区でも、離合集散を繰り返す第三極の頼りなさが有権者から忌避され、自民に多くの票が流れた。
 しかし、沖縄選挙区では、知事選に勝利した翁長陣営が「党派を超えて翁長新知事を国政から支えよう」と、短期間の間に候補者調整を進め、自公候補に対抗する受け皿づくりに成功した。辺野古移設という明確な争点が存在したことも結果を左右した。
 民主党が政権を奪い取った09年衆院選で、沖縄の自民党は四つの小選挙区の一つも取れなかった。
 「最低でも県外」を主張した鳩山由紀夫首相の誕生で沖縄の民意は急速に変わっていく。
 自民党が政権に返り咲いた12年の衆院選では、民主党分裂のあおりを受けて政党が乱立し、沖縄選挙区に計19人が立候補。自民候補は普天間飛行場の「県外移設」を公約に掲げ3勝1敗と善戦した。
 12年衆院選の当選者は、比例区で復活当選した候補を含め、保革合わせて計7人。当選後の座談会で自民党候補は「県外移設は県民の民意」「(知事は埋め立て申請を)拒否すべきだ」と、こもごも抱負を語ったものである。
 知事選で仲井真氏が約10万票の大差で敗れ、今回、衆院選の選挙区で自民候補がそろって敗れたのは、端的に言えば、公約を翻し、辺野古移設を認めたからだ。
 「辺野古ノー」の沖縄の民意は、政府が考えるよりもはるかに根強い。見たい現実だけを見て、沖縄の滔々(とうとう)たる世論に目をつぶることは、もはや許されない。

【琉球新報】
安倍政権に信任 平和憲法が危機に オール沖縄の民意尊重を
2014年12月15日

 第47回衆院選は自民党が絶対安定多数を獲得し、大勝した。
 自民党は政権公約に「憲法改正を目指す」と明記した。選挙結果を受けて安倍晋三首相は「改憲の必要性を訴えていく」と述べた。
 改憲勢力の協力が得られれば、憲法改正の発議に必要な「3分の2」議席を超え、憲法改正の動きが加速する恐れがある。国民投票などの関門がまだあるとはいえ、国民は危機感を持つ必要がある。
 平和憲法に込めた「不戦の誓い」が戦後70年を前に揺らぎ始めているのである。私たちは今、大きな岐路に立っていることを自覚せねばならない。

政権運営は謙虚に

 自民大勝の要因は政権批判の受け皿が無かったことの裏返しともいえる。安倍政権が信任を受けた形だが、対立軸を打ち出せなかった野党のふがいなさに負うところが大きい。戦後最低の投票率からもそのことがうかがえる。
 安倍首相の党内での存在感が増し、長期政権となる公算が大きい。改憲に積極的な他党議員が協力すれば、衆院の「3分の2」を確保する可能性もある。そうなれば、憲法9条改正が射程に入る。日本が戦争のできる国へとまた一歩近づく危険性が高まることを危惧する。
 歴代内閣が堅持した憲法解釈を国会議論も経ずに変更し、集団的自衛権の行使容認を閣議決定した安倍首相である。憲法改正まで一気に突き進む可能性がある。
 ただ、憲法改正の発議には参院でも「3分の2」以上の賛成が必要で、発議後の国民投票では、有効投票総数の過半数の賛成が改憲の要件となる。
 2016年の参院選が大きなヤマ場となる。憲法を改正すべきか否か。国民一人一人が真剣に考えることを求めたい。
 共同通信が10、11日に実施した世論調査では憲法改正に反対が45・6%、賛成は36・2%だった。国民が望むことが憲法改正でないことは明らかである。
 遅々として進まない福島の復興、持続可能な社会保障制度の確立、人口減少社会への対応、子育て世代への支援、疲弊した地域経済の立て直しなどに安倍首相は全力を挙げるべきだ。
 連立政権を組む公明党と合わせて与党の議席が3分の2を上回り、巨大与党が誕生する。与党は参院で提出法案が否決されても衆院で再可決できる。再可決が乱用されれば、参院の存在意義が問われかねない。
 安倍首相はこの2年、強引な政権運営に終始した。巨大与党だからこそ、謙虚かつ丁寧な政権運営を心掛けてもらいたい。

反基地の民意三度

 沖縄選挙区では、政府が推し進める米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設に反対する4氏全員が当選した。移設推進の自民党4氏全員は支持を得られなかった。
 県民は「沖縄のことは沖縄が決める」と自己決定権を行使し、政府与党に辺野古移設拒否をあらためて突き付けたことになる。知事選に続き「オール沖縄」で反新基地の民意が示されたといえる。
 政権公約に地元が三度(みたび)反対を明確に打ち出したこと、さらには衆院選沖縄選挙区で自民党公認が全敗したという現実を安倍政権は重く受け止め、移設を断念すべきだ。地元の民意をこれ以上無視することは民主主義国家として許されない。
 選挙区で落選し、比例で復活した自民党の4氏は政府与党と歩調を合わせた辺野古移設の公約が有権者から支持を得られなかった事実を真摯(しんし)に受け止めてほしい。
 「普天間の危険性除去」の一方で、辺野古に新たな危険をもたらす移設を沖縄の政治家が推進していいのか。「一日も早い危険性除去」なら普天間飛行場の即時閉鎖しかない。
 沖縄の代表として、過重な米軍基地負担を沖縄だけに押し付ける差別政策を今後も認めていいのかを、いま一度考えてもらいたい。

【朝日新聞】
自公大勝で政権継続―分断を埋める「この道」に
2014年12月15日(月)付

 安倍首相にとっては思い通りの、いや、それ以上の勝利だったに違いない。
 突然の解散で始まった師走の衆院選は、自民、公明の与党の大勝に終わった。
 自公両党が過半数を制する参院とあわせ、安倍政権は極めて強い権力基盤を再び手にしたことになる。
 ただし、それは決して「何でもできる」力を得たことにはならない。憲法に基づく民主主義は、選挙の勝利によって生まれた政権に全権を委任するものではない。

■選択肢はあったか

 「この道しかない」
 安倍首相が繰り返したこのフレーズは、様々な意味で今回の選挙を象徴していた。
 この言葉は、新自由主義を進めたサッチャー元英首相が好んで使った「ゼア・イズ・ノー・オルタナティブ」(ほかに選択肢はない)に由来する。
 消費税率再引き上げを先送りしての解散・総選挙。「社会保障と税の一体改革」3党合意の当事者だった民主党も、首相の表明前からこの判断を受け入れ、争点にはならなかった。
 アベノミクスに対して民主党が掲げた「柔軟な金融政策」や「人への投資」は、少子高齢化という日本が直面する難題の前では有権者に違いがわかりにくく、代わり得る選択肢としての力に欠けた。
 この選挙を考える上でさらに重要だったのは、野党第1党の民主党が定数の半分も候補者を立てられなかったことだ。
 かわりに共産党を除く野党と候補者調整を進めたが、一本化できたのは295選挙区のうち200に満たない。この点でも、与党に代わる選択肢にはなり得なかった。
 争点を巧みにぼかし、野党の準備不足を突いた電撃解散。安倍氏の選挙戦略は、有権者を自民勝利への「この道」に導く極めて周到なものだった。
 そうした条件のもとで勝利を得た安倍首相は何をすべきか。過去2年の政策がみな信任され、いっそうのフリーハンドで政策を進められると考えたとしたら、間違いだ。
 「人」や「政党」を選ぶ選挙では、1票には多様な意味が込められる。党首や候補者が掲げる政策や政治家としての信頼感。ほかの候補者がいやだからという理由もあるだろう。

