シャンソン歌手

シャンソンの好きな方 ようこそ !

シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY パリのラストナイトは 15区でシャンソン

2017年09月23日 09時32分44秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY パリのラストナイトは 15区でシャンソン

大島さんのアパルトマンは 15区ですが
パリの南西
その側で シルクドミラージュという
二人 シャンソン歌手と伴奏者の
コンサートが
土曜日夜あるので
帰国前日ですが
夜八時に テアトルで 待ち合わせしました。

先日 大島家へ行くときは
大島パパが 我が家の門まで迎えにいらしてくださり
地下鉄に乗りついでいきました。
40分くらい かなぁー

タクシーだと とてつもなく時間がかかる場所らしい
ということが 解りました。
帰りは
深夜二時ごろ タクシーで ガラすきの道なのに
大島家15区から5区の私の家まで
40分くらい。

明日は 途中まで歩いて 
デモが無いところから タクシーに乗ろーっと。

タクシーの運転手さんによって
毎度 料金も違うし
選ぶ道も違うし・・・・

パリのタクシーも 案外 面白いです。
地下鉄は 景色が見れないから
日本でも 得意ではないです。

まず 日本では 電車には乗らない
私は ある意味 閉所恐怖症。

パリでは
タクシーの運転手さんは だいたい 皆お喋りで
色々 聞いてきますし
自らも 色々と 人生経験を語りだします。

アルジェリア人運転手が 今回の旅では多かったです。
戦争で逃げてきた話とかも 聞かせてもらいました。
命からがら 逃げてパリに来て
タクシーの運転手になった
元は 獣医さんという人もいました。

とにかく タクシーの運転手さんとの
お喋りは 生きたリアル人生を
知れます。
日本でもそうですが タクシードライバーたちは
人間を様々 見ているから
色々 リアル社会を教えてもらえるので
重要な お喋りです。

島国日本と フランス パリでは 移民状況 難民状況が
違うので
ドライバーの人生話も 一味違いますね。

昨日は 長南さん宅へ行くとき
オステルリッツの タクシー乗り場では
25分も 行列待ち。
マニフェスタションが あつて
通行止めだらけだったそうです。 

メトロは 今回は 一人では 乗るのを止めて
おきました。
その代わり とても 歩きました。
秋の パリ
二週間前は 雨で風も強く寒かったけれど
今週は 毎日 晴天 暑いくらいの日中。
夜八時まで 太陽が元気溌溂に照っています。
茜色のパリの空は 夜八時です。
夜明けは
寝ているので まだ 見ていません。
もうそろそろ 深夜三時。

帰国の準備も始めなくては・・・



シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY  テアトル  エサイヨンの ヤマハ電気ピアノ

2017年09月23日 07時51分48秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY  テアトル  エサイヨンの ヤマハ電気ピアノ

私が歌ったときと 会場は 変化して
あの時は 食事もできたけれど
今は テアトル風です。
あの時と同じ
ヤマハ電気ピアノ。
私の自宅の防音室にあるものと 同じものです。

電気ピアノは調律しなくて良いから
パリでは 便利らしい。
日本は 良い素晴らしい職人的な調律師が
いるけれど
こちらは 調律が あまり得意でないらしいです。


パリは キャフェ文化の街ですが
RAMBUTEAU駅の角のキャフェのテラスで
一時間 座っていて 眺めつづけた
ファッションでは
はじめて フレアースカート ロングスカート 
ガウチョパンツ など 日本の雑誌ではやっている
タイプの洋服を着ている人を ほんの数人見かけました。

ほとんど ブーツか 運動靴に膝から下が細くなっている
股引タイプのズボン
スカーフか マフラー ぐるぐる巻き。
お勤め帰りの人たちも 出てくる時間なので
男子ファッションも 見ておきました。
足の下の方が 細くて ブレザー上着は 細目で短めで
マフラーをしていました。

