石田会館から百メートルぐらい離れた場所に鎮座するのが八幡神社。
当然、三成公の面影を感じる事が出来ると思い参拝です。
所在地:滋賀県長浜市石田町423
御祭神:品陀和気命
創建:不明
【由緒】
江戸時代に文書類は焼失し創建は不明である。
石田町に鎮座し古代の古墳上にあり、
石田三成先祖の邸宅趾でもある。
よって石田三成公の尊崇を受けたといわれる。
【鳥居】
良い雰囲気の神社です。
【手水舎】
檜皮葺屋根が渋い。
【境内】
【狛犬】
【拝殿】
【本殿】
本殿の後ろに何かある。
行ってみよう。
【三成庵】
【石棺蓋】
ここから三百メートル離れた場所に坂下に向かう朽木街道があり、
その下を流れる川に架けられていた橋を地元の方は唐戸ばしと呼んでいたが、
時代の変化により不要になり、ここに保存しているもの。
この石棺蓋は五、六世紀の石棺の一部として貴重なものだそうです。
【供養塔】
昭和16年(1941)に隣りの八幡神社の地中より破壊された多数の三輪搭が発見され、
石田三成公の御先祖に関係の深いものと推定され、
関ヶ原合戦の後に里人が徳川の追及を逃れる為に埋めたものとか。
長く発掘すると災いがあるということで戒めてきたが、顕彰会が発掘供養し、
昭和48年(1973)に石田一族の供養塔を現在地に安置し、
毎年11月6日を三成公の命日として慰霊法要が厳修されています。
八幡神社本殿横にあった石柱に石田神社と刻まれていたが、
昔はこの場所に石田神社が鎮座していたんでしょうね。
徳川の世になると石田神社は徹底的に破壊され、
昭和の時代になって石田神社跡に供養塔が安置されたものと思われます。
【石田三成公辞世の歌】
【石田三成公自筆の歌】
向かって左が自筆の歌で、右の歌碑は寿聖院と書かれているので、
石田一族の菩提寺である妙心寺塔頭の壽聖院先代の谷口住職の歌碑です。
【手水鉢】
【石碑】
八幡神社の御朱印は恐らくありません。
ここに参拝出来て良かったです。(^^
当然、三成公の面影を感じる事が出来ると思い参拝です。
所在地:滋賀県長浜市石田町423
御祭神:品陀和気命
創建:不明
【由緒】
江戸時代に文書類は焼失し創建は不明である。
石田町に鎮座し古代の古墳上にあり、
石田三成先祖の邸宅趾でもある。
よって石田三成公の尊崇を受けたといわれる。
【鳥居】
良い雰囲気の神社です。
【手水舎】
檜皮葺屋根が渋い。
【境内】
【狛犬】
【拝殿】
【本殿】
本殿の後ろに何かある。
行ってみよう。
【三成庵】
【石棺蓋】
ここから三百メートル離れた場所に坂下に向かう朽木街道があり、
その下を流れる川に架けられていた橋を地元の方は唐戸ばしと呼んでいたが、
時代の変化により不要になり、ここに保存しているもの。
この石棺蓋は五、六世紀の石棺の一部として貴重なものだそうです。
【供養塔】
昭和16年(1941)に隣りの八幡神社の地中より破壊された多数の三輪搭が発見され、
石田三成公の御先祖に関係の深いものと推定され、
関ヶ原合戦の後に里人が徳川の追及を逃れる為に埋めたものとか。
長く発掘すると災いがあるということで戒めてきたが、顕彰会が発掘供養し、
昭和48年(1973)に石田一族の供養塔を現在地に安置し、
毎年11月6日を三成公の命日として慰霊法要が厳修されています。
八幡神社本殿横にあった石柱に石田神社と刻まれていたが、
昔はこの場所に石田神社が鎮座していたんでしょうね。
徳川の世になると石田神社は徹底的に破壊され、
昭和の時代になって石田神社跡に供養塔が安置されたものと思われます。
【石田三成公辞世の歌】
【石田三成公自筆の歌】
向かって左が自筆の歌で、右の歌碑は寿聖院と書かれているので、
石田一族の菩提寺である妙心寺塔頭の壽聖院先代の谷口住職の歌碑です。
【手水鉢】
【石碑】
八幡神社の御朱印は恐らくありません。
ここに参拝出来て良かったです。(^^
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