■格差是正こそ急務

 今回、首相は自ら「アベノミクス解散」と掲げた。有権者の期待も景気回復にあるのは、世論調査を見ても明らかだ。
 安倍政権は、まずは首相が約束した景気回復を確かにし、その果実を国民に適切に分配して格差是正に努めるべきだ。
 この2年の経済政策で株価は上がり、求人倍率も賃金も上がったとのデータはある。ただし、首相自身認めるように、その恩恵が国民にあまねく行き渡っているとは言えない。
 OECD(経済協力開発機構)は昨年、日本の相対的貧困率が加盟34カ国中6番目に高い原因として、税と給付制度を通じた再分配効果が小さく、二極化した労働市場が賃金格差を拡大させているなどと指摘した。
 これらの弊害は将来を担う若者や子どもに重くのしかかる。富はやがて社会全体に滴り落ちるという「トリクルダウン」を悠長に待つのではなく、抜本的な底上げ策が急務だ。
 次に取り組むべきは、分断された国民の統合である。
 特定秘密保護法や集団的自衛権、原発再稼働などをめぐり、安倍政権はいくつもの分断線を社会に引いた。特にねじれを解消した昨夏の参院選後、その動きはペースを上げた。
 自民党が得た議席数は死票の多い小選挙区制の特性も一因だ。その自覚を欠いたまま、憲法改正のような国民の意見が割れる政策を強引に進めれば、溝は深くなるばかりだ。

■投票日の翌日から

 この選挙で際立ったのは戦後最低レベルの低投票率だ。意義がつかみにくい解散、野党が選択肢を示せなかったことに対する有権者の冷めた感情があったことは想像に難くない。
 だが、政治と有権者との間のこうした距離を放置することは、日本の将来にプラスになることは決してない。
 株価を上げ、円安誘導を図る安倍政権への政治献金が、その恩恵を受ける大企業からを中心に去年は4割も増えた事実を思い起こそう。ここで市井の有権者が声を上げなければ、格差はますます拡大し、社会の分断線はさらに増えかねない。
 自分の立場を嘆き、分断線の内側にこもって不満を言い募るだけでは、社会も政治も変わることはない。
 日本より大きな格差社会である米国のありように警鐘を鳴らす元米労働長官のロバート・ライシュ・カリフォルニア大教授は、近著「格差と民主主義」で次のように説いている。
 政治を中間層に振り返らせ、格差を減らしていく。その具体的政策に取り組むよう、一人ひとりが当選した政治家に働きかけていくべきだと。そしてこう呼びかけるのだ。
 「投票日の翌日こそが、本当の始まりである」
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141211 内田樹:対米従属を自己目的化した歴史修正主義者たちが私的利益にはしる恥ずかしい国、日本

2014年12月11日 23時53分40秒 | 考える資料
12月11日(木):

【内田樹の研究室】にまた良い論考が載っていた。スパッと乱麻を断つお話である。この先生の話は、突飛なことではない。自分が感じている当り前のことを「それでいいんだ!」とわかりやすく腑分けして語りかけてくれる感じである。とにかく歯切れがよい。しかも引用掲載フリー!である。今回の論考を読んで、大岡昇平の「レイテ戦記」を読んで、あの戦争の悲惨さを疑似体験したことは、大変重要な経験だったと思った。以下、掲載する。

【内田樹の研究室】2014.12.10
週刊プレイボーイインタビュー記事

週刊プレイボーイから『街場の戦争論』についてのインタビューを受けた。
かなり長い行数を割いてくれたので、こちらに転載。

“本”人襲撃でも以前取り上げた白井聡氏の『永続敗戦論』や赤坂真理氏の『愛と暴力の戦後とその後』、そして矢部宏治氏の『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』など、ここ最近、日本の戦後史を再検証する本が数多く出版され、大きな注目を集めている。
今回紹介する内田樹氏の最新刊『街場の戦争論』もまた、「日本の戦後史」や日本人の「戦争観」に、独自の角度から切り込んだ、話題の一冊だ。
現代フランス哲学の研究者でありながら武道家としての顔も持つ内田氏は、昨年末から今秋にかけて10冊以上という驚異的なペースで著書を刊行するが、なぜ今、「戦争論」をテーマに選んだのか? 神戸にある自宅兼道場「凱風館」で話を聞いた。

黙して語らぬ戦中派と断絶された歴史の罠

――『街場の……』シリーズや、憲法論など、このところ立て続けに新刊を出されている内田さんですが、今回はなぜ「戦争論」なのでしょう?

内田 僕たちが今いるのは、ふたつの戦争、「日本が負けた先の戦争」と「これから起こる次の戦争」に挟まれた「戦争間期」なのではないかという気がなんとなくしています。実際に、近年に僕よりずっと若い書き手たち、例えば白井聡、赤坂真理、中島岳志、片山杜秀といった方たちが申し合わせたように「先の戦争の負け方」について独自の論考を展開している。現代日本の本質的な弱さを「戦争の負け方」の総括が間違っていたからではないかというのが彼らの問いかけだと思いますが、僕自身もそれを共有しています。
1950年生まれの僕は戦争を経験していませんが、戦争を経験してきたばかりの父親たち世代のたたずまいを記憶しています。「証人」として、戦争についての語る世代的な責務も感じています。

――世代的な責務とは?

内田 父親たちの世代、「戦中派」には「戦争経験について語らない」という一種「暗黙の了解」のようなものがあったように思います。戦地で実際に行なわれたことや見たことについては子どもたちには語らない。もとは「善意」から出たことだと思います。「戦争がどれほど醜悪で過酷なものか、自分たちがどれほど残酷で非情だったか、そういうことは子供たちには伝えまい。無言で墓場まで持って行こう。子供たちは無垢な戦後民主主義の申し子として未来の日本を担って欲しい」そういう思いだったのではないかと思います。だから「黙して語らず」を貫いたのだと思います。
しかし、そのせいで「戦争の記憶」は次世代に語り継がず、僕たち世代は戦争を「済んだこと、早く忘れるべきこと」として、戦争について深く踏み込んで総括する機会を逸してしまった。そのことの負の側面が、現代日本の足腰を致命的に劣化させている、そう感じます。
なぜ「戦中派」は戦争を語らなかったのか? あるいは語れなかったのか? そしてそれが戦後70年にどんな影響を与えたのか?世の中から「戦中派」がどんどんといなくなっている今、少なくとも「沈黙を貫いた父親世代」の屈託した表情だけは記憶している僕たちの世代が証人として、その〝沈黙の意味〟を再構成しなければならない、そう思ったのです。

――「戦争」が語り継がれなかったことによる歴史の断絶によって表面化した「負の側面」とは、具体的にどういうことですか?

