もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

141220-3 永続敗戦論からの展望(白井 聡)=メールマガジン「オルタ」より

2014年12月20日 18時23分01秒 | 考える資料
12月20日(土):

本も読まずに、後ろめたいが、卓説に触れて今の日本の立ち位置を確認しておきたい。

永続敗戦論からの展望       白井 聡

 本年三月に、私は『永続敗戦論――戦後日本の核心』(太田出版)と題する著作を上梓した。本書が提起する「永続敗戦」という概念が着想されるにあたり、「二つの起源」を挙げることができる。

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■『永続敗戦論』の執筆動機
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 ひとつには、二〇一〇年の鳩山由紀夫政権の崩壊劇である。普天間基地を国外ないし沖縄県外に移そうとして政権は倒れた。この事件は、本質的に言えば、「アメリカの意思」と「日本国民の意思」のどちらをとるか取捨選択を迫られて、前者をとらざるを得なかった、ということだ。アメリカによって間接的に解任されたと言ってもよい。ところが、鳩山政権の末期、メディアはひたすら鳩山氏の政治手法の拙劣さや性格に攻撃を集中させていた。

 鳩山氏の人格が実際のところどうであれ、この国ではメディアを筆頭に国民が「我が国の首相は外国の圧力によってクビになった」という出来事の客観的な次元を全く認識しようとしないということ、これが退陣劇において露呈した事態にほかならなかった。つまりは、誰が政権を担おうが、米国の意向という枠内から逸脱するような「政権交代」は土台不可能であるという厳しい現実、この客観的次元を見ないようにするために、政治家の人格云々というお喋りに、人々はうつつをぬかしていた。

 この誤魔化しは、八・一五を「終戦の日」と日本人が呼び慣わしていることと全く同じである。「敗戦」を「終戦」と呼んで敗北の事実を曖昧化する。「敗北の否認」である。そして、鳩山政権崩壊以後、菅政権、野田政権と続いたが、政権交代直後に掲げられた諸政策は次々に後退し、あれほどの期待がかけられた「政権交代」の意味は、不明瞭になってゆく。

 これもまた、「政権交代の不可能性」の露呈にほかならないが、そこで国民の憤懣はこの不可能性をつくり出しているものに向かうのではなく、民主党の非力・無能力へともっぱら向けられた。そしてついには、「大多数の国民の意思」は蔑ろにされ敗れたという事実は自覚されないまま、自民党へと政権は戻って行った。かように「政権交代の失敗」は、「敗北の否認」に浸透されている。

 第二のきっかけは三・一一、とりわけ福島原発の事故だった。原発の重大事故に際して電力会社がひどい振舞いをするということは、私にとって想定内だった。「想定外」だったのは、「安全神話」を守るための努力すらもきわめて不十分であったこと、そして国家と市民社会の事故への反応であった。国家の次元に関して言えば、SPEEDIのデータを国民には秘密にしながら米軍には流していたということをはじめとして、要するにこの国の体制は「国民の生命と安全を守る」ということに基本的に関心がない、ということがわかった。大江健三郎は、中野重治の言葉を引いて「私らは侮辱のなかに生きている」と語ったが、この言葉は全国民の置かれている状況を的確に言い当てたものであろう。

 この国の権力構造は、まさしく「侮辱の体制」であることが明らかになった。ところが、怒っている人は少ない。絶対数では少なくはないが、相対的には少ない。東京でのデモの参加者は、大規模なものでは10万人以上にも上るといわれているが、首都圏の人口は全部で3000万を軽く超えている。自分の生命をほとんど直接的に脅かされた――風向き次第では首都圏は深刻な放射能汚染に見舞われたはずである――というにもかかわらず、行動によって抗議の意思表示をしている人はたったこれだけ(人口の1%にも届かない)なのである。

 私はここに、日本人の生物としての本能の破壊を見る。しかも、原子力がこれだけの不祥事を起こしてしまった、「王様は裸だ」と誰もが知ってしまったのに、いまだに原発批判はかなりの程度タブーであり続けている。芸能界はその典型である。大学も大差はない。財界については言うに及ばず、脱原発を掲げる経営者もそれなりの数がいるものの、経団連をはじめとする主流派は、臆面もなく引き続きの推進を求めている。つまり、腐敗しているのは国家だけではない。市民社会もまた同じである。

