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Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

吉崎御坊願慶寺(2017年8月19日参拝)

2017年10月10日 | 仏閣
吉崎東別院の隣にあるお寺が願慶寺というお寺。

幕末までは信者の寄り合い場である道場が4つありましたが、
寺号を持っていたのは願慶寺のみだったそうです。


こちらに有名な肉面があるお寺の一つとなり、
この吉崎に訪れた最大の理由は肉面を見たかったからです。

楽しみや。

願慶寺はとても小さなお寺ですので、
隣りの東別院の駐車場に停めておいても大丈夫です。



所在地:福井県あわら市吉崎1-302
宗派:真宗大谷派
御本尊:阿弥陀如来
創建:文明7年(1475)
開基:祐念坊霊空


【縁起】
当院は蓮如上人直弟子祐念坊霊空の開基にして、
俗名を和田十重兵衛と称し吉崎最古の旧跡なり。

文明三年五月上人巡ようのせつ御寄宿在せられし因縁に依り、
一族三十人衆を率いて真宗に帰し常随の弟子となり、
寺号を願慶寺とたまわう。

享保六年丑年年八月本道並敷地を其ジン本山御坊となし、
延享四年九月再建の節留守職となる真宗中興の発端格別の霊跡なり。


【山門】


上層に鐘楼が吊るされていました。


【本堂】




本堂と山門のみのお寺で、
肉面を全面的に主張されております。

まぁ、お寺の売りだから仕方ないけど。

早速、本堂の玄関に行くと、
待ってましたー!とばかりに拝観を勧める御住職。

いや、そんなに食いつかなくても拝観しまんがな。(^^;

拝観料500円を支払い畳の部屋に通される。


【嫁おどし肉付面】


撮影不可でしたので画像はネットで拾ったものです。

いろんな売っている本を前に、
御住職の独演会が始まる。

これがかなり長くて長くて。(^^;

ところどころ面白い話もあったけど、
自分で話して自分でウケてるといった感じで、
最後の方は早く終わらないかなぁ、と思っていました。(苦笑)


【本堂内陣】




独演会場の隣が小さな本堂でした。

こちらは撮影OKです。


【吉崎御坊跡】


願慶寺の隣の小さなお山には蓮如上人が滞在した御坊跡があります。




僅か3分程登ると到着します。

楽ちん。

山はやっぱり低いに限りますな。(笑)


【見玉尼公墓】



【忠魂碑】



【本光坊了顕墓】




願慶寺開祖の墓です。


【蓮如御手植えのお花松】





【御坊跡】


意外とかなり広いです。

ここに蓮如上人が居たと思うと胸熱です。


【蓮如上人像】






なまんだぶ なまんだぶ。


【本堂跡】





【蓮如上人腰かけ石】







【風景】


なかなか良い景色でした。(^^


【御朱印】


こちらでも御朱印をいただけました。

真宗大谷派吉崎別院<東別院>(2017年8月19日参拝)

2017年10月09日 | 仏閣
石川県那谷寺から福井県あわら市の吉崎御坊へ。

これで北陸三県の寺社巡りすることになります。

こちらは蓮如上人所縁の寺院が四ヵ寺あり、
世にも奇妙な肉面が二ヵ寺にあります。

肉面がとても興味があったので参拝がとても楽しみです。

まずは駐車場の関係で肉面が無い吉崎東別院を参拝です。


所在地:福井県あわら市吉崎1-301 
宗派:真宗大谷派
御本尊:阿弥陀如来
創建:不明
開基:不明


【縁起】
蓮如上人が建立された坊舎跡地(御山)の眼下に建つ寺院です。

寛文13年(1673)東本願寺が吉崎山上への本堂建立を福井藩に願い出る。
これに反発した西本願寺が異議を申し出て、東西両本願寺の争論へ発展し、
福井藩はこれを幕府の裁定に委ねた。

幕府の裁定が下り、山上は要害の地であるとの理由で、
両派ともに蓮如上人ご旧跡への本堂建立は禁止され、
両派の吉崎御坊は山下に建立されることになった。

後の明治15年(1882)吉崎山上は東西両派の共有地として定められる。

伝統行事として蓮如上人御影道中というものがあり、
京都東本願寺から蓮如上人御影を湖西回りで一週間かけて、
約240キロの御下向の旅が続き4月23日に吉崎東別院に到着。

十日間の御忌法要勤められた後、東本願寺に向けて出発し、
湖東回りで八日間約280キロの御上洛の旅が続き御帰山となります。

この伝統ある御仏事は三百年以上を数え、
毎年耐える事が無く、今日まで引き継がれています。


【遠景】



【山門】



【境内】


右手に見えるのが宝物館です。

屋根の上には太鼓楼が見えますね。


【宝物館】


写真は裏手側です。

中には無料で入れますが、半分は土産モノ売り場でした。


【嫁威し肉附面】


宝物館にありました。

ここにもあるとは知らなかったな。

恐らく後世に造られたもので、
説明文にあるように本物では無いでしょう。


【鐘楼堂】


寛政3年(1791)に建立されたもの。


【蓮師堂】


蓮如上人58歳像が安置されていました。

吉崎には4年間滞在されていたそうです。


【本堂】


延享4年(1747)再建されたもの。




なまんだぶ なまんだぶ。


【会館】


さすが東御坊だけあって立派な会館です。


【御朱印】


真宗大谷派ですが御朱印が宝物館でいただけます。

光久寺<飯久保御坊>(2017年8月19日参拝)