内田 最も顕著なのは「歴史修正主義」の登場でしょう。これは日本に限らず、ドイツやフランスでも同じなのですが、戦争経験者世代が社会の第一線から退場しはじめると、どこでも「歴史修正主義者」が現れます。
彼らは歴史の「生き証人」がいなくなった頃を見計らって登場します。「戦中派の沈黙」ゆえに戦争の記憶が伝えられなかった戦後日本では、とりわけ歴史修正主義は暴威をふるいました。現場を見た生身の人間がいなくなった頃になって、断片的な文書だけに基づいて、戦争について言いたい放題の「事実」を語り出した。
従軍慰安婦の問題にしても、実際に戦地で慰安所に通っていた兵隊たちが生きていた間は「強制性はなかった」「軍は関与していない」などということをうるさく言い立てる人間はいなかった。慰安婦がどういう制度であるかを誰でも知っていたからです。
証人たちがいなくなった頃になってはじめて「慰安婦問題は捏造だ」と言い出した。ヨーロッパにも「極右」の政治家はいますけれど、安倍晋三のような極右が総理大臣になれたのは世界で日本だけでしょう。

――なぜそうなってしまったでしょう?

もともとの自民党はイデオロギー政党ではありません。党内に極右からリベラルまで含んだ「国民政党」でした。国民の生活実感を汲み上げることで長期政権を保ってきた。
そして外交戦略は「対米従属を通じての対米自立」一本槍だった。従属することで主権を回復するというトリッキーな戦略ですが、それが戦後日本の戦略として最も合理的で現実的だったわけです。現に、その戦略のおかげで日本は敗戦から6年後にはサンフランシスコ講和条約で主権を回復し、1972年には沖縄返還で国土を回復した。対米従属は「引き合う」というのは自民政権の歴史的成功体験だったわけです。しかし、この成功体験への固執がそれから後の日本外交の劣化をもたらした。
沖縄返還後の42年間、日本はひたすら対米従属を続けましたが、何一つ回復できていない。世界中から「アメリカの属国」だと思われているけれど、その見返りに「対米自立」としてポイントを獲得できた外交的成果は一つもない。ゼロです。米軍基地は縮小も返還もされない。年次改革要望書を通じてアメリカは日本の政策全般についても細かい指示を続けている。
対米従属は本来は主権回復のための手段だったはずですが、それが三世代にわたって受け継がれているうちに「自己目的化」してしまった。対米従属を手際よく効率的にこなすことのできる人たちが政治家としても官僚としても学者としても「出世できる」システムが出来上がってしまった。
自民党が国民政党からイデオロギー政党に変質したことは、この「対米従属の自己目的化」の帰結だと僕は見ています。安倍首相はじめ対米従属路線の主導者たちがその見返りに求めているのは日本の国益の増大ではなく、彼らの私的な野心の達成や、個人資産の増大です。
今回の解散・総選挙はどのような国益にもかかわりがありません。政権の延命が最優先している。かつての自民党政権は列島住民の雇用を確保し、飯を食わせることを主務とする「国民政党」たらんとしていましたけれど、現在の自民党は限定された支配層の既得権益を維持するための政治装置に変質してしまいました。

――実際、日中関係や日韓関係はこじれたままですし、集団的自衛権の行使容認や秘密保護法の制定などで、日本が「戦争の出来る国」になろうとしているという声があります。近い将来、この国が「戦争」に巻き込まれる可能性はあるのでしょうか?

内田 現実的にはあり得ないと思います。安倍さんや石破さんは日本を「戦争の出来る国」にしようとしていますけれど、本気で戦争になるとは思っていません。一体どこと戦争するんです?
韓国には米韓相互防衛条約があります。今も韓国軍の戦時作戦統制権を持っているのは在韓米軍司令官です。日本と韓国が戦争するということはアメリカと戦争するということです。そんな覚悟がある人がいますか?
日中が戦争することをアメリカは全く望んでいません。
日本と中国が例えば尖閣問題で軍事衝突を起した場合、日本人は安保条約に基づく米軍の出動を期待しますが、アメリカは中国と戦争する気なんかない。だから、調停は試みるでしょうけれど、同盟軍として中国と戦うことはない。だから、何としても軍事的衝突そのものを事前に抑え込もうとする。
日本で対中国で好戦的な発言をしている人たちは、うしろから羽交い締めにされている酔っ払いが怒号しているようなものです。止めてもらえると思って安心しているので、威勢の良いことを言っていられるのです。
そもそも、安倍さんも石破さんも、今の日本の政治家に実際の戦争を指揮できるだけの基礎的な能力がありません。
戦争というのは国の根幹に関わる死活問題ですから50年後、100年後のこの国をどうするのかという長期的なヴィジョンがなくてはすまされない。ところが「領土」や「国威」にこだわるナショナリストたちの発想は、市場でのシェアを競争しているビジネスマンと同一の発想しかしていない。自分たちの「シェア」が増えたか減ったか、そういう二次元的な、空間的な数値の変化しか見ていない。経済戦争とほんとうの戦争を同じものだと思っている。株式会社の経営者の発想です。ビジネスマンに戦争ができるはずがない。

――つまり、本気で戦争をする気も、またその能力もない人たちが、この国を「戦争ができる国」にしようとしていると? 

彼らは戦争の生き証人である「戦中派」の退場を狙って、あるいは「語られなかった歴史」の断絶を利用して、知りもしない戦争を語り、自己都合で書き換えた歴史を信じさせようとしている。そして、その目的が国益の増大ではなく、私的利益の増大であることが問題なのです。
安倍さんたちが目指しているのは、北朝鮮とシンガポールを合わせたような国だと思います。
政治的には北朝鮮がモデルです。市民に政治的自由がなく、強権的な支配体制で、自前の核戦力があって国際社会に対して強面ができる国になりたいと思っている。
経済的な理想はシンガポールでしょう。国家目標が経済成長で、あらゆる社会制度が金儲けしやすいように設計されている国にしたい。
万が一、日中が戦争状態になったときに米軍が出動しなければ、日本はこれまでの対米従属の反動で、間違いなく極端な「反米」路線に走るでしょう。安保条約即時廃棄、米軍基地即時撤去となれば、日本はアメリカ、中国、韓国、ロシア、すべてを仮想敵国とみなすハリネズミのように好戦的な「先軍主義」の国になるしかない。先の世界大戦前と同じです。そういう北朝鮮のような国になることを無意識的に願っている日本人は少なくないと僕は思っています。

現実には「強い現実」と「弱い現実」がある

――一方、内田さんは今回の著書で、「もし、日本の敗戦が決定的となったミッドウェー海戦の直後にアメリカと講和を結んでいたら……」という仮定の下に、今とはまるで異なる「日本の戦後」があり得たと書かれています。そして「現実」には、この「もし」で大きく変わり得た「弱い現実」と、「何があっても、結局はこうなっただろう」という「強い現実」があるという視点を示されています。

内田 ミッドウェー海戦に敗れて太平洋戦争の帰趨がほぼ決した直後に、すでに吉田茂や木戸幸一は対米講和を考えていました。でも、ずるずるしているうちに機会を失した。
 もし44年までに対米講和が成っていれば、本土への空襲も、玉砕も、特攻もなく、広島や長崎への原爆の投下もなかったはずです。そう考えると今、我々が直面している現実も、過去の小さな「もし」によって、大きく違っていたかもしれない「弱い現実」だということがわかります。

――それが「弱い現実」である以上、我々の行動次第で変えることもできるということですか?

