♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■それで、目が開かれ

2008年04月07日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道(のぶみち)です。

 えー、先週もちょっと話したんですけれども、イエス様が復活されてからしばらくしてですね、二人の弟子たちがエルサレムからエマオという所に歩いていっているということがありまして、そこへイエス様も一緒に彼らと歩みを共にしたのですね。でも彼らは、その弟子たちは、それがイエス様だってことは気がつきませんでした。

 そしてその二人の弟子が話題にしていたことは、あのエルサレムで起こった出来事。イエスという人が十字架につけられて、そしてそれだけではなくって三日めによみがえられたということ。これはもう大変なことだというようなことでですね、話しをしていた訳なんですけれど、その時にイエス様は、「それはもう聖書の中にもともと書いてあったことで、その聖書に書いてあることが成就したということなんですよ。」というふうにお話しをされました。で、イエス様だということが分からずにその話しを聞いていたんですけれども、この人はほんとによく聖書のことを知っている人だ、というふうに思ったし、またそのことについて興味を感じたんでしょう、「ぜひ今日は一緒に泊まってください」(って)。イエス様は先に行こうとされたんですけれど彼らは「ぜひ泊まってもっとお話しをしてください」っていうふうにお願いをしたということなんですね。

 聖書の中にこういうことばがありまして、「彼らとともに食卓に着かれると、イエスはパンを取って祝福し、裂いて彼らに渡された。それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった。」(ルカの福音書 24章30-31節)ってこう書いてあるんですね。「それで、彼らの目が開かれて」ってこう書いてあるんですけれども、それはイエス様がパンを裂いてそこの人たちに分けてあげた時にですね、普通その家の主人がパンを裂いて人々に家族の者にお客さんに渡すというのが習慣なんですね。でもこの時にはイエス様がパンを裂いてそしてこの弟子たちに分けてあげたという。この時には本当に主とそれからお客という比較がまさに転倒していると言いましょうかね、イエス様が主に成り変わって、その主人に成り変わった時に彼らの目が開かれていったのだ。これは象徴的にですね、私たちの人生に、今迄自分が主だったけれどもイエスが主なんだと言ってイエス様をお迎えする時に私たちの目が開かれていってイエス様というお方がいつもそばにいらっしゃるということが分かっていくっていうことを表しているんですね。

 ( PBA制作「世の光」2008.4.7放送でのお話しより)

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblical.jp 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


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東海福音放送協力会へのお問い合わせは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■人生の時(1) <人生の絵模様>

2008年04月05日 | Weblog

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 今月から土曜日を担当させていただきます原田憲夫(はらだ・のりお)です。宜しくお願いいたします。

 さて私は以前、トルコの絨緞(じゅうたん)工場を見学したことがあります。まだあどけなさの残るお嬢さんが織り機で巧みに縦と横の糸を組み合わせていました。それはまさに、時々が織り込まれていく人生のようでした。

 入学した時、卒業して就職した時、結婚した時、あるいは試験に失敗した時、失恋した時、友人が亡くなり独りぼっちになった時、そうした時々が織り込まれていく私たちの人生。ただ織っている途中はどんな絵模様になるのか、まだ分かりません。それで沢山の心配や不安を抱きます。けれども織物の絵模様は決して偶然によって出来上がるものではありません。織る人は知っているのです。

 では私たちの人生には、織る人はいるのでしょうか。自分自身ですか? いいえ、それは天と地、万物を造られたお方です。私たち人間をも創造された神様です。

 ある日イエス・キリストは、毎日心配ばかりしている人にこう言われました。新約聖書ルカの福音書12章27節、28節。

 「ゆりの花のことを考えてみなさい。どうして育つのか。紡ぎもせず、織りもしないのです。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。 しかし、きょうは野にあって、あすは炉に投げ込まれる草をさえ、神はこのように装ってくださるのです。

 そしてこう言われました。31節。

 「何はともあれ、あなたがたは、神の国を求めなさい。

 あなたの人生は偶然の集まりではありません。天と地、万物を造られた神様の御計画の中にあるのです。ですからキリストは、あれこれ心配しないで何をおいても神様を信じなさいと言われるのです。

 あなたも今日、この神様を信じ、歩き出しませんか?

