世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道(のぶみち)です。
えー、先週もちょっと話したんですけれども、イエス様が復活されてからしばらくしてですね、二人の弟子たちがエルサレムからエマオという所に歩いていっているということがありまして、そこへイエス様も一緒に彼らと歩みを共にしたのですね。でも彼らは、その弟子たちは、それがイエス様だってことは気がつきませんでした。
そしてその二人の弟子が話題にしていたことは、あのエルサレムで起こった出来事。イエスという人が十字架につけられて、そしてそれだけではなくって三日めによみがえられたということ。これはもう大変なことだというようなことでですね、話しをしていた訳なんですけれど、その時にイエス様は、「それはもう聖書の中にもともと書いてあったことで、その聖書に書いてあることが成就したということなんですよ。」というふうにお話しをされました。で、イエス様だということが分からずにその話しを聞いていたんですけれども、この人はほんとによく聖書のことを知っている人だ、というふうに思ったし、またそのことについて興味を感じたんでしょう、「ぜひ今日は一緒に泊まってください」(って)。イエス様は先に行こうとされたんですけれど彼らは「ぜひ泊まってもっとお話しをしてください」っていうふうにお願いをしたということなんですね。
聖書の中にこういうことばがありまして、「彼らとともに食卓に着かれると、イエスはパンを取って祝福し、裂いて彼らに渡された。それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった。」(ルカの福音書 24章30-31節)ってこう書いてあるんですね。「それで、彼らの目が開かれて」ってこう書いてあるんですけれども、それはイエス様がパンを裂いてそこの人たちに分けてあげた時にですね、普通その家の主人がパンを裂いて人々に家族の者にお客さんに渡すというのが習慣なんですね。でもこの時にはイエス様がパンを裂いてそしてこの弟子たちに分けてあげたという。この時には本当に主とそれからお客という比較がまさに転倒していると言いましょうかね、イエス様が主に成り変わって、その主人に成り変わった時に彼らの目が開かれていったのだ。これは象徴的にですね、私たちの人生に、今迄自分が主だったけれどもイエスが主なんだと言ってイエス様をお迎えする時に私たちの目が開かれていってイエス様というお方がいつもそばにいらっしゃるということが分かっていくっていうことを表しているんですね。
( PBA制作「世の光」2008.4.7放送でのお話しより)
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