内田 歴史のなかに「もし」という視点を置くことで、少なくとも、「結局、日本はこうなるしかなかったんだ……」という宿命論からは逃がれられます。何かの要素がほんの少し違っていただけで「もっとましな今になっていたチャンスはあった」と考えることで、少しは希望が持てる。
もちろん、先の戦争が証明しているように、いくつかの「偶然」がもたらした「弱い現実」によって、国が壊滅的な危機に直面するということもあります。たとえそれが「弱い現実」であっても、ものを破壊することはできるからです。
安倍政権もそうです。歴史的必然性があって誕生したわけではない政権ですが、それでも日本社会の根幹部分を破壊するだけの力はある。でも、この痛ましい現実も、所詮は偶然が重なって生じた「弱い現実」に過ぎませんから、わずかの入力変化で大きく変化するでしょう。
目の前に迫った衆議院選もひとつの「分岐点」です。これが日本の歴史を大きく変える「節目」になる可能性はあると僕は思っています。
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141210 最悪を避ける選挙をしましょう!:「さよなら安倍政権 自民党議員100人落選キャンペーン」HPより

2014年12月10日 23時51分03秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
12月10日(水):

本日、平成の治安維持法=特定秘密保護法案が施行した。断じて許すまじ!<主権在民へのテロ>を断固糾弾する!



以下、さよなら安倍政権 自民党議員100人落選キャンペーン」HPより

アベノミクスでお金持ちになられた皆様♡ このサイトはあなたとは関係御座いません。

それ以外の99・99%の皆さんにご提案です! 皆さんの税金を使い、毎日高級店の天ぷらや寿司に舌鼓を打ち、皆さんの税金を使った奥様との世界旅行で心身ともにお疲れの安倍総理に、お休みして貰いませんか?

皆から巻き上げた税金で大企業に還付と減税、庶民には、長時間労働・低賃金を強いた上に、残業代ゼロに前のめり、医療や福祉は自己負担がこの先上がるのみ、おまけに大切な年金に手を付け、株につぎ込み博打を打つ・・・ どうみても、明らかに、安倍総理はお疲れです。 退陣して戴きましょう。

安倍総理を退陣に追い込む為には、今回の衆議院選挙で、 自民党の100議席を、野党側に移譲しなければなりません。 自民党が100議席失えば、過半数割れ。 安倍総理自ら仰った、選挙後の「退陣」が実現します。 皆で力を合わせて、実現しませんか?

今回は野党間で「候補者調整」が行われ、小選挙区では、 事実上、自民VS野党の一騎打ちと言う選挙区が多数存在します。
野党支持者の票がひとつに集まれば、自民候補に勝てるのです。 勝てる野党候補への投票を徹底する事により、自民の議席が減っていく事になります。


あなたの興味のある、若しくはお住まいの地域をクリックして下さい。
前回の選挙結果をもとに、自民候補を引きずり落とす可能性がある野党候補をご紹介しております。

茶番、プロレスでお馴染みの国会で、数々の乱暴狼藉を止めるには、皆さんの為に政治を行う新たなる市民政党を誕生させ、政権交代をさせる必要があります。
が、現在そのような政治状況になく、今回は最大限できて、衆議院で野党に力を持たせ、与党の暴走の速度を弱める事。
その為には、自民党議員100議席削減、安倍総理退陣を実現するしかない、と情報サイトを立ち上げました。

主義・主張が合う候補者がいればラッキー。
完全に合致はしないが、グッと堪えて鼻をつまんで、勝てる野党議員を応援し、安倍総理退陣を目指すのか。

ひとまずは、あなたの選挙区をクリックしてみませんか?
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141210 「さよなら安倍政権」HPで、約200選挙区で勝てる野党候補者を検索できる!田中龍作ジャーナル

2014年12月10日 17時19分22秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
12月10日(水):


 日本の未来に、少し絶望しているが、被害を最小限に抑えたい。少しでも投票率を上げられるのであればよいが…。皆さん、14日(日)には必ず投票に行きましょう。出来ますれば、比例区は「社民党」とお書き下さいませ。m(_ _)m。

【田中龍作ジャーナル】
【衆院選】 「自民100人を落選させよう」 過半数割れで安倍退陣   2014年12月8日 20:43


山本議員は「国会がまともに運営できるように与党の票を野党側に移して頂きたい」と訴えた。=8日、赤羽駅前 写真:筆者=

 山本太郎参院議員が「自民党100人落選キャンペーン」を展開中だ。

 先ずはネット。「さよなら安倍政権」というタイトルのHPで約200選挙区について、この野党候補に票を集中すれば、「自民党候補に勝てる」あるいは「逆転の可能性がある」「勝負になる」としている

 前回(2012年)の衆院選のデータをもとに野党の合計票を出して、それを自民党候補の票と比べた。

 野党候補の合計が自民党候補の票を上回れば、理論上は「勝てる」ことになる。

 野党候補の合計が自民党候補の票の1万票以内に迫れば「逆転の可能性がある」となる。1万票以上離れていても「いい勝負に持ち込めそうな選挙区」もある。これら2つは投票率が上がれば、野党候補が当選する可能性がある。

 キャンペーンの目玉は、山本議員自身が「勝てそうな」野党候補の選挙区に応援に入ることだ。

 2日の公示以来、連日、有力野党候補の選挙区に入っている。昨日(7日)は北海道、明日(9日)は大阪、奈良と東奔西走が続く。

 きょう(8日)は青木愛候補(生活)の応援のため東京12区を訪れた。公明党前代表の太田昭宏・国土交通相の地盤だ。田母神俊雄(次世代)閣下がこの選挙区に“降り立ち”、注目選挙区となっている。


孫を守りたい一心の主婦は道行く人に「投票に行こう」と懸命に呼びかけた。=8日、赤羽駅前 写真:筆者=

 赤羽駅前で行われた街頭演説で山本議員は懸命に訴えた―

 「最悪な選挙ですが、ある意味チャンスだ。この選挙で自民党から100議席削ることができたら、過半数割れです。安倍さんは過半数割れで退陣すると言っている。最高ですね」

 「このチャンスを生かさない手はない。絶対にやらなきゃいけない。野党がひとつになった、そういう選挙区ありますね、そこで勝てる野党候補に力を貸してください

 「主義主張、あわない所もあるでしょう。でもこの場面は最悪な事態を抜け出すために絶対的に必要なんです。鼻をつまんで息を止めて投票して下さいと、そうお願いしています

 「北区の皆さんはラッキーです。胸を張って青木愛と書けるんです。この暴走、ブレーキをかけるのは難しいかもしれない。少なくともスローダウンさせることはできるんですよね」。