 ( PBA制作「世の光」2008.4.5放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■主の祈りの中心

2008年04月04日 | Weblog


 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄(いわい・もとお)です。

 神様との交わりについて様々な考えがあります。 でもその中心は祈りではないでしょうか。 多くの場面で私たちの存在を超える方に何らかの助けを求める祈りは人間固有のものと言ってもよいかもしれませんね。 私たち日本人が初詣や宮参りなどで祈りをささげることの中にも、神様に向けて創造された私たちの「神のかたち」(創世記1章26節、27節、8章6節参照)としてのあり方があるのではないでしょうか。 でも本当の祈りって何でしょうね。 ある方が、私たちは祈りにおいて成長するとき全人格的に成長する、と語られました。

 さて、イエス・キリストの弟子たちが主イエスに、「祈りを教えてください」(ルカの福音書11章1節)と申し出たことがありました。 その時教えてくださったのがあの有名な「主の祈り」と呼ばれている祈りです(マタイの福音書6章9〜13節、ルカの福音書11章2〜4節参照)。 奥深い表現の中に祈りの本質が豊かに表されていて、「祈りの中の祈り」とも言われることがあります。

 ではその主の祈りの中心って何だと思いますか? これは私の個人的な考えなのですが、「みこころが天で行われるように地でも行われますように。」(マタイの福音書6章10節)という祈りではないかと思うのです。

 私たちの祈りの多くはこの反対です。すなわち、「私たちの心が天に届きますように。」という祈りです。でも、この主の祈りは方向が逆なのです。私たちの祈りを天に届けようとする上向きの祈りではなく、神様の御心が私になりますように、という委ね切った祈りだというのです。

 考えて見ますと、確かに私たちは自分の思いや考えに振り回されてしまうのかもしれません。だから余計に自分が分からなくなります。あなたの願い通りではなく神様の思いの通りに生きるという任せ切った歩みこそ平安に満ちた生涯なのです。なぜなら、神様があなたを創造され、あなたの人生に目的と意味をもっていらっしゃるからです。

 この主の祈りには、神様の私への御計画こそ最善であり最高なのだという信頼があるのです。あなたも神様に明け渡した祈りをささげてみませんか? 本当の平安な生涯はそこから始まるからです。

 ではまた聴いてください。


 (PBA制作「世の光」2008.4.4放送でのお話しより)

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■神の力を思い出せ

2008年04月03日 | Weblog

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井 誠です。

今日は聖書の中のヨハネの福音書6章11節から読んでみましょう。
 イエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわっている人々に分けてやられた。また、小さい魚もようにして、彼らにほしいだけ分けられた。

 イエスが宣教活動を続けるにつれ、たくさんの人たちがイエスのあとにつき従うようになりました。この日も男だけでその数約5千人もの人々がつき従っていたのです。

 するとイエスはお弟子のピリポに「どこからパンを買ってこの人々にたべさせたら良いだろうか」と問いかけます。ピリポはどうしたでしょうか。

 ピリポはまず、頭の中で計算機を叩いて、どのくらいのパンが必要かをはじき出したのです。そしてこんなにたくさんのパンはどこからも手に入らない、と頭を抱え込んでしまいました。

 で、そこにもう一人の弟子アンデレがいました。彼はピリポより実践的な人です。群集の中を歩き回って少年のリュックの中まで覗き込んで食料をかき集めてきました。しかし大麦のパン五つと小さい魚二匹です。アンデレも、これじゃあどうしようもないと腕組みをしてしまいました。

 しかしイエスがこんな質問をしたのは弟子たちを試すためだったのです。というのも、これまで弟子たちはイエスの奇蹟をたくさん目撃してきましたのでイエスが、御自分の力を信頼するかどうかを試されるためだったのです。

 実際イエスは弟子たちの目の前で、ただの水をワインに変える奇蹟を起こしています。 死にかかった王室の役人の息子を癒す奇蹟も起こしました。さらに38年も病気にかかって臥していた人を一言で立ち上がらせる奇蹟も起こしているのです。

 しかし不思議なことですねえ。弟子たちはイエスの力よりも自分たちの力で何とかしようとしたのです。

そこでイエスはもう一度、御自身に力があることを示されます。イエスは少年が差し出した五つのパンと二匹の魚を祝福し、五千人のお腹を満たす奇蹟を起こされました。

もしあなたが不可能な事態に直面して困ることがあるならば、単純にこのイエスの力を思い起こしましょう。そしてイエスのわざに信頼して歩ませていただきましょう。


 ( PBA制作「世の光」2008.4.3放送でのお話しより)

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■わたしはあなたを助ける

2008年04月02日 | Weblog


 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。

 さあ今日の私のバイブル・メッセージは「わたしはあなたを助ける」。そして聖書の箇所は旧約聖書イザヤ書41章14節です。お読みしましょう。

 「恐れるな。虫けらのヤコブ、イスラエルの人々。わたしはあなたを助ける。----主の御告げ。----あなたを贖う者はイスラエルの聖なる者。

 私たち夫婦は毎朝英国の有名なクリスチャン指導者だったスポルジョンの『朝ごとに』『夕ごとに』を読んで交替で祈ります。ある朝、私が読む番で読んだのが、このみことばとその解説でした。スポルジョンは神様がどのように私たちを助けてくださるかを教えています。

