♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■「恵み」って何? / 岩井基雄

2011年09月16日 | Weblog
2011/9/16放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。

 私は時々、「キリスト教会で耳にする分からないことばは専門用語なのですか?」と聞かれます。確かにキリスト教会で使われている用語には分るようで分りにくいことばがありますよね。この第三金曜日は様々な視点から学んでいますが、しばらくちょっとわかりにくいキリスト教用語を学んでみましょう。

 最初は「恵み」です。よく女性の名前としても用いられますよね。恵みちゃんとか恵子さんとか、日本人の好きな漢字の一つではないでしょうか。広辞苑にも「なさけをかけること。あわれみ。いつくしみ。」という説明が並んでいます。天の恵みという表現で雨や日光を表したりしますよね。分かりやすいことばですが意味は深いですね。

 では聖書が語る恵み、神の恵みとはどういうことでしょうか。聖書の中には恵みについて次のように書いてあるところがあります。

 「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」 新約聖書ローマ人への手紙3章23節、24節 

 聖書が語る神の恵みは、本来は受けるに値しない人が受ける神からの愛やあわれみです。人の罪は神様を否定し自己中心的で人や自分を傷付けるものです。その罪ゆえに神様からの栄誉を受け取ることができない私たちのために神様は独り子イエス・キリストを私たちの罪の身代わりとしてさばき、罪の赦しと贖いを完成してくださいました。私たちが罪赦されて義と認められるのは、神様からの一方的なあわれみと恵みによるのですね。神の恵みとは神の愛の中心的な内容を表しているのですね。

 またこの恵みは神様からの平安と祝福をも表しています。聖書に記されている「恵みと平安があなたがたの上にありますように。」(ローマ 1:7、1コリント 1:3、2コリント 1:2、ガラテヤ 1:3、エペソ 1:2、ピリピ 1:2、コロサイ 1:2、1テサロニケ 1:1、2テサロニケ 1:2、ピレモン 3)という祝福の祈りは受けるに値しない罪深い私たちにも豊かに与えられているからです。

 また「みな互いに謙遜を身に着けなさい。神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。」(新約聖書ペテロの手紙第一5章5節) ともあります。あなたも神様の前にへりくだり、謙遜になってこの豊かな恵みを受け取りませんか?

   (PBA制作「世の光」2011.9.16放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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