街では 肌の色が 茶 黒 褐色 黄色 白
と 様々ですが
劇場に行くと
白人しかいなくて
メトロの中は 白人が少なくて

特に アジア系の顔
中国 韓国 日本は
オランピア劇場や 本日の劇場でも 私だけでした。

西洋文化・・・あーパリ。
アジア系の文化とは 似て非なる西洋音楽
フランス語のポエムを聞いて 理解できるのは
フランス人だけかもね。
私は 偶然に シャンソンを
かなり CDで 聞いているし
自分も歌うので
変な アジア顔で劇場に一人で居ると

皆に じろじろ 見られてしまいます。


シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY 金曜日の夜 七時 パリのノートルダム

2017年09月23日 07時34分14秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY 金曜日の夜 七時 パリのノートルダム

ノートルダムは
中国人の団体観光客が多くて 中に入れない程 列をなしていました。
昨日も 本日も 太陽が さんさんと照っていて
20分もあるけば オーバーとマフラーは 脱いで
手で持っていないと 
暑くて 暑くて・・・

でも 日陰やキャフェテラスでじっとしていれば
寒いので
やっぱり オーバーは 大正解。
乾燥していて 大気汚染もかなり酷いかも。

パリで 購入したブーツは
底が ぎざぎざで 石畳を 歩きやすくて
疲れ知らずで
パリ市庁舎の前をとおり
デパートBHAが 終了する8時まで
ぐるぐる 前店 見回して 歩き回りました。
日本の着物を 切って 上だけ部分を
ブレザーのように着る 日本の着物のブティックコーナーが
ありました。



ポンピドーセンターの近く
懐かしのエサイヨン劇場の写真をとり
また キャフェへ・・
テラスで 忍耐の45分

夜9時まで 一人 暇つぶし。
劇場へ 九時に行き チケットをゲット
バルバラの女性歌手 一人弾き語り
20ユーロ
金曜夜なのに お客様が15人しか 入っていませんでした。

とても 優れた弾き語りで
日本人には出来ない 不可能な技術。
一時間のバルバラ1960年から1970年までの初期の曲
アンコールを入れて20曲一時間 でした。

シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY パリは秋晴れ 太陽の光と共に 一人石畳を歩く

2017年09月23日 06時57分54秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY パリは秋晴れ 太陽の光と共に 一人石畳を歩く

夜九時半からのコンサートまで 何をするかは あまり考えず
とりあえず 午後 四時半に家を出ました。
昨日 フランスレストランの後
バゾリ夫妻は メトロにも タクシーにも乗らず
11区から 13区のご自宅まで 45分歩いて帰ると
おっしゃっていたのを 思い出して
66歳
飲んで食べた後 それだけ歩けるのだわぁー

私は 歌手なのだから
もっと体力をつけよーーと
てくてく 植物園を通り抜け
ノートルダム寺院のあるシテ島まで行き
キャフェで 一息。
45分くらい。まずは ひと散歩。

キャフェのテラスに座り 一人でじーっと 何分
座っていられるか・・・
毎度 自分の忍耐心を 試しています。

私は せっかちで 貧乏性らしくて
何もしないでいるのが 難しい人。

こちらの人たちは 本も読まず ただ ずーっと
宙を見て
キャフェテラスや 公園のベンチに
座っていられるけれど

哲学も貧相な私 頭も悪いので
塾思考することもない。

ぼーっと しているだけです。
まあ タバコも 二本くらいは
吸ってしまいますが・・
30分 一本勝負・・・・と 自分に言い聞かせて
キャフェで 哲学しているふり。

ついつい
隣の人たちの 会話に 耳を向けたり
道行く人たちの ファッションを観察したり
どこの国出身なのかなぁーとか
好奇心でも 掻き立てないと 30分も
キャフェに 一人で居られない 
待つ人が居るわけでもない
時間に焦る必要もない。


観光地パリ 特に ノートルダムあたりでは
ミニスカート 短パン サンダル姿
毛皮 羽毛ジャンパー 長いブーツ姿
マフラーぐるぐる巻き姿
春夏秋冬 の 全ての個性が 花開いています。