2017年10月05日 | 仏閣
高岡市の国泰寺から続いて氷見市の光久寺へ。

こちらは茶庭が売りの浄土真宗のお寺です。

寺社巡りに於いてお庭は重点を置いている訳では無いですが、
回廊がある庭園は結構好きなんですよね。

ましてや真宗系のお寺で御朱印をいただけるとあっては、
華麗にスルーする訳にはいきません。


所在地:富山県氷見市飯久保2807
宗派:真宗大谷派
御本尊:阿弥陀如来
創建:不明


【縁起】
初め仏生寺吉池にあり、大和の長谷寺の国分寺として始まる。

玄巣院または長谷寺・太子寺と称し、真言宗であった。

その後、南北朝康永2年(1343)領主狩野中務の帰依を受け、
加賀の専光寺の次男性専を迎え、浄土真宗に改宗して現在に至っている。

玄巣院の旧地は親鸞聖人が三日三夜御逗留し、
旧地は今に保存されています。


【太鼓楼】


山門横にある小さな池の横に無料駐車場がありました。


【山門】


境内の中にも車は停めようと思えば可能です。


【石碑】


親鸞聖人御逗留跡と刻まれています。

越後流罪の道中に立ち寄られ、暫く逗留されていたそうです。


【太鼓楼】


境内内側から撮影したもの。

真宗系のお寺にはよくありますね。


【本堂】




本堂は閉まったままでした。

小さいお寺はやっぱり閉まってますね。


【阿弥陀堂】



【親鸞聖人像】



【本堂内陣】


拝観料300円を支払い、
まずは本堂内陣を案内していただけた。

なまんだぶ。


【書院・客殿】




浄土真宗らしからぬ調度品と雰囲気です。


【丸窓】


さて、悟りを開きましょうか。(^^


【茶道具】



【茶庭】






京都のお寺の庭園を見まくっている人は、
どこか物足りなさを感じると思うが、
個人的に素朴で良いと思いますよ。


【回廊】






うん、やっぱりお庭の回廊は好きやね。(^^


【茶庭】







【俯仰庵】





【茶庭】





【回廊】



【御朱印】

總持寺祖院塔頭 芳春院(2017年8月18日参拝)

2017年09月30日 | 仏閣
總持寺祖院の山門の手前に小さなお寺があります。

その名も芳春院という塔頭です。

芳春院と聞いてピンときた人は、
歴史好きかお寺好きですね。

そう、芳春院とは前田利家公の正室まつのことです。

その法名が名前になっている由緒あるお寺です。


所在地:石川県輪島市門前町清水2-6
宗派:曹洞宗
御本尊:釈迦牟尼仏
創建:慶長14年(1609)
開基:芳春院
開山:象山除芸大和尚


【縁起】
前田利家公夫人お松の方が、
總持寺に参詣の折に塔頭を建てるのを懇願し、
總持寺代官星野家館を移転してその場所に建立。

開山は象山除芸大和尚。

明治31年(1898)の火災にて焼失し現在の位置に再建。

堂内には芳春院の位牌が安置されています。


【本堂】




御本尊は見えませんでした。


【開運弁才尊天奉安所】




小さな奉安所です。




向かって右側に小さな弁才天が祀られていました。

弘法大師の自作の真贋は問わないでおこう。(^^;


御朱印は書置きがあるようですが、
本堂前の玄関に置いていなかったし、御不在でした。


【稲荷堂】


芳春院の前の寂しい場所に稲荷堂があります。


【乳もらい地蔵】


死んだ母親が墓の中で産まれた我が子を、
夜な夜な飴屋に向かい母乳に代わりに飴をあげて育てました。

その子が後に總持寺の五代目通幻寂霊禅師です。

母の慈思に報いる為親のいない子供達の成長を願って、
地蔵尊を祀ったそうです。


京都の東山で有名なのが幽霊子育飴です。

その時の赤ん坊は立本寺で高僧になったそうですが、
この輪島でも同じような伝承があるんですね。

妙成寺 其の二(2017年8月18日参拝)

2017年09月25日 | 仏閣
妙成寺といえば五重塔になりますが、
やはりお寺のメインは本堂です。

これからメイン所の参拝となります。


【三光堂】






重要文化財。




太陽を表す日天、月を表す月天、星を表す明星天の、
三光天像が祀られていました。

鎮守堂とも与ぼれているそうです。


【本堂】








慶長19年(1614)に建立されたもの。

重要文化財。






見事です。


【祖師堂】




日蓮聖人像の左右に、開山日像上人と日朗上人が祀られていました。

重要文化財。


三光堂、本堂、祖師堂の三つもの重文のお堂があり、
見応え、拝み応えたっぷりでした。(^^


【鐘楼堂】


寛永2年(1625)建立の重要文化財。


【書院庭園】




日蓮宗なのに池泉庭園と書院がある。(笑)






