もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

4 089 司馬遼太郎「翔ぶが如く (四)」(文春文庫:1972~76) 感想 5

2015年05月31日 23時11分55秒 | 一日一冊読書開始
5月31日(日):

309ページ   所要時間 7:30   蔵書

著者49~53歳(1923-1996)。

 どうも既読は、第四巻の前半までだったようだ。後半からは、全く未読の世界に突入した。

 全盛期の司馬遼太郎作品の重厚さには圧倒される。この作品で顕著な特徴が、著者の寄り道だが、あっちへこっちへ立ち寄るのだが、その立ち寄り先で本格的に論が展開されるので、作品が時に本題を忘れた感を呈する。読み手も著者から提示される深くて広い解説を理解するのに集中して、力尽きてしまいそうになる。せめて1ページ30秒で読まねばと考えるのだが、少しでも興に乗るとあっという間に1ページ90~120秒ぐらいになってしまう。中身が濃いのだ。

 第四巻では、征韓論争に敗れた西郷が下野して鹿児島に帰った後、江藤新平が佐賀の乱を起こしたが、大久保が直々に乗り出して、まともな裁判もせずに処刑・梟首(キョウシュ)にする。情け無用の苛烈な処分は、西郷を頂く薩摩士族に対する示威・警告であった。独立国の様相を呈する薩摩では、西郷や県令大山綱良によって全体主義的政党に似た私学校組織が作られる。その後、大久保を中心とした東京政府は、薩摩士族のエネルギーのガス抜きのために、杜撰な計画で台湾出兵を強行する。西郷従道陸軍大輔が3600の兵を率いて台湾に行くが、戦死者12人に対して半年の病死者561人を出す。

 事前の根回しなしに実行された台湾出兵に対して、英国を中心に列強が激しく反発。中国も重い腰を上げて軽率をなじる。「どうもこの問題はこじれるぞ」という感じで、第四感は終わり。本書を第10巻まで読み切る自信がどうも持てない。高く聳える壁のようだ。

・結局、征韓論争は、欧米を実際に見た人間と見てない人間の原体験の違いだった。
・村田新八の人物像は、とても魅力的だった。
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150531 水上勉「拝啓池田総理大臣殿」( 『中央公論』1963年6月号,pp.124-134)

2015年05月31日 19時32分04秒 | アーカイブ
5月31日(日):

拝啓池田総理大臣殿
水上 勉 1963 『中央公論』1963年6月号,pp.124-134
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 われわれの税金は果して正しくつかわれているだろうか。身体不自由な娘をもった一人の作家が、税制の不合理と社会保障の欠陥を追及した切々たる公開状

拝啓 池田総理大臣殿
 ご多忙な総理が、ふと自宅でテレビをみておられて、定時制高校卒業生の差別問題にいたく心を動かされ、さっそく、翌日にこの問題を閣議の席上で審議にかけられ、長いあいだの課題であった定時制高校卒業生の資格に、陽の目をあたえられたという新聞記事をよんで私は、正直のところ、あなたにほのかな親しみを感じたものの一人であります。そこで、このような文章をあなたにさしあげる勇気が出ました。どうぞ、テレビでもごらんになるつもりで、私のこの拙文に三、四十分あまりの時間をさいて下さい。
 私は、主として今日まで推理小説を書いてきた作家です。三、四年前から、日本の読書界に起こった推理小説ブームのおかげもあり、私は私の名を一部読者におぼえられるようになり、小説の注文も月々多量にひきうけるような境遇にあります。むかし(といっても、つい四、五年前まで)にくらべますとずいぶん収入も多くなり、本年度の私の居住する地域の東京都豊島区税務所の査定によりますと私には三千四百万円もの収入があり、それに課税された所得税額は、五百八十七万円ということでありました。これは所得税額だけであって、そのほか、区民税、さらに納入ずみの諸税金を加えますと私の税金はだいたい一千一百万円近い額にのぼるということを税務所の方から申しわたされました。私は正直のところ、びっくりしました。私は三、四年前までは、家内を外へ働きに出し、私も、また洋服の行商をしているというような貧乏な間借り生活をしておりました。所得税はおろか、区民税さえも期日に払うことが出来ずに、何ども督促をうけながらも、ようやく利子をつけて支払うような生活を長いあいだしてまいりました。そのためか、一千万円以上の税金を支払△124▽125うなんてことはまったく夢のような気がしたものです。
 しかし、収入はそのとおりありましたし、私がハンコを押して受けとっているのでもありますから、政府でおきめになった税法どおり、私は払わざるを得ません。それで、私はきめられたとおりにすでに、第一期分を支払い、五月の末までには、残額全部を支払わねばならない立場にあります。ところで、一千万円以上もの金が、いったん、私のふところに入っておって、それがまた時日を経てから出てゆくかと思うと一抹のかなしさが無くはありません。私は人いちばい強欲なのでしょうか。小さい時から、貧乏な家に育ち、禅宗の寺へ小僧にやらされ、小僧がいやでその寺をとび出して以来、十二歳ごろからひもじい思いばかりして放浪してきて、お金なども、財布に入れてもらったことのないほどの貧乏をしてきておりますので、つい、自分の手に入った大金が、法律によって、よそへ出てゆくというようなことが、実感としてわからなく、まったく損をするみたいな気もちになるわけです。
 決して、私の税金を払うことを私がイヤがっていっているわけではありません。毎日毎夜寸時も原稿紙からはなれたこともなく、背中のよこにコブを二つもつくり、四年前からの痔の手術も、歯槽膿漏の手術もする時間も惜しんで、原稿用紙に小説を書いて得た金が、一年間三千四百万にもなったのであります。そのうちの三分の一の金が、よそへ逃げてゆくかと思うと私はただかなしい思いがするだけです。だが、これも、日本国民としての私の納税義務だとあきらめてしまえばそれで納得もできるのでありますが、正直のところ、わたしは、この約一年前ごろから、とくに、今日このごろ、私が一生懸命勤労する仕事の量と、税金と、それから、私の生活面に起ってきているある特殊な事情の三つが関連してどうしても、私は暗い気分にならざるを得ないのであります。それをうちあけたったのが、この文章の目的なのです。