日本とは 大違い。東京では同じ流行で 
皆 とても ファッションが似ているけれど こちらは 千差万別。

30年前に 友人が 連れて行ってくれた
中華そばと 北京ダックを食べれる店を
探して 歩き 到着できました。

もう他界してまったその友人は
東京女学館の小学生時代の友人でした。
パリの16区に 一人で住んでいて
フランス料理の学校に通っていたので
すでに ラデュレのマカロンや メゾンドフランスのチョコレート
も 私に 教えてくれました。
私は ベルギーからパリに よく 声楽を習いに来たので
色々な お店を 教えてくれたものです。

その中華はミヤマだか ミムラだか なんだか 
道の空間記憶で 覚えていた通りに
まだ 存在していたので
中華そばを 懐かしく 味わいました。

昨日から マニフェスタション デモがあり
警察が 沢山いて
ポロシャツすがたなので
写しました。
昼間はタクシーに乗っても 通行止めや渋滞だらけなので
歩いた方が 良いみたいな感じです。

それに 一日歩いても 
暖かくて 風もないので 疲れない 秋晴れの 素晴らしいパリです。




シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY パリの生活 シャンソンの街 長南さんの博士的シャンソン知識

2017年09月22日 20時31分07秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY パリの生活 シャンソンの街 長南さんの博士的シャンソン知識

昨晩も 一昨日も
デパスと レンドルミンという 安定剤と睡眠導入剤を
両方飲んで
加賀美クリニックの先生の 指導どおりに
布団に入るとき
飲みました。

日本での暮らしと違い 電話や 起きてすぐの予定がないので
安心して 8時間も寝ました。

私が いつも 朝まで 眠れないのは 
何か 特別なことがあると 興奮症で 神経が 火山のように
燃えるからで
決して 辛いとか苦しいから眠れないという理由ではないです。

自分は無能で 何をするにも おっちょこちょいで力量がないくせに
自分を自分で 駆り立てたり 燃やしたり 気を使ったり
神経を 細かくして 皆を笑わせて
自分自身が大喜びしているに過ぎない。
そして
そのあと
その 興奮が 長く続くという 体質なだけですので
眠れなければ ずーっと 起きてればよいのですが

やはり
8時間 続けて 寝たりすると
起きた時
皴も減るし リラックスして
眠さが残るとか やる気がないとかは皆無です。

新しい太陽が 心と頭の中に 再び さんさん と照りだします。
お一人上機嫌という 目覚めです。

昨晩の 長南シャンソン博士の
コレクションと 知識には
こちらで この道に生き続けている方々も
敬服してしまう程
世界一の シャンソン生き字引。

長南さんが大好きな
日本人女性で 薩めぐみさんという フランス語で歌うパリ在住だった
シャンソン歌手が
最後にパリで 出したCDは バゾリさんの伴奏でした。
それを 長南さんの家で
聞かせていただきました。

もし 生きていたら60代後半の薩めぐみさん
亡くなって 5年くらいたったそうです。

凄い低い声で 深い音色
歌い方は 自由奔放で 官能的
日本人離れしているだけでなく
フランスのテレビでも放送されているし
画像も 見せていただきましたけれど
芸術的な 歌手です。

寝っ転がったり
倒れたり
鏡に へばり付いて 歌ったり
とにかく 官能 エロス
男のように低い声
化粧 ヘアースタイル 衣装は
コストが 掛かっているけれど
シンプルでフランス風
なかなか お見事な 個性

薩めぐみさんが
亡くなってしまう前に 聞いてみたかった 見てみたかった。

薩めぐみさんは パリに在住するまえ
日本のの演歌歌手だったらしくて
そのレコードシングル盤も ききました。

歌い方と メロディーラインが演歌ですと
まるで ハートを感じないので
伴奏者夫妻も私も びっくり仰天。

長南シャンソン博士の家の近所に 住んで
毎日 徹底的に 聞きつくしたいほどに
シャンソン歌手は それぞれ 声も 音楽表現も 姿かたち
ファッションも
違う。

歌手の芸風は みんな違うのです。

ナタリーさんは
りりの 芸風は 歌いながら 洗練された肉体で動くことだと
おっしゃい
それが特徴で それが大好きだとおっしゃいますが

私は じぶんが 舞台の上で どんななのか・・
一度見てみたいです。
DVDで自分の舞台姿や歌唱は 
自分把握のために よく 自分で観察しますけれど

歌手は 年々 加齢とともに 芸風が変わっていくものですので
私とて
どんなふうに なっていくか・・・
先のことは 想像できないです。

帰国したら
新曲は 何を練習して うたおうかなぁー
と 候補を 考えています。
本日夜は
ポンピドーセンターのすぐそば
かつて
私が歌った エサイオン劇場へ参ります。