ここから見る五重塔がこれまた乙なものです。

仁和寺の庭園を彷彿させますね。


【書院】






日蓮宗なのに胡蝶蘭とかー。(笑)

らしくないぞ。(^^

加賀藩5代藩主前田綱紀が参拝の際の休息所とする為に建立されたもの。

奥には前田家代々の菩提と3代藩主利常の生母・寿福院、
長女・浩妙院の冥福を祈って、御霊屋が設けられているそうです。


【客殿】






客殿にも諸仏が祀られていました。


【庫裏】


文禄年間(1592~1596)に建立された重要文化財。


【日時計】


中世のスペイン製らしい。


【境内】


ぐるっと一周して元の場所に戻ってきました。

伽藍の周りには墓地があり、
檀家さん達と共に支え、支えられてきたことが分かります。

そのような檀家さん達がいる限り、
未来永劫にわたって寺は存続し続けるだろう。


【御首題】


惚れ惚れするような達筆です。

妙成寺 其の一(2017年8月18日参拝)

2017年09月24日 | 仏閣
続いて日蓮宗の本山である妙成寺へ。

こちらの五重塔がどうしても見たくて、
以前から訪れたかったお寺です。


【風景】


とても旅情を感じさせる風景です。




五重塔はお寺の顔ですね。

もうすぐお寺に到着です。


所在地:石川県羽咋市滝谷町ヨ1
宗派:日蓮宗
御本尊:一塔両尊四天王四菩薩
創建:永仁2年(1294)
開基:日像上人


【縁起】
寺伝によると永仁2年(129年)日像上人は師命により、
京都に妙法を布教する為に佐渡から七尾へ渡る船中、
石動山天平寺の座首満蔵法印と法輪を交わした。

満蔵法師は法華経に感銘を受け、石動山に日像を招き、
全山衆徒の前で法華の教えを説いた。

ところが衆徒は日像の説法に罵言を吐き、暴徒化し二人を襲い、
二人は急いで下山し命からがら滝谷へと逃げ延びた。

日像は鎌倉より携えていた槐の杖を地面に挿し、
「この杖より根が生ずるなら、汝この地に法華の寺を建立すべし」と、
満蔵法印に言い残して京都に向かった。

まもなく杖より根が生え始めたので、満蔵法印は日乗と名を改め、
叔父の滝谷領主柴原法光の助力を得、開山を日像、
自らを第二祖として妙成寺を建立した。

天正10年(1582)能登国の太守となった前田利家から寺領の寄進を受け、
慶長8年(1603)利家の側室寿福院の帰依を受け、
その菩提寺になるなど加賀藩前田家から手厚い庇護を受け隆盛を極めた。

その後、七堂伽藍が完成し寛永8年(1631)には、
加賀藩3カ国の日蓮宗の総録所となった。

日蓮宗の北陸本山で能登随一の大伽藍を持ち、
本堂、五重塔、祖師堂、経堂等、10棟が重要文化財に指定されている。


【総門】


中に大型の無料駐車場と売店があります。


【寺号標】


少し進んだ場所で拝観料を支払い境内へ。

五重塔が見えて期待感が高まる。


【仁王門】




これはいいですね~。

五重塔だけでなく仁王門も実に素晴らしい。

さすが重要文化財だけあります。


【石仏】



【浄行堂】


これはまたゴマラー好みのお堂です。(^^




休憩所のように見えますが
浄行菩薩を祀っているお堂です。




屋根の内側はこんな感じ。


【仁王門】


石段を登っていきます。

足腰が悪い人はしんどいでしょうね。


【仁王像】


江戸時代初期の作で、
かなりの力量の仏師が造ったと思われます。


【経堂】


重要文化財。

後ろに一般の墓地があり、引きで撮影すると墓が映ってしまうので、
何とも苦し紛れに撮影しました。

その奥にある開山堂は墓地の真横でしたので、
撮影はしておりません。


【五重塔】




北陸には五重塔はこの一塔のみ。

とても貴重かつ見事な五重塔です。

重要文化財。


【浩妙院殿墓】


三代藩主前田利常公の長女だそうです。


【寿福院殿墓】


三代藩主前田利常公の生母の墓です。

五重塔の願主がこの方です。


【丈六堂】


古い墓の中を進むと丈六堂というお堂があります。

ここも一般の墓を映さないように苦労する。






中に入ると思わずウォ!っと驚いた。

まさか高さ5メートルもある釈迦如来が祀られているとは。

昔、羽咋市の海岸に頭だけが流れ着き、
それに合わせて胴体が造られたものとか。






左右に二天が祀られていました。


【閻魔堂】



【三十番神堂拝殿】



【三十番神堂】




裏手にも一般のお墓があったので苦しい撮影。(^^;