 去年の九月のはじめに、私の妻は一人の身体不自由な子を産みました。病名は脊椎破裂といい、背中の骨がとび出て、大きな肉腫ができていました。せむしのような恰好で出てきたのをみて、私たち夫婦は、死んでしまいたいほどびっくりしました。医者は、一万人の中の一人の子だと申しまして、たぶん、このまま死ぬだろうからあきらめてくれ・・・・というなことをいうかと思うとまた、ある医者は手術をすれば、背中のコブはなくなる。けれど神経障害はまぬかれない、だが、それも、根気よく治療してゆけば、一人前の人間にすることは可能だといいました。私たちは、看護婦からも、医者からも見はなされたような、奇型の子が、ガラスの箱の中でもがいているのをみました時、どうにかして、生かしてやりたい、この子が生きようとするのなら、全力をつくして、生かしてやりたいと思うようになりました。まもなく外科手術を行ない、背中の肉腫を除去することに成功しまし△125▽126た。手術後の経過はよくて、子もふつうの赤ちゃんと同じようなつややかな顔をとりもどして笑顔をみせるようになりましたが、今日も頭形肥大、両肢不随、歩行困難の症状はなおりません。
 約三ヶ月間病院に入れておりましたけれど、月々に八十万円ちかい諸経費も大変に思われもしましたので、豊島区の自宅へつれてもどり、只今は自宅療法と病院通いをしているわけです。私たちは最初、この子がうまれた時、世にも不幸な親たちは自分たちではないかと思ったりもしたものです。ところがあとになって、私は、私の子と同じような症状の赤ちゃんが、この世に、なんと、何万人とも知れず生まれている、そうしてその子たちが半身不髄のまま今日も生きているということをきいてびっくりしたのです。
 私は作家であります。この子のうまれた当日の模様や、親としてのかなしみや、新しく芽生えてきたこの子への愛などについて、考えるところもありましたので、そのことを、雑誌に、体験記ふうに発表してみたことがあります。すると、この私の文章を読んで、全国から約三百通あまりの手紙が私あてに届きました。それらはみな、私と同じようなかなしみをもち、身体不自由な子を養っていらっしゃるお母さんからの手紙なのです。私はふたたび、びっくりしました。中にこんなのがあったからです。
 「水上センセイ。ワタクシモ、アナタト同ジセキツイハレツノ子ヲモッテヰマス。ワタシノ子ハコトシ十八才ニナリマスガ歩ケマセン。学校ヘイッテヰマセン。十八年間、ワタシハ子ヲ病院ヘカヨワセテヰマス。子ハ両足ガフラフラシテヰテ、頭モ大キク、ウチデジィットシテヰマス。ケレドモ、ワタシハコノ子ヲカワイガッテ育テテヰマス。コノ子ヲ愛シテクダサル人ハ世ノ中ニナイカラデス。ワタクシダケガコノ子ノ母ダカラデス。十八年カン、ワタシハイロイロトコノ子ニ教エラレタコトガアリマシタ。ニイガタハ雪ノ多イトコロデス。病院ヘユクタメニ、車ニノセテユキマス。雪ミチノスベル日ハ、車ニチェンヲマイテ、ワタシハ元気デ車ヲオシテユキマス。
 水上センセイ。アナタノオ子サンモ、キット、リッパニ大キクナリマス。ワタシハセンセイガ、ワタシト同ジ子ヲモッテオラレルトキイテ、一ソウ元気ガデマシタ。コレカラモ。友ダチニナッテクダサイ。」
 片仮名で書きましたのは理由があります。この婦人は四十歳を出た人でした。おそらく農村の人ではないでしょうか。病院へゆくのに、手押車でゆかねばならないところだといっておられますから。私は十八年間も、学校へもゆかないで、田舎の家で自宅療養しておられるこの手紙の主のお子さんのことを思うと眼がくもりました。こんなのがあります。
 「水上先生、私は先生と同じ子をもつ熊本県の一母親です。先生の直子さんと同じように、うちの子も生れたときは医者△126▽127に見はなされました。けれども、理解ある個人外科医の手術で、どうやら脊椎神経を直すことに成功して、頭形肥大、歩行困難の子として今日になりましたが、今は七歳になり入学を迎えました。ところが、一般の学校へ入れるのは子がかわいそうな気もしますし、どこか、重症身体障害児の学校がないものかと思ってさがしますけれど、熊本県には一校もありません。それで、何とか義務教育だけはさせてやりたいと日夜悩んでおります。
 先生のお子さまも、やがて、学校へゆかれる日がこられるでしょう。東京には私どものような障害児の学校があるときいていますが如何せん、私ども安サラリーマンの家庭では、子を遠い町へ放してまで、養育する余裕はありません。いろいろと悩んでおりますが、先生の雑誌の文章を読んで励まされました。たとえ歩けない子でも、立派な人間にしてやろうと書かれた先生の父親としての文章に、本当に元気づけられました。義務教育がうけられなくても、私たちはうちの子を立派に育てようと思っております」
「私は先生の文章をよんで感じたことを書きます。じつは私も、神経障害で、ことし、二十歳になる女性です。私は歩けますが、後遺症の難聴でこまっています。家が貧しいので働かなければなりませんので、耳が遠いこと秘して就職しますと、すぐにクビになってしまいます。そのために、私は、今日まで二十二の職業を転々としてしまいました。つくづく、世の中がいやになって死んでしまいたいと思うことがあります。けれども、こんど先生の文章を読んで元気がでました。先生も、元気でお子さんを大切にお育てになるように祈ります。」
 三通の手紙は、その代表的なものではありません。手許にあります三百通の手紙の一部をおみせするまでです。それぞれ似たような境遇の成人になられた本人か、もしくは母親や父親の、障害児をもったために、苦しまねばならなかったかなしみで充満したものばかりであります。