バルバラ をピアノで弾き語りする女性歌手のコンサートが
あるので 一人で 聞きに参ります。
始まりが 夜9時半です。
こちらの コンサートの開始は 
日本のコンサートの 終了する時間帯です。








シャンソン歌手リリ・レイLILI LE パリの日本人シェフ日本人マダムのフランス料理レストラン

2017年09月22日 06時54分17秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイLILI LE パリの日本人シェフ日本人マダムのフランス料理レストラン

LE SOT L`y LAISSE
という名前の
今や
予約も取れない程の
人気フランスレストランです。

ポールボキュズ系のレストランなのですが
どちらかというと
とても 軽く
素材を選び抜いた
ヌーベルキュイジーヌ

満席でした。
長南さんの家から 歩いて三分

八時ごろから食べ始めました。
終了が11時
長南さんと 私は 漫才師
コメディアン
フランス語で
フランス人を 笑わせて 楽しませて
よく 飲み よく喋り よく笑いました。

日本人の こういう 気質を
バゾリご夫妻は よく理解していて
素晴らしい ひと時を
長南さんのおかげさまで
過ごせました。

いきていれば
また 会える
会えたら
また 楽しみたい シャンソン仲間の集いでした。

来年
バゾリ夫妻は 結婚40周年なので
五月に 日本に三週間くらい滞在するそうです。

なので
私は バゾリさんをピアニスト伴奏者に迎え
二回 コンサートを 企画して お招きすることに
決めました。
私って ノリが良すぎる。

でも
バゾリさん夫妻って
スノッブでなくて エレガントで
奥行きが深い。素敵な夫妻です。

そしてバゾリさんは 男性なのに
とても 服装がお洒落。
お見事なくらい イタリアン。
祖先がイタリア人なので
とても 素晴らしい グルメで 音楽家で
そして ファッショナブル。

ただ とても 背が低くて
南の国の人は
背が低く
北の人たちは 背が高いのが 常です。
 
こちらでは 歯に隙間があるのを 幸福の歯といいますが
歯と歯の間が 空いていて
日本人にとっては
ロングヘアー
1970年代風ヘアースタイルです。

というわけで
今宵も
生きていて 良かったー
屍のよう ミイラのよう 妖怪のように
やせぎすの 私だと 長南さんは 皆に宣伝するので
もしかして
私は
クラシック音楽 オペラ歌手として 一度 死んでしまったのに
もう一度
ミイラとして 生き残った シャンソン歌手かもねぇ。

シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY 長南博文さんの オモテナシ

2017年09月22日 06時31分22秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY 長南博文さんの オモテナシ

本日は 夕方五時に ナションの側の長南さんの家に
パトリック バゾリさん夫妻と
私が お招きいただき
アペリティフの 美味しい シャンパン テタンジュで
乾杯して
長南さんの 長年のコレクション
レコードを聞かせていただき
色々な フランス人歌手が 日本語で
録音し日本で発売された
昔々の ちいさなレコードを 聞きました。

驚いたのは

ムスタキ や リーヌ ルノーまでが
日本語で 歌っているのです。


ダミアの 来日の白黒写真に
石井好子さんや
私が 一階だけ習ったことのある 佐藤よしこ さん
が写っていました。

長南さんのマンションは 三方面が ジャルダンになっていて
植物園みたいです。
ペピートという フレンチブルドックがいて
哲学的な顔つきです。

でも 子供みたいに 私と 遊びました。

躾をしなかったのに
とても 利口だと
長南さんが おっしゃるとおり

食べ物も欲しがらず
長南さんの 家での アペリティフの後
素晴らしいフレンチ レストランにも 一緒に行ったのですが
床に じーっと していて
動かざるごと 山のごとし
風林火山