重要文化財。


【若松】





【紅梅】





とりあえず長くなりましたので続きはまた明日。

林西寺(2017年8月17日参拝)

2017年09月16日 | 仏閣
今日泊まる白峰温泉白山苑の近くに林西寺というお寺があります。

見た目は普通の浄土真宗の小さなお寺ですが、
普通では無いものが祀られています。

それが白山下山仏と呼ばれる仏様達です。


【案内板】


今は白山の室堂界隈は神社となっていますが、
もともとは神仏習合の越前馬場平泉寺がありました。

神仏分離令により白山室堂周辺から下山された諸仏が、
八体祀られています。




パンフレットを転写したもの。

山頂から下ろしたのか~。

普通に凄い。



所在地:石川県白山市白峰イ68
宗派:浄土真宗大谷派
御本尊:阿弥陀如来
創建:養老元年(717)
開基:泰澄大師


【縁起】



【山門】


山門横から境内に入ると車は停めれます。


【本堂】




文久3年(1863)再建されたもの。

かなり年季を感じる本堂です。

外からは内陣を見る事は出来ません。


【鐘楼堂】



【庫裏】




木材を利用した梯子が凄い。


【白山本地堂】


庫裏で拝観料400円を支払って堂内へ。


【白山下山仏】




撮影は不可でしたので画像はネットで拾ったもの。

堂内に入って観た瞬間感動。

これほどとは。

特に真ん中に鎮座する十一面観世音菩薩坐像が素晴らしい。

重さが207キロもあるという。

よくぞ山頂から下ろしてくれたものです。

その労力は想像に難くない。

信仰心の篤さに頭が下がる思いです。


【本堂内陣】


本堂内陣も案内していただけました。

失礼ながら外からは想像出来ない程の荘厳な内陣です。


【御朱印】


日付以外はハンコですが、御朱印をいただきました。


素晴らしい諸仏がお待ちしております。

お勧めします。

一閑寺(2017年8月17日参拝)

2017年09月15日 | 仏閣




白山比咩神社の大型無料駐車場から獅子吼高原山頂方向を見ると、
沢山のパラグライダーが飛んでいた。

よくやるよなぁ。
パラグライダーは墜落が怖くて死んでもやりません。(^^;

さて、次なる参拝地に向かいます。

金沢市内から金劔宮と白山比咩神社に行く途中にあるお寺が一閑寺。

ここは時間があれば行こうと考えていた。

不動明王の磨崖仏が唯一の売りのお寺で、
どうせ大したこと無いでしょ、と思っていたが、
これが大間違いでした。

大したこと無いと思ってしまい申し訳ありません。(^^;


所在地:石川県白山市鶴来本町4-チ18
宗派:浄土宗
御本尊:善光寺如来
創建:寛永8年(1631)


【縁起】


およそ1300年前の養老元年に泰澄大師が始めて白山を開山された時、
禅定の道すがら当地に立ち寄られ、この地の自然石に大不動明王像を刻み、
地元の人々に信仰することを勧めて立ち去られた。

それから970年の間、像は風雪にさらされ次第に風化していったが、
夜ごと崇める人は絶えなかった。

時は流れ寛永8年(1631)宝円寺五代住職雲堯禅師が来られて、
一閑寺を開山されたのである。

その後、天保年間に第18世住職國角和尚の代に不幸にも一閑寺は炎上した。

和尚は寺と不動尊の再建を発願し、かつて泰澄大師が刻まれた磨崖佛の復元をされた。

そして3年3ヶ月刻まれたのが現在の約メートルに及ぶ大不動明王像である。

これは自然石では東洋一の磨崖佛で眼病治癒の霊験と商売繁盛、
諸難消 除の御守護として近郷近在はもとより、日毎に信仰者が諸国に広まり、
その名声は遂に加賀百万石第12代前田斉泰藩主の耳に達し、
加賀中納言として自ら参詣され、新しく扁額を贈る他、
祖先を菅原道真とする前田家の梅鉢を、代々一閑寺が佩用することを許されている。

現在は浄土宗の一閑寺として、善光寺分身如来を御本尊にその法灯を護り続けている。


【本堂】


あるのは本堂と庫裏と墓地だけで、
山門すら無いような小さなお寺です。

無料駐車場がありました。

拝観出来るか分からないが、とりあえず行ってみよう。

堂内にお婆さんが居たので堂内に入り参拝させていただく。

志納金として500円以上必要です。


【不動明王】


広い堂内の一番奥にどーんと不動明王の磨崖仏が鎮座。

そのデカさと迫力に圧倒される。

まさかここまでのものとは。

これは参拝して良かったわ~。(^^

必見です。

大したこと無いと思って正直すまんかった。


御朱印は御住職が御不在でいただけませんでした。

大乗寺(2017年8月17日参拝)

