48歳の中年オヤジ 柔道を始める

48歳の中年が柔道に挑戦!怪我をして一時期柔道をやめようと思いましたが、やはり続けることにしました。いつまで続くかな?

近鉄志摩線を歩く

2022年09月01日 07時03分19秒 | 旅ウォーク
8月28日 日曜日 近鉄志摩線を歩く

実家の仕事を終え、車中泊明けの本日は時間が空いた。
2年ほど前までは、実家に帰ると志摩のあちこちをジョギングしておりました。が今は膝を壊したので走れない。
自転車持ってくれば良かったなあ。
ウオーキングやってみようかな?そうだ!近鉄志摩線沿いに歩いてみよう!

という事で、朝一で鳥羽に行き車を置いて、近鉄志摩線の各駅停車に乗車。
特急優先観光路線なのにもかかわらず、1時間に1本しかない各駅停車はかなり混んでました。へえ、意外と観光客の利用が多いんだ。
35分ほど揺られて終点の賢島に到着!ここが徒歩のスタート地点です。
国道167号線沿いを北上していきます。海の向こうは志摩観光ホテルが見える。
いつも車でしか走っていない道を、ゆっくり徒歩で歩くのは気持ちがいい。
歩いている横の線路を白の伊勢志摩ライナーが通過していきます。写真の場所は志摩神明近く。
志摩市阿児町鵜方集落に入り、志摩アリーナの横から細い道に入ると、志摩線の踏切に出る。赤い普通電車が見えました。
一時期17~19年前に志摩に住んでたことがありまして、嫁がイオンで買い物をしてる間、私と2歳の子供が電車を見物していた場所です。休みの日の思い出。
ブラック企業に勤めていたので、ホント休みの日が貴重でした。
38歳の時に退職勧告を受け会社を辞めて、愛知県から伊勢志摩にUターンしました。
何故退職勧告を受けたか・・・は、また書く機会もあると思いますが、月に150~180時間を超える残業をしていた会社で、
「ここは異常だ!」
と発言したら、経営者に嫌われた(笑)。6年間いた会社を追い出されてしまった。
まあ辞めるつもりでわざと発言したのもあるのですが。

Uターンで伊勢志摩に移住したものの、職がほとんど無くて、結局地元のブラック企業に我慢して勤めてました。今でもあの頃の悪夢を思い出します。
働けど働けど働けど・・・休みが無い。
建前上は1週間に1日休み(!)でしたが、実際は月に3日休めればいい。朝8時から夜の10~12時まで。時には夜の1時2時がザラ。
3年で辞めちゃったけど、これでも長く勤めたほうです。若い人なんて2~3日で来なくなっていました。
今もそうですけど、田舎は本当に景気が悪くて、就職口が全然ありません。
皆さん田舎を捨てよう!
上の写真は国道167号線沿いに見つけた美人の客引きです(笑)。しかもお店には「美術館」と塗料でデカデカと。一体何屋さんなんでしょう?
今の愛知県も田舎ですけど、やはり工業地帯ですので、それなりに職はあります。
志摩市の人口は激減しておりまして、2045年には消滅するであろう自治体になっております。志摩に住む親戚の若い子たちは、本当に就職で困ってます。
志摩線横山口で撮影した、赤い伊勢志摩ライナーです。
志摩のブラック企業に勤めてた時代は、あまり記憶がありません。家に帰って飯かき込んでシャワー浴びて4時間睡眠。6時に起きて弁当を詰めて6時50分に家を出る。
家に帰るのは早くて11時。遅くて2時。
その繰り返し。
毎日家に帰っているにもかかわらず、嫁と子供の顔を見れませんでした。とっくに寝てる時間帯に帰り、二人が起きる時間の前に家を出ます。顔を見て話すのは休みの日だけ。
ストレスで記憶が飛んでるんでしょうね。子供の記憶が少ししかない。
磯部駅に停車している黄色い伊勢志摩ライナーです。
勤めているブラック会社が倒産寸前になり、社員を解雇し始めた時は正直嬉しかった。
「これで会社を辞める理由が出来た!」
経営不振による解雇なら、次の就職も格段にしやすいからです。これホント。
で嫁さんとも相談して、伊勢志摩を捨てて嫁さんの実家(愛知県)に転がり込みました。
愛知県は、「失われた10年20年」にもかかわらず、伊勢志摩の状況からすると、数百倍職が多い。
今の会社は給料は安いけど(失礼!)、休みはほぼ取れるし無茶な残業もありません。以前勤めていたブラック企業2社に比べたら、天国のように素晴らしい。
私がマラソンを本格的に復活させ、仮装の世界に足を突っ込んで大会に出まくったのは、時間的に余裕が出来たからです。空手を始めたのも、柔道に入れ込んだのも、休日出勤ほぼ無し・残業ほぼ無し、という会社だからでしょう。
今の会社にお世話になって、10年ぶりに人間らしい生活が出来ました。
最初のブラック企業に6年、Uターンしてブラックに3年。これが私の失われた10年です(笑)。
磯部駅からは線路沿いを離れて、伊勢神宮の分社・伊雑宮に行きました。
この近くには妹夫婦が住んでるので、通りがかりに挨拶。妹と久しぶりに会って1時間ほど話し込んでた。もちろんオカンの介護とハチャメチャ親父についてが話題の中心。
「賢島から歩いてきてん」
と言ったらびっくりしてた。
鳥羽市松尾で撮影した「しまかぜ」です。
私がUターンに失敗した話はこれぐらいで、妹と愚痴ったうちの親の話を。
私たち兄妹は、しっちゃかめっちゃかの親父に振り回されて、中学になるまで親子で生活せず別居しております。物心ついてから、田舎(伊勢志摩)の爺さん婆さんにずっと預けられてました。かなり複雑な家庭環境です。ですから私も妹も、死んだ親父や生きてる母親には、かなり複雑な感情を抱いております。
いや逆だ。
一緒に生活した事がほとんど無いから、親子の情愛というものを抱いた記憶がありません。親代わりに育ててくれた亡き祖父・祖母には、非常に愛着が深いのですが・・・。
うーむ屈折してるなあ。
上の写真は鳥羽の相生山です。20年前に登りました。登山道が無く獣道を迷いながら下った事を覚えております。
妹との話に戻ると・・・、
私は私なりに、母親に対して、
「ガキの頃はほったらかしにしておいて、今になって寂しいなんて言うなあ!」
と面と向かって言いたい。
しかし言えない。死にかけの婆さんをとがめても仕方がない。
こんな複雑な感情を親に抱いてる兄妹二人が、その親を遠距離介護しているのだから立派なもんですわ。

近鉄志摩線の事を書くつもりが、妹との話で脱線しまくってます。書いたものを読み返しましたがぐちゃぐちゃ(笑)。
田舎のブラック企業の話から、ブラック親の話まで飛びまくってますな。まあええか。

さて志摩と鳥羽の峠を越したぐらいから、足が重たくなってきました。曇りだった天気も日が照るようになり、自販機で買うジュースの量も格段に多くなります。
「まだ8キロあるのか」
「あと6キロ」
とグーグルマップを見ながらです。暑くてしんどいので景色を楽しむ余裕無し。
鳥羽市の船津を過ぎたあたりから、近鉄沿い(国道)を離れて加茂川沿いにコースを変更。国道は路肩を歩くのですが、車がひっきりなしに通るので危ない。

鳥羽水族館を過ぎ、御木本真珠島を過ぎて、鳥羽駅でゴール!
あちこち回り道や寄り道をしたので、全行程27.7km。実際かかった時間は6時間31分(妹との時間を除く)。時速4.2km。
怪我をして以降、一日の歩行距離が初めて25キロを超えました。拍手!
電車を見ながら歩くのって面白いですなあ。
来年、「しまなみ海道ウルトラウォーキング77キロ」に参加を考えてます。それまでは焦らずに徐々に距離を伸ばしていきます。
半月板損傷でも、まだまだやれる事はある!
コメント
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