バゾリ夫妻は
とても 親日家
そして
バゾリさんは 日本語も 三味線も 習い続けていて
日本が大好き
奥様は
つい二年前まで フランスレストランを パリ11区で
経営していたそうで

みんな 食べて飲むのが大好き
通称グルメです。

だいたい 全員 同じ世代
なので
グルモン大食い
ではなくなり
デザートは もう
入らない 食べられない 年齢です。

長南さんは 芸術家アーティストに
尽くし つくしぬいています。
今回のフレンチレストラン
全部 全員にご馳走してくださり

なんなのーーー?
尽くし過ぎよー
上げ膳 据え膳
りりさんは こまっちゃうなぁー
感謝感謝





シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY 美食 美酒 大島家の おもてなし

2017年09月21日 10時08分27秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY 美食 美酒 大島家の おもてなし

先回 大島家に訪ねた時は 鈴村パパと ぴーちゃんと 一緒でした。
それ以来ですけれど
人生は 年月を重ねると 思い出も増え
ブログを書いているので
写真付き 日記として
私の脳裏には 鮮明に記憶として残り
有難いです。

楽しい思いの復習が出来るという事です。

人生の明日は
予定があれば 
予行練習できますけれど
ハプニングの連続が 人生ですから
その時 その時を
経験として 乗り越えるしかない・・・

だとするならば
歓喜のクリエイトこそが 人生の達人かもしれない・・・

その 歓喜は
私にとっては 音楽 美食 美酒 仲間

私の伴侶は 孤独と 自由と 音楽
三人ものハズバンドを抱えて 暮らしていて
それらは もう 私そのもの ベターハーフみたいに
私に張り付いてくっついています。

自分の作成した食事より
千恵子さんの 料理の腕前が 素晴らしすぎで
素材も 厳選されつくしていて
食卓の プレゼンテーションも 美的で
日本人の 繊細さと きめ細やかさ 
職人的努力が 開花した
宴席でした。

ありがとう。ブラボー。
何もかも 私に 歓喜を与えてくださる 味でした。

長南さんが
フランス女優の ソフィーマルソーが 出店しているという
お店の フランボワーズのタルトを 持参くださいました。
一つ一つのフランボワーズの中に フランボワーズのピュレが
入っているという 細かい仕事を味わえ
そういう 仕事のお菓子は 初めて 見たので 感嘆。

千恵子さんの作品
八角を ゆで卵の 醤油つけ と パクチー とシーブレットの
付け合わせと共に 頂いた 味が 最高でした。
スズキ の オーブン焼き も 味が良くて 感動。
サラダの ドレッシングも 最高。

画像を 載せます。


シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY   日本もパリも私には同じ 距離感無しの再会 大島家

2017年09月21日 09時45分37秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY   日本もパリも私には同じ 距離感無しの再会 大島家


テロのパリに 二度も続けて 来たので
もう うんざり・・・みたいに 思っていましたけれど
来てみれば
あー 皆さんと 再会できて 嬉しいです。

私の人生で 知り合った人たちの数は
宇宙的ですけれど
その中で
長い間 お付き合いできるのは
運命の 偶然としか 思えません。

西洋での 暮らしは もう 嫌だーと 思う私と
日本での暮らしは もう 嫌だーと思う ムッシュ大島

でも なんとなく こうして 
継続する 関係って不思議・・・
だって
大島家は 三人が 私のお弟子さんでしたし
内幸町ホールで 発表会に出演しているし
なんといっても
我が家の近所に住んでいらして

ムッシュ大島は
会社に出勤する前に
二日酔い状態で 歩いて 我が家に 習いにいらして
眩暈がする・・・なんて
コーヒーを 飲んでいたことも ありました。
思い出すわぁーーー
今でも 鮮明に 思い出します。