 総理大臣。私はこのような手紙をあなたによんでいただきたいために、わざわざこの手紙をここにつらねたのではありません。世の中には、不幸な子をもつ家がずいぶん多いものだということを総理に知ってほしかったためなのです。
 私は、熊本県に身体障害児を教育する学校が本当にないか、そのことについてまだしらべていません。しかし、私へきた手紙では、一校もないといってきております。おそらく、新潟県の雪の村で十八年間も家にひきこもっておられる障害児の村も、そういう施設は遠いのではありますまいか。私は、身体障害の子としてうまれた人間は、日本のある地方では教育からしめだしを喰っているような思いがして、慄然(りつぜん)としました。
 私は、都内や周辺にある身体障害児の施設や養育園に関△127▽128心をもつようになったのは、これらの手紙に接してからであります。正直のところ、私自身、ひとりの障害児をもっているとはいえ、生来、暢気な性質でもある私はまだ、二歳になってまもない私の子供の五年のちの入学のことや、教育のことなど、切実に考えるところまでいっていなかったのでした。私の考えていることは、何とかして、歩かせてやりたい、それだけが切実な希望だったのであります。ところが、これらの手紙に接してからというものは、私の子も入学期がくることに思いが走り、どのような施設に入れて、義務教育をうけさせてやろうかと心配が起きたからにほかありません。ところが、しらべてみますと、軽症児童の学園や養育園でさえが満員で、なかなか入れないという母親たちの声が私にきこえてきました。つまり設備が足りないということなのでしょう、重症児は尚更であります。
 いま、手もとにあります『厚生白書』という本を繙いて、総理大臣におみせします。次のように書かれてあります。
 「いわゆる『重症心身障害児』の問題がある。これは障害がきわめて重度であり、また二種以上の障害が重複しており、現行の児童福祉施設への収容は、実際上不可能である。現在は、民間団体において、収容療育の方法を研究中であるが、能力開発がとうてい期待しえないこれらの児童に対しては手厚い保護をよりいっそうに強化すべきであろう」(傍点筆者)
 因みにこの白書は昭和三十八年二月十五日の発行であります。今年の二月現在において、政府は、白書の示すとおりの、重症心身障害児に対しては、このような民間の篤志家まかせの対策しかもちあわせていなかったのでありましょうか。
 東京の南多摩郡多摩村落合中沢というところに、島田療育園という重症心身障害児の収容施設があります。
 ここには約五十人の盲、オシ、ツンボ、精薄、脳性麻マヒ、テンカン、奇型などの障害を、一身でいくつも背負っているかわいそうでみじめな子供が収容されています。こうした子供さんたちは、ダブル・ハンディキャップといわれて、人一ばい手がかかるために、一般の児童福祉施設や精薄児や盲、ロウアの施設などからしめだしをくったのです。ところが、ひとりの篤志家の決意によって設けられたこの施設に収容されることになったのです。「世の中には、重症心身障害の子を家にかくしてひそかに育てている人たちが、何万人いるだろう。むかしのように座敷牢に入れたり、まるで飼い殺しにするような状態から、何とかしてその子たちを救いたい」念願からこの療育園は出発したのだと小林提樹園長はいっています。「重い心身障害をもつ子どものお父さん、お母さん、どうぞ、連絡して下さい。どうしたら、その子がしあわせになれるか、いっしょに考えようではありませんか」と園長さんは世間によびかけているそうです。
 ところがこの島田療育園に、現在まで政府が、どのような援助をなされたか、私がしらべたところによりますとだいた△128▽129い、次のようになります。昭和三十六年度四百万円。三十七年度六百万円。それだけであります。現在この療育園で、一児につき実費三十六万円かかるそうです。現在では合計二千七百万円の実費のかかる収容児をもっていますが、政府補助は、わずかに全経費の二割にしかなりません。療育園では、この不足分をどうしておられるかというと、募金などに頼っているとの返答です。小林園長はこうつけ足しています。
 「昭和三十八年度は″重症心身障害児養育費″として補助費が出る約束はしてくれているが、交付金はまだ発表されていない。地方自治体のレベルでは重症児に対して年金を払うというような動きも出てきていて、たとえば神戸市などでは、昨年十月から、一児に対して年間一万円弱の年金です。神戸市長はこの額では慰労程度のものだが、といっているそうですが、新しい動きとして注目されます」
 まことに寒い思いがします。総理大臣はどう思われましょうか。