 「三・一一以後の光景」を体験してわかったのは、この国の国民は奴隷の群れだということだ。このことがわかったとき、震災前から考えてきたことと震災後の光景が一貫したものとしてつながった。「敗戦」を「終戦」と呼び変えることによって、一体何が温存されたのかが見えてきた。

 あの戦争の時代、国民は全体として軍国支配層の奴隷にされたわけだが、その構造は基本的なところで持続してきたということが見えてきた。このことは、大部分の日本人にとって、主に冷戦構造と戦後日本の経済的成功のおかげで見ないで済むようになっていた。この構造を私は「永続敗戦」と名づけた。敗戦の事実を誤魔化しているがゆえに、敗戦をもたらした体制が延々と続いている。

 現在の社会・政治情勢を語る上で第二次世界大戦における敗戦という出来事を引き合いに出すのは、何とも迂遠な議論に聞こえるかもしれない。しかしながら、あの敗戦を総括できなかったことが、現代日本社会の在り方、この社会の権力の存在様態を現実的に、かつ強力に規定していることは厳然たる事実である。その意味で、敗戦は「過ぎ去らない過去」であり、この点を清算しない限り、この社会に良き展望が開けることは絶対にあり得ない。

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■「永続敗戦」の構造
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 「敗戦の終戦へのすり替え」がなされなければならなかった最大の理由は、敗戦の責任を有耶無耶にし、敗北必至とあらかじめ分かっていた戦争(対米戦)へと国民を追い込んで行った支配層が、戦後も引き続き支配を続けることを正当化しなければならないという動機であった。

 この策動は、玉音放送において「降伏」や「敗北」といった表現が慎重に避けられたことから早くも開始され、東久邇宮内閣の「一億総懺悔」という標語の提示に見られるように、明確な意図を持って推進されたと言えよう。こうした流れの果てに、敗戦したことそのものが曖昧化され、「敗戦ではなく終戦」というイメージに、日本人の歴史意識は固着してゆく。そもそも敗戦していないのであれば、誰も責任を問われる道理がなくなるのだから、実に見事な(!)論理である。

 こうしたからくりは、言うまでもなく、日米合作によって成立した。非常に限定された形でしか戦争責任を追及せず、戦前の支配層を戦後の統治者として再起用する一方、左翼をはじめとする批判者勢力の力を抑制するという方向性は、「逆コース」以降顕著になるアメリカによる「民主化」の基本方針であり、それは、明瞭なかたちをとり始めた冷戦構造における日本の位置づけによって必然化されたものであった。

 こうした経緯を経て戦後日本の権力中枢が再編成されたことを鑑みれば、その体制が対米従属を基幹とする、半ば傀儡的なものとなったのは当然の事柄であった。保守合同による自民党結成(1955年)におけるCIAの資金提供という事実に典型的に見て取れるように、戦後日本の保守政治の根本は半傀儡的政権を通した間接統治であった。

 CIAの援助によって成立した政党がほぼ一貫して政権を握り続けてきたという一事をとっても、「敗戦」は今現在に至るまで継続している。ゆえに「永続敗戦」という概念こそ戦後という時代を指し示すのに好適であると私が確信する所以があるが、問題は、このことが大多数の国民にとって意識の外にあるということである。

 こうした忘却ないし無意識化を可能にした第一義的なファクターは、戦後日本の経済復興・高度成長という経済的成功であっただろう。ソ連や中国といった連合国=戦勝国よりも明らかに高い生活水準を達成した戦後日本人にとって、あの敗戦は「負けるが勝ち」のエピソードと化す。これによって「敗戦」の「終戦」への転換は国民の意識にとってリアリティそのものとなった。

 しかし、いかにこのすり替えが意識における現実となったとしても、欺瞞は欺瞞でしかない。その代償が、際限のない対米従属である。すでに述べたように、戦前からの連続体としての戦後の支配層は、米国の許容と承認のもとに統治してきた以上、太平洋の向こうに頭が上がらないのは当然である。かつ、彼らは親分への隷属を否定してみせなければならない。