2017年09月12日 | 仏閣
兼六園の近くには尾崎神社、尾山神社の他に、
石浦神社、金澤神社、石川護國神社が鎮座しております。

これらの神社はまたの機会に参拝するとして、
大本山永平寺と總持寺に次ぐ格式の高さを誇る大乗寺へ。

今でも修行僧がいる専門僧堂です。

凛とした雰囲気と伽藍の凄さを感じたい。


所在地:石川県金沢市長坂町ル10
宗派:曹洞宗
御本尊:釈迦牟尼仏
創建年:弘長3年(1263)もしくは正応2年(1289)
開山:徹通義介禅師
開基:冨樫家尚



【縁起】
曹洞宗大本山永平寺の第3世徹通義介禅師は、後に加賀の地へ移り、
守護職冨樫氏の帰依を受けて、野々市市に大乘寺を開きました。

暦応3年(1340)足利尊氏の祈願所となるが、
室町時代後期、戦乱に巻き込まれて焼失した。

その後、前田利長の家臣・加藤重廉が檀越となり、
寺は木新保(現在の金沢市本町)に移転した。

江戸時代初期に加賀藩家老本多家の菩提寺となる。

寛文11年(1671)に中興の祖とされる月舟宗胡が住持となり、
次代の卍山道白(延宝8年・1680年住持となる)とともに寺の復興に努めた。

寺が現在地に移転したのは元禄10年(1697)である。

伽藍は曹洞宗寺院建築の典型的な七堂伽藍の配置を示しており、
総門(黒門)は寛文5年(1665)、山門は江戸時代初期、
法堂は元禄10年(1697)頃に建立され、いずれも
石川県指定有形文化財になっています。


【参道】


大型の墓地の近くに無料駐車場がありました。


【総門】


境内の雰囲気と相まって総門の佇まいがたまらない。


【石仏】


観音さん、お不動さん、お地蔵さんです。


【石塔】


石塔の初層と二層に石仏が祀られていました。


【山門】


この雰囲気は最高です。

是非ともこの素晴らしい雰囲気を体感していただきたいですね。






これを最高と言わずして、何を最高と言えるのだろうか。

大本山永平寺と總持寺に次ぐ格式の高さに偽り無し!

というか、山門の素晴らしさは両大本山のそれを遥かに凌駕している。

久しぶりに山門を見て感動しました。


【仏殿】


山門より先は無段撮影禁止なので、
これ以上撮影出来ませんでした。

しかし、仏殿の奥の法堂まで参拝出来たので良かったです。(^^


【御朱印】


とても良いお寺であった。

お勧めです。

天徳院(2017年8月17日参拝)

2017年09月09日 | 仏閣
金沢には前田家と所縁の深いお寺が多い。

先ほど参拝した宝円寺の近くに、
珠姫を弔う為に建立された天徳院があります。

このお寺は関西ではイマイチ知名度がありませんが、
山門を見た瞬間参拝しようと思ったものです。

やっと今回参拝出来て嬉しい。(^^


所在地:石川県金沢市小立野4-4-4
宗派:曹洞宗
御本尊:釈迦牟尼仏
創建:元和9年(1623)
開基:前田利常公
開山:巨山泉滴和尚



【縁起】
元和9年(1623)に加賀三代藩主前田利常公は正室珠姫菩提の為、
金沢城の東、小立野台に広大な敷地を定めて天徳院を創建。

翌年の寛永元年(1624)初代将軍徳川家康公が崇敬した、
巨山泉滴和尚を千葉県長安寺よりお招きし、天徳院第一世開山とした。 

御遺骨を金沢と高野山に分骨して各々に一寺を設け、
天徳院殿乾運淳貞大禅定尼に因んで、いずれの寺院を天徳院と称した。

寛文11年(1671)珠姫(天徳院殿)の御遺骨は、
天徳院境域より野田山に改葬された。

元禄6年(1693)黄檗宗の高泉性敦が伽藍を黄檗式建築で整備するが、
明和5年(1768)の火災で、山門・宝蔵などを除き、主要伽藍が焼失。

伽藍整備は迅速に行われ、翌年に前田重教によって、
本堂、講堂、庫裏が再興され現在に至る。


【珠姫】
前田利常公の正室。

二代将軍徳川秀忠公と江の次女で、
姉に千姫、福門院和子(後水尾天皇の妃)、弟に三代将軍徳川家光公。

三男五女をもうけたが、産後の肥立ちが悪く24歳で病没。


【寺号標】


綺麗に整備された大型の無料駐車場がありました。

ここは観光地でもあるので大型のバスも来てました。


【出世地蔵尊】







【山門】




京都の大本山の山門に匹敵するもので、
とても堂々たるものでした。

この山門を見ただけで訪れて良かったと思えるものでした。

元禄7年(1694)建立されたもの。


【仁王像】



【境内】


奥に見えるのが本堂です。

参拝はまっすぐに行かず、右手の回廊を進んで行きます。


【水かけ金洗い弁財天】


どこかの銭洗い弁天と同じですね。

それを知らなかったから水をかけちゃいました。(苦笑)


【時鐘】





【境内】




対面に見えるのが鎮守堂です。

お寺の鎮守社って大概小さな社が多いのですが、
こちらのは大きな鎮守堂が建てられていますね。


拝観料500円を支払い拝観開始。

まずは御本尊にお参り。

その後は寺宝を見て回る。


【珠姫】

(画像はネットで拾ったもの。)

御簾でお顔が見れませんでした。


【寺宝】






葫蘆様釜。


【前田家御位牌】



【屏風】


10時から15分程度のからくり人形の上演を見ました。

珠姫の一生がよく分かる人形劇でした。


【前田家観音金佛】





【鎮守堂】



【駕籠】




天徳院住職が使用したもの。


【白山大権現】





【狐】


こ、これは?


