もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

140110 都知事選は中間選挙だ。細川護煕で決まり!安倍・石破ナチス自民を断じて勝たせてはいけない!

2014年01月10日 17時55分04秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
1月10日(金): ※見出しは夕方6:00に書きました。

※現在夜の10:45である。かなり酔っ払ってます。見出しに追加します。
勿論、一番は社民党推薦の宇都宮氏が望ましい。しかし、最重要課題は反原発と安倍・石破のナチス自民党の暴走にストップさせなければならない。宇都宮氏では勝てない。2年半後の、衆議院議員選挙までこれ以上、愚か者安倍と軍事オタク石破(こいつ最近極端に目つきと人相が悪くなった!)のファシズム自民党の暴走を許すことはできない。ナチス自民党に魂を売った舛添を勝たせては絶対にいけない。プライオリティ(優先順位)を<反原発>に置くならば、反原発の小泉が推す細川護煕に集中するしかない。

安倍の積極的平和主義、原発輸出、欺瞞的戦略的互恵主義、特定秘密保護法案による思想弾圧に反対するためには「自民党を勝たせてはいけない!」というのを第一課題にせざるを得ない。

小泉対安倍・石破ファッショ自民党との対立は、財務省対経産省の構図でもあるらしい。要するに、財務省、経産省の対立に利用されることでもある。それでも良い! 「原発という絶対悪」に反対するためであれば、そして付随して時代錯誤な「極右安倍・石破のナチス自民党の暴走」にストップをかけられるのであれば、とりあえず進んで利用されてみせるさ。

何度も言う! 安倍・石破のナチス政権に勝たせてはいけない。絶対にいけないのだ!

3 055 誉田龍一著、校條剛監修「小説を書きたい人の本」(成美堂出版;2013)感想3+

2014年01月10日 12時15分44秒 | 一日一冊読書開始
1月10日(金):

191ページ  所要時間 2:10       図書館

副題:「コツさえつかめば小説は誰でも書ける!」
著者50歳(1963生まれ)。作家。
監修者63歳(1950生まれ)。元小説新潮編集長

悪い本ではない。心掛けから基礎テクニックまで、当り前で真っ当な内容が読みやすく整理されている。好著と言ってよい。これで小説が書けるわけではないが、少なくとも意欲を奪うような内容にはなっていない。手元に置いておいて、折に触れて見直すのが良いかもしれない。

例文その他解説は、基本的にエンターテインメント小説を中心に書かれている。ただ、職業作家としてアイデア豊かにエンターテインメント作品を量産してプロになれる人は希少だろう。むしろ、個人的な体験などをもとに純文学作品を書く人の方が多いように思えるのだが、そうすると例文が今ひとつピンとこない。

まあ、個人的体験を中心に書くとなれば、自叙伝の書き方と重なるのでこれで良いのだろう。どんなふうに書かれても結局無い物ねだりは出てくるのだ。仕方がない。

目次:
人気作家にインタビュー 私の小説の書き方
 角田光代、辻村深月、誉田哲也
1章 小説を書く前に
 小説の執筆作業が有意義なものになるよう、執筆前に知っておきたいことを解説。
2章 実践!テーマ&構想をスキルアップ
 小説を一本書くための屋台骨となる「テーマ」「あらすじ」「プロット」を紹介
3章 実践!ストーリー作成をスキルアップ
 「おもしろい」小説をめざすために、執筆中に使える具体的なテクニックを紹介
4章 実践!描写をスキルアップ
 小説は、描写が重要です。描写の種類とテクニックを紹介
5章 実践!推敲をスキルアップ
 小説のクオリティをアップさせる「推敲(見直し)」のテクニックを紹介
6章 プロ作家になるには
 プロデビューのさまざまな方法と、新人賞の流れや対策を紹介

3 054 天木直人「さらば外務省! 私は小泉首相と売国官僚を許さない」(講談社;2003/9) 感想2+

2014年01月08日 21時53分13秒 | 一日一冊読書開始
1月8日(水):

250ページ  所要時間 1:35     図書館

著者56歳(1947生まれ)。前駐レバノン特命全権大使。

本書を借りたのは、佐藤優「国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて」(新潮文庫;2005、2007)を読んだ後である。同じ時期の外務省の事情を知りたかったのだ。

仕事の疲れで、睡魔に襲われながら流し読みを始めたが、50ページを越えたあたりで違和感を覚えて読むのを止めようかと思った。人柄と内容がいびつな感じがするのだ。しかし「これでやめたら二度とこの本を読むことは無いだろう。ならば、とりあえず最後までページを繰ってしまおう」と考え直して眺め読みを続けた。結論から言えば、本をたくさん読んでると、たまに出会う「トンデモ本」の一種だと思う。