 地元赤羽に生まれ育った主婦(68歳)は、菅原文太さんのカンバンを手に応援に駆けつけた。

 「もう心配で心配でたまらない。息子は自分で判断するだろうが、孫には絶対に鉄砲なんか持たせない」

 「ここは前回2万票も白票があったんです。(2012年の)都知事選挙の時、全国で一番白票が多かったんです。私も開票所に行ったが、書いてないのいっぱいある、という感じだった。入れるところがないのか、意思表示なのか、だけどそれは残念ながらこういう結果を生んだ」

 「できれば沖縄のように共産党と共闘できればよかったんだが。これが一番大事だと思う。誰も出ていないところならば、当然私たちだって共産党に入れるわけなので、協力するということが前提でないと。今回は巨大与党の暴走を止めるかどうか、この4年間本当に心配ですね」。
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141207 一年前:131207自民党のナチス化 「政府は我々を幸せにすることはできないが、惨めな状態にすること

2014年12月08日 00時21分58秒 | 一年前
131207 自民党のナチス化。 「政府は我々を幸せにすることはできないが、惨めな状態にすることはできる。」
12月7日(土):昨日のブログを加筆・修正していたらどんどん量が増えてしまったので、やっぱり今日のブログとして掲載します。昨日の続きとしてお読み下さい。※ついでに昨年9月29日...
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141207 一年前:131206 所感:第二次安倍晋三内閣は第二次山県有朋内閣の亡霊、日本近代史上最悪の疫病神。

2014年12月08日 00時21分01秒 | 一年前
131206 所感:第二次安倍晋三内閣は第二次山県有朋内閣の亡霊、日本近代史上最悪の疫病神。
12月6日(金):特定秘密保護法案参院強行採決を目前にして、思いつくままに ※7日(土)に加筆しました。1898年、初めての政党内閣である隈板内閣(第一次大隈重信内閣)が、わず...
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141205 30万超え:安倍に「4年間白紙委任」で日本崩壊。投票率を高め、自民党以外に入れて下さいm(_ _)m。

2014年12月06日 18時11分50秒 | 閲覧数 記録
11月9日(日):記録ですm(_ _)m。ブログの開設から1154日。

アクセス:閲覧 325 PV/訪問者 58 IP

トータル:閲覧 300,163 PV/訪問者 114,501 IP

ランキング:日別 16,509 位/ 2,100,204ブログ中 /週別 10,543 位

※<比例区>は、社民党に入れて下さいませm(_ _;)m。

       

◎斎藤隆夫の言葉:反軍演説(1940年(昭和15年)2月2日)で除名処分を受けた(3月7日)後、「第七十五帝国議会去感」という一編の漢詩を残している。

吾言即是万人声 (吾が言は即ち是れ万人の声) /褒貶毀誉委世評 (褒貶毀誉は世評に委す) /請看百年青史上 (請う百年の青史の上に看る事を) /正邪曲直自分明 (正邪曲直自ずから分明)
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4 029 木村泉「ワープロ作文技術」(岩波新書:1993) 感想4

2014年12月06日 01時39分09秒 | 一日一冊読書開始
12月5日(金):

290ページ  所要時間 1:40   蔵書

著者58歳(1935生まれ)。東工大理学部教授。

4度目。俺にとっては大切なテキストである。ワープロ時代の内容の古さはある。一方で、<文章を作るためのアイディア>は、今も十分有効さを維持している。過去に読んだ時の評価は、5または特5である。折に触れて目を通したい良書である。

今回は読書放棄の代わりに、1ページ15秒を意識して、しかも疲れないようにしながら眺め読みをしたというのが実態である。十分に頭に入らない状態だったが、俺の作文や読書にあるクセのような部分がかなり本書の影響であることがわかった。もっと本書の技法を、自分のものにすべきだとも思った。

目次:
序章 書く紙からワープロへ
第1章 構想を立てる:アイディアのたぐりかた/講義、講演、エネルギーの集約/読書/対人関係、その他
第2章 書きおろす:書きおろし作業の実態/言葉のリズム/言葉のバラエティー、多義性の回避/こざね法、壁法、KJ法/書きおろし加速法/間違うことの大切さ
第3章 磨く:読みなおす/機械的チェック/形を整える/図、表、文字飾り、縦書きほか/読者という他人/締め切りのあとさき

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141202 自民党の義家弘介バカが、天(池澤夏樹氏)に唾して恥をかく。芥川竜之介の「桃太郎」で勉強しろ!

2014年12月03日 01時21分03秒 | 考える資料
12月2日(火):

前衆議院議員の義家弘介のバカは、天に唾して大恥をかいている。自民党の国会議員ってこの程度だ。こんな連中が、文教族として教育の専門家を自負しているのだ。洒落にもならない残念な現実だ。

(終わりと始まり)桃太郎と教科書 知的な反抗精神養って 池澤夏樹
             朝日デジタル 2014年12月2日16時30分

 前衆議院議員の義家弘介さんが産経新聞でぼくの文章を論じてくださった。
 ぼくが書いたのは「狩猟民の心」というエッセーで、平成10年度から14年度まで高校の教科書「国語I」(筑摩書房)の教科書で使われた。義家さんは、これは子供たちに供するにふさわしくない内容だと言われる。
 以下、最初はぼくの文の引用――
 《日本人の(略)心性を最もよく表現している物語は何か。ぼくはそれは「桃太郎」だと思う。あれは一方的な征伐の話だ。鬼は最初から鬼と規定されているのであって、桃太郎一族に害をなしたわけではない。しかも桃太郎と一緒に行くのは友人でも同志でもなくて、黍(きび)団子というあやしげな給料で雇われた傭兵(ようへい)なのだ。更(さら)に言えば、彼らはすべて士官である桃太郎よりも劣る人間以下の兵卒として(略)、動物という限定的な身分を与えられている。彼らは鬼ケ島を攻撃し、征服し、略奪して戻る。この話には侵略戦争の思想以外のものは何もない》
 (ここからが義家さんの意見)〈わが国では思想及び良心の自由、表現の自由が保障されている。作者が作家としてどのような表現で思想を開陳しようとも、法に触れない限り自由である。しかし、おそらく伝統的な日本人なら誰もが唖然(あぜん)とするであろう一方的な思想と見解が、公教育で用いる教科書の検定を堂々と通過して、子供たちの元に届けられた、という事実に私は驚きを隠せない。
 例えばこの単元を用いて、偏向した考えを持つ教師が「日本人の心性とは、どのようなものであると筆者は指摘しているか。漢字4字で書きなさい」などという問題を作成したら一体どうなるか。生徒たちは「侵略思想」と答えるしかないだろう。〉
    *
 ううん、困ったな。
 あのエッセーでは「伝統的な日本人なら誰もが唖然とする」という、そこのところが言いたかったのだが、理解していただけなかったらしい。ぼくは子供たちに唖然としてほしいのだ。
 ぼくにも反省はある。
 「日本人の(略)心性」というのは間違いだった。悲しいことながら、本当は「人間の心性は」と書くべきであった。
 二十年以上前に「狩猟民の心」を書いた時は、これは自分のオリジナルな発見だと得意になった。世間の桃太郎イメージを逆転できる!
 しかしずっと前に同じことを明治期の偉人が言っていたのだ――
 「もゝたろふが、おにがしまにゆきしは、たからをとりにゆくといへり。けしからぬことならずや。たからは、おにのだいじにして、しまいおきしものにて、たからのぬしはおになり。ぬしあるたからを、わけもなく、とりにゆくとは、もゝたろふは、ぬすびとゝもいふべき、わるものなり。もしまたそのおにが、いつたいわろきものにて、よのなかのさまたげをなせしことあらば、もゝたろふのゆうきにて、これをこらしむるは、はなはだよきことなれども、たからをとりてうちにかへり、おぢいさんとおばゝさんにあげたとは、たゞよくのためのしごとにて、ひれつせんばんなり。」
 福沢諭吉が自分の子供のために書いた『ひゞのおしへ』である。
現代語訳が慶應義塾大学出版会から出ている。
 桃太郎のふるまいは「ただただ欲のための仕事にて、卑劣千万」なのだと諭吉さんは言う。ぼくが書いたことはぜんぜんオリジナルではなかった。
 侵略と言って悪ければ進撃と言えばいいか。
    *
 日本で最初に作られた長篇(ちょうへん)アニメに「桃太郎の海鷲」という作品がある。モノクロで三十七分(ネットで探せば見られる)。海軍省の指揮のもと、芸術映画社が作った。テーマは真珠湾攻撃で、実際、アニメとしてずいぶんよくできている。飛行シーンや細部のくすぐりなど宮崎駿を先取りしていると言ってもいい。
 桃太郎が空母に残って激励するばかりで部下を戦闘地域に送るあたりは史実の反映かもしれない……というのは深読みが過ぎるか。
 もう一つ例を挙げようか。
 日本新聞協会広告委員会が開催した「2013年度新聞広告クリエーティブコンテスト」で最優秀賞に選ばれ、東京コピーライターズクラブの2014年度TCC最高新人賞を受賞した作品。鬼の子が泣いている絵の上に「ボクのおとうさんは、桃太郎というやつに殺されました。」というつたない子供の字のコピーがある。
 教育というのは生徒の頭に官製の思想を注入することではない。そんなことは教師出身の義家さんは先刻ご承知のはず。一つのテーマに対していかに異論を立てるか、知的な反抗精神を養うのが教育の本義だ。ぼくの桃太郎論を読んだ生徒が反発してくれればくれるだけ、ぼくは嬉(うれ)しい。