【烏天狗尊】


う、うお!マジか? 

これまたデカイ。


【白山妙理天狗尊】


奥に何かいるーーー!

目と鼻がこえー。

これは小さい子供なら泣くレベル。(苦笑)


最後は何だかよく分からないスゲーものを見て拝観終了。


【本堂】


拝観終了後は境内の真ん中を歩いて山門へ。


【山門】



【御朱印】


菅氏大宗祠とは菅氏とは菅原道真の子孫である前田家を表わし、
ここ天徳院は前田家を祀る大殿堂(大宗祠)という意味。

獨鈷抛山 千手寺(2017年8月14日参拝)

2017年09月06日 | 仏閣
伝教大師や弘法大師が創建したといわれる古刹が、
この亀岡市にあることは余り知られていない。

今回の亀岡市の寺社巡りのメインの一つである千手寺。

こちらは弘法大師が創建したと伝わる古刹です。




ナビはこんな道を進めと指示をする。

お寺は低い山の上にあるのは分かっていたので、
細い道は想定していたが、さすがにこの道は不安にある。

一台がやっと通れる道なので、一旦降りて、
先に進めるか徒歩で確認するほど。




何とか細い道を進むと行き止まり。

マジか~?(泣)

ナビさんよ~、一体どうなってんのよ~?
これ以上進まれへんがな。(泣)




仕方ないので車を停めて右側の道を進む。

どう見ても誰も歩いていない道。

予想通り、突き当りで水が溢れてこれ以上進めなかった。

うわぁ~、もうお寺に行けないじゃん。

というか、通行止めになっているということは、
千手寺が廃寺になったのかと思った。

参拝は諦めて次のところに行こうと引き返すが、
あの細い道は通りたくない。

通行止めの場所に別の道があって進むと、
千手寺の別ルートがある事が分かった。


【寺号標】


あの通行止めの所から僅か1分で到着。

何だよ、別ルートは道も広くて余裕で通れるやん。

ナビの野郎、あんな糞ルートを紹介しやがって。

通行止めの道を見た時は軽く泣いたぞ。(^^;

ナビは最短ルートが良いんじゃないんだよ。
走り易い王道ルートを紹介するのが偉いんだよ、まったく。(苦笑)

最短ルートだけど道が細いですとか、
アナウンスする機能がナビには無いのかな。

あったら買うわ。(笑)



所在地:京都府亀岡市ひえ田野町鹿谷大タワ7
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:十一面千手観音菩薩
創建:大同2年(807)
開山:弘法大師


【縁起】


寺伝によると大同2年(807)弘法大師の開創といわれ、
遣唐使として唐に渡り、密教の奥義を伝授された大師が帰国に際し、
本国に向かって独鈷を天に投げたところ白雲を引いて飛び去ったといいます。

帰国後その行方を奈良の春日神社に伺い「丹波国佐伯の庄山内村の北峰、
娑婆山の松の枝にかかっている」との神託により、
白鹿に導かれてこの地に来られたということです。
 
以来この地を鹿谷、山号を獨鈷抛山、十一面千手観音を安置するので、
千手寺と言うようになりました。

その後、戦火により廃寺となりましたが、
応永10年(1403)鎌倉建長寺の蘭渓道隆の法孫、
止菴和尚が来住して臨済宗寺院として中興されました。

その後、天正5年(1577)にも兵火にかかり、
妙心寺の禅岩和尚が再興して妙心寺派に属するようになりました。

古来より眼病に霊験あらたかな寺として親しまれています。


【参道】


細い道や通行止めを見てきたトラウマがあって、
かなりナーバスになっていたので、徒歩でお寺まで行くことにした。




寺号標からお寺までナビだと数百メートル。

こんな細い道を歩いて行く。

車だと対向車よ来ないでくれ、と願う道だけど、
経験上、こんな参道は滅多に対向車には出合わない。

結果的に車に乗っていれば余裕だったと思う。


【朝霧藤左衛門塔】


朝霧藤左衛門は誰か調べてもよく分からん。

円山応挙の父親で丸山藤左衛門という名前はヒットするんだが。


【金毘羅社】




あそこまで行く元気ないわ。(^^;


【参道】




しかし、こんな暑い時に徒歩は予想以上に疲れる。

車に乗らなかったことを後悔した。(泣)

白山登山が控えているので体力アップも兼ねて歩いたけど、
この暑さは結構堪えた。

それに小虫が耳の周りにいて鬱陶しい。


【無料駐車場】


参道から約15分で到着。

汗だくです。(^^;