著者は、2003年の小泉首相によるイラク戦争協力を諌止して、外務省を止めさせられた元キャリア官僚である。小泉政権の対米従属姿勢と外務省内部の事なかれ主義の堕落腐敗ぶりを、具体例を挙げて事細かに実例とともに批判し、個人攻撃を続けている。

ならばリベラルで、しっかりとしたコモンセンスの持ち主かと言えば、著者の文章を読む限りではそうは思えない。意固地で柔軟性の無い人柄で、組織や世間と上手く関係を持てないのだが、異常にプライドが高いので、エネルギーが周囲への批判・非難・軽蔑・攻撃に向かい、自らを反省する力は弱いのだ。

本書に書かれている外務省の堕落ぶり、人物論は恐らくすべて事実だろう。ただ読んでいて、一面的批判だとも思われて、著者の批判に共感することもできない。誰かれ構わず口汚く罵るのを聞きながら「それはそうだが、別の面もあるだろう…」と思ってしまう心理である。

例えば、外務省のキャリア官僚を批判しながら、著者が、ノンキャリア官僚たちを批判する部分が一か所だけあったが、彼はノンキャリアなんてのは、それ以下のつまらない奴らだと斬って捨てている。著者と同時期にノンキャリアとして佐藤優が外務省で活躍していたはずだが、一切触れていない。見えていないのだ。要するに、著者は外務省キャリア官僚の下らなさを力説しながら、自身も全く同じぐらい下らないキャリア官僚のプライドでしか組織や世間を観ていないことに気づいていない。視野が非常に狭いのだ。

反小泉、反官僚だから、「敵の敵は味方か?」 俺にはそうは思えない。著者は、批判するエネルギーだけは強いが、一面的であり、著者自身の中に非常に保守的な部分を抱えており、リベラルぶる部分は非常に幼稚でレベルが低く無責任な放言が目立つ。俺は、この著者とは組みたくない。偏屈な著者も堕落した外務省もどっちもどっちだと思う。

著者が見下して軽蔑する外務省ノンキャリアの佐藤優に比べて、著者の人物ははるかに下品である。この人には、政治家も、官僚も務まらない。評論家だったらかろうじて糊口をしのげるだろう。現在、天木直人という著者の名を、メディアや書籍で目にすることは寡聞にしてほとんどない。それが著者の実力だったのだろうと思う。

3 053 井上ひさし「日本語教室」(新潮文庫;2011(2001-2002))感想4

2014年01月08日 01時33分35秒 | 一日一冊読書開始
1月8日(火):

182ページ  所要時間 2:10       図書館

著者67歳(1934~2010;76歳)。

図書館で借りた時は、本格的な日本語論の本だと思っていたので、その後身構えてしまい、ずっと借りっぱなし状態だった本である。読んでみると、2001年から翌年にかけて上智大学で行われた連続公演記録を著者没後に発行したものだった。

くだけた感じで、少し期待外れの内容だった。話し言葉なので読みやすい。話題があっちへこっちへブレながら進められていくので散漫さは否めない。しかし、本書は該博な文豪(俺はそう思っている)の長年の英知と信念と希求が詰まったエッセンスである。言葉のひとしずくひとしずくが、実はすごく深い知識と、高邁な精神によって裏づけられている。
目次は一応、
第一講 日本語はいまどうなっているのか
第二講 日本語はどうつくられたのか
第三講 日本語はどのように話されるのか
第四講 日本語はどのように表現されるのか
となっている。