※前衆議院議員の義家弘介のバカは、芥川竜之介の「桃太郎」(1924(大正13)年)も知らないだろうから、載せておく。ルビが本文に混じっていて多少読みづらいが原作の風味を損ねないためにそのままにした。読みづらい人は、「芥川竜之介の「桃太郎」」で検索してもらえれば簡単に読めます。ヤンキー先生だか何だか知らないが、結局「教師であることをケツ割った<半端者>」だろう!馬鹿な奴ほど教育に口を出したがる。安倍晋三も同じだ。教育に口を出して介入することを自己主張だと勘違いしているのだ。政治家のレベルが低すぎる。いやな時代になったものだ。

「桃太郎」(芥川龍之介)


 むかし、むかし、大むかし、ある深い山の奥に大きい桃ももの木が一本あった。大きいとだけではいい足りないかも知れない。この桃の枝は雲の上にひろがり、この桃の根は大地だいちの底の黄泉よみの国にさえ及んでいた。何でも天地開闢かいびゃくの頃ころおい、伊弉諾いざなぎの尊みことは黄最津平阪よもつひらさかに八やっつの雷いかずちを却しりぞけるため、桃の実みを礫つぶてに打ったという、――その神代かみよの桃の実はこの木の枝になっていたのである。
 この木は世界の夜明以来、一万年に一度花を開き、一万年に一度実をつけていた。花は真紅しんくの衣蓋きぬがさに黄金おうごんの流蘇ふさを垂らしたようである。実は――実もまた大きいのはいうを待たない。が、それよりも不思議なのはその実は核さねのあるところに美しい赤児あかごを一人ずつ、おのずから孕はらんでいたことである。
 むかし、むかし、大むかし、この木は山谷やまたにを掩おおった枝に、累々るいるいと実を綴つづったまま、静かに日の光りに浴していた。一万年に一度結んだ実は一千年の間は地へ落ちない。しかしある寂しい朝、運命は一羽の八咫鴉やたがらすになり、さっとその枝へおろして来た。と思うともう赤みのさした、小さい実を一つ啄ついばみ落した。実は雲霧くもきりの立ち昇のぼる中に遥はるか下の谷川へ落ちた。谷川は勿論もちろん峯々の間に白い水煙みずけぶりをなびかせながら、人間のいる国へ流れていたのである。
 この赤児あかごを孕はらんだ実は深い山の奥を離れた後のち、どういう人の手に拾われたか?――それはいまさら話すまでもあるまい。谷川の末にはお婆ばあさんが一人、日本中にほんじゅうの子供の知っている通り、柴刈しばかりに行ったお爺じいさんの着物か何かを洗っていたのである。……


 桃から生れた桃太郎ももたろうは鬼おにが島しまの征伐せいばつを思い立った。思い立った訣わけはなぜかというと、彼はお爺さんやお婆さんのように、山だの川だの畑だのへ仕事に出るのがいやだったせいである。その話を聞いた老人夫婦は内心この腕白わんぱくものに愛想あいそをつかしていた時だったから、一刻も早く追い出したさに旗はたとか太刀たちとか陣羽織じんばおりとか、出陣の支度したくに入用にゅうようのものは云うなり次第に持たせることにした。のみならず途中の兵糧ひょうろうには、これも桃太郎の註文ちゅうもん通り、黍団子きびだんごさえこしらえてやったのである。
 桃太郎は意気揚々ようようと鬼が島征伐の途とに上のぼった。すると大きい野良犬のらいぬが一匹、饑うえた眼を光らせながら、こう桃太郎へ声をかけた。
「桃太郎さん。桃太郎さん。お腰に下げたのは何でございます?」
「これは日本一にっぽんいちの黍団子だ。」
 桃太郎は得意そうに返事をした。勿論実際は日本一かどうか、そんなことは彼にも怪あやしかったのである。けれども犬は黍団子と聞くと、たちまち彼の側へ歩み寄った。
「一つ下さい。お伴ともしましょう。」
 桃太郎は咄嗟とっさに算盤そろばんを取った。
「一つはやられぬ。半分やろう。」
 犬はしばらく強情ごうじょうに、「一つ下さい」を繰り返した。しかし桃太郎は何といっても「半分やろう」を撤回てっかいしない。こうなればあらゆる商売のように、所詮しょせん持たぬものは持ったものの意志に服従するばかりである。犬もとうとう嘆息たんそくしながら、黍団子を半分貰う代りに、桃太郎の伴ともをすることになった。
 桃太郎はその後のち犬のほかにも、やはり黍団子の半分を餌食えじきに、猿さるや雉きじを家来けらいにした。しかし彼等は残念ながら、あまり仲なかの好いい間がらではない。丈夫な牙きばを持った犬は意気地いくじのない猿を莫迦ばかにする。黍団子の勘定かんじょうに素早すばやい猿はもっともらしい雉を莫迦にする。地震学などにも通じた雉は頭の鈍にぶい犬を莫迦にする。――こういういがみ合いを続けていたから、桃太郎は彼等を家来にした後も、一通り骨の折れることではなかった。
 その上猿は腹が張ると、たちまち不服を唱となえ出した。どうも黍団子の半分くらいでは、鬼が島征伐の伴をするのも考え物だといい出したのである。すると犬は吠ほえたけりながら、いきなり猿を噛かみ殺そうとした。もし雉がとめなかったとすれば、猿は蟹かにの仇打あだうちを待たず、この時もう死んでいたかも知れない。しかし雉は犬をなだめながら猿に主従の道徳を教え、桃太郎の命に従えと云った。それでも猿は路ばたの木の上に犬の襲撃を避けた後だったから、容易に雉の言葉を聞き入れなかった。その猿をとうとう得心とくしんさせたのは確かに桃太郎の手腕である。桃太郎は猿を見上げたまま、日の丸の扇おうぎを使い使いわざと冷かにいい放した。
「よしよし、では伴をするな。その代り鬼が島を征伐しても宝物たからものは一つも分けてやらないぞ。」
 欲の深い猿は円まるい眼めをした。
「宝物? へええ、鬼が島には宝物があるのですか?」
「あるどころではない。何でも好きなものの振り出せる打出うちでの小槌こづちという宝物さえある。」
「ではその打出の小槌から、幾つもまた打出の小槌を振り出せば、一度に何でも手にはいる訣わけですね。それは耳よりな話です。どうかわたしもつれて行って下さい。」
 桃太郎はもう一度彼等を伴に、鬼が島征伐の途みちを急いだ。