 私は、総理が日本の政治の総元締の地位にあられることを知っています。外交、文教、開拓、商工振興、鉄道、観光など、あらゆる国が事業を行なう上(うえ)にあって、それを統率遂行なさる立場にある方だと知っております。総理は日夜、多忙であられます。そこで、総理は本年初頭に、明年度の予算は健全積極性のものにすると表明されました。一般会計の規模は二兆八千五百億円(外債などを入れると一兆七百億円)ぐらいで、本年度に比べて、一般会計で、一七・五パーセント、財政投資計画で二〇パーセントの増となるだろうということを言われました。
 作家の私が、総理が本年初頭に発表されたこのような予算編成の声明を気をつけてみていたわけではありません。これも、いま、私は手もとにある『ジュリスト』という雑誌の一△129▽130月十五日号を繙いているにすぎないのです。そこには、政府の積極財政について、次のようなことを記しています。
 「明年度は不況のせいで、税の自然増収がせいぜい三千億円ぐらいしかみこめないし、財政投融資の原資も窮屈であるが、一方で景気のテコ入れを行なう必要があるところから、なんとか積極性をもりこもうとしているのである。財源は不足だし、既定経費の当然増で、新規政策費に廻せるものは少ないが、それでも公共投資、文教、社会保障の三つの柱を中心にして積極性のある予算を組もうと苦心している。(中略)しかし、社会保障の充実にしても生活保障基準の二一パーセント引き上げ、福祉年金支給率のひき上げ、国民健康保険の国費分担率の引き上げ、医療費の地域格差の是正の要求が厚生省から出されているが、大蔵省は財源不足を理由にこれをできるだけ低目に押さえようとしており、三本柱の一つも、どこまで重点がおかれるか心配されている」(傍点筆者)
と解説者は記したあとで、次のように記しています。
 「だが、われわれ国民大衆が一番注目するのは減税問題だ。減税は、今まで池田内閣の重点施策の一つの柱となっていたが、今度は抜けてしまっている。池田首相なども『毎年大幅減税をやってきたのだから、今後ぐらい休んでもいいのではないか』とか『一般国民はそれほど減税をのぞんでいない』とかいいながら、減税、とくに所得税中心の減税を見送ろうとしている。一方、政府の税制調査会では、物価の値上がり、累進税率などによって、もし減税しなければ、所得税の増税になるということから、所得税について基礎、配偶者、扶養の各控除をそれぞれ一万円ずつ引き上げることを答申した。ところが、池田首相、賀屋政調会長あたりは、こうした所得税中心の減税よりも、資本家蓄積重点の減税に熱心で、利子および、配当所得への税制上の特別措置を優先しようとしている。いわゆる政策減税といわれるものである。(中略)
 こうした政策減税が優先したため、一般の所得税減税の方は、税制調査会の答申よりさらに後退して、基礎控除一万円引き上げ、その他の配偶者、扶養の二控除および、中小企業者の専従控除は五千円引き上げということに落ち着きそうである」
 この記事をよみましても私は、総理が減税政策の統率者でないことをあらためて考えざるを得なくなります。自由民主党の幹部の方たちの考え方は、なりふりかまわず大資本の擁護をはかるというやり方を露骨に出しておられるという思いがしますが如何でしょうか。
 こんなことをとつぜん私がひきあいに出しましたのは、前述したように、日本の隅々に、学校へゆけない重症身体障害児が何万と放置されているということと、そうして、その子供たちが、高所得者の家庭によりも、低所得生活者の家庭に多いようにみうけられるからであります。私あてに、全国から集まりました身体障害者の手紙はそのようなことを明らか△130▽131に示していたからです。公共投資、文教、社会保障の三つの柱のどこに重点がおかれて予算が組まれるか心配である、と先の雑誌の解説者を憂慮させるような現実では、社会保障の項目に当然入るであろう、これらの下積みの身体障害者の保護施設問題が等閑視されはしないかと私に心配されるからでありました。
 ところで、私は、冒頭に私の所得額と税額を総理に示しました。私はしつこいようですが、もういちど言わせていただきますと、大体一千一百万円の税金をおさめねばならないことになっています。私は作家でありますから、個人企業といえましょうか。私が孤独に働いて得た金であります。ふつうの会社や、法人組織の団体のように、社員や、大ぜいの人の力で得た金ではなくて、私が、日夜、原稿用紙に向って得た収入から、おさめなければならない金なのであります。