付箋をすると、さして厚くない本がハリネズミのようになった。

*マレー語というのは、インドネシア語をエスペラント語みたいに整理したもので、インドネシア国家を越えてマレー半島あたりまで、あの辺に四千から五千のたくさんの島がありますが、その地域の共通語になっています。45ページ
*数の昇順と降順の差
 イチ、ニイ、サン、シー、ゴー、ロク、シチ、ハチ、キュウ、ジュウ。
 ジュウ、キュウ、ハチ、ナナ、ロク、ゴー、ヨン、サン、ニー、イチ。降順では、「ナナ」と「ヨン」で漢語に対する和語の本性が出てしまう。95ページ
*西周の「ヒューマンライツ」に対する「権利」、福沢諭吉の「フリーダム」「リバティ」に対する「自由」というマイナスの意味をともなった誤訳が、百年後の日本で、「権利」、「自由」を主張することが、正当で当然なことであると受け止められず、我儘勝手のし放題、思うままに振る舞い義務を忘れているなどの誤解と偏見を生むことになっている。100~102ページ
*完璧な国など無いわけです。必ずどこかで間違いを犯します。その間違いを、自分で気がついて、自分の力で必死で苦しみながら乗り越えていく国民には未来があるけれども、過ちを隠し続ける国民には未来はない。つまり、過ちに自分で気がついて、それを乗り越えていく姿を、他の国民が見たときにそこに感動が生まれて、信頼していこうという気持ちが生まれるわけです。ところが、自分の国はほとんどいいことばかりしていて、あの時はしょうがなかったという人たち―一見、愛国者に見えますが―そういう人たちの国には未来は無い。何故なら、他の国から信頼されないからです。/日本の悪いところを指摘しながら、それを何とかしようとしている人たちがたくさんいます。私もその端っこにいたいと思っていますが、そういう人たちは売国奴と言われます。でも、その人たちこそ、実は真の愛国者ではないのでしょうか。完璧な国などありません。早く間違いに気がついて、自分の力で乗り越えていくことにしかみらいはないのです。118ページ
*英語やフランスで二時間くらいで終わる芝居を日本語に翻訳して上演すると四、五時間かかる。日本語は子音では終わらず母音がひること、そして音節の種類が少ないからなのです。141ページ
*日本人が余裕を持ってきちんと発音できるのは十二おんである。では十二音でリズムを作るにはどうしたらいいか。六と六に分けてもリズムにならない。だからちょっとずらして五と七にわけるのです。標語などを募集すると必ず七五調になってしまうのは、もうこれはしようなないこと、にほんごのしゅくめいです。154ページ
*大野晋説をひと言でいえば、既知の旧情報には「は」を、未知の新情報を受ける場合は「が」を使う。「象は鼻が長い」の例。174ページ
*あいまいな日本の語順の例:
 大江健三郎の「あいまいな日本の私」の解釈は?
 「黒い目のきれいな女の子」の解釈は何通りか。10前後ある!175~176ページ
*日本語は母音が五つしかないし、音節だって115くらいなものです。ですから、外国人には、日本語の発音は非常に優しくて、会話はみなさんすぐ上手になります。略。日本語は発音を覚えて、次に音標文字である平仮名と片仮名が読めるようになるところまでは非常に優しい、しかし、本格的に読んだり書いてりする段階になると、世界でも最も難しい言語の一つになる。178ページ

3 052 石井光太「世界最貧民の目線 絶対貧困」(光文社;2009) 感想5

2014年01月07日 01時36分37秒 | 一日一冊読書開始
1月6日(月):

286ページ  所要時間 4:25      ブックオフ200円

著者32歳(1977生まれ)。

感想5をつけることに気後れがするような赤裸々で思い切った内容である。テキスト。机上の観念であれば、許されないような生々しい言葉・表現も、著者の現実体験に根差していることによって読ませられてしまう感じである。

面白かったと素直に言おう。著者もそれを望んでいるのだから。本書の内容は、著者による「世界リアル貧困学講義」全十四回である。内容は、是々非々で一貫している。ただその筋の通し方が、通常であれば許されない部分についてまでも、「是は是とする」姿勢が貫かれている。

現在世界には「絶対貧困」が世界人口に比して大きな割合で存在する。取材対象に、徹底肉迫することで、スラムの人びと、ストリートチルドレン、売春女性たち及びそのコミュニティーについて、決してきれい事で済まない貧困者たちのリアルを具体的にえぐり出すのだ。

貧困の多様性、多重性、近代的価値観の矛盾を指摘し、貧困社会の持つ互恵的機能を再評価しながら、一方で様々な角度から貧困の中のヒエラルキーの存在を指摘し、重い障害を売りにして少しでも稼ごうとする貧困者の姿や、各宗教の中にみられる喜捨思想の持つ社会保障機能、人種、民族、宗教、教育その他の強い影響、治療費のかかる医療と、伝統的・呪術的民間療法のどちらが真の人間らしさ地域に貢献するのか、また売春婦の子供は本当に不幸か?などの問いを発する。

最低辺の人びとについて語りながら、人種、民族、国籍、宗教による違いも指摘する。若い著者は、時に物乞いの少女や立ちん棒の女性らと恋に落ちたり、男からおかまを掘られそうになるなどの危機も経験しつつ、低い目線で地に足のついた真実を考え、貧困者の世界にも当り前の人間の営みが存在することを読者に強く語りかける。但し、押し付けがましさは一点もない

その上で、独善に陥ることなく、表の国際経済、貧困問題に対して、著者のような目線の「貧困学」が対極にあっても良いだろう。それでこそバランスがとれるのだと自分は考える、と著者は言うのだ。

