西都モノクローム

西都大好きな市議会議員が、徒然なるままに街のこと、写真のこと、空手のこと語ります。

あー郷愁(住んだことはないけど)の尾道・・さわり

2010-11-02 22:20:47 | 日記
僕が子供のころ国道でも砂利道だった気がします。
やがて自動車が普及してきます、父の仕事は建築会社だったので子供のころの車の記憶といったらトラックばっかりです。
マツダの三輪トラックが記憶に残る最初の車でした。
小学生になると、マツダのトラックです、今じゃ信じられないかもしれないけど、荷台に折りたたみ式のベンチみたいないすがありそれに乗っていました。
車自体は2人乗りで(父と母が乗っている)、僕と妹は二台のベンチです、道は悪いし荷台なのでクッションが無いに等しく、悪路では僕と妹は荒馬に乗るカウボーイ状態でした。
ある夕方父が「乗用車を買った」と言いました。
妹と飛んで見に行きました、日産のブルーバードでした。「柿の種」と後に言われた車です。
もちろん中古で買ったので、やたら故障をしていました。
佐土原でエンストしたり、サボテン公園の駐車場の急坂が登れ無かったりと、散々な車でした。
その後はトヨタのコロナ、フロント部分が斜めにカットされたタイプです。

そんなかんなで、うちみたいな庶民の家庭にも自動車生活が入ってきました。
当然道路も工事に次ぐ工事だった気がします。
経済成長とともに急速に変貌する車社会に国はあたふたと道路整備を進めていました。

さて10月21日の毎日新聞の全国版(この記事は宮崎版に載ってなかったので、千葉にいる妹にtelして切抜きを送ってもらいました)に「元官僚 自転車政策「反省」」という記事が載ってました。

どういう記事かざっくりと書くと(元建設官僚で現岩手県立大学教授元田良孝氏が語る)
・自転車と歩行者の事故急増について、「政策的に自転車を軽視してきたことを反省している」

・官僚時代は、車の激増による渋滞深刻化を受け、車の円滑走行に向けた道路整備ばかりを考えていた

・92年にオランダ(自転車先進国)視察して、整備された自転車道を見て「こういうものがあるのを初めて知った」

・交通戦争と言われる状況になり(70年代1万6756人事故死・自転車乗車中死者1940人)、警察庁は道路交通法を改正して、自転車の歩道走行を認め、建設省は自転車も走れる幅の広い自転車歩行者道として「道路構造令」を

・自転車の歩道走行は緊急避難的措置だったのに40年間放置された

・その結果車道で自転車は邪魔者扱いされ、道路の狭さや用地買収の難しさから自転車の通行空間の整備は後回しになった

・昔(70年代)と比べ、自転車と高齢の歩行者が歩道で遭遇する機会は70倍に増えた

・60年代に道路行政に関わった道路官僚は言う「今考えれば自転車道も必要だった」

。自転車対歩行者の事故が増え「自転車を歩道に上げたのは愚策だった」

と反省を述べ、自転車の環境改善のため、地元高校生へのルール講習会や地域住民とのシンポジュウムを開いています、そして「インフラ整備は時間がかかるが、行政は覚悟を決めるとき」と結んでいます。

地球温暖化問題に端を発する、脱化石燃料時代へと舵が切られた今、エネルギーは使いべりしないもの(太陽、風力、地熱、・・etc)へと向かいます。
交通手段も公共交通にシフトが(米国のオバマ氏が提唱しています・・国民の反響はよくないみたいですが)計られてます。
そしてある程度距離なら、自転車へシフトしていくのは世界の潮流です。
ヨーロッパはオランダ・ドイツを中心にその方向に進んでいます。
日本より自転車に乗る環境の悪い(冬寒く、雪が降るなど)これらの国々においてもです。

日本でも国交省は全国で98のモデル地区を指定して調査に入ったり、各自治体においても独自の取り組がされています。

今回行政調査した各市もその取り組みをしているところです。
特に「しまなみ街道」といって尾道ー今治間の本州四国を結ぶ橋に自転車道をつくった事に未来の姿を感じました。

で明日は尾道に行った調査の報告をします。
といっても、尾道は自転車以外にフイルムコミッションにも興味がありましたし、なにより・・「転校生」「時をかける少女」を見たときから憧れの町だったのです。

お楽しみに・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする