シャンソン歌手

シャンソンの好きな方 ようこそ !

シャンソン歌手リリ・レイ LILI LEY ピアノとシャンソン

2013年12月23日 02時51分20秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイ LILI LEY ピアノとシャンソン



声という 人間の体が楽器の音
言葉という 人間だけが話し語る 文学の音
心という テレパシーの魂の波動
全身が 声という音の響きの振動で シャンソンが 鳴ります。

ピアノという打楽器でリズム機能の 素晴らしい楽器
白鍵と 黒鍵 の グランドピアノ
右手 左手 右足 を使い 全身の筋肉が 音を鳴らす。
自分の筋肉と骨と ピアノ楽器が響きあう・・・シャンソンの伴奏。


あー 耳を澄ませば
全ての音のハーモニーが 人間業。
職人技。

なんて長年 この二つの自分の楽器と戯れ 苦しみ 
模索し続けていることだろうか・・
楽しいことは 苦しいこと
苦しいことは楽しいこと
知らないことは 知りたい
分からないことは 分かりたい
でも 道は長いし 人生は短い。


理解できないときは 経過するときの中で 待とう。
焦らなくて良い。あわてなくて良い。
待とう。学ぼう。考えよう。
感性に 身をゆだねよう。

料理の美味が 教えてくれる。
花達の美が 教えてくれる。
動物の愛くるしさが 教えてくれる。
仲間たちが 努力の価値を教えてくれる。

時は とても速く過ぎゆき 年々 その価値を知りはじめてきた。
自分の歴史に 感謝し
嫌だと感じたことにも ありがたい経験だったと思えるようになれている。

四歳のピアノの発表会の私は
足がグランドピアノの椅子で 宙に浮いている小さな子。
あれから 54年が過ぎた今
あの時より  ずっと音楽が自由に感じるわ。
それに 四歳の時より 上手になれたのだから 
音楽の神様に 感謝。

今の私の楽譜には コードナンバーしか 書いていない。
あのころと違う。
自分で 旋律歌って ピアノ伴奏は自分で作曲クリエイトしている。
勝手に 指が動いてくれている。
お料理やお掃除みたいに 生活の一部になっちゃった。
綺麗なもの 美味なものが大好きな私 の 音の綺麗探し と 模索作業。
なんて なんて ありがたいのだろうか・・・

ずーっと声楽的正しい 内臓の筋肉の使い方で歌い続けてきたら
今は 体幹が全て筋肉になっていて
多佳子さんや バレエの生徒仲間にも 驚かれちゃうほど
内臓が全部腹筋になっちゃったらしい。
運動選手でもないのに サッカーや野球の選手が出来る技が
練習しなくても 直ぐできちゃうのが不思議。
今晩は 皆さんに 酔った勢いで 見せてしまいました。

声の正しいだし方で 私はいつの間にか アスリート体質になったらしい。
元気で居られるのは 声という楽器の正しい使い方を
愚直に し続けたお蔭だと 多佳子さんには言われるから・・・
内臓が筋肉になるのは 一日にしては 出来ないので
疲れない体 元気な体になれたのは 音楽の神様のお蔭だわ。
とにかく 自問自答しないで こつこつ 時の流れに身を任せ
続けて 健康のまま加齢したい。ケセラセラ。





シャンソン歌手 リリ・レイ LILI LEY シャンソン魂の美

2013年12月23日 01時59分51秒 | Weblog
シャンソン歌手 リリ・レイ LILI LEY シャンソン魂の美


敬虔な カトリックのクリスチャンのピーちゃんママ
から
特別に 清い波動が 感じる部屋ですね・・・と

確かに ピーちゃんパパから頂いた 花達の長寿なこと。
花達と リリ先生は
音楽世界しかない 我が家で ただただ 元気。
今日の シャンソン 弾き語りの 純粋性は
空間の波動を 変えてゆきます。

私の弾き語りも 商品性に到るまで
練習が出来ていない 煮込み不足でしたけれど
とても 和声をクリエイトしてみました 。
パーティーの料理制作を楽しみ 音楽づくりを楽しんだ
今週一週間。
一日 24時間 満面の笑顔で 楽しみ続けました。
先週の日曜日
日本シャンソン館での ライブから
一週間しか 経ていないのに
ハードに クリエイトの日々で 幸福でした。

年末に これだけ 幸せを感じられることは そうそうは
ありません。
慌ただしいだけの 生活ではない 私の人生の今年に感謝です。

仲間たちの 喜ぶ姿は 私の ご先祖さんも 音楽の神様たちも
皆 喜んでくれて
二階の 私のプライベート空間も ニコニコ 空気が流れます。

私の恋人格の アンジュも来てくれて
女の子のワンちゃんですが
コンサートも お利口さんに 聞いて
主のピーちゃんの時は 寝てしまうほど 幸せそうに見えました。

私は 一応 人間で 女性として生まれたのですが
動物と テレパシーで話せるのです。
なので
アンジュと 相思相愛の 不思議な絆で結ばれています。
テレパシーって 波動なのですが
植物とも 交信できますよ。
愛するという事 と 慈しむという事 そして受け入れるという事で
綺麗な色の波動で 交信するのです。