【目次】 ※コピペではない。
第一部 スラム編:
第一講 スラムの成り立ち/第二講 人々の暮らしと性/第三講 表の職業・闇の職業/第四講 貧民の流入と流出
第二部 路上生活編:
第五講 路上生活者とは/第六講 恋愛から婚姻/第七講 出産から葬儀/第八講 物売り/第九講 物乞い/第十講 ストリートチルドレン/第十一講 路上の犯罪
第三部 売春編
第十二講 売春形態と地域/第十三講 売春婦の実態/第十四講 性の国際化


寝ます。

140106 弱り目に祟り目の一日。初仕事の日にいきなり蹴躓いた。人間万事塞翁が“馬”の年(祈願)

2014年01月06日 19時45分51秒 | 日記
1月6日(月):

今朝7時頃、私のブログが、誰かに邪魔されて…? 開き難くなっていました。気の所為か? でも事実、開き難いのです。何かの権力に目をつけられて攻撃されちゃったのかな…。特に片山さつきの件が全く出てこなかったので、恨まれちゃったかなと思ってしまった。その上、ワードまで反応しなくなってしまい、メモ帳を使うはめになり、「いよいよリカバリーして高価なウイルスソフトを入れるしかないか?!」と長時間の手間暇と高価なウイルスソフト代のことを考えて暗澹たる気分になった。

初出勤の日なので、普段より少し早い目に職場を出たところ、いつも利用してる道で突然覆面パトカーに捕まり、話を聞くとT字路で一旦停止をしなかったというのだ。あんなにゆっくり走ってたのに、周囲には、人も車も全くいなかったのに…。警察の話し方は丁寧だが、見逃してくれないんだよなあ…。俺のバイクは、スピードを落としてのろのろ走ってたので「こいつはトロそうなのでつかまえやすいと思われたんだろうなあ…」ゴールド免許だったのに…。一年のはじめに、意地悪な警察につかまり2点減点、反則金6000円である。これだけあれば、買いたい本をどれだけ買えたかと思うと、やり場のない怒りにやり場に困った。仕方がないので、猫なで声の警官にニッと笑ってこちらから固く握手をしてやった。くそったれめ!

帰宅してパソコンにスイッチを入れると何故か、ブログもワードも復旧していた。一時は、ブログ自体が削除された感じに思えた時があった。復旧して良かったというよりも、何者かに監視されてるような気がして薄気味悪い…

まあ、今日は疫病神に憑かれた一日だった。泣きたくなるけど泣くまいぞ。人間万事塞翁が“馬”の年でありますように! 災い転じて福となす年でありますように(祈願)

3 051 冲方 丁「天地明察(下)」(角川文庫;2009) 感想5;総合評価5

2014年01月05日 03時59分03秒 | 一日一冊読書開始
1月4日(土):

290ページ  所要時間 3:00     ブックオフ105円

著者32歳(1977生まれ)。

「解説」で養老孟司先生が、「でもこの小説はいいなあ。久しぶりに気持ちのいい本を読んだ。それが私の正直な読後感である」(290ページ)と記しているが、俺の感想もこれに尽きる。理科系の人間の交わりというのは、文科系の俺から見ると真理を求める者の同士意識がとても素敵に思える。

と言いつつ、蛇足の「解説」引用をする。「読んでいて、淀みがない。すらーっと読めてしまう。そこが気持ちいい。なぜか。変な思い入れがないからではないか。著者は春海が好きなのだと思う。でも好き嫌いにもいろいろある。あまり思い入れが深いと、ヘンな喩えだが、悪女の深情けみたいになる。これは読んでいて気持ちが悪い。286ページ」この指摘は、俺が、百田尚樹の小説が気持ち悪くて、嫌いな理由をよく表している。押し付けがましさが無粋なのだ。ましてやそれが愛国心の押し付けとなると、もうまとわり着かれるようでゾッとするのだ。

この作品が、題材にあげてくれた時代がの中心が、四代家綱の時代であるのが、新鮮で嬉しい。保科正之の名君ぶり、水戸光圀の暴力的知的好奇心などが描かれてるのもとても良かった。酒井忠清については、何を考えてるのか分からない人物だが、下馬将軍と巷間悪口をたたかれてるのと違って、権力に恬淡としつつ大老としての重責を果たした人物となっている。本当だろうか…?分からない。家綱死去に際して、皇族将軍問題が出てこなかったのは、実際にそんな問題は無かったということだろうか…。まあ、通史の歴史書ではないから仕方ないか。無粋な指摘をしてしまった。

他にも垂加神道の山崎闇斎が、春海の有力な後見者であることや、6歳下の本因坊道策との親交、「初手天元」をめぐって道策とのやり取りなど、若い著者が囲碁にも相当造詣が深いことを思わせた。