 隷属こそは敗戦の証拠なのだから、敗戦を有耶無耶にするためには、隷属の事実が否認されなければならない。「真の独立」だの「戦後政治の総決算」だの「戦後レジームからの脱却」だのといった似たり寄ったりのスローガンが同一の政治勢力から飽きもせず繰り返し発せられるのは、以上の事情からである。これらの勢力から一線を画していた鳩山由紀夫元首相ですら、首相辞任にあたって「私は外圧により敗れた」とは言わなかった。「われわれは、負けたのであり、負け続けてきたのであり、負けている」という憂鬱な真実は、戦後日本政治において公言できないトラウマにほかならない。

 かように戦後日本社会は「敗戦」を意識の外へと追い遣ってきたが、このことを裏書きしたもう一つの要素は、対アジアへの姿勢である。対米関係において敗戦の帰結を無制限に承認していることと引き換えに、対アジアに対する敗戦は全力で否認されなければならない。このことが、戦後補償や歴史認識の問題をめぐって繰り返し軋轢を引き起こしてきた。ゆえに、対米従属とアジアでの日本の孤立という二つの事柄は、コインの両面であるとみなされなければならない。アジアにおける米国の最重要パートナーという地位があるからこそ、アジア世界では孤立していて一向に構わないという態度が可能となる。

 しかしながら、この体制はすでに限界に直面している。以上の構図は冷戦構造とアジアにおける日本の経済力の突出性によって可能になったものにほかならないが、北朝鮮問題を除いて冷戦構造はとうに崩壊し、経済は衰退した。そのとき、敗戦の誤魔化しによって封じられてきた問題が、すべて吹き出てくる。

 その代表が領土問題であり、沖縄の米軍基地問題にほかならない。尖閣諸島をはじめとする領土問題に解決の目途が全く立たない理由は、その本質が国民に、否、外国当局者においてすら理解されていないという事情に求められる。その本質とは、現代日本の抱える領土問題が第二次世界大戦の敗戦処理の問題であるという事実である。

 ゆえに、これらの領土問題の処理は、カイロ宣言、ポツダム宣言、サンフランシスコ講和条約といった日本が受け入れた(敗戦により受け入れざるを得なかった)諸外交文書の文言によって原則的に規定される。この事情から見れば、日本政府が掲げる「固有の領土」論には相当の無理があるとみなさざるを得ないのだが、このことは敗戦を意識の外に追い遣った国民には、ほとんど理解されていない。こうした現状は、敗戦を否認し、「あの戦争は負け戦ではない、単に終わったのだ」という歴史意識を国民に刷り込んできたことの結果にほかならない。

 だが、冷戦構造の崩壊以降、構図は全面的に変化した。アジアにおける日本の経済力の突出性は相対化され、それに伴い、アジア諸国が以前はグッと呑み込んでいた日本への不満を隠さなくなった。そして、米国にとっての日本の位置づけも当然大きく変更されることになった。もはや、日本は無条件的に庇護されるべき第一の同盟者ではない。むしろ、TPP交渉において見て取れるように、自身が衰退するなかで、収奪すべき対象へと新たに位置づけられるのは当然の趨勢である。

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■戦後の終わり
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 こうした事柄はすべて、「戦後の終わり」を告げている。無論、「戦後の終わり」という観念は新しいものではない。これまでも、多くの知識人が説得力のある論理で、「戦後の終わり」を論じてきた。しかし、それらが本当に大衆的な感覚として根づいたかといえば、かなり疑問が残る。これはある意味で「気分」の問題であって、知識人の議論は、それが鋭いものであっても、「気分」自体を変えられるわけではない。

 やはり、「戦後」が決定的に終わってきたのは、ゼロ年代あたりから、つまり「格差社会」がしきりに指摘され「一億総中流」が明白に崩れてきた時代においてである。というのは、「戦後日本」を形容する最も支配的な物語は「平和と繁栄」であったからだ。ゼロ年代から「繁栄」に、明白に翳りが見えてきた。言い換えれば、「みんなの気分」がはっきり変わってきた。

 そしてそのあと隣国との対外的緊張が高まりを見せ始め、もう一つの「平和」の方も危機へと向かうに至る。東日本大震災はこうした状況下で発生したのであり、「関東大震災によって大正時代は実質的に終わった」という歴史を思い起さずにはいられない。