 ところで私のように、個人で、一年に一千万円以上もの税金を支払う境遇にあるものは当然、高所得者の部類に入るではないかと思います。私は総理の所得税額はいくらか存じませんが、おそらく、池田さん、あなたよりも、多額の所得税を私は政府に支払っているのではないかと思いますが、どうでしょうか。もし、それが事実であれば私は一国の宰相よりも、多額の収入があるということになります。冒頭で、夢のような気がすると書きましたのも、そのような感慨があるからでありました。私は、こんなに多額の税金をおさめるようになったのは、つい最近のことだといいました。いま私の手もとにある本年度の納税申告書をみてみますと、過去三年間の課税対象額は、昭和三十五年三百四十四万、三十六年千四百三十八万、三十七年二千百五十三万となっております。三十五年は私がまだ妻を外に働かせて洋服の行商をしていた生活から作家に移行する時期でありましたし、小説注文も少なくて収入もなかったからでありましょう。しかし翌年には、一千万以上に昴り、翌々年には二千万近い上昇を示すにいたりました。
 私は、毎日毎日、働いております。私が、こんなに働くようになりましたのは、私の子が身体障害者であるからです。頭部肥大、下半身不随で、歩行困難が予想されるからです。一時は月に八十万円もの医療費がかかったほど、この子は私どもを泣かせました。私はこの子の医療費を得るために、がむしゃらに小説を書いてきました。おかげで、退院も出来て、今日は自宅で療養いたしていますけれど、この子の将来を思うと私は暗たんたる気もちになります。生涯歩けないのでは廃人同様だからです。廃人同様であっても、私たちの産んだ子でありますから、世間様にめいわくのかからないように、どこかで、ひっそりと天命を全うするまで、生活させてやらねばならない責任が父親としてのわたしにあります。私は、この子のためにいくらかの貯蓄を余儀なくされたわけです。△131▽132そこで、がむしゃらに働いたわけですが、今日になって、その子に、どこか陽当りのいい、空気の澄んでいる郊外の家でもつくってやろうと思ってみましても、所得額のうちから三分の一の一千万円以上もの税金をもってゆかれるようでは、画餅に終ってしまったわけです。私は私の子にやるべき金を、政府にとられたような気がした錯覚さえおぼえたのは、このためにほかありません。総理は、私が一年や二年の労働で、子の生涯の養育費をひねり出そうとしていることをお笑いになるかもしれない。しかし、これには、理由があるのです。
 私は、個人企業の、孤独な作家であります。二十歳時代に肺病をやり、今日も痔、歯槽膿漏の病気を背負いながらあまり健康でもない?を酷使して働いているのですが、かりに、私が、急に病気で寝てしまうと、私の収入はぴたりと止ってしまいます。会社員ではありませんから、生活の保障はないのです。一家は路頭に迷わねばなりません。それに作家という商売は、なかなかなことでは出来ません。骨の折れる仕事である上に、今日のように高所得を持続することはそんなに続くものでもないのです。病気でなくても、書けない時期もくるのでありまして、無収入の年のことも計算に入れると、つい、私は、書きたいことのあるうちは、一生懸命働いてみようという心もちになって、今日も原稿用紙に向っているわけなのです。
 ところで、私がこの孤独な書斎作業で働いて得る金と、同額ぐらいの収入のある中小企業の会社は、私よりも、税額が少ないということが、私に妙な感じを抱かせております。豊島区の税務署の方は、私の妻に、こんなことをいわれたそうです。「秘書を二人ぐらいお置きになるとか、運転手をお傭いになるとかなされば必要経費としてみとめられます」私は総理のように秘書は要りません。運転手もいりません。なぜならば書斎労働だからです。つい三年ほど前まで、三百四十四万の課税対象額しかなかった生活者です。秘書をやとって、小説の書けるような人間に出来ておりません。運転手をやとうことも面映ゆい気がして出来ません。私は禅宗のお寺で少年時を送りました。そういうことは勿体ないと考えるような教育をされてきていて、粗衣粗食に甘んじ、節約一心に勤労するというような生活態度を今日も、尊いとしておるものです。私が、日夜、働くのも、こうした少年時の勤労の教えを守っているのであります。ところがこの勤労生活は、今日の税制からみますと、おかしな云い方かもしれませんが、損であるように思われます。すなわち、私が、秘書をやとい、運転手をやとって、なるべく?を酷使しないような方法をとり、世の中でもっとも孤独作業であるべき創作の仕事を、共同工場化して、生産するような組織にもってゆけば、税金も安くてすむような仕組みにできているのです。おかしなことに思われてなりません。小説は共同で出来るものでも△132▽133なく、秘書の力で出来のよくなるものでもありません。あくまで、孤独につくられるものなのです。なぜ、こつこつと孤独に働いて、収入をより多く得た者に、税率が多く課せられるのでありましょうか。今日の税金政策が、勤労精神と相反するように見えてならないのは私だけでしょうか。