車は駐車場というか、ちょっとした広場に停めれますね。


【手水舎】


余りに暑いから顏を洗ったら最高でした。(^^


【石段】




疲れた身体にこの石段はアカーン。

ハァハァしながら登る。


【山門】


実に渋い山門です。

とても禅寺の山門には見えない。


【仁王像】



【風景】





【鐘楼】


この山門は鐘楼門だったようです。


【境内】


右手が庫裏となります。


【虚空蔵堂】




お堂の下にハチの巣が出来ていて近寄れませんでした。(泣)


【石仏】



【薬師堂】





【観音堂】




参拝した時は当然のように本堂と思っていたが、
オフィシャルHPを見ると本堂は別にありました。(^^;


【開基堂】




普通は開山堂ですが、
開基堂という名前は初めて見ました。


【本堂】




こちらが本堂のようです。

書院のようでどう見ても本堂には見えませんが、
本堂だけ禅宗の雰囲気がありますね。


【百日紅】



御朱印は御不在ということでいただけませんでした。

書置きも無いとのこと。


現在は臨済宗妙心寺派に属していますが、
お寺の雰囲気は臨済宗の雰囲気は本堂以外は感じられない。

お寺全体から感じるのは真言宗のそれ。

未だに弘法大師のDNAが脈々と引き継がれていますね。(^^

苗秀寺(2017年8月14日参拝)

2017年09月04日 | 仏閣
亀岡市にはまだまだ古刹があり、
先ほど参拝した神蔵寺近くにあるのが苗秀寺です。

こちらは秋になると神蔵寺よりも紅葉が凄いらしい。

無料駐車場がありました。


所在地:京都府亀岡市薭田野町佐伯大門47
宗派:曹洞宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:不明
開山:不明
札所:丹波丹後大日如来八十八ヶ所


【縁起】



【石門】




曹洞宗のお寺にしては攻めてますね。(^^;

それでも嫌らしさを感じないのは、
見事な緑葉のおかげかな。

これを見ると紅葉は確かに凄そうですね。


【参道】


この辺りもとても緑が濃いです。


【地蔵堂】



【薬医門】



【本堂】


曹洞宗らしいピリッとした雰囲気を感じますね。

ただ、残念ながら本堂は開いていませんでした。


【境内】


屋根が雪が降る地域独特ですね。


【鐘楼堂】



【龍虎と象】


鐘楼堂の柱の下は普通は石が置かれているもんですが、
まさか象が置かれているとは。

こんなのは初めて見ました。(^^

鐘楼堂の柱の下に石が何故置かれているかは、
皆さんご存知ですよね。

柱に地面からの水分が吸収されない為で、
石の凹凸に合わせて柱の下を削る匠の技が使われています。


【霊水の井戸】


ホースが美しくないわ~。(^^;


【宝篋印塔】



【十八羅漢の庭】




こんな小僧は珍しい。(笑)


【大日堂】




こちらは中に入る事が出来ました。(^^


【福牛】



【札所看板】


丹波丹後大日如来八十八ヶ所なんて霊場を調べても、
全くヒットしない。

最早霊場が存在してないんじゃないのかな。


【参道】


この先に稲荷神社があるようです。

止めとこうと一瞬思ったが、スルーする訳にはいかない。


【秀成稲荷】




行ってみたはいいが、古い墓地の中でしんどかった。(^^;

凄く寂しい雰囲気でしたね。(泣)


【御朱印】


御住職がお留守で書置きをいただきました。

大広寺(2017年7月29日参拝)

2017年08月24日 | 仏閣
伊居太神社から同じ五月山にある大広寺へ。

こちらは池田城城主池田家の菩提寺です。

無料駐車場があって良かった。(^^


所在地:大阪府池田市綾羽2-5-16
宗派:曹洞宗
御本尊:釈迦如来
創建年:(伝)応永2年(1395)
開山:(伝)天巌禅師
開基:池田充正公
札所:摂北観音霊場


【縁起】
寺伝によれば応永2年(1395)に池田城主の池田充正が創建し、
後に天巌禅師が開基したと伝わる。

永正10年(1513年)頃に室町時代中期の連歌師の肖柏が、
応仁の乱で戦乱の最中であった堺から移り住み夢庵を結んだ。

元禄7年(1694年)に当時の住職が本堂等を再建、
子院も招致し江戸時代中期には繁栄を誇り、
傘下の子院を40余り設けたといわれる。

境内には3つの子院があったが、
今は子院の1つであった陽春寺のみ残っている。

大広寺池田氏の菩提寺となり、代々池田城主の墓や、
池田氏が寄進したと伝わる梵鐘も現存している。

玄関の天井は血天井と呼ばれ、永正4年(1507)の細川高国と細川澄元らの、
室町幕府管領家の家督相続争いで(両細川の乱)、
澄元に味方した6代城主の池田貞正が細川高国に攻められ、
池田城は落城し貞正が切腹したときの板が張られている。