天才和算家関孝和は、もう一人の主人公であり、上巻のはじめから「一瞥即解の士」として、ずっと気配や影や後ろ姿のイメージで、主人公の渋川春海の意識をとりこにしてきた。しかし、関孝和が、渋川春海の前に実在として現れたのは、下巻191ページ目である。上下巻570ページとして、470ページ目である。

春海38歳のとき、授時暦を妄信して、日蝕の予想を外して、一度目の改暦挑戦に挫折、地獄を見ているとき、自邸に呼んだ春海を日本中の算学者、研究者他を代表するように罵詈雑言を浴びせ厳しく叱責してみせる鮮烈なシーンであった。

思いも寄らないあざとい登場である。この時、関孝和も独自に授時暦研究を行っていたことが明かされ、関は、その膨大な考察のノートを惜しげもなく春海に託す。ここで、幕府から改暦を委嘱された春海に対して、甲府宰相徳川綱重に仕える関孝和は、情報収集能力他的には、春海に及ばない立場であることも明かされる。

その後、春海と関孝和は、仲間として折に触れ意見を交換し合うようになるが、暦に関して関は、渋川に協力したことを一切口にしないし、門人にも言わせなかった。渋川は、関を日本の和算変革者として賛辞を惜しまない。どっちが格好いいか? やはり関孝和の方が上だろう!

随分前に呼んだ日本数学の歴史書で、渋川春海と関孝和が、暦をめぐって競争関係にあったことは読んだ記憶があるが、二人がこんなに親しい関係にあったというのは知らなかった。というか、創作なの…?

関の厳しい激励により「授時暦そのものの鵜呑み」の愚を知らされ目覚めた春海が、二度の失敗はせぬように考究し直した日本独自の暦(関により大和暦と命名)に対する認識は、新しい宇宙観にに及んだ。当時誰もが星々の運航を想像するとき真円を思い描くが、「…そんな馬鹿な」と思いつつ、それが楕円であり、しかも定まった楕円なのではなく、その楕円自体が、ゆっくりと移動している(ケプラーの法則に近い考察)。日本に移動することで、授時暦はまずズレを生み、もっと根本的な宇宙観でも授時暦には間違いあった。242~245ページ

江戸時代前半の1680年頃に鎖国下でこんなレベルの高い科学的知見を日本人が考えていたというのは驚きであり、喜びである。

終盤に、春海の考案した大和暦に天皇の勅許を得るために、突然人が変わったように春海が権謀術数と金と人脈を駆使する話があって少し違和感があったが、800年ぶりの武家主体で行う改暦を、朝廷に認めさせることの困難さという点では、そういうこともやむを得なかったのだろう。真理を手にしているだけでは、歴史にそれを刻めないという教訓なのかな、と思った。

最後に、この作品の映画を観たいと思った。ビデオ屋さんに行くか、TV録画をするのが楽しみだ。

3 050 冲方 丁「天地明察(上)」(角川文庫;2009) 感想4

2014年01月04日 03時16分33秒 | 一日一冊読書開始
1月3日(金):

282ページ  所要時間 2:00     ブックオフ105円

著者32歳(1977生まれ)。

第7回本屋大賞受賞作。読んでいて、とても心地よい感じの本だと思った。よくたとえに挙げて悪いのだが、百田尚樹の作品のような押し付けがましさがなくて、読み手の主体的関心に任せてくれる気持ち良さがあった。

今年は、とにかく多読をしたい。そのために敢えて1ページ30秒ではなく、15秒を原則にして読んだ。実際には、守れないが、300ページ近い本を2hで読めたのはひとつの成果だ。そして、細かい所は無理だが、それなりに面白く筋を追えたのは、著者の文章力の成果だと思う。感想4もゆっくり読めば、感想5になっただろううと思う。

暦をめぐる話題は、大昔、井上ひさし「四千万歩の男」全5巻を読んでいるので、少し懐かしかった。江戸時代前半の科学精神もなかなかのものである。

主人公は渋川春海(二世安井算哲)である。日本史では、知らぬ者の無い有名人である。元禄時代、日本史上初めての日本人の手による正確な暦、『貞享暦』を作り(46歳)、幕府天文方となった男である。

江戸時代、寛文年間頃、平安初期の貞観年間に中国から伝わった宣明暦が使用されていた。本来、改暦は100年ほど毎にしなければいけない。しかし、無気力な政治の結末として、800年以上使い回されていた。その結果、月蝕の予想が外れ、「今日が、明後日になるほどのズレ」が生じていた。改暦が急がれる。

