12月6日(金):特定秘密保護法案参院強行採決を目前にして、思いつくままに ※7日(土)に加筆しました。
1898年、初めての政党内閣である隈板内閣(第一次大隈重信内閣)が、わずか4カ月で倒れた。「政党勢力に政権担当能力が無い」ことが露呈したあと、薩長藩閥が勢いを盛り返し、第2次山県有朋超反動内閣が成立(1898)した。そして、増税、文官任用令改悪、「治安警察法」成立、そして希代の悪法「軍部大臣現役武官制」を成立させた。それは取り返しがつかないほどの近代史上のマイナスとなった。
10数年後、第一次護憲運動で、軍部大臣現役武官制を改めることはできたが、治安警察法はそのまま残り、治安維持法(10年の懲役・禁固)がさらに成立(1925)し、3年後治安維持法の最高刑に死刑が加えられた。
保守気取りの野田佳彦民主党内閣が、国民の期待を裏切り続け、福島原発事故の教訓に何も学ぼうとせず、いっぱしの政治家気取りで福井県大飯原発を再稼働させてしまった。国会前の国民・市民の万を超える(10万超か?)デモ行動を、野田は「大きな音だね」と言い放って、国民・市民を失意のどん底に陥れた。政治不信が高まった。その後、衆参両院の議員選挙で民主党は国民から怒りの鉄槌を受けて、下野どころか、完全に衰退した。
その陰で、支持が伸びた訳でもない自民党が両選挙で圧倒的多数を占めた。安倍内閣は、増税、憲法改悪策動、集団的自衛権承認の動き、対外強硬姿勢、そして特定秘密保護法案(最高刑懲役10年)の衆参両院での強行採決を行った。こんな想像を絶する残念で恐ろしい光景をまさか見せられるとは思わなかった。
今や、衆参両院の自民党の議席数を考えれば、憲法改悪も目前に迫っていると考えざるを得ない。戦後68年の民主主義と平和の瓦解が突然、しかも大規模に押し寄せた。
歴史は繰り返すというが、第二次安倍晋三内閣は、第二次山県有朋内閣と現れ方も超反動的政治の強行も全く同じだ。あまりの相似ぶりに寒気がする。第二次山県有朋内閣が、日本の近代史上に残した傷跡の深さははかり知れない。現在進行中の安倍自民党内閣の政治による傷の深さ、取り返しのつかなさも計り知れない。
伊藤博文による立憲政友会結成や、第一次護憲運動(内乱、軍隊出動直前までいっていた)級の大規模な抵抗運動を起こさなければ、この深い傷を治すことはができない。しかし、それだけの力が、今の日本人にあるのかと考えれば、答えは限りなくNOに近い。たった一人の世襲の愚か者政治家の善意の?浅はかな信念?とやらによって、戦後日本人が営々と築き上げて来た平和と繁栄という財産が失われようとしている。
安倍の祖父岸信介は、東大卒の旧内務官僚出身で当時の最高の頭脳であった。自分のやっていることの意味をしっかり理解していた。しかし、その影を追う孫は、国民の真の願いに目をそむけ、自分のやっていることの意味を理解できないまま、偉大?な祖父の意志を継承した気分!でいるのだ。まったく洒落にすらならないブラックジョークだ。
憲法も絶望的な状況だ。本当に暗い時代の始まりだ。これから日本人は、国内でも国際社会でも厳しい状況におかれ息苦しい生活を送らなければならないだろう。格差は放置され、社会不安は増大し、平和の有難さを噛み締めないまま<戦争を恐れない愚かな時代>に突入するのだろう。
すべての始まりは、松下政経塾の野田佳彦素人内閣の国民に対する裏切りによる政治不信から始まっていることも絶対に忘れてはいけない。俺は国民の声を「大きな音だね」と言い捨てた野田佳彦の再起を絶対に許さない。
1898年、初めての政党内閣である隈板内閣(第一次大隈重信内閣)が、わずか4カ月で倒れた。「政党勢力に政権担当能力が無い」ことが露呈したあと、薩長藩閥が勢いを盛り返し、第2次山県有朋超反動内閣が成立(1898)した。そして、増税、文官任用令改悪、「治安警察法」成立、そして希代の悪法「軍部大臣現役武官制」を成立させた。それは取り返しがつかないほどの近代史上のマイナスとなった。
10数年後、第一次護憲運動で、軍部大臣現役武官制を改めることはできたが、治安警察法はそのまま残り、治安維持法(10年の懲役・禁固)がさらに成立(1925)し、3年後治安維持法の最高刑に死刑が加えられた。
保守気取りの野田佳彦民主党内閣が、国民の期待を裏切り続け、福島原発事故の教訓に何も学ぼうとせず、いっぱしの政治家気取りで福井県大飯原発を再稼働させてしまった。国会前の国民・市民の万を超える(10万超か?)デモ行動を、野田は「大きな音だね」と言い放って、国民・市民を失意のどん底に陥れた。政治不信が高まった。その後、衆参両院の議員選挙で民主党は国民から怒りの鉄槌を受けて、下野どころか、完全に衰退した。
その陰で、支持が伸びた訳でもない自民党が両選挙で圧倒的多数を占めた。安倍内閣は、増税、憲法改悪策動、集団的自衛権承認の動き、対外強硬姿勢、そして特定秘密保護法案(最高刑懲役10年)の衆参両院での強行採決を行った。こんな想像を絶する残念で恐ろしい光景をまさか見せられるとは思わなかった。
今や、衆参両院の自民党の議席数を考えれば、憲法改悪も目前に迫っていると考えざるを得ない。戦後68年の民主主義と平和の瓦解が突然、しかも大規模に押し寄せた。
歴史は繰り返すというが、第二次安倍晋三内閣は、第二次山県有朋内閣と現れ方も超反動的政治の強行も全く同じだ。あまりの相似ぶりに寒気がする。第二次山県有朋内閣が、日本の近代史上に残した傷跡の深さははかり知れない。現在進行中の安倍自民党内閣の政治による傷の深さ、取り返しのつかなさも計り知れない。
伊藤博文による立憲政友会結成や、第一次護憲運動(内乱、軍隊出動直前までいっていた)級の大規模な抵抗運動を起こさなければ、この深い傷を治すことはができない。しかし、それだけの力が、今の日本人にあるのかと考えれば、答えは限りなくNOに近い。たった一人の世襲の愚か者政治家の善意の?浅はかな信念?とやらによって、戦後日本人が営々と築き上げて来た平和と繁栄という財産が失われようとしている。
安倍の祖父岸信介は、東大卒の旧内務官僚出身で当時の最高の頭脳であった。自分のやっていることの意味をしっかり理解していた。しかし、その影を追う孫は、国民の真の願いに目をそむけ、自分のやっていることの意味を理解できないまま、偉大?な祖父の意志を継承した気分!でいるのだ。まったく洒落にすらならないブラックジョークだ。
憲法も絶望的な状況だ。本当に暗い時代の始まりだ。これから日本人は、国内でも国際社会でも厳しい状況におかれ息苦しい生活を送らなければならないだろう。格差は放置され、社会不安は増大し、平和の有難さを噛み締めないまま<戦争を恐れない愚かな時代>に突入するのだろう。
すべての始まりは、松下政経塾の野田佳彦素人内閣の国民に対する裏切りによる政治不信から始まっていることも絶対に忘れてはいけない。俺は国民の声を「大きな音だね」と言い捨てた野田佳彦の再起を絶対に許さない。