 鬼が島は絶海の孤島だった。が、世間の思っているように岩山ばかりだった訣わけではない。実は椰子やしの聳そびえたり、極楽鳥ごくらくちょうの囀さえずったりする、美しい天然てんねんの楽土らくどだった。こういう楽土に生せいを享うけた鬼は勿論平和を愛していた。いや、鬼というものは元来我々人間よりも享楽きょうらく的に出来上った種族らしい。瘤こぶ取りの話に出て来る鬼は一晩中踊りを踊っている。一寸法師いっすんぼうし[#ルビの「いっすんぼうし」は底本では「いっすんぽうし」]の話に出てくる鬼も一身の危険を顧みず、物詣ものもうでの姫君に見とれていたらしい。なるほど大江山おおえやまの酒顛童子しゅてんどうじや羅生門らしょうもんの茨木童子いばらぎどうじは稀代きだいの悪人のように思われている。しかし茨木童子などは我々の銀座を愛するように朱雀大路すざくおおじを愛する余り、時々そっと羅生門へ姿を露あらわしたのではないであろうか? 酒顛童子も大江山の岩屋いわやに酒ばかり飲んでいたのは確かである。その女人にょにんを奪って行ったというのは――真偽しんぎはしばらく問わないにもしろ、女人自身のいう所に過ぎない。女人自身のいう所をことごとく真実と認めるのは、――わたしはこの二十年来、こういう疑問を抱いている。あの頼光らいこうや四天王してんのうはいずれも多少気違いじみた女性崇拝家すうはいかではなかったであろうか?
 鬼は熱帯的風景の中うちに琴ことを弾ひいたり踊りを踊ったり、古代の詩人の詩を歌ったり、頗すこぶる安穏あんのんに暮らしていた。そのまた鬼の妻や娘も機はたを織ったり、酒を醸かもしたり、蘭らんの花束を拵こしらえたり、我々人間の妻や娘と少しも変らずに暮らしていた。殊にもう髪の白い、牙きばの脱ぬけた鬼の母はいつも孫の守もりをしながら、我々人間の恐ろしさを話して聞かせなどしていたものである。――
「お前たちも悪戯いたずらをすると、人間の島へやってしまうよ。人間の島へやられた鬼はあの昔の酒顛童子のように、きっと殺されてしまうのだからね。え、人間というものかい? 人間というものは角つのの生はえない、生白なまじろい顔や手足をした、何ともいわれず気味の悪いものだよ。おまけにまた人間の女と来た日には、その生白い顔や手足へ一面に鉛なまりの粉こをなすっているのだよ。それだけならばまだ好いいのだがね。男でも女でも同じように、うそはいうし、欲は深いし、焼餅やきもちは焼くし、己惚うぬぼれは強いし、仲間同志殺し合うし、火はつけるし、泥棒どろぼうはするし、手のつけようのない毛だものなのだよ……」


 桃太郎はこういう罪のない鬼に建国以来の恐ろしさを与えた。鬼は金棒かなぼうを忘れたなり、「人間が来たぞ」と叫びながら、亭々ていていと聳そびえた椰子やしの間を右往左往うおうざおうに逃げ惑まどった。
「進め! 進め! 鬼という鬼は見つけ次第、一匹も残らず殺してしまえ!」
 桃太郎は桃の旗はたを片手に、日の丸の扇を打ち振り打ち振り、犬猿雉いぬさるきじの三匹に号令した。犬猿雉の三匹は仲の好いい家来けらいではなかったかも知れない。が、饑うえた動物ほど、忠勇無双むそうの兵卒の資格を具えているものはないはずである。彼等は皆あらしのように、逃げまわる鬼を追いまわした。犬はただ一噛ひとかみに鬼の若者を噛み殺した。雉も鋭い嘴くちばしに鬼の子供を突き殺した。猿も――猿は我々人間と親類同志の間がらだけに、鬼の娘を絞殺しめころす前に、必ず凌辱りょうじょくを恣ほしいままにした。……
 あらゆる罪悪の行われた後のち、とうとう鬼の酋長しゅうちょうは、命をとりとめた数人の鬼と、桃太郎の前に降参こうさんした。桃太郎の得意は思うべしである。鬼が島はもう昨日きのうのように、極楽鳥ごくらくちょうの囀さえずる楽土ではない。椰子やしの林は至るところに鬼の死骸しがいを撒まき散らしている。桃太郎はやはり旗を片手に、三匹の家来けらいを従えたまま、平蜘蛛ひらぐものようになった鬼の酋長へ厳おごそかにこういい渡した。
「では格別の憐愍れんびんにより、貴様きさまたちの命は赦ゆるしてやる。その代りに鬼が島の宝物たからものは一つも残らず献上けんじょうするのだぞ。」
「はい、献上致します。」
「なおそのほかに貴様の子供を人質ひとじちのためにさし出すのだぞ。」
「それも承知致しました。」
 鬼の酋長はもう一度額ひたいを土へすりつけた後、恐る恐る桃太郎へ質問した。
「わたくしどもはあなた様に何か無礼ぶれいでも致したため、御征伐ごせいばつを受けたことと存じて居ります。しかし実はわたくしを始め、鬼が島の鬼はあなた様にどういう無礼を致したのやら、とんと合点がてんが参りませぬ。ついてはその無礼の次第をお明あかし下さる訣わけには参りますまいか?」
 桃太郎は悠然ゆうぜんと頷うなずいた。
「日本一にっぽんいち[#ルビの「にっぽんいち」は底本では「にっぼんいち」]の桃太郎は犬猿雉の三匹の忠義者を召し抱かかえた故、鬼が島へ征伐に来たのだ。」
「ではそのお三さんかたをお召し抱えなすったのはどういう訣わけでございますか?」
「それはもとより鬼が島を征伐したいと志した故、黍団子きびだんごをやっても召し抱えたのだ。――どうだ? これでもまだわからないといえば、貴様たちも皆殺してしまうぞ。」
 鬼の酋長は驚いたように、三尺ほど後うしろへ飛び下さがると、いよいよまた丁寧ていねいにお時儀じぎをした。