 第一に、私たちは罪と死から逃れることが出来ない囚われの身です。この私たちを神は独り子の尊い血潮をもって贖(あがな)い、買い取ってくださったのです(ヘブル人への手紙 9章12節参照、使徒の働き20章28節参照、コリント人への手紙第一 6章20節参照、エペソ人への手紙 1章7節参照)。

 第二に、「私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」(ローマ人への手紙 5章8節 )とありますように、私たちが悔い改める前に神様の方からまず愛を明らかに示すために私たちの罪の身代わりとして神の独り子を十字架の死に渡してくださったのです。

 第三には、「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選(んだ)」(ヨハネの福音書の15章16節 )と言われました。なぜ罪人の私を選んだのか不思議なことです。でも選んでくださったのです。それはもはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえってくださった方のために生きるためなのです(ガラテヤ人への手紙 2章20節参照)。

 第四には、贖(あがな)い出された私たちをキリストに似た者と造り変えてくださるのです(コリント人への手紙第二 3章18節参照、ヨハネの手紙第一 3章2節参照)。

 聖書のことば、神のことば

 「わたしはあなたを助ける。----主の御告げ。---- 
  イザヤ書41章14節のことばです。

 (PBA制作「世の光」2008.4.2放送でのお話しより)

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■何をしたら救われる?

2008年04月01日 | Weblog


 世の光の時間です。お元気でお過ごしですか? 関根弘興(せきね・ひろおき)です。

 新約聖書の福音書の中に一人の富める青年がイエス・キリストのもとにやって来たことが記されています。まあこの人はたぶん当時の議員であり、ユダヤ社会においては青年のリーダーであったかもしれません。そして大変裕福だったんです(マルコの福音書 10章22節、ルカの福音書 18章23節、マタイの福音書 19章20節参照)。

 そんな彼がイエス・キリストのもとに来て、こう尋ねました。「先生。何をしたら永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか。」(ルカの福音書 18章18節参照) こんな質問をされたら、あなたは何と答えますか? イエス・キリストは、「戒めを守りなさい」(マタイの福音書19章17節)と言われたのです。

 するとこの青年は、待ってましたとばかりに、「ハイ先生、私は小さい時から戒めはきちんと守っています。」 こう答えたんですね。ま、彼は大変真面目な男だったのでしょう。そして自分が永遠のいのちを受けずに一体誰が受けることができようか、というような思いを持っていたのです。

 でもイエス様は彼に、こう告げました。「あなたはまだ一つだけ欠けたものがある。あなたの持ち物を全部売って貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば天に宝を積むことになるのです。」(ルカの福音書 18章22節参照) するとこの青年は非常に悲しんで立ち去ってしまったというんですねえ。

 この光景を見ていた弟子たちは大変驚きました。なぜなら、模範的に見えたこの青年が天の御国に入ることができないなら誰が一体救われるのだろう、こう思ったからです。

 でもちょっと待ってください。聖書は、人が永遠のいのちを、救いを得るために、戒めを守り自分の全財産さえも施さなければ救われないと教えていたでしょうか? そうは教えていませんよね。

 実はこの青年の最初の質問に問題がありました。「何をしたら永遠のいのちを受けることができるでしょう。」という質問ですね。行いや修行や善行の数々なら私は立派にやってきましたよ、と考えていた青年でした。きっと心の中では、私が天国に入ることができないなら誰が入ることが出来るか、というようなそんな思いを持っていたでしょう。でもイエス様は、そういう行いによって完全を目指すと言うなら全財産を施しなさい、と言われたのです。イエス様は、永遠の救いは私たちの行いや努力で得られるものではないと分からせたかったんですね。

 「それでは一体誰が救われるのだろう」と戸惑う弟子たちに、こう告げました。「人にはできないが、神にはできる。」と(マタイの福音書 19章26節、マルコの福音書 10章27節、ルカの福音書 18章27節参照)。永遠に変わることのないいのち、天の御国へと続くいのちは、人の力や行いでは得ることができないのです。しかし聖書は、はっきり語っています。神様にはできるのだ、と。人は努力や行いによってではなく、神が遣わされたイエス・キリストを信じる時、永遠に変わることのないいのちを得ることが出来るんです。

 (PBA制作「世の光」2008.4.1放送でのお話しより)

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