 つまり、震災と原発事故によって、いよいよ気分としても「戦後」が終わった。なぜそう断言できるのか。それは、ひとつには「戦後民主主義」の虚構性がはっきりと暴露されてしまったことが挙げられる。すでに述べたように、この国の政府は「民主政府」ではない。国民主権は、建前としてすら存在しない。

 こうなると、「戦後とは民主主義と平和を大事にしてきた時代だ」という国民の大部分が同意してきたコンセンサスが崩れてくる。ゆえに、社会が急速に「本音モード」に入ってきて、「平和と繁栄」の物語によって覆い隠されてきたこの社会の地金が表面に噴出してくることになる。それを代表するのが、原子力基本法やJAXA法への「安全保障」の文言の取り入れであり、その先には憲法第九条の実質的な廃止があるだろう。

 それでは、その「覆い隠されてきた地金」、日本社会の本音とは何なのか? それこそが、「俺たちはあの戦争に本当は負けたわけじゃないんだ」という「敗戦の否認」にほかならない。これまでは、敗戦国だということを一応建前としては認めてきた。「お前らは戦争に負けただろって言われて本当は違うと思うけど、まあいいいか。俺たちは平和で豊かだし。負けたからには押し付けられた民主主義を一応信奉しているふりもしなけりゃいけないなあ」。この建前は、「繁栄」が崩れれば、一挙に崩壊する。「まあいいか」では済ませられなくなって、「本当は違う」という本音が爆発的に噴出し、「民主主義を信奉するふり」もかなぐり捨てられることになる。

 こうした「気分の変化」には、大局的な背景がある。いま述べてきた「戦後の終わり」は、国民の意識や感情といった領域の問題であり、国民の主観的次元に属する。これとは次元を異にする客観的次元での「戦後の終わり」がある。それは、先にも簡単に触れたように、国際的関係のなかでの日本国家の立ち位置にかかわる。この次元において、二つの意味で「平和と繁栄」の時代としての「戦後」はすでに終わっている。

 ひとつには、「繁栄」を支えてきたアジアにおける日本の突出した経済力が、中国の台頭によって相対化されたことが挙げられる。かつての中国は、日本の「敗戦の否認」に対し、不快感を持っても、国力差への配慮からそれを表面化させることを控えてきた。今日こうした遠慮をする必要はなくなった。

 もうひとつは、すでに二〇年以上が経過したが、冷戦構造の終了である。これによって、日米関係の真の基礎は変更された。冷戦構造があったからこそ、日本の高度経済成長は可能になったことを鑑みれば、この構造こそは戦後の根幹をなしていた。そして、冷戦が終わった以上、アメリカは日本をアジアにおけるほぼ無条件のパートナーとして庇護してあげる必要はもはやない。

 ゆえに、アメリカにとって日本は、助けてあげるべき対象というよりもむしろ収奪する対象に変ってくる。そのことを露骨に告げているのがTPP問題である。それにもかかわらず、冷戦崩壊以降、「日米関係のより一層の緊密化」というスローガンが結局のところ優ってきて、今日ますますそうなっているのは、異様な光景である。真の基礎は変わっているのであるから。

 こうして真の基礎が変わるなかで、「暴力としてのアメリカ」の姿が、見える人にははっきりと見えてきた。あの戦争で日本を打ち負かしたところの「暴力としてのアメリカ」である。戦後直後、一九五〇年代には砂川闘争に代表されるように、「暴力としてのアメリカ」の姿は、多くの国民の視界に入って来ざるを得ないものだった。しかし、その後、六〇年安保という危機を乗り越えて、「アメリカ的なるもの」は国民生活のなかに広く深く浸透しつつ、その過程で暴力性を脱色されて文化的なものへと純化されてゆく。だからと言って、アメリカそのものが暴力的でなくなったわけではない。依然として「暴力としてのアメリカ」であった。