【池田城址】




お寺から見える池田城址。

摂津三守護の一人である池田勝正の居城で、
その勝正を追放した荒木村重が伊丹城(有岡城)に移るまで居城とし、
荒木村重謀反後、信長により破却されたお城で、
現在は模擬の櫓台が建てられ公園として整備されています。


【山門】


開かずの門のようですね。


【鐘楼堂】





【本堂】




残念ながら閉まったままでした。

本堂からぱっと振り返ると山門が見えた。

先ほどの開かずの門より、こっちの山門の方が立派ですね。


【山門】



【白龍】


この白龍については有り得ん故事があるから、
ここでは割愛させていただきます。


【山門】


外側から見た山門。

実に豪壮な山門ですね。


【選佛場】





【鎮守社】



【モニュメント】




こ、これは一体?(苦笑)

これを造るお金があったら、立派な仏様を造立出来るでしょ。


【御朱印】


御住職はいらっしゃいましたが、
書置きをいただきました。

下に子院である陽春寺があって御朱印もいただけるようですが、
暑いので華麗にスルーしました。

陽松庵(2017年7月15日参拝)

2017年08月14日 | 仏閣


久安寺から同じく池田市にある慈恩寺に行く途中で見つけたお寺。

ここは曹洞宗らしい凜とした雰囲気が良さそうだったので寄ってみた。

毎週日曜には座禅会をやってるらしい。


所在地:大阪府池田市吉田町179
宗派:曹洞宗
御本尊:釈迦牟尼仏
創建:観応2年(1351)
開基:夢窓国師
再興開山:天桂傳導禅師


【縁起】



【境内】


車は奥まで勧めますが、最後の坂が細くてかなり急でした。

すると天桂堂という納骨堂があり、
その辺りに車を停めることが出来ました。

天桂堂は天桂傳導禅師を祀っているお堂ですが、
一般の納骨堂なので撮影はしていません。


【山門】



【本堂】


なかなか立派な本堂です。




内陣には入れませんでしたが、
御本尊を外から拝めて良かった。(^^


【庫裏】



【鐘楼堂】



納経所と書かれているので行ってみると、
庭師しか居なかったので御朱印はいただけませんでした。

ま、これも致し方無し。

結局、目的の慈恩寺は暑くて回避。

しかし、陽松庵の隣にあったことを知らなかった。
僅か50メートルなのに。(^^;

朝日山不動寺(2017年7月8日参拝)

2017年08月01日 | 仏閣
専照寺から足羽山へ移動。

足羽山は福井市内にある116.5メートルの小山で、
山上には日本さくら名所100選に指定されている足羽山公園があり、
また、幾つかの神社が点在しています。

まず、足羽山に鎮座する藤島神社を目指していると、
もうすぐ到着という所で、ちょっと興味が湧くお寺を発見。



これは寄り道するしかあるまい。

5台は停めれるスペースがありました。


所在地:福井県福井市西木田4-1-12
宗派:天台宗
御本尊:不動明王
創建:不明
開基:福井藩家老


【縁起】
凶作大飢饉(1669)、福井勝見の大火(1700)、勝見の大火(1702)等、
余りの打ち続く災害に藩家老が頭を悩ましたある日、
夢のお告げで朝日の当たる所に「不動明王を安置せよ」と諭され、
現在の地に安置されたのが不動寺の始まりと伝えられてます。

当山につたわる伝説に「此地に本然祖源と称する比丘尼あり、
内田正之なる人に不動尊彫刻を依頼。

刻む場所を定めんとある日、早朝当山に参りし折、
旭の岩壁に燦然と光る所あり、その輝きの内に不動の霊像紡佛と出現せり、
当人直ちにその場所に写りしままの御影を彫刻せり(不動明王縁記)とあり。

また眼病に悩む一婦人あり、参七廿一日尊像に祈念したところ、
白髪の老人あらわれ、頭をさすること参度、後すみやかに眼病癒治、
之より目の神として崇め奉る」とあります。

御本尊不動明王は身体堅固、善星皆来、悪星退散、当病平癒、火難、盗難、病難、
一切の災難を退き家内安全、商売繁盛、息災延命、諸縁吉祥(伝来の古書)とあり、
多くの信者を集める天台宗派の古刹であります。


【狛犬】



【御清水】


所謂閼伽井ですね。


【不動明王】



【稲荷堂】


堂内に入れました。




神社でいうところの稲荷社ですね。


【弁財天龍神】


稲荷堂の中には稲荷大神の他に、
弁財天龍神が祀られていました。


【彫刻】



【不動明王】



【本堂】




御本尊様にお参り。

私の守り尊ですから普段より丁寧に。(^^


【十二支】








本堂内陣の横には十二支が安置されていました。


【境内】


お寺の裏にある岩肌が荒々しくていい。


【子安観音】



【石仏】



【弁財天】


岩の崩落による危険回避の為に奥には行けないようにしてました。


【境内社】





【水子地蔵堂】


これにて朝日山不動寺参拝終了。

少し近寄りがたい雰囲気のお寺でしたね。

御朱印は無いとのこと。