今日は以前から訪れたかった平泉寺白山神社をメインに、
福井の神社仏閣を巡ります。
まずは曹洞宗の中でも重要な寺格のある宝慶寺へ。
北陸自動車道の杉津PAで休憩。
ここには芭蕉の句俳がある程、景色が良い所です。
さぁ、これからもうひと踏ん張り。
福井も敦賀ならまだ近いと感じるが、
そこから先だと遠く感じるのよね。
オール高速で約3時間で到着。
大野市はなかなか遠い。(^^;
大き目の広場のような無料駐車場がありました。
いざ参拝開始。
所在地:福井県大野市宝慶寺1-2
宗派:曹洞宗
御本尊:釈迦牟尼
創建:不明
開山:寂円禅師
札所:釈迦三十二禅刹
【縁起】
今から約700年前に寂円禅師によって開かれた。
開山寂円禅師は中国宋朝の人であり、明州慶元府の太白山天童徳禅寺で、
日本から入宋した道元禅師と共に、如浄禅師の下で参学を続けられた。
その後、安貞2年(1228)先に帰朝し常に随待した。
道元禅師ご遷化の後、弘長元年(1261)この銀杏峰の麓に入り、
石上に坐禅すること18年、たまたまこの山奥に遊猟した下野守藤原氏が、
坐禅される寂円禅師のお姿をみて、帰依尊信の念を起こし、
一字を草創して宝慶寺と名付け、請して開山と仰いだ。
弘安元年(1278)知円沙弥によって七堂伽藍が造立された。
天正年間(1573-1593)の一向一揆の兵火により多くの堂宇、寺宝、
記録等が焼失、さらに寺領が没収され一時衰退。
越前が織田信長の領地になると宝慶寺は寺領が安堵され、
江戸時代に入ると福井藩主結城秀康からさらに寺領を加増、
寛永10年(1633)にようやく本堂が再建されました。
再建の際は織田信長の親戚にあたる織田信益、信勝が尽力したと伝えられ、
境内には織田家の墓碑が建立されています。
【参道入口】
3分くらい歩くようです。
短くて助かる。(^^
【鎮守社】
【地蔵尊】
【参道】
お寺に到着のようです。
【旧橋本家住宅】
右手に一瞬廃墟かと思うような建物が。
実はこれは18世紀前半に建てられた重要文化財だとか。
早く修復してくれー。(^^;
【総門】
小ぶりながら印象的な表門である総門ですね。
平成24年(2012)に大雪によって倒壊し、
同年に托鉢や浄財により再建されたもの。
【参道】
いかにもといった良い雰囲気です。
都会の観光寺院では絶対出せない雰囲気です。(^^
【牛犬堂】
牛と犬が祀られたお堂は初めて見た。
全国唯一のお堂でしょうね。
開山の寂円禅師の側を離れず、
托鉢のお供やお使いを努めた牛と犬がいたそうで、
禅師が入寂した後、牛と犬も間もなく亡くなったので、
開山の塔の傍らにこれを祀ったもの。
【薦宝閣】
昭和47年(1972)に建立れ、
道元禅師画像等宝物が安置されているとのこと。
【秋篠宮殿下御参観記念樹】
【山門】
渋い、渋すぎる。
しびれるほどの渋さ。
ずっと見てても飽きませんね。
額には永平寺貫首久我環渓の染筆で、
日本曹洞第二道場と書かれていました。
【狛犬】
【六地蔵】
山門で外敵から守っているのは金剛力士像が定番ですが、
こちらのは六地蔵が安置されていました。
これは珍しいですね。
多くの寺社を参拝している私でも初めて見た気がします。
【手水鉢】
この苔がたまらねー。
欲しいわ~。(^^
【法堂】
曹洞宗の山寺らしい本堂がとても良いですね。
嬉しい事に本堂が開いていたので早速堂内へ。
【内陣】
華美になり過ぎない曹洞宗らしい内陣と御本尊様です。
釈迦三尊像の他に如浄禅師像、道元禅師像が祀られていました。
【山門】
こっちから見ても渋い。
上に鐘楼があったので鐘楼門でした。
【僧堂】
文殊菩薩が祀られ、一般の方も僧堂で座禅が出来ます。
法堂内陣から行けますが、許可を得て無い者は立ち入り禁止です。
明治16年(1883)に焼失、約100年後の昭和61年(1986)に再建されたもの。
【庫裏】
【境内】
【御朱印】
御朱印は二種類あり、
今回はあえて禅語の書置きをいただきました。
とても清々しい気持ちになれるお寺でした。
福井の神社仏閣を巡ります。