 私は、今日の税制が、さきの雑誌の解説者の憂えたように、大資本擁護の立場をとっていることを身をもって知るものです。いっておきますが、総理大臣、私は、あなたよりも所得税を多く政府に払います。しかし、私は貧乏であります。そうして、私ばかりでなく、私のように、孤独に働いて、多額の税率をかけられて、文句もいわずにそれを納め、真面目に生活しておられる無数の貧しい人びとのことも思うと暗くなります。ふっと、その人たちの暗い家の隅で、歩けない子がかくれていることを思うと私は、ぎょっとなるのです。雪の新潟から、片仮名まじりできた手紙は、車にチェンをまいて十八年間、重症の子を町の病院へ通わせてきたと書いてきていました。南の九州から、熊本には、歩けない子の学校は一校もないと書いてきておりました。私はふっと、その子たちの親たちが、いったい、どんな思いで税金を払っているのかと思いを馳せてみました。
 私はこの三月に税務署から査定金額を申しわたされて、帰ってきた妻にいいました。
 「いったい、うちの直子(歩けない子)に、政府はいくら補助金をくれるのか」
 妻はこたえました。
 「六千円ひかれます」
 「ひかれるって、税金のはなしをしているんじゃないんだ。うちの病気の子に、政府がいくら、医療保護のお金をくれるのかということきいているんだ」
 「区役所からも都庁からも、そんなお金をくれはしません△133▽134よ。ただ、あんたの稼いだお金から六千円をひいてくれるだけですよ」と妻はいいました。
 私の子の政府の医療補助費は、私が稼いでいることになるのかもしれない。そのことが、私の身に沁みました。
 総理大臣、私は、あなたに私の泣きごとをかいてみたかったのではありません。私は、重症身体障害者を収容する島田療育園に、政府が、たったの二割しか補助を行なっていないことに激怒したからなのです。政府が、今日まで、あのオシや、ツンボや、盲やのかわいそうな子供たちが、施設からしめ出しを喰って、収容されている療育園に、これまで助成した金は、二年間にわたってたったの一千万円でした。三十六年度に四百万円、翌年に六百万円でした。しかも、これは研究費というめいもくです。私が本年一年におさめる税金の一千一百万円よりも少ないのです。私は、私の働いた金が、この島田療育園の子らにそそがれるのであったら、どんなに嬉しいかしれません。私ひとりの子でなく、私の子と同じように歩けない子らの上に、そそがれる金であったら、私はどんなに嬉しいかわかりません。
 無茶なことをいう奴だと総理はお笑いになるかもしれない。私は何も、私の税金をそっくりそのまま、重症身体障害児の施設に廻せといっているのではないのです。そうなれば嬉しいといっているだけのことなのであります。私は月に一どほど島田療育園の近くにあるゴルフ場へゆくことがあります。私は健康上の理由から、芝生の上でクラブを振ることをおぼえて、ここ半年ほど前からゴルフをやるようになりました。私はそのゴルフ場へ行く途中で、島田療育園の山の下を通ります。ああここだな、と私は心につぶやきます。島田療育園の建物は、山をきり崩した中腹の平坦地に、まだ地ならしも完了していない赤土が出ている所です。粗末なていさいでたってみえます。そこへゆく途中の道路は悪く、建物も貧弱で、寒々としてみえるのです。対岸にあるゴルフ場のキャディ宿舎の方がはるかに立派です。白いペンキのぬった療育園の小さな窓は格子がはってあります。その窓の中に、手足のうごかない子供が五十人もいるかと思うと、私はふっと、みどりの芝生を歩いている五体健康の私の身のありがたさに身をひきしめます。そうして、やがては、そうした施設に入れて、教育させてやらねばならない私の奇型の子のことに思いをめぐらせます。だから、私はゴルフをやらねばなりません。健康を保って、働かねばなりません。
 総理大臣。とりとめのないことを書きました。どうか、あなたのご多忙な日々のある時間に、身体障害の身でありながら、生きようとしているたくさんの子らのいることに思いを馳せて下さい。来年から、どうか、この子たちのために出来るだけの予算をとって、施設を拡大してあげて下さい。大勢の気の毒な子とその両親を代表して、心からお願い申し上げます。△134

