続きまして独自の魅力的な御朱印を連発し、
大変儲けてると噂されている六道珍皇寺へ。
久しぶりの参拝です。
車は境内に数台分停めれると思います。
所在地:京都府京都市東山区大和大路通四条下ル4丁目小松町595
宗派:臨済宗建仁寺派
御本尊:薬師如来
創建:伝・承和3年(836)
開基:伝・山代淡海
【縁起】
この寺の所在地付近は平安京の火葬地であった鳥部野の入口にあたり、
現世と他界の境にあたると考えられ六道の辻と呼ばれた。
開基は奈良の大安寺の住持で弘法大師の師にあたる慶俊とされるが、
異説として空海や小野篁、かつてこの地に住した豪族鳥部氏の氏寺が、
その前身であるともいう。
東寺百合文書山城国珍皇寺領坪付案」という文書には、
珍皇寺は承和3年(836)に山代淡海が創建したとある。
鎌倉時代までは東寺の末寺として多くの寺領と伽藍を有したが、
南北朝時代以降、寺領の多くが建仁寺の所有に転じたことと戦乱により衰退。
中世後期の寺史はあきらかではない。
貞治3年(1364)建仁寺から聞溪良聰が入寺して再興、
この際に臨済宗に改められた。
明治に入り一時建仁寺に併合された時期もあったが、
明治43年(1910)に独立した。
【東門】
【山門】
【薬師堂】
重文の薬師如来が安置されています。
【閻魔・篁堂】
【鐘楼】
毎年の盂蘭盆会にあたり精霊をお迎えする為に叩かれ、
亡者はその響きに応じてこの世に呼び寄せられると伝わることから、
「お迎え鐘」と呼ばれている。
【延命地蔵大菩薩】
【お岩大明神】
あのお岩さんがお稲荷さんとして祀られているようです。
【本堂】
本堂内は全て撮影禁止です。
中ではお寺の方々がせっせと御朱印を量産してました。(笑)
【庭園】
庭園は撮影OKでした。(^^
今回はスリッパを履いて庭園を歩くことが出来ました。
【水琴窟】
【手水鉢】
【冥土通いの井戸】
【竹林大明神】
小野篁の念持仏が祀られているそうです。
【書院】
【本堂】
【小野愛宕権現】
【手水鉢】
【黄泉がえり之井】
特に感じることもなく。
まぁ普通の井戸ですね。(笑)
【御朱印】
右の青い御朱印はオリジナル御朱印帳を購入するといただけます。
藍金泥というのがたまらないですね。(^^
こちらは一枚500円でした。
【御朱印帳】
御朱印代込みで1800円でした。
紙質は結構良いみたいです。
使いこんだらまた報告させていただきますね。
大変儲けてると噂されている六道珍皇寺へ。
久しぶりの参拝です。
車は境内に数台分停めれると思います。
所在地:京都府京都市東山区大和大路通四条下ル4丁目小松町595
宗派:臨済宗建仁寺派
御本尊:薬師如来
創建:伝・承和3年(836)
開基:伝・山代淡海
【縁起】
この寺の所在地付近は平安京の火葬地であった鳥部野の入口にあたり、
現世と他界の境にあたると考えられ六道の辻と呼ばれた。
開基は奈良の大安寺の住持で弘法大師の師にあたる慶俊とされるが、
異説として空海や小野篁、かつてこの地に住した豪族鳥部氏の氏寺が、
その前身であるともいう。
東寺百合文書山城国珍皇寺領坪付案」という文書には、
珍皇寺は承和3年(836)に山代淡海が創建したとある。
鎌倉時代までは東寺の末寺として多くの寺領と伽藍を有したが、
南北朝時代以降、寺領の多くが建仁寺の所有に転じたことと戦乱により衰退。
中世後期の寺史はあきらかではない。
貞治3年(1364)建仁寺から聞溪良聰が入寺して再興、
この際に臨済宗に改められた。
明治に入り一時建仁寺に併合された時期もあったが、
明治43年(1910)に独立した。
【東門】
【山門】
【薬師堂】
重文の薬師如来が安置されています。
【閻魔・篁堂】
【鐘楼】
毎年の盂蘭盆会にあたり精霊をお迎えする為に叩かれ、
亡者はその響きに応じてこの世に呼び寄せられると伝わることから、
「お迎え鐘」と呼ばれている。
【延命地蔵大菩薩】
【お岩大明神】
あのお岩さんがお稲荷さんとして祀られているようです。
【本堂】
本堂内は全て撮影禁止です。
中ではお寺の方々がせっせと御朱印を量産してました。(笑)
【庭園】
庭園は撮影OKでした。(^^
今回はスリッパを履いて庭園を歩くことが出来ました。
【水琴窟】
【手水鉢】
【冥土通いの井戸】
【竹林大明神】
小野篁の念持仏が祀られているそうです。
【書院】
【本堂】
【小野愛宕権現】
【手水鉢】
【黄泉がえり之井】
特に感じることもなく。
まぁ普通の井戸ですね。(笑)
【御朱印】
右の青い御朱印はオリジナル御朱印帳を購入するといただけます。
藍金泥というのがたまらないですね。(^^
こちらは一枚500円でした。
【御朱印帳】
御朱印代込みで1800円でした。
紙質は結構良いみたいです。
使いこんだらまた報告させていただきますね。