 ただし、その暴力が日本へと向くことはなく、ベトナムやイラクへとそれは向けられていた。ゆえにわれわれは、それを見ないで済ますことができてしまった。「ウチに向かってくるんじゃないからいいや、さあどうぞ、大人しく基地も提供しますから、よそのどこかで暴れてきてください」、という態度を日本はとり続けた。「暴力としてのアメリカ」の「暴力」が日本に向けられるかもしれないということはそれこそ「想定外」であり、そのために、そのような事態が現実に起こっているのにもかかわらずそれを認識できないのである。

 無論、いま述べた構図に当てはまらないのが沖縄である。そこでは復帰以前も以後も一貫して「暴力としてのアメリカ」のプレゼンスがはっきりとしていた。ゆえにいま、沖縄は日本の本土に対する強烈な批判者になっているのと同時に、唯一物事の客観的次元を把握できる立場にいる。これに対して、日本社会の大勢は、沖縄のメッセージを理解していないし理解しようとしてすらいない。よくて、「可哀そうに」とか「申し訳ない」くらいにしか思っていない。つまり、他人事なのだ。ここで見落とされているのは、今日の沖縄の姿は、明日の本土の姿であるということにほかならない。

 このように、「戦後」を支えてきたものは、客観的に変わってしまった。にもかかわらず、この国の社会は、この「終わり」を受け止めることができていない。「敗戦の否認」を代表するような政治家を選挙で首相に推しあげて、「成長神話よもう一度」の夢に酔っているのだから。ある意味で、永続敗戦の構造はいま純化しつつあるのだといってもよい。だがそれは、「終わりの始まり」に直面した社会が示している一種の痙攣的な反応だ。結局のところ、いつかは受け止めるほかない。それがソフトランディング的に実行されるか、破局的事態を通じてなのか――それが問題である。

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■またしても「敗北の否認」
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 現代の情勢分析として以上のような議論を『永続敗戦論』では展開したが、本書刊行前後から現在までで目についた本論に関わる事態を、いくつか指摘しておきたい。いずれの事象も本書で私が示した構図が真実を抉ったものであることを証明している。その意味で、私の分析家としての力量は証明されたと言えるわけだが、そのことを喜ぶ気には到底なれない。なぜなら、これらの「証明」は、永続敗戦レジームが依然として継続しているだけでなく、純化さえしており、出口を見つけることが全くできていないことを、物語っているからである。

 最初に挙げたいのは、2月の安倍首相訪米である。迎えたオバマ大統領の冷遇ぶりは際立っており、ほとんど嫌悪感を隠さなかったと言ってよいだろう。『永続敗戦論』において私は、安倍の掲げる「戦後レジームからの脱却」が本気で追求されるならば、米国は「傀儡の分際がツケ上がるのもいい加減にしろ」という強烈なメッセージを送ってくることになるだろうという趣旨のことを書いたが、果たしてその通りとなった。

 加えて、6月に行なわれた習近平・オバマ会談は、長時間に及び、実に対照的なものとなった。この米中首脳会談についての日本の大メディアの報道ぶりは、「永続敗戦レジーム健在なり」を見事・無残なまでに証明するものであるように、私には見えた。すなわち、会談の詳細な内容を知る術はないにもかかわらず、米中の利害・政策対立の表面化を盛んに言い立てる報道が目立った。「米中は永遠に対立していなければならない、そうでなければ日本が米国のナンバーワン・パートナーであり続けられないから」、という報道ならぬ主観的願望の吐露が各紙の紙面を覆った。哀れと言うほかない。

 第二には、排外主義の跋扈である。いわゆる「在特会」の活動が先鋭化し、東京・新大久保、大阪・鶴橋といったコリアンタウンでの示威活動が日常化するという状況が現出した。ヘイトスピーチを堂々と行なう彼らの姿は、醜悪極まりなく、衝撃的でもあるが、彼らが戦後日本社会の必然的な鬼子であることは強調されるべきである。戦前の日本において、朝鮮半島出身者をはじめとする植民地出身者は、暗に差別してよい存在であった。現在、彼らもまた同等の人権を認めなければならないのは、敗戦の結果である。

 ゆえに、レイシストたちの行動は、実に端的なやり方による「敗戦の否認」なのだ。同等な存在として在日コリアンが存在していることは、日本の敗戦の「生きた証拠」である以上、彼らはそれを全力で否定しようとする。「われわれは負けてなどいない、だから奴らを差別する、そうする権利をわれわれは持っている」。これが、彼らのヘイトスピーチにおけるメタ・メッセージにほかならない。そして、恐ろしいことに、このメッセージの最初の部分、「われわれは負けてなどいない」という部分は、国民のマジョリティに浸透した意識である。

