日本の心・さいき

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為になるかも知れない本(その267)

2008-02-11 20:17:56 | Weblog
○昭和62年4月2日(木)雨。
 カッパを着て病院に行った(いつも、このスタイルで行っていた)。カゼの調子、まあまあ。痔の調子も良くない(時々血便あり)。副鼻腔炎になっているかも知れない。

*昔は、インフルエンザだと、よく、抗生物質を使用していました(間違っていたと反省している)。自分が罹患した場合も抗生剤をよく使用していました。そのせいでしょうか、その後も、自分自身がしばしば風邪気味になることが多く、インフルエンザに罹患すると、必ずと言っていい程、副鼻腔炎を合併していました。中医学を勉強する様になってから、患者さんには、極力抗生剤を処方することを避け、インフルエンザになった場合にも、葛根湯2日分、その後、柴胡桂枝湯を3日分、痰切りや気管支拡張剤を上げても、咳止めや鼻水止めは極力避ける、そんな方法を多くの患者さんで取る様になりました。その方法を取る様になってから、副鼻腔炎や中耳炎の患者さんが極端に少なくなっている様に感じています。(もし抗生物質を与えた場合は、その後、柴胡桂枝湯などを処方しています。これ、あくまでも、私の経験からの個人的な意見ですが)(今の私、軽い風邪気味になることがたまにありますが、高い熱が上がったこと、この数年間不思議にありません。いつも漢方薬を飲んでいたり、電動歯ブラシで歯をしっかり歯を磨いているせいもあるかと思っています。)

○昭和62年4月5日(日)晴。
 全国の有名進学高校450に本を送るのに、2:00過ぎに寝て、朝8:30には起きて又始めた。とにかく多い。恵ちゃんもミーコも頑張ってくれた。この調子なら、水曜の午後にはバサッと遅れそうだなあ。何でこんなに一生懸命になっているのか、自分でも分からない。
○昭和62年4月17日(金)曇。
 修猷館長からも返事が来た。とても好意的に書かれていた。今も、修猷館高校生の明るい表情が目に浮かぶ。そのハガキを父上に見せたら、大変喜んでいた。教育なんて、長い目で見ないといけない。それは、いつも教育者の父が言っていることだ。

昭和62年4月に、私は自費で作った「続・為になるかも知れない本」を、全国450の有名進学校に送った。その内の約半数に返信を頂いた。そして、いろいろと生の声を聞くことが出来た。又、大分合同新聞と南日本新聞(鹿児島)に載った為に、個人的に本を入手したいとの依頼が来たが、その殆どは親からのものであった。「自分の子どもに読ませたいから」との主旨で、高校生自身からのものは極わずかであった。又、親の態度にも特徴が見られ、大分県の殆どが母親から、鹿児島県の殆どが父親からであった。

・・・本校は、国立120名、早慶100名の合格者を出す進学校ですが、学問が出来ることと人間的価値が高いことは、全く別です。・・・
            (東京都立国分寺高等学校長 松原 保久)

(その268に続く)

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