話は、23年前の渋川春海23歳にさかのぼる。江戸期を通じて囲碁の二大名人の一人になる本因坊道策が17歳で、春海をライバル視して熱くなっているが、4碁所(井上、林、安井、本因坊)の安井家当主の家に生まれ、道策を熱くさせる天賦の才を持ちながら、囲碁に飽き足らず、天文・暦学にも素養を持ち、特に算額の世界に強烈な情熱を持つ渋川春海の前に、どんな難問の算額も、あっと言う間に一瞥即答する「解答さん」こと関孝和が現れる。ニュートン、ライプニッツに比肩される数学の天才である。まだ見ぬ、関孝和が同い年の23歳であることを知らされた時、春海は打ちのめされながら、関孝和に対して問題を出して挑戦をする。

そんな時、老中酒井忠清(後の下馬将軍)から、北極星を基準にした日本各地の位置の測量(特に緯度か?)を依頼される。南は、鹿児島さらに琉球・朝鮮・北京から北は津軽までの測量隊に加わり、30以上年上の祐筆の建部、典医の井上の天文・暦学への熱意に触れる。500日近い歳月を費やして、日本を縦断する測量を済ませて江戸に戻り、練りに練った和算の問題で関孝和に挑戦するが、他の和算家には解けない問題も、関にはあっさりと解かれてしまう(これを「明察」という)が、春海は清々しい気分を感じる。

前半は、これで終わり。後半はどうなるのだろう。寛文年間という文治政治に舵を切る江戸時代前半に、これほどの和算という名の高等数学や天文・暦学への関心の盛況ぶりに新鮮なものを感じた。

140102 130101-2 「朝まで生テレビ」で片山さつきの姿は傲慢冷酷な役人にしか見えない。

2014年01月03日 06時33分24秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
130101-2 「朝まで生テレビ」で片山さつきの姿は傲慢冷酷な役人にしか見えない。
1月1日(火): 朝まで生テレビをボーっと観ているが、自民党は片山さつきの価値観でやっていけると思っているのか???。あまりにも上から目線の官僚的弱者切り捨て発言が多いことに驚...

140102

2014年01月03日 06時31分12秒 | 一日一冊読書開始
130101 謹賀新年 酔っ払いながら初詣でです。

1月1日(火)未明:鶴見 済「完全自殺マニュアル」をアマゾンで取り寄せた。1993年初版で、2001年88版である。不真面目な意味で無く、実のある内容の本だ。但し、どんなに良い...


140102 BS1『オリバー・ストーンと語る “原爆×戦争×アメリカ”』(2013) 感想特5

2014年01月02日 20時37分17秒 | 映画・映像
1月2日(木):

年末に録画してあったBS1『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史(The Untold History of The United States)』(2012)50分×10回放送と、監督の来日を記念した番組である。本編の10回を見る前に、この番組を観た。結局3回繰り返して観た。

近頃陥っていた思考の混乱状態から、あるべきコモンセンス(常識)を取り戻すことができた気がする。大げさかもしれないが夢から覚めた気分にさせてくれる。映像の持つ力の大きさを思い知った。しかし、逆用されれば、これほど危険なものはないだろう。俺は、この番組を愚か者の安倍首相にぜひ見させたいと思うが、安倍が見れば再びNHKに圧力を加える愚行を繰り返すだろう。

「記憶とは文明をつなぐか細い糸である、我々は決して広島を忘れてはならない」(オリバー・ストーン)
20世紀のピュリツァー賞1位は、ジョン・ハーシー「ヒロシマ」(1946)だが、日本人はほとんど知らない。日本人が「原子爆弾」の事実を知るのは、1952年占領終了・独立以後である。原民喜「夏の花」(1945→1947→1953)の原題は実は「原子爆弾」だった。

番組中の質疑で、自爆テロとカミカゼの近似性に関する質問に対してストーン監督は、「共通点はあると思います」と言い切り、「カミカゼは日本人が既に狂ってしまっているという印象をアメリカ人に与えてしまい、原爆投下を促した面があるだろう」と指摘しつつ、「当時の日本人は非常に原理主義的で、天皇はまさに神だった」のだからと指摘している。言われてみれば、国家権力により若者が自死を迫られるカミカゼの異様さは、客観的には自爆テロと共通性が高いと言わざるを得ない。

しかし、今の日本でこれを言えば、ものすごい攻撃を受けるだろう。今の日本で爆発的人気の「永遠の0」の冒頭が、俺の記憶違いでなければ、神風特攻隊とイスラムの自爆テロが同一視されることに対して激しく怒って見せるシーンだったと思う。NHKの経営委員にもなった作者の百田尚樹が、この番組を観てストーン監督の質疑応答を見れば、強烈に噛みついてみせて、放送内容に否定的注文をつけただろう。今の日本は、正常じゃない。全く異常だ!