そして
大島千恵子さんの 手料理は
最高です。
美的
そして 素材選びも 万全
味付けが 私の好み

今宵の宴会を用意するのに 何日も掛けているって
直ぐ 解ります。

大変な おもてなしをしていただきました。

つい先ほど
深夜 二時ごろに
大島家から タクシーで
帰宅いたしました。

沢山食べて 沢山 飲めました。
部屋で タバコも吸える家なので
幸せ満喫。

ギャーギャー 
大島家で 大騒ぎしているとき
日本の朝六時ごろ
鈴村家が 大島家へ電話してくださいました。

大島家から 日本に掛けなおすと
電話は ただ だということで
全員が 鈴村家の皆さんと 話が出来て
大喜びでした。

本日は 長南さんと ジャンマルクさん
こちらに 住んでいる日本人の三四郎さん
私と 大島家
総勢7人の 宴会。

本当に 美味しかったー 楽しかったー
こういうのが 幸せ・・・ということです。
 

シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY LILI LEY パリのセーヌ川 ベルシー橋

2017年09月21日 00時43分14秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY LILI LEY パリのセーヌ川 ベルシー橋




昨晩 深夜遅くに サラダを食べたので
身体が とてもとても 喜んでいます。

ビーツという 大きな赤かぶは こちらのスーパーや野菜やさんで
簡単に手に入ります。
日本では馴染みのない食べ物ですが
芯まで 真っ赤で やわらかくて甘味があって
繊維質も多く
ロシア料理の ボルシチや ロシア風サラダで
日本でも 食べられます。

私の大好物です。
ベルギーに住んでいた時代から
ボワロー という 粘りのない西洋長ネギの 茹でたもの

ビーツと
ベルギーでは シコンという 白いチコリ

エシャロットという 日本のとは違う 小さな玉ねぎみたいな野菜が
常食でした。

体調がよくなる 野菜です。
こちらの土は カリウムが多いので
食べると 元気になれます。
とても元気に
ただ 目的は 散歩。

太陽が照っていると パリの昼間は
風さえなければ 最高の秋です。
歩き出した時は手袋が欲しいけれど
だんだん
20分くらいすると
心身が 暖かくなります。

昼 二時半から セーヌを散歩して
ベルシー橋の 先の先 PONT DE TOLBIACまで
セーヌにかかる橋たちと 川の流れと 停泊している船
その船がレストランになっている様子を
眺めながら
一時間くらい
少し 疲れたかもーー
と思うと
キャフェに 入り テラスで お茶。

煙草も吸います。
真昼のキャフェは 空いていますけれど
夜は 沢山のタバコ吸いの人たちで テラスは
大賑わいです。

ベルギー名物の ダームブロンシュという
バニラアイスの上に暖かいチョコレートを掛ける
デザートがあるキャフェで
カプチーノと共に 休憩。

DAME BLANCHは
白いマダムという意味の デザートです。
大人味のチョコレートパフェに近い美味しいものですが 
あまりの量で 食べきれませんでした。
半分は 残しました。 

帰路は 我が家の向かい側の
植物公園で
ひまわりや ゴールドマリー
沢山の 植物に 名前がフランス語で記してあることに
気づき
あー
明日は
この花達と 戯れに また 来なくちゃー
と 思いました。

今宵は 大島家です。あと30分で お出かけの
合間に ブログを入れています。

写真が なかなか 上手く取り入れられないし
メールの 送受信も
上手くいく日と ダメな日があり

パソコン インターネットは いつでも 悩みの種です。

日本のニュースも ネットで読めるので
把握しています。
夜の気温が こちらは 5度
外套と 大判マフラーでも 寒い。
日本は15℃から20℃の夜のようですね。

勿論 これから真冬のパリでは
太陽も 眠ってしまい
朝は暗く
夕方早く 暗くなるので
セーヌ沿いを散歩しても
寒すぎて 心地よい気がしないので

今回は散歩に適した パリの滞在みたいです。
しかも 晴天が続いています。
大好きな 植物園から 一分の アパートというのも
嬉しいです。


シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY 観光地パリの街 色々な人間ウォッチング

2017年09月20日 21時32分15秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY 観光地パリの街 色々な人間ウォッチング