まずは曹洞宗の中でも重要な寺格のある宝慶寺へ。
北陸自動車道の杉津PAで休憩。
ここには芭蕉の句俳がある程、景色が良い所です。
さぁ、これからもうひと踏ん張り。
福井も敦賀ならまだ近いと感じるが、
そこから先だと遠く感じるのよね。
オール高速で約3時間で到着。
大野市はなかなか遠い。(^^;
大き目の広場のような無料駐車場がありました。
いざ参拝開始。
所在地:福井県大野市宝慶寺1-2
宗派:曹洞宗
御本尊:釈迦牟尼
創建:不明
開山:寂円禅師
札所:釈迦三十二禅刹
【縁起】
今から約700年前に寂円禅師によって開かれた。
開山寂円禅師は中国宋朝の人であり、明州慶元府の太白山天童徳禅寺で、
日本から入宋した道元禅師と共に、如浄禅師の下で参学を続けられた。
その後、安貞2年(1228)先に帰朝し常に随待した。
道元禅師ご遷化の後、弘長元年(1261)この銀杏峰の麓に入り、
石上に坐禅すること18年、たまたまこの山奥に遊猟した下野守藤原氏が、
坐禅される寂円禅師のお姿をみて、帰依尊信の念を起こし、
一字を草創して宝慶寺と名付け、請して開山と仰いだ。
弘安元年(1278)知円沙弥によって七堂伽藍が造立された。
天正年間(1573-1593)の一向一揆の兵火により多くの堂宇、寺宝、
記録等が焼失、さらに寺領が没収され一時衰退。
越前が織田信長の領地になると宝慶寺は寺領が安堵され、
江戸時代に入ると福井藩主結城秀康からさらに寺領を加増、
寛永10年(1633)にようやく本堂が再建されました。
再建の際は織田信長の親戚にあたる織田信益、信勝が尽力したと伝えられ、
境内には織田家の墓碑が建立されています。
【参道入口】
3分くらい歩くようです。
短くて助かる。(^^
【鎮守社】
【地蔵尊】
【参道】
お寺に到着のようです。
【旧橋本家住宅】
右手に一瞬廃墟かと思うような建物が。
実はこれは18世紀前半に建てられた重要文化財だとか。
早く修復してくれー。(^^;
【総門】
小ぶりながら印象的な表門である総門ですね。
平成24年(2012)に大雪によって倒壊し、
同年に托鉢や浄財により再建されたもの。
【参道】
いかにもといった良い雰囲気です。
都会の観光寺院では絶対出せない雰囲気です。(^^
【牛犬堂】
牛と犬が祀られたお堂は初めて見た。
全国唯一のお堂でしょうね。
開山の寂円禅師の側を離れず、
托鉢のお供やお使いを努めた牛と犬がいたそうで、
禅師が入寂した後、牛と犬も間もなく亡くなったので、
開山の塔の傍らにこれを祀ったもの。
【薦宝閣】
昭和47年(1972)に建立れ、
道元禅師画像等宝物が安置されているとのこと。
【秋篠宮殿下御参観記念樹】
【山門】
渋い、渋すぎる。
しびれるほどの渋さ。
ずっと見てても飽きませんね。
額には永平寺貫首久我環渓の染筆で、
日本曹洞第二道場と書かれていました。
【狛犬】
【六地蔵】
山門で外敵から守っているのは金剛力士像が定番ですが、
こちらのは六地蔵が安置されていました。
これは珍しいですね。
多くの寺社を参拝している私でも初めて見た気がします。
【手水鉢】
この苔がたまらねー。
欲しいわ~。(^^
【法堂】
曹洞宗の山寺らしい本堂がとても良いですね。
嬉しい事に本堂が開いていたので早速堂内へ。
【内陣】
華美になり過ぎない曹洞宗らしい内陣と御本尊様です。
釈迦三尊像の他に如浄禅師像、道元禅師像が祀られていました。
【山門】
こっちから見ても渋い。
上に鐘楼があったので鐘楼門でした。
【僧堂】
文殊菩薩が祀られ、一般の方も僧堂で座禅が出来ます。
法堂内陣から行けますが、許可を得て無い者は立ち入り禁止です。
明治16年(1883)に焼失、約100年後の昭和61年(1986)に再建されたもの。
【庫裏】
【境内】
【御朱印】
御朱印は二種類あり、
今回はあえて禅語の書置きをいただきました。
とても清々しい気持ちになれるお寺でした。
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