 ゆえに、レイシストが自分たちの運動を「国民運動」と称していることは、根拠なきことではない。したがって、単なるリベラリズムやヒューマニズムによってはこの運動を解体することはできず、批判者は「戦後の核心」としての敗戦の問題に遡る必要がある、と私は考える。

 最後に、福島原発事故の処理とオリンピック(2020年)招致の問題を挙げておく。汚染水の処理問題という事故処理の初歩の初歩が、すでに事故処理を破綻の淵に追い込んでいる。『永続敗戦論』のなかで、この国の「無責任の体系」がこの未曾有の事故を処理できるのか疑問である、という危惧を表明した。不幸にも、この危惧は的中してしまった。この不安を覆い隠すように、オリンピック招致の空騒ぎが演出され、しかもそれは実現してしまった。「永続敗戦」の基本は、「敗戦の否認」であり、「失敗・敗北を認めないこと」にある。要するに、当事者たちは、いまだに原発事故の深刻さを観念的に否定したがっているわけである。こうした意識に基づく実践の帰結がどのようなものとなるのか、私は考えたくもない気分にしばしばとらわれている。         (筆者は文化学園大学助教・社会思想・政治学専攻)

141220-2 室井佑月のまっとうなお話 : 権力の犬、朝日の曽我豪は編集委員を辞めろ!安倍に拾ってもらえ!

2014年12月20日 18時20分30秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
12月20日(土):

 室井佑月さんのとても心に響く正論をお口直しに紹介する。安倍政権のポチ、朝日新聞「曽我豪」編集委員よりも遥かに格調が高い文章だ! 朝日新聞社は、曽我豪を編集委員から辞めさせろ!

室井佑月 「この道しかない」に従うのは楽かもしれないけど〈週刊朝日〉
dot. 12月19日(金)16時11分配信
 作家の室井佑月氏は、「この道しかない」という言葉に恐怖心を抱くという。
*  *  * 
 この言葉を聞いて、怖いと思うのはあたしだけだろうか。
「この道しかない」というからには、別の道はない、もしくは考えないってことだろう。引き返せないって意味もあるかもしれないな。
 主語が不確かである人間の言葉ならば、絶対的な100パーセントの正解はないのではないか。なのに、「この道しかない」、そう言い切ることに恐怖を感じる。
 たとえば、戦争時、命をかけて敵の中に飛び込むとき、飛び込む人は「この道しかない」と思っていたかもしれない。思っていたかもというより、思わされていたかも。
「この道しかない」、この言葉には、思わされる側と思わせる側がいるのだろうか。
 先程の例でいうと、「この道しかない」と思わせた側は、戦後、上手く立ち回って生き残り、偉くなっていたりして。
 いいや、それだけじゃないか。自らそう思い込む人もいるな。自らの人生において「この道しかない」と思い込むのは、その人の勝手だ。自分の人生をかけてその言葉を発するのなら。
 けど、この言葉を多くの人間への呼びかけとして使うのはどういうことなのか。
 公的年金の積立金約130兆円の半分を、リスクの高い株式市場に投じる。株だもの、失敗し大損することだってある。
 そのとき「この道しかない」といっていた人たちは、我が身を削ってあたしたちになにかをしてくれるんだろうか。
 この国のエネルギーは原発しかないといっている人たちは、ふたたび福島第一原発のような事故が起きてしまったとき、あたしたちの財産である、事故前の綺麗な国土に戻せるんだろうか。健康被害にあってしまった人たちに、どう責任を取るつもりなのか。
 結局、少子高齢化のこの国において、今後、年金制度を維持してゆくのは難しいのだし、絶対に安全である原発もこの世にはない。
 原発のコストが安いというのも嘘だし、製造業が海外に逃げてしまうというのも嘘だ(日本の電気代は高い。それがイヤな企業はもう逃げていっている)。
 ならば、人間の知恵でその先を考えればいい。
 社会福祉に金がまわらないというなら、さっさと予算の組み替えをしたらいい。議員の数を大幅に減らすなどしたらいいじゃん。
 原発に代わるエネルギーの開発をしたらいい。けれど、そうはならない。
 世の中の流れを大幅に変えると、損をする人がいる。今の流れで、地位を得て、金儲けをしている人たちだ。
 そういった人たちは、あたしたちに「この道しかない」という。世の中の流れが変わってなるものか、ってところだろう。
 彼らが提示する「この道」、なにも考えず従うのは今、楽かもしれない。が、その先が地獄であっても、命を失うことがあっても、「自己責任」といわれておしまい。 ※ 週刊朝日  2014年12月26日号