◇黒金 泰美 196307 「拝復水上勉様――総理に変わり『拝啓池田総理大臣殿』に応える」,『中央公論』1963年7月号,pp.84-89
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4 088 高谷清「重い障害を生きるということ」(岩波新書:2011) 感想5

2015年05月31日 18時48分45秒 | 一日一冊読書開始
5月31日(日):

196ページ   所要時間 3:10    図書館→アマゾンに発注258円(1+257)

著者74歳(1937生まれ)。1964年京都大学医学部卒業。京都大学附属病院、大津赤十字病院、吉祥院病院小児科勤務を経て、1977年~97年びわこ学園勤務。うち1984~97年第一びわこ学園園長。2011年、教育に貢献した個人・団体におくられるペスタロッチ賞受賞。現在、びわこ学園医療福祉センター医師(非常勤)、特定非営利活動法人きらら(障害者作業所他)理事長。

 安っぽい評価論を超えた本はあるのだ。感想はと聞かれたら、5以外は付けられない。重症心身障害児(者)の存在を45年間見続けてきた著者による「人間が<生きる>意味論」である。神谷美恵子「生きがいについて」に通底する内容。

 前半で何度も涙腺を刺激された。人間を泣かすのは簡単だ。真実の重み思いやる優しさがあれば十分だ。本書の後半は、やや講釈的な感じになったが、著者をはじめ、著者の先人たちの考え方に十分に共鳴でき、良い言葉にもたくさん出会えた。

 浅ましい政治が行われている一方で、本当の世の中のあり様とあるべき姿・考え方を呼び覚ましてくれるような内容の本である。半ばまで読んだところで、アマゾンに注文を出した。「お守り」として所持してもいい本だ、と思った。

 本書で紹介された水上勉の逸話「拝啓 池田総理大臣殿」は別に載せる。

■目次: はじめに
序 章 「抱きしめてBIWAKO」―25万人が手をつないだ日
第1章 重い障害を生きる :1 はじめて「びわこ学園」を訪れる /2 子どもたちとの出会い
第2章 どのような存在か :1 脳のない子の笑顔 /2 感覚的存在―五感だけでなく /3 身体的存在―二次元の世界 /4 意識―生命体を維持・発展させる方向 /5 関係的存在―「わかる」とは /6 人間的存在―生きがいとは
第3章 重症心身障害児施設の誕生―とりくんできた人たちと社会 :1 小林提樹と島田療育園 /2 草野熊吉と秋津療育園 /3 糸賀一雄とびわこ学園 /4 おしすすめてきた家族の力
第4章 重い心身障害がある人の現在 :1 医学的視点から /2 さらに重い障害へ /3 人数と実態
第5章 「いのち」が大切にされる社会へ :1 「この子らを世の光に」 /2 「ふつうの生活を社会のなかで」―第一びわこ学園移転計画 /3 「抱きしめてBIWAKO」から何が生まれたのか /4 生きているのは「かわいそう」か
あとがき

紹介文:「人間」とはどういう存在なのだろう?
 「人の世話になってまで生きていたくない」という人がおられる。よほどご自分で頑張ってこられたのだろう。だけど「100%人に頼らないと生きていけない」人もいる。そういう人の生に「意味」はないのだろうか?
 この本の主人公は、重い身体障害と精神障害とを併せ持って生まれた「重症心身障害児(者)」と呼ばれる人びとである。聞き取りにくいながらも言葉をしぼり出す人もいれば、寝たきりで人工呼吸器をつけ目だけはよく動く人、手足が曲がり自分の意志とは関係ない体の動きに苦しげな人など、さまざまである。
 著者は滋賀県の重症心身障害児(者)施設「第一びわこ学園」(現・びわこ学園医療福祉センター草津)の園長をつとめた医師。何を思いどう感じているかが非常にわかりにくい重い障害のある人びとに40年以上にわたり接してきた。
 脳がない状態でもなぜ「笑顔」を見せることがあるのか、外界をどのように感じるのか、寝たきりの状態と少しでも身を起こした状態では人の意識にどんな変化をもたらすのか、言葉も反応も乏しいのに、親や親しい介護者はなぜ「(この子は)わかっている」と言うのか……。
 著者はその体験と観察から、重い障害を持つ人ならではの感じ方、さらには、人間とはどういう存在なのかということにまで思索を深める。
 重い障害のある人が持っているのは、極限的には「いのち」だけとも言える。そういう人が社会のなかでどのように生きられるかは、他の障害をもっている人にも、幼い子どもの福祉にも、あるいは高齢のため生活が不自由になった場合にも、何らかかかわる社会の根本の設計を表すことになるだろう。
 元気なときの自分の価値観がすべてではない。重い障害を持つ人の世界から社会を見直してみると、新たな発見がいくつもあるのはおもしろい。ぜひご一読を。 (新書編集部 大山美佐子)
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150531 晴耕雨読様:かなり本質的な内容である。「岩上安身による、元経産官僚・古賀茂明氏インタビュー」

2015年05月31日 13時21分57秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
5月31日(日):

 この取材は、かなり本質的問題を指摘していると思う。社会に対しても、歴史に対しても、これほど基礎的知識・知性の無い(高校生以下!)不適格な男が、単なる生まれによるプライド(A級戦犯岸信介の孫)だけで日本と日本人を地獄に導こうとしているのだ。馬鹿にしがみついてかついでいる選良の自民党政治屋・霞が関官僚も愚かの極み、亡国の徒である。それを「パンとサーカス」を求めるネット右翼が強く支えている。この馬鹿の支持率がいまだに50%なのだ。言葉が無い。

 「マルクスもレーニンももともとプロレタリアートではなかったよ」(高橋和巳)。結局、プロレタリアート(プレカリアート)層は、ファシストに引きずられ続けるのか。きちんと道を指し示せる「社会民主主義」勢力をつくり上げなければいけないのだが、一体この国の政治家や大資本のマスコミ・報道は何が真の願い・望みなのだろう? 本当に分からない。愛国心を押し付けてくる連中が、未来の子どもたちに対して最も無責任で、愛国心から遠いという構図はあまりにも戯画的過ぎる。