俺自身日々、中国や韓国とのぎすぎすした関係のニュースをメディアから見せられ続け、靖国神社に安倍首相が参拝するのを、「日本にA級戦犯などいない。皆、公務死なんだ。彼らは、天皇陛下に代わって自ら罪を引き受けた(英雄なんだ)」などという言葉が繰り返される。世論調査では、外交的配慮を欠いていることを除けば、安倍の靖国参拝を大多数の日本人が、「国のために亡くなった先祖の御霊に参拝することは当然だ」と述べ、支持している現実をまた見せられ続ける。

しかし、日本人が、自国民が受けた被害には敏感で詳しいが、日本兵や日本人が中国や韓国だけでなくアジアで犯した膨大な野蛮行為に対してはほとんど無知であることはメディアから知らされない。そんな雰囲気の中にどっぷりと漬かっッていると、いつの間にか、そのいびつな視野・情報が当り前に思えてきて、それに違和感の声を挙げ続けること自体がしんどくなる。

安倍が、靖国参拝の際、1978年のA級戦犯合祀のことに一切言及しないのを俺はずっと彼がずるく避けているのだ、と思っていた。しかし、どうもそうではないと思うようになった。「狂信的歴史修正主義者である安倍の立場から見れば、東京裁判自体を認めていないので、A級戦犯ということ自体を認めず、公務死の指導者として考えているので、意地でもA級戦犯という言葉を使わないのだ」と分かり始めてきたのだ。それは、隠すことよりも恐ろしい事実だ。

東京裁判の結果を受け入れることによって、サンフランシスコ講和条約が結ばれ、日本は1952年独立を果たして、戦後日本及び国際秩序が規定されているのだという事実を理解していること自体が間違っているのだという雰囲気があるアジア・太平洋戦争で日本の侵略戦争に対して誰も責任を取らないという歴史修正主義者の考え方がまともな声に聞こえそうになっている自分の置かれている状況がとても恐ろしくなる。やはり戦争責任をはっきりさせなければ絶対にいけない。A級戦犯たちの平和と人道に対する罪は、戦前との決裂のけじめとして、国内的にも国際的にも絶対の約束であり、断じて揺るがせにはできない。 最近も、タレントの春香クリスティーンが、A級戦犯が合祀されている靖国神社への安倍首相の参拝に対して、もしドイツで首相がヒトラーのお墓参りをすれば(墓は無いけど…)、大変なことになると当然の発言をしただけで、過去の歴史も日本の独立の経緯も何も知らない連中の集中砲火を受けてHPが炎上したという記事が出ていた。無知は恐ろしい。それを利用しようという連中も恐ろしい。何よりもその連中が愛国心を振りかざしているのが恐ろしいことである。

いろいろと感慨を述べてしまったが、この番組は、「広島・長崎の原爆投下は実は必要なかった、あれは結局実験であり、ソビエトへの牽制・脅迫に過ぎなかった」というようにアメリカの虚像を突く内容のはずなのが、返す刀で日本の現実の矛盾を厳しく指摘し続ける内容にもなっているのだ。

「日本人自身も1930年代、1940年代にアジア各地でしたことを知らないのではないですか。」というストーン監督の指摘は、夢から覚めさせられる言葉であろう。昔は、本多勝一さんの著作などよく耳にしたが、最近はついぞ耳にすることが無くなった言葉であり、問題意識である。本当に、朝日新聞を読んでいても、たまに「声」欄に投書が出る程度、あの池上彰さんもさすがにこの問題には固く口を閉ざして語らない。そりゃそうだ、一度でもそんなことを語れば、二度とお座敷の声はかからないのだ。この視点から見れば、池上さんもただのしみったれた知的幇間(“たいこもち”)ということだ。そして、なぜかアカデミズムの世界も日本人の戦争犯罪行為についてはほとんど口を閉ざして発信がないのだ。問題の存在を知っていて、避け続けているうちに問題の存在そのものを忘れつつあるのかもしれない。

