シャンソン歌手

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シャンソン歌手 リリ・レイ LILI LEY ここはパリなの??

2013年01月15日 12時13分10秒 | Weblog
シャンソン歌手 リリ・レイ LILI LEY ここはパリなの??



劇場の楽屋

私のお弟子さん夫妻 大島伸 千恵子さん ご家族は
最近 日本の家を売却して あらゆるもの を だんしゃり(今流行りの
言葉よね)して
パリに落ち着き やっと 長年の夢である フランス在住を
開始して
御嬢さんの 大島ゆいさんは フランス語ポエム 詩の
大学院博士課程なので
ソルボンヌ大学で 勉強していますから
私の 昨年コンサートの公演演目シャンソンの対訳詩集も
作成しました。
今後 私のシャンソン世界では
不可欠な人物として 不思議な因縁を感じます。

因縁
偶然に リハーサルを終えてCAFEを飲もうと ウドンコさんと
劇場を出ると 大島夫妻と 早い時間に ばったり出会い
今回は
初めて パリで お会いできました。
ご一緒に 束の間 バスティーユのCAFEで おしゃべりしました。
大島夫妻は 我が家の近所に お住まいでしたから
良く 飲んだり食べたり 遊びましたけれど
引っ越しが12月で それはそれは 疲れ切ったそうです。
パリに来て 二部屋の家具付きアパートに 落ち着いて
無駄なものが 無くて
ただ 眠いし楽だと おっしゃいます。
幸せいっぱいの様に 見受けられました。
でも 日本語で話していると ここってパリ?????

私も 
パリでは 家具付きアパート借りて
二部屋で 日本の家より 超狭いけれど
やっていることは 同じで
寝ているか 料理作り食べ 音楽しているか 
それだけですから
なんら 不自由はなくて 
確かに モノや場所が沢山あったりすれば 
老後 どうするのかなー とか 死ぬときは
私のものは みな 捨てておかないと 迷惑だわねぇー
とか
すでに 脳裏を廻る私ですから
大島夫妻の 人生 定年後の選択は 面白い。

ただ
私に定年はないし 家族もいないから
日本を離れる勇気は 無いわ。
成城の我が家の花たち と 仏壇 グランドピアノが
私の 家族なのよ。
家全体が 家族のように 私と共に生きている。

パリに 居ると フランス語が少し マシになるのは確かよ。
西洋文化の 環境は西洋音楽に必要だから
出来るだけ パリに居たいけれど
それも 結構ハイコスト。
両方の生活を維持して 芸術活動を続けるのは至難だわ。

まあ
なんとか 此処まで 来たから 何とかなるでしょー
ケセラセラ
人生は 出たとこ勝負。意図して歩めるものでもないわ。
今日と 明日を しっかり生きいこう。
パリに ずーっと 居て ただ 音楽の勉強していたいなー。
人生は 選べない。神の 意のまま。
運命の 流れに従うだけで ここまで来たから。

シャンソン歌手リリ・レイ LILI LEY パリ公演 無事終了

2013年01月15日 11時04分42秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイ LILI LEY パリ公演 無事終了


今15日 深夜 三時です。
東京は 14日 成人の日が大雪だったとインターネットニュースで
知りましたけれど 今朝 すでにパリの長南さんから
電話で教えていただいて えーっ 珍しいことだわー
見たかったなー 大雪。

パリは
14日 月曜日の朝は 晴天でした。 
こちらに来て 初めての パリの青空をみましたけれど
夜 コンサートが始まるころには
なんと 雪が降りました。積もりませんでしたけれど。

今回は
YVON Chataigner イヴォン シャテニェが 主催のコンサートの
一部を 私の舞台として 出演させていただきました。
40数分の 作品として 作り上げた舞台です。
場所は
バスティーユの側 ラップ通り
CAFE DE LA DANSE という かなり大きな コンサート場で
コラボケール も 歌った とか 著名歌手達が 現在も歌う
というので
どんな場所かと 思いワクワク リハーサルに 午後四時に
出かけました。
八時から開始です。

パリでの 私のシャンソンコンサートした劇場は
エサイヨン が二回 
ネル劇場 
コネターブル  
シルク ドゥぜブル それぞれ各一回
そして キャフェ ドゥラダンス 今回のホールが
一番大きくて
しかも 流石に YVON はプロデューサーなだけあり
満員で ファンが キャーキャー ピーピー
ブラボーの連発で うぁー人気者なんだ!!!
と 驚きました。
Yvonのファン達が 何百人の中で どれだけ
自分が 受け入れてもらえるかが 心配でしたけれど
けっこう 
コンサートの後 沢山のフランス人の聴衆の皆さんから
感動したと声を掛けて頂けたのが 嬉しかったです。
特に ダミアの 暗い日曜日 が 好評。

昨日朝の イタリアラジオ放送を 聞いて 聞きにいらしたという
パリの老婦人で 元歌手だとおっしゃるマダムが
素晴らしいと連発してくださいました。ありがとう。

長南さんのお蔭で 日本人の皆さんも沢山 応援にいらしてください
ましたし 
大島さん一家や 常連の丹野さんも お友達を誘っていらしてくださいました。
サプライズは 日仏学院のドラ先生のお父様が
いらしてくれました。
日仏学院の ドラさんクラスで ドラパパが
来日した時 私がフランス語で 教室でアカペラで
フランス語シャンソンを歌って以来のファン
だとかで とっても喜んでくれました。

長南さんと お友達のジャンマルクさんが
何から何まで お世話してくださって
しかも
長南さんからは 舞台上の メリハリ 
発音の 修正箇所も 毎日 お電話で 指導して頂いて
ただ ただ 感謝です。
私は 皆さんに助けられて 教えていただいて また
新たなリリ・レイの世界が展開したように 思います。

近藤正春さん は 全部暗譜で ノンミス。
ウドンコさんは演技も 凄く良かったみたい。
私は自分のことは 分からないわ。
とにかく 舞台人として 仕事師として
任務は まっとう したつもりですが・・・・
後で プロの方に 撮影を頼んでおいた
DVDを見て また 反省しなくちゃです。

ありがとうございます。皆様のお蔭です。
日本人として誇り高く
本場 パリでの フランス人歌手の仲間入りして
フランス語 のみで 歌い 話し
現地人に アレルギーを 起こさせず
かつ 日本人だから まあまあね などと言われないで
表現し演技し 通用できるようにと
修行の日々は これからも 生きている限り 続きます。

東京芸術大学 の学生になった 時 
偉大な先輩音楽家 教授たちに
この学校は 世界に通用する 音楽家を育てる 場所だと
教育され
語学が 出来ない 音楽家は まず 通用しない・・・と
教えられ
苦節40年 ちかく 経ちました。
神が 私を天に迎える その日まで
東京芸大の
志高い 音楽家諸先輩の インターナショナルな師達の
言葉や 教えを忘れないでしょう。
無垢に学び修行するだけの 私の人生です。感謝。