昨晩
オランピア劇場から帰り

深夜になったら
やっと 小腹がすいてくれました。
昼の カルボナーラが
重すぎて 何も食べられないと
思ったのですが
サラダを作成して食べました。

トマト
ビーツ赤かぶの茹でたもの
マッシュとロケットという こちらでは良く食べる葉っぱ
それらを
大皿で食べて チーズのクラッカーを
ぱりぱり
ベットに転がって 
カウチポテト・・・寝転がって 食べる・・・・

普段は しないことを 狭い部屋で
やってみて
楽しんでいます。

テレビは 見なかったです。

今朝も 自然に 目が覚めたのは朝10時半

まだ 何も食べていない
BIOの ミルクと
薄いコーヒーを沢山飲み
テレビで アメリカのドラマをフランス語吹き替えで
やっているのを 見続けていました。

これから
ベルシー橋の方へ 散歩してきます。
夜 六時半
これから四時間後に
大島さんが 我が家の門まで 迎えに
いらしてくださるそうです。

ご自宅に お招きいただいています。
長南さんも いらっしゃるそうです。

パリの空は 先ほどまで 晴天
今は 少し 曇り
いつ雨が降るか 計り知れないので
いつも
折りたたみの軽量傘を 持ち歩いています。

さぁー お一人探検隊は パリの空の下
お散歩にGOGO

シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY パリに一人 思いで満載 ノスタルジーに浸るシャンソン歌手

2017年09月20日 07時38分49秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY パリに一人 思いで満載 ノスタルジーに浸るシャンソン歌手


夜八時に 夕焼けでパリの街は 茜色

どんどん 日暮れと共に
寒さが 深くなります。

カシミアの黒いひざ丈の
オーソドックスなオーバーが
役に立っています。
亡き母の30年前の お古ですが
新品同様
全然着ていなかったけれど
今年の流行みたいで
パリのショーウインドウにも飾ってある
コートと
そっくりさん。

それに 大きなカシミアの 藤倉さんから頂いた
エトロの スカーフを 首にぐるぐる巻いて
毎日 守られて パリに一人・・・

ウドンこさんが パリに居れば
エンターテイメントの 行き帰りは
お喋りしているので

あまり 私の過去のノスタルジーに浸ることもなく
しゃべりっぱなし 笑わせっぱなしですが

流石に 一人の時は
パリの秋
しっとりと 胸が きゅーっと
辛くなる

28歳で 生まれて初めて 
奨学金を頂けたので
外国留学が 出来て
ベルギーに着いたのが七月

夏の間 ブリュッセル自由大学の
フランス語クラスを
卒業しないと コンセルバトワールの学生に
九月から 入れないので

毎日 大学に通い 土日以外は 朝から学校が五時間授業。 
そして 自宅では 宿題がとんでもなく多いので
オタク的なフランス語の勉強をしていました。

10月に
初めてパリに ベルギーから 来れました。
八月にBMWの中古を買ったので
その車で来ました。

そして あまりに寒いので
ブーツを買いました。
そのお店が オランピア劇場の真ん前の バリーです。
今も そのブーツは日本にあります。

今年も あまりに寒いのでブーツを買いました。
バリーは
今は 円安で 高すぎに感じます。 
普通の靴やさんで ゲットした 今どきの歩きやすい
靴下をはける 大きいサイズで
今回の旅では 役に立っています。

あっと言う間に35年も経ち
昔 自分の車で さんざん ぶっ飛ばしていたパリの町中を
タクシーで眺めていると
走馬灯のように
思い浮かぶことが 多すぎて
センチメンタルになります。

あの頃の私は イタリアの女のように 情熱的でした。
でも 今思うと
あの頃の 私の心は 
濃いグレー むしろ その後 真っ黒になったりもしたものねぇ。

音楽と恋に 燃えては火傷し ほとんど灰になってしまったけれど
生きているから
また
煙草に火をつけて 吸わなくちゃー です。