晴耕雨読「「安倍さんは戦争犯罪者と同じような気持ちなのでしょう」古賀茂明氏インタビュー:岩上安身氏」 2015/5/30   

これより、岩上安身による、元経産官僚・古賀茂明氏インタビューの模様を実況します。http://www.ustream.tv/channel/iwakamiyasumi
(略)
岩上「安倍総理の『ポツダム宣言不承知発言』はすごいですよ。読んでないだけでなく、『承知していない』と言っているんです。不承知だと」
岩上「不承知というのは、事実上の『否認』ではないかと思います。実は安倍さんは過去に『ポツダム宣言とは原子爆弾を2発落として日本に大変な惨状を与えたあと、『どうだ』とばかりに叩きつけたものです』などと言っています」
古賀「めちゃくちゃです」
古賀「安倍さんとしてはポツダム宣言を認めていない、ということなんでしょう。読んだというと、認めてないとは言えないので、『わからないからコメントを控える』と。しかしこれは許される無知ではない。安倍さんは戦争犯罪者と同じような気持ちなのでしょう
古賀「ポツダム宣言は国民からすれば被害者の位置づけで、恥じることではありません。しかし、安倍さんは自分を『加害者側』に置いているんです。ポツダム宣言は自分に言われているような気になっているのだと思います」
岩上「岸信介さんのお孫さんですからね」
岩上「安倍さんだけでなく、礒崎陽輔首相補佐官は、ポツダム宣言について『文章が一字一句、正しいことを書いているかどうか』などと発言されました。安倍総理1人の失言ではなく、内閣を支えるブレーンらも含めてポツダム宣言は不服だという共通認識があります」
岩上「礒崎さんは『「立憲主義」を理解していないという意味不明の批判を頂きます。この言葉は、Wikipediaにも載っていますが、学生時代の憲法講義では聴いたことがありません』とも書きました。小林節さんは『知らないわけがない。おとぼけです』と」
古賀「立憲主義を否定したら憲法の意味がないですね
岩上「他の法律は上から国民を縛っているんですから、下から国家を縛る憲法でなければ意味がありませんね。片山さつきさんは天賦人権説をとらないと言っていますが、天賦国権説だとでも言うのでしょうか」
古賀「安倍さんたちは明治憲法こそが憲法だと思っているのでしょうね」
岩上「ポツダム宣言は『軍国主義者が悪い、国民を欺瞞し、世界征服の挙の過ちを侵させた勢力を永久に除去する』と言っています」
岩上「さらに安倍さんは『満州は攻め入ってつくったわけではないですよ。満州に対する権益は第一次世界大戦の結果、ドイツの権益を日本が譲り受けた面がありますよ』(2005年7月31日 テレビ朝日「サンデープロジェクト」より)とも言っています」
岩上「そして天皇陛下は2015年の念頭所感で『本年は終戦から70年という節目の年に当たります。満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び,今後の日本のあり方を考えていくことが,今,極めて大切なことだと思っています』と話しています」
岩上「安倍総理は満州と青島を混同しているのでしょうか。三原さんの『八紘一宇』発言もあります」
古賀「三原さんは、権力者が使う綺麗な言葉に騙された状態なのか、それとも国民を騙そうとして使ったのかはわかりません。こうした発言が立て続けに出ますね」
岩上「安倍総理の取り巻きには、国連脱退を主張する人たちもいます。花田紀凱氏は『これからの主戦場は国連だ。クマラスワミ報告は成り立たないと訴え、認められないなら、国連を脱退するくらいの覚悟でやればいい』と発言されました」
古賀「安倍総理の取り巻きの中でももっとも知識レベルが低い人たちですか」
岩上「いえ、これが一番知識レベルの『高い』人たちです」
古賀「ちょっとこれはさすがに困りますね。総理周辺でも『一線超えた政権だ』と考えている人もいます」
岩上「日本はまだ敵国条項の対象でもあります」
古賀「敵国条項は空文化していると言われますが、残っています。国連憲章では戦争が正当化される条件は限られていますが、もし日本が変なことを始めたら国連を通さず日本を叩いて良く、国連ルールも適用されない」
古賀「敵国条項を外す努力をしたほうがいい。しかしそうすると、中国などが裏から『危ない』というでしょう」
岩上「『IED』という“即席爆発装置”が後方地域の道路に設置され、08年以降、アフガンの兵士の死者の約6割はIEDが原因となっています
古賀「後方支援で危なくなれば退避する、といいますが、できないですね
岩上「“交戦”したら、その時点で、戦時国際法、国際人道法上の『紛争の当事者』になる。『戦闘が起これば直ちに退避』など、現代の国際社会では許されません
古賀「いろんな情勢を理解すればするほど絶望的な気持ちになる人も多いかと思います。マスコミが本当のことを伝えないのは非常にネックです。しかし、諦めてしまっては後戻りできなくなる。我々が立ち上がるしかないんです。本当の平和主義を確立する時です」
 以上で実況を終えます。

↓現在の幇間・去勢豚メディアの恥知らずども↓ 絶対に赦さない!
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150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)