番組は、オリバー・ストーンという高度な知性によってしっかりとした自信とともに、現代の矛盾に抗して、我々が取り戻すべき考え方と態度を教えてくれる。

番組の終わりは、オリバー・ストーン監督によるアメリカ人自身への静かな語りかけと映像で締めくくられる。
「時として歴史の流れが変わる瞬間に遭遇することがあります。そのとき、私たちの心の準備はできているでしょうか。私は、ルーズベルトが人生の最後にチャーチルに伝えた言葉を思い出します。
(ルーズベルト大統領の声)「私はソ連との軋轢を過小評価したい。こうした問題は何かにつけて生じるだろうし、そのほとんどは解決できるものだからだ。」
過剰反応せずに事態を見守り敵対国の目を通して世界を見る。こうした姿勢は、他国への共感と思いやりから生まれます。これからの時代を生きていくには、地球全体の意思を尊重し、核戦争の危機や地球温暖化の脅威と闘わねばなりません。私たちは例外主義や傲慢さを捨て、「他国よりアメリカにご加護を」と祈るのをやめられるでしょうか?強硬派や国家主義者のやり方が通用しないことは、もはや明らかです。法を順守し、アメリカ建国の精神に立ちかえり、意見の違いを越えて、大切なものを守るのです。古代ギリシャの歴史家ヘロドトスはこう記しました。「歴史は人間が成し遂げたことが、忘れ去られないように願って書かれた」人類の歴史には、戦争や死の記録だけでなく、誇りや成功、優しさ、思い出、そして文明が刻まれているのです。過去を振り返ることから未来への道は開けます。そして赤ん坊のように一歩ずつさらなる高みへと昇って行くのです。」
(ケネディ大統領の声)「突き詰めれば我々は皆、この小さな惑星で暮らし、同じ空気を吸って生き、子の幸せを願う、限りある命なのです。」エンドロール。


※改めて思うが、日本の新聞、雑誌、メディアは本当にひどい日本人全体が目先のことしか考えられなくなっている。未来への見通しがまったく与えられていない。外国人の監督からしか、このような力強いメッセージを得られないのは、ある意味で残念の極みである。

3 049 齊藤孝「原稿用紙10枚を書く力」(大和書房;2004) 感想5

2014年01月02日 03時52分42秒 | 一日一冊読書開始
1月1日(水):

※明けましておめでとうございます。旧年中は、小生の駄文をお見捨てなくお読み頂き、本当に励みになりました。皆さまのご来訪がなければ、小生の読書マラソンは、とっくの昔に挫折しておりました。それは断言できます。今後とも身勝手な駄文をだらだら垂れ流してまことに心苦しいのでございますが、お見捨てなくご来訪頂けますことをお待ちしております。まことにもって恐縮の至りですが、よろしくお願い申し上げます 。恐惶謹言 m(_ _')m 。

195ページ  所要時間 2:40    ブックオフ105円

著者44歳(1960生まれ)。

タイトルは正確には、“10枚以上書く力”とした方がよい。著者の基本的考え方は、とにかく<質>より<量>が大切であり、たくさん書ければ、質はあとから付いて来る。

起承転結は、まず「転」から書くべきであり、言いたいこと、指摘したいキーワード、キーコンセプト(言いたいこと)を見つけてから、そこに向けて転→承→起→結の順番で考えるべきだ。そして、いきなり大きな文章を書こうとするのではなく、小さな塊の文章をたくさん書いて、それを後で編集、まとめるほうが現実的である。

一定以上の文章の量をこなすには、先ず、キーワード、キーコンセプトを選択することが大事であるが、その際、2つだと、発想が直線的になってしまい、他の人間と重なりやすく、月並みな内容になりがちなので、3つ(多過ぎてもいけない)を選択するべきだ。

3つのキーワードだと2つまでは同じになっても3つ目が重なることはまず無い。また、3つのキーコンセプトを結び付ける場合は、論理の組み合わせ方が複雑になるので必然的に各自のオリジナルな発想が出ることになる。

長い文章を書く場合、行き当たりばったりで書き始めてはいけない。必ず、レジュメを書いて全体の見通しを立ててから書くべきである。

文章を書く際には、書き手の<個性(生命力)>は勿論大切だが、文筆の世界では、まず文章をたくさん書ける<構築力>が必要である。

そして文章を書く場合に、決定的なのは、一人称なのか、三人称なのかをはじめとして、読者と自分の立ち位置、距離感といった表現上のポジション取りをしっかりと意識することがとても大切である。そこがぐらつくと書けない。

ざっとこう言ったことが、書かれてるが、他にも単なる読書好きが、物書きとして通用するわけではないこと、編集者は、文章を読み込むことにかけては高い脳力を持つが、意外と物書きの能力を持つ者は少ない。

物書きと、読書習慣、読書量の必然的な相関性、および物書きのための読書法は、ふだんの読書とは違う“読書術”がある。など、興味深い指摘もあり、全体にコンパクトにわかりやすく書かれていた。

俺はこれまでこの著者の、情念的ではなく、理念的であっさりしていて、多くの著作が薄味で当り前のことしか書かない。それが、権力やマスコミ、大衆に迎合する姿勢に感じられて嫌いだった。その著作にも低い評価しか与えて来なかったが、本書に関しては、簡にして要を得ていて、親切な文章読本として好感を持てたので評価を高くした。

150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)