 日本一の桃太郎は犬猿雉の三匹と、人質に取った鬼の子供に宝物の車を引かせながら、得々とくとくと故郷へ凱旋がいせんした。――これだけはもう日本中にほんじゅうの子供のとうに知っている話である。しかし桃太郎は必ずしも幸福に一生を送った訣わけではない。鬼の子供は一人前いちにんまえになると番人の雉を噛かみ殺した上、たちまち鬼が島へ逐電ちくでんした。のみならず鬼が島に生き残った鬼は時々海を渡って来ては、桃太郎の屋形やかたへ火をつけたり、桃太郎の寝首ねくびをかこうとした。何でも猿の殺されたのは人違いだったらしいという噂うわさである。桃太郎はこういう重かさね重がさねの不幸に嘆息たんそくを洩もらさずにはいられなかった。
「どうも鬼というものの執念しゅうねんの深いのには困ったものだ。」
「やっと命を助けて頂いた御主人の大恩だいおんさえ忘れるとは怪けしからぬ奴等でございます。」
 犬も桃太郎の渋面じゅうめんを見ると、口惜くやしそうにいつも唸うなったものである。
 その間も寂しい鬼が島の磯いそには、美しい熱帯の月明つきあかりを浴びた鬼の若者が五六人、鬼が島の独立を計画するため、椰子やしの実に爆弾を仕こんでいた。優やさしい鬼の娘たちに恋をすることさえ忘れたのか、黙々と、しかし嬉しそうに茶碗ちゃわんほどの目の玉を赫かがやかせながら。……


 人間の知らない山の奥に雲霧くもきりを破った桃の木は今日こんにちもなお昔のように、累々るいるいと無数の実みをつけている。勿論桃太郎を孕はらんでいた実だけはとうに谷川を流れ去ってしまった。しかし未来の天才はまだそれらの実の中に何人とも知らず眠っている。あの大きい八咫鴉やたがらすは今度はいつこの木の梢こずえへもう一度姿を露あらわすであろう? ああ、未来の天才はまだそれらの実の中に何人とも知らず眠っている。……
(大正十三年六月)

以上、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)より。
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4 028 大岡昇平「レイテ戦記(下)」(中公文庫;1971、補遺1984)感想5

2014年12月01日 02時05分55秒 | 一日一冊読書開始
11月30日(日):

504ページ  所要時間8:00  アマゾン258円(1円+送料257円)

著者62歳(1909~1988;79歳)。昭和19(1944)年3月召集の後、フィリピン、ミンドロ島に派遣され、昭和20(1945)年1月米軍の俘虜となり、12月復員。1971年、芸術院会員への推挽を拒否、暗に昭和天皇に対し「恥を知れ」というメッセージを発する(白井聡「永続敗戦論」より)。

二日がかりで読んだ。下巻の本文は、323ページで終わっていて、あとは膨大な付録、解説、補遺である。本文だけで、ほぼ7hもかかっているが、正直地名と隊名・人名、日時、数字の連続でなかなか読めているとは言えない。目を這わせながら、興味を引く部分で線を引いてチェックしたりするだけで時間を食ってばかりだった。たくさんの付箋をしたが、自分の本なのであとではがさなくてよいのが嬉しい。

まあ読んだというのは恥ずかしくて言えない状況だが、それでも本書に全部目を這わせることができたことは、自分の人生にとって大変大きな宿題を果たした気分だ。もう一度読み直したいかと言えば、ちょっとしばらく勘弁…、でもいつかまたお墓参りをするように読み直せればいいと思う。

戦争を知らない家業政治屋どもにぜひ読ませたい本だ。戦争を論じる場合に最初に踏まえるべき書である。「89冊目 佐高信「司馬遼太郎と藤沢周平 「歴史と人間」をどう読むか」(光文社知恵の森文庫;1999) 評価3」で佐高さんが「『坂の上の雲』と『レイテ戦記』(大岡昇平)では、世界文学として残るのは『レイテ戦記』である。」と述べていたが、司馬遼太郎ファンの俺も、今はこの言葉の妥当性をはっきりと認めざるを得ない。「おっしゃるとおり!」です。

中巻で、オルモックの日本軍拠点が、米軍によって奪われ、組織的戦闘が瓦解したので、本書(下巻)の内容は、総崩れになった日本軍がリボンガオ―マタコブを経て、増援・脱出の期待できる西北海岸のパロンポンを一路目指すが、現実には困難を極め、食糧調達と敗残兵を集めやすい目印にもなるカンギポット山に集結する。上巻・中巻ではレイテ島全体が舞台だったが、下巻では東北隅のごく狭い範囲のみが活動場所だった。

海を渡って45kmのセブ島への脱出も1回だけ、ごく一部800人ほどが成功した後は、ことごとく失敗・不可能となり永久抗戦を命じられている1万人を超す敗残日本兵は打つ手なく、衰滅していく。

下巻の日本軍はすでに米軍の敵ではなく、逃げまどう姿ばかりが多くなるが、上巻・中巻ではそれほどでもなかった「フィリピン人のゲリラ」が俄然日本兵を脅かす恐ろしい存在としてたくさん出て来るようになった。

最後のエピローグでは、著者のマッカーサーに対するエゴイズムで戦争をする将軍として、その我がままぶりが延々描かれ続ける。それは戦後のフィリピンや日本に対する支配のあり方にも一貫しているものであるとして、著者のマッカーサーという人物に対する極めて厳しい目が印象的だった。ただ、エピローグの後半では、フィリピンの現代史ばかりが書かれていて、いささか本書の終わり方としては、余韻が良くなかった。でも、膨大な日本兵が斃死したその地が、その後どうなったのかは、著者がどうしても描いておきたかったことだったのだろう。

本書では、様々の階級や立場の人々が、それぞれに個別の悲惨な最期を遂げていく。運・不運、意志・絶望、覚悟・突然、堕落・困憊、死ぬ場所は、道無き道の標としての死体、砲弾による絨緞撃、ゲリラに首をかき切られる死、そして日本兵同士による人肉喰い、脱出した海で溺死、偵察機による爆撃、餓死、etc.数え切れない多様な死があり、そのことごとくが悲惨である。安らかな死など全く無い。名もなく人知れず孤独な無数の死ばかりだ。完全な敗戦には希望の希の字も存在しない。

「レイテ戦記」を読んで、結局感じたことは、「国家のメンツだなんだと、戦争を辞さないなどと言って、<戦争への戒め>を忘れ、戦争を甘く見て、<仕方のない戦争>もある、などと戦争を肯定するような奴らは、みんなまとめて<悪党>で<ろくでなし>だ!」、「国家間に、いかなる問題が生じようと、戦争だけは選択肢に入れてはいけない!という当り前のことが実感を持って感じられたことだ。
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150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)