141220 安倍政権の鮨友だち、朝日新聞曽我豪編集委員の恥知らずなごま擦りヨイショ記事「ザ・コラム」

2014年12月20日 18時19分43秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
12月20日(土):

 曽我豪編集委員の気持ちの悪い「ザ・コラム」を掲載する。当時、読んでいて、「安倍勝利の選挙結果を予見し、安倍の個利個略の解散を批判するのでなく追認した上で、先回りして安倍政権にエールを送っている」ようにしか感じられなかった。安倍の抜き打ち解散の批判ではなく、(不当な!)選挙による結果については国民が責任を負うのだと言っている。曽我豪編集委員は、完全な安倍晋三の“ごますりポチ”だ。これは権力に擦り寄る朝日新聞の批判精神の衰退を見せつける内容だ。権力に阿る新聞社は、存在価値がない。金を払って読む価値がない。

 朝日新聞社が、もし矜持をもって(購)読者からの信頼を回復しようと思うのであれば、安倍晋三に尻尾を振って、一緒に鮨を食うような誇りの無い編集委員を辞めさせるべきだ。
 今のところ、読売・産経よりマシだから我慢して朝日を購読し続けているが、これからは情けない惨めな気分で朝日を読み続けることになるだろう。でき得れば、新聞社としての最低限の矜持を守って、権力と距離を維持して、読者の信頼を裏切らないで欲しい。

 まあ、日付も含めて、よく読んでみてもらいたい。これを権力者に対するヨイショ記事と言わずして、何と言う! 当時、このコラムを読んで、「してやったり!」とニターっと笑うのは、安倍晋三ひとりだけだっただろう。他の読者は、シラーっとした白けた気分になるだけだ。国民はそれほど馬鹿じゃない。少なくとも、この記事は、朝日新聞社自身が、朝日新聞の購読者を馬鹿にして、高みから見下している記事と言う他にないだろう。
 読者を蔑ろにする新聞社は、結局、<第二読売新聞>になるということだ。民主党政権が、倒れた最大の原因が野田汚物による民主党の<第二自民党>化であったことを思い出せ! <第二読売新聞>に用はない!

(ザ・コラム)総理の解散 祖父の眠れぬ夜、真意は      曽我豪
                        2014年11月29日05時00分 朝日デジタル

 安倍晋三首相の衆院解散に合わせるかのように、その祖父の本は店頭に並んだ。
 「岸信介証言録」(原彬久編著 中公文庫)である。
 別の編著者による「岸信介の回想」(伊藤隆 文春学芸ライブラリー)も先月、発売された。ともに「昭和の妖怪」と呼ばれた政治家の喜怒も哀楽もあらわなオーラルヒストリーが展開されるが、こと解散断念の一件に関しては「証言録」が詳しい。
 「実は、いまでも残念なことの一つなんだけれども、(新条約の)調印直後に衆議院を解散すべきであったと思うんです」
 ときに政権発足からほぼ3年が経過した1960年1月。訪米して新日米安保条約に調印し、アイゼンハワー大統領との会談を終えて帰国した直後のことだ。
 「総選挙になれば絶対勝つという確信をもっていました。選挙に勝利して議会に臨んだら、議会がいくら騒いだって、国民が新条約を支持しているではないかということになるんです。……あのとき解散をやっておけば、あんな騒動はなかった」
 それなら、なぜできなかったか。
 「党内の調整にあたっていた川島幹事長がどうしてもこれに賛成しなかったんだ。……選挙にあたって党内が不統一では勝ち目がないといって、川島君がどうしても解散に賛成しなかったんです」
 よほどの後悔だったのだ。首相時代の苦しい決断の記憶を聞かれて、もう一度繰り返すほどだ。
 「樺(かんば)事件があってアイゼンハワーの来日を中止したときだね。私が眠れなかったのは、このときと、いま話に出た(新条約調印直後の)『解散』断念の時だ」
     *
 こういうことだ。
 新条約に対して極めて厳しい反発が予想されるからこそ、あえて自ら争点にして国民に信を問う。多数が得られれば、それをテコに国会を正面突破できよう。ところがあろうことか、腹心の川島正次郎幹事長に背かれ勝機は去った。そして、東大生・樺美智子さんを死に至らしめた安保の騒動が現出した……。
 安倍首相はこの祖父の故事を十分に吟味していたらしく、政権発足直後から折にふれて側近や閣僚に語っていた。試みに、証言録にある新条約という言葉を消費増税の先送りとアベノミクスに代えて――あるいは集団的自衛権の行使容認を付け加えてもいい――読み直してみればよい。今日の政局状況にそのままあてはまってしまう。
 違いは今回、9月に石破茂氏から代えた谷垣禎一幹事長が首相の判断を尊重し結束して対応すると言い続けて背かなかった点だが、これは逆に、祖父の失敗から教訓を得たと言うべきなのだろう。
 いや、安倍首相が証言録を深く読み込んだのであれば、今回の決断がさらに重い意味を持つことが自覚されていたはずだ。なぜなら祖父は、解散断念の下りのひとつ前のところでこう回顧しているのだから。
 「私は、いつまで(総理を)やるとか、長期政権を狙うとかいうような考えは初めからなかったですよ。仕事をしたい、つまり安保を何とか解決すること、もう一つは憲法調査会をして『改憲をしなければならない』という結論を出させる、ということでした」
 解散断念により祖父が本当に失ったものは、安保国会の万全の乗り切りとか当面の政権の安定とかでなくて、憲法改正への道筋だった。眠れぬ夜の真相はそれだ。
     *
 ひとつ、想像を加える。
 今回の解散により、次の衆院議員の任期満了は2018年12月になる。そして、安倍首相の任期は、2期6年の自民党総裁任期に照らせば同じ18年の9月である。
 二つの政治日程は、偶然と思えないほど近接している。
 今回の衆院選に勝利すれば、来年9月の総裁再選はおそらく揺るがず、ならば途中で参院選が1回あるものの、安倍首相にとっては、2期6年の長期政権への展望が大きく開けてくる。
 それだけではない。想像をたくましくすれば、それこそ本願の憲法改正を争点にして、任期切れの前にもう一度の解散により信を問う展開さえ、論理的には想定できるではないか。
 したがって、この節目の衆院選の真の争点は、そうした長期戦略を可能にするか否かまで含めた安倍政権そのものの評価であるべきだと思う。解散の大義やアベノミクスも大事な論点ではあろうが、そもそも総選挙の本質と妙味は政権選択にこそある。
 堂々の論戦が首相にとっても本望なはずだ。解散を断念した岸元首相は、反安保のデモを前に「私は声なき声にも耳を傾けなければならない」と語るほかなかった。他方、解散を表明した安倍首相は「成長戦略を国民とともに進めていくためには、どうしても国民の声を聞かなければならないと判断した」と宣言したのである。
 それはその通り。まさに審判は、われわれ有権者が一票に託す声に任されたのである。声なき声は今回、あり得ない。
(編集委員)


今回の総選挙で、「堂々の論戦」なんて、安倍自民は全くしてないじゃないか!! 52%という戦後最低の投票率で、村尾キャスターの常識的レベルのインタビューすら、拒否して国民の見ているテレビでイヤホンを外してしまう狭量で知能の低い安倍晋三に、この朝日の編集委員は「世襲のロマンを感じろ!」と読者に強要しているのだ。朝日新聞に、わずかでも矜持が残っているのであれば、こんな恥ずかしいコラムを書いた編集委員を辞めさせるべきだ。それとも、これからもこの権力のポチを<朝日の顔>ですと掲げ続けるのですか?! それなら朝日新聞の読者の誇りは、間違いなく踏みにじられて失われるだろう。


150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)