シャンソン歌手リリ・レイ LILI LEY シャンソン ピアノの弾き語りのクリスマス

2013年12月23日 01時45分38秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイ LILI LEY シャンソン ピアノの弾き語りのクリスマス



今週は 世間は三連休なのですね。
クリスマスが近くて 寒くなり始め 12月末の冬なのだわー
でも
昼間の太陽は 燦々と 降り注ぎ
ありがたい 明るい年末に感じます。

若かりし頃 人生の先が まだまだ 長いだろうと思えた時は
あー 今年も 終わってしまうのだーと
焦りの気持ちなど湧き上がり 
何か 達成したのだろうかーと
自己反省したりしたように思います。

あの福島の地震が 私の感性を 変化させたのか
加齢したからなのか
毎日 生きていることの大切さの価値を知り
人と会える縁えにし と 集える喜びを 
より一層 感じ始め 
私自身も 人生哲学が 自然に 変化したみたいです。

音楽生活のあり方も 変化しました。
ピアノの弾き語りのお弟子さんたちと
一年間 毎月一度集い 音楽性や 音楽美を
クリエイトする音の模索
声の音色と ピアノの音色の 二つの異色の機能の楽器を
駆使することは
目的は 音楽の純粋性です。

本日
幸せなシャンソンの弾き語りの ミニコンサート
そして
そのあとの クリスマス雰囲気の パーティーも
皆さんとの 絆の 空間でした。

それにしても
皆さん 
発表会が 一番 上手かったし ビュアーでした。
大和田さんが 右手の骨折で ギブスをしながら
左手だけで ベースの音と 旋律の声のみ 二声の
「枯葉」を披露して
シャンソン弾き語りのみを稽古していて
それを得意とする とやみちるさんから
絶賛でした。

技術自慢が 音楽の価値ではない。

何も音の数が 多くなくても 各パートの和声を考えて
作り上げれば 相当に 美 です。
時とすると バンドの音 流麗なピアノ伴奏の音が
声という 旋律楽器の 音のラインや 言葉の情景を消してしまいます。

偉大なシャンソン歌手でクリエーター
弾き語りのバルバラは 凄い方ですが
彼女の人生や運命の悲惨さから 想像できない程の
詩の言葉の感性と メロディーラインと 和声が美 です。
その 美を愛すれば
バルバラの真似など 我々には出来るわけもありません。

うーん
人生の過酷さは 時とすると 美となって現れる
表現の世界。

なので
ポエムの韻の響きや それを邪魔しない ピアノの伴奏を
技量に合わせた テクニックの中で 美として純粋性を
追求するのが 音楽表現における
私の哲学です。

再現芸術家 という世界で 大切なことは
作者の意図を くみ取る事だと 習いました。
クラシック音楽というのは 何世紀前に
亡くなってしまった作者の音楽を
再現する芸術なわけですが
時代が変わり 楽器の性能や 思考も
作者とは違う表現になるので 
その作者のスタイルは 守りながら 演奏家の個性を
生かすという ことです。


シャンソンは ポピュラー音楽で 一般大衆の日常の生活と
合致する 詩の内容も リアルで
人生観と 人生哲学表現が多大なので 
クラシックより 多様性があり
クラシックのように 音楽技術の露呈より
文学性と メロディーの色 伴奏におけるリズムとコード(和声)
そして 観客とのコミュニケーションでもあり
即興性が 神髄です。

生きているから変化する 
金太郎飴 的ではいけない。
それぞれの 世界が無いといけない。
でも 
美でなくてはいけない。
美の価値観は それぞれあるだろう・・ でも
美しいものは 美しい。

アイススケートの フィギアの 技術点と 芸術点 があるように
芸術点・・・芸術的価値は 
計り知れるものです。
技術や経験があっても 芸術表現というものは
簡単には 出来ないものです。

生涯通し続ける 模索。
私は 幸せ者だと思います。
教えることによって 美の価値を 教えられるのです。

ピアノの音色
声の 音色
心にしみ 他の肉体に波動として伝わる 表現とは・・・・
人間の なせる 表現の世界は
とてもとても 価値のある深い 長い道だと思います。

その道を 歩めることは 有難いです。
そして ともに歩く同志がお弟子さん達なのですから。

ピーちゃんの ママとパパはブラボー隊。 
演奏する皆と 八人の小さなコンサート。
街で ひっそりと シャンソンの弾き語りを 楽しんでいる
その 絆は とても純粋な